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陶然-酔-(5/8)

道の前後に車の影は無い。
ウインカーを出して減速し、路肩に車を止めた。
額に手を当てたまま俯く男は、俺がシートベルトを外す音で、僅かに肩を震わせる。
「・・・菅」
小さく名前を呼んでも、何の反応も見せない。
だから、左手で頭を掴み、右手で顎を押さえて、無理矢理唇を重ねた。
一瞬とは言えない間、呼吸を止めて、触れ合わせ続けた。

少しだけ距離を開け、息継ぎをする。
間近に迫る男の眼は、戸惑いに揺れていた。
視線を離さずに、再び口づける。
彼の手が俺の肩に添えられるまで、一体、どのくらいの時間が流れたのかは分からない。
煙草の匂いが混ざる呼気を感じながら、しばらく見つめ合う。
「せめて、思い出すなら、本物にしてくれ。そんなものまであいつに取られるなんて、耐えらんねぇ」
俺の言葉に、菅は一つ息を飲んで、小さく頭を震わせた。
「守・・・」
「あと、その呼び方、もうやめてくんないか。あいつの付属品みたいで、嫌なんだ」
「・・・分かった」
男は混迷を振り払えない表情のまま、シートに身体を預ける。
冷静さを段々と取り戻してきた俺も、運転席に戻り、フロントガラスの向こうの空を眺めた。

「・・・テル」
彼から初めて呼ばれた自分の名前に、微かな違和感を覚える。
「本当に、良いのか?」
予想していた反応とは違う悲愴な声色が、その心境を映しているようだった。
「さあ・・・どうなんだろうな」
自分がした行為の正誤も、男の心の内も分からない今の俺には、そう答えるしかない。
「いつか、きっと、後悔する。もっと、まともな・・・」
「後悔しない人生なんて、ねぇよ。どんな道選んだって、あん時こうしておけば良かったって、思うさ」
もう、何も無かったことにはできない。
先のことは、二人で考えれば良い。
彼にも、同じように思っていて欲しかった。


翌週月曜日の朝礼後、各々が自席に戻る中で課長に呼び止められた。
「守くん、今手持ちの物件ってどのくらいある?」
「明日の竣工検査分含めて、4件です」
「月末までには全部終わらないよね」
「それはちょっと、厳しいですね」
彼に促され、打合せ机の前に立つ。
その上に置かれていたのは、図面の束や資料の数々。
「これ・・・」
「長丁場なんだけどね。工務長の下での調整を君にお願いしたいと思って」
隣県初出店となるショッピングモールは延床面積10万平方メートルほどの中規模施設ではあるが
ウチの会社で手掛ける物件としては、かなり大きな規模の建物になる。
地域での販路拡大を狙う施主と、これを機に新たなパイプを手に入れようとする施工業者。
互いに力の入れようは半端じゃない。
もちろん、俺はここまでの物件を担当したことは無く、まさか自分に回ってくるとは思ってもいなかった。
「来月の初めに事務所立上げだから、それまでに今の物件を菅くんに引継ぎできるかな?」

大量の紙を抱えた俺に、上司はもう一つ、問を投げかけた。
「ああ、後・・・菅くん、調子はどうかな?」
フロアの向こうを見やる柿沼さんの視線を追いかけ、男の姿を認める。
「特に、変わりないと思いますが」
「そうか、なら良いんだけど」
若干声のトーンを落とした彼は、ここだけの話、と前置きをして俺を見た。

鬱病とアルコール依存症の併発。
菅は入社3年を過ぎたあたりから、その病気に苦しみ始めた。
原因は他の社員からのパワハラだったということだが、詳しいことは聞いていないという。
ただ、半年も経つ頃にはまともに就業することもできなくなり
先方の上司が気がついた時には、既に投薬が必要なレベルまで悪化してしまっていた。
長期休暇で療養し、何とか会社には復帰したものの、当然、以前の環境には戻れない。
ウチの会社の上席に伝手があったことから転職する形になったが
その条件として、毎月、診断書の提出を求めているのだそうだ。
「やっぱり、地元の方が落ち着くのかな。君もいるしね」
業務に支障はないだろうと答えた俺に、上司は心許なげな笑みを返した。


「何の話だったんですか?」
資料を側机に置いたタイミングで、隣の席の菅が声を掛けてくる。
「・・・ん?例のショッピングモール、担当しろって」
「へぇ・・・じゃあ、あっちに常駐ですか」
「そう。だから、手持ちの物件、引継ぎしたいんだけど」
転職してきてから1ヵ月半。
既に彼一人に任せている物件が幾つかあるから、互いの時間を調整する必要がある。
「今週なら・・・木、金以外は、大丈夫ですよ」
卓上カレンダーで予定を確認する彼の横顔に、いつもと変わったところは無かったものの
上司から告げられた彼の過去に、何処か懐疑的になってしまう自分がいた。
「月末まで終わらないのは・・・これとこれですかね」
僅かに集中力が切れた俺の頭に、彼の声が入ってくる。
「あ・・・うん、そう。どうしようか、水曜日午後から、時間空くかな」
「分かりました。予定しておきます」

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まべちがわ

Author:まべちがわ
妄想力を高める為、日々精進。
閲覧して頂いた全ての皆様に、感謝を。

2011-3-12
東日本大震災の被害に遭われた方に
心よりお見舞いを申し上げます。
故郷の復興の為に、僅かばかりにでも
尽力出来ればと思っております。

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