Blog TOP


陶然-醒-★(1/17)

「好きになったりして・・・本当にゴメン」
今まで感じたことの無い緊張感が身体を蝕む中で、声を絞り出す。
俺には、もう、何もない。
一度は奪われ、やっとの思いで取り戻した儚い想いが、秋風と共に流されていくようだった。
これで良い、そう自分に言い聞かせることも、できなくなってしまった。


地元の高校から東京の大学に進学し、中堅どころと呼ばれるゼネコンに就職。
明確な将来の展望が見えないまま、社会の流れに必死でついていく毎日だった。
1年の現場研修を経て、2年目の春には正式に工事部へ配属される。
半年も経つ頃には新人なりに仕事をこなすことができるようになり
やっと腰を落ち着けた実感が沸いてくるようになった。

同じ部署にあの男がやってきたのは、新年度が始まる直前のこと。
自分よりも10歳ほど年上の、秋月と名乗った男は、課長補佐という役職付きで経理部から異動してきた。
「あの人、秋月常務の息子さんなんだってさ」
部長の横で簡単な自己紹介をする姿を遠巻きに眺めながら、隣に立っていた先輩が耳打ちをしてくる。
「へぇ・・・でも、何でこの時期に、しかも経理から?」
「使えないんで、いろんな部署をたらい回しにしてるって噂」
「よりによって、今度は工事部ですか・・・」
「親父の権力笠に着て、つまんないことで難癖つけてくるらしいから、あんまり目立たないようにな」

噂がどうやら真実であるということは、その日の内に知ることになった。
複数の管理職たちは腫れ物に触るような扱いで代わる代わる彼の機嫌を取り
他の社員は当たらず障らず、ひたすらに机の上へ視線を落とす。
何をする訳でもなく、一日中パソコンの前に座っていた秋月が定時でさっさと席を立った瞬間
部署全体に広がっていた怪訝な空気が、僅かに緩んだような気がした。


「あ・・・お疲れ様です」
その日の夜、フロアの端に設けられた喫煙所で工事部の風間主査と一緒になった。
「何だ、まだいたのか?」
「板橋のマンションの数量チェックをしてまして」
「まぁ、そんなに急ぎじゃないんなら、程々にしておけよ」
「分かりました」
俺の返事を聞いて軽く頷いた彼は、ひしゃげた箱から煙草を一本取出して火を点ける。

「風間さん、あの秋月、課長補佐って、どうなんですか?」
上司が煙を吐き出したタイミングで、窓際に立っていた同じ部署の先輩が声を掛けた。
「どうって?」
「ほら、いろんな噂、あるじゃないですか」
「ああ・・・」
常務の息子で会社のお荷物社員。
部下の問に短い呟きを返した後、一点を凝視したまま暫く何かを考えている風の男の姿に
伝え聞いていた以上の事情があるだろうことを察する。
「常務は、次期社長って言われてるみたいですけど。その関係なんですか」
「まぁ、お前たちには、まだ関係無い」
社員の追及に、主査は変わらず俯き加減で煙を吐く。
俺の手元にある煙草は、そろそろフィルターまで燃え尽きかけていて
部屋を去るか、もう一本に火を点けるか、迷いあぐねていた。

「端的に言えば、軽い脅しだな。彼がここに回ってきたのは」
新しい煙草を口に咥えた瞬間、風間主査の声が耳に届く。
視線を彼の方へ移すと、彼もまた、俺に視線を送る。
「社長の選任は、基本、臨時の取締役会で決まるが、実際は主査級以上の意向が反映される」

社長が突然の引退宣言をしたのは、去年の冬のことだった。
体調が思わしくなく、もう高齢であることも理由の一つで、今年の夏には新社長に交代するという。
次期社長には秋月常務が有力だとされていたが、対抗馬とされる福岡専務を推す声も多く
現状では拮抗しているとの話を耳にしたことはある。

「工事部も、常務側につけと?」
「そういうことだ」
「風間さんは・・・」
「それは・・・分かるだろ?」
専務は元々工事部から出世した人間で、当然、部署の人間が彼を推さない理由は無い。
「だが、他の現業系の部署じゃ、懐柔された奴もいるらしくてな」
「どうやって?」
「転属、降格、いろんなもんをちらつかせて、最後は・・・これだ」
そう言って男は、指で小さく丸を作って見せた。

末端の社員には知る由もない上層部のゴタゴタが、途端に身近に感じられる。
空間の雰囲気が冷え込む中、上司は煙草を揉み消して苦笑いを浮かべた。
「とりあえず、夏までの辛抱だ。悪いが、仲良くしてやってくれよ」


未だ物件を一人で担当することの無い俺は、他の諸先輩方よりもフロアにいる時間が長い。
「君、名前は?」
目を付けられる可能性が高いのは、当然だったのだろう。
「・・・菅です」
「菅くんね。ちょっと仕事頼みたいんだけど、良いかなぁ?」
もちろん、机に向かっているからといって仕事が無い訳では無い。
図面修正や工程管理資料の作成、下請け業者との調整など、任されている作業も多い。
それでも、名ばかりとは言え上司の命に背く訳にもいかなかった。
「何でしょう?」

頼まれたのは、会議の議事録作成。
ボイスレコーダーに録音された2時間分のデータを聞きながら、文字に起こすというものだった。
部署には派遣で来ている事務員も数人いるのだから、彼女たちに依頼するべきだろうと思っていたが
翌朝、秋月に出来上がった議事録を手渡した時、わざわざ俺に作らせた理由を知ることとなった。

□ 95_陶然-酔- □
■ 1 ■   ■ 2 ■   ■ 3 ■   ■ 4 ■   ■ 5 ■   ■ 6 ■   ■ 7 ■   ■ 8 ■
□ 96_陶然-醒-★ □
■ 1 ■   ■ 2 ■   ■ 3 ■   ■ 4 ■   ■ 5 ■   ■ 6 ■   ■ 7 ■   ■ 8 ■   ■ 9 ■
■ 10 ■   ■ 11 ■   ■ 12 ■   ■ 13 ■   ■ 14 ■   ■ 15 ■   ■ 16 ■   ■ 17 ■
>>> 小説一覧 <<<

コメント

非公開コメント

Information

まべちがわ

Author:まべちがわ
妄想力を高める為、日々精進。
閲覧して頂いた全ての皆様に、感謝を。

2011-3-12
東日本大震災の被害に遭われた方に
心よりお見舞いを申し上げます。
故郷の復興の為に、僅かばかりにでも
尽力出来ればと思っております。

*** Link Free ***



>> 避難所@livedoor
Novels List
※★が付く小説はR18となります。

>>更新履歴・小説一覧<<

New Entries
Ranking / Link
FC2 Blog Ranking

にほんブログ村[BL・GL・TL]

駄文同盟

Open Sesame![R18]

B-LOVERs★LINK

SindBad Bookmarks[R18]

GAY ART NAVIGATION[R18]

[Special Thanks]

使える写真ギャラリーSothei

仙臺写眞館

Comments
Search
QR Code
QR