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車窓(3/9)

きっかけは、不可抗力だった。
数日前の朝、いつものように彼は俺の前に立っていた。
駅を出た直後、電車が急停止したはずみにぶつかった彼の身体に上半身が押し付けられる。
思わず発せられた苦しげな息遣いが耳を掠める。
乱れた理性を整えながら、背後に圧し掛かる力に耐えた。
その状態は俺が下車するまで続き
罪悪感に苛まれながらも、言いようの無い悦びを否定することが出来ない自分がいた。

彼の面影で身体を慰めたことは、それまで無かった。
スーツ越しに感じた儚い体温でさえ、欲求を湧き上がらせることは無かった。
届かない故に神格化しようとしていた感情を引きとめたのは、脳に沁みる吐息。
それだけのことが、身勝手な希望の火を灯す。
もっと、彼に触れたい。
殻に閉じこもった快楽が、虚しい身体を震わせた。


混雑した車内で、偶然を装うのは簡単だった。
電車の揺れに合わせて立ち位置をずらし、距離を詰める。
ドアに手をついて身を支えるよう、前に立つ身体の間に手を滑り込ませる。
周りからは殆ど見えていないだろうし、彼自身、それほど気にかけていないようにも見えた。
背徳感でぎこちなかった動きも、日を経るごとに慣れてきて
悟られないようにする為にはどうすれば良いのか、そんなつまらないことをも考えるようになる。

この浅ましい行為は、痴漢と変わらない。
俺の腕の中に納まるような形で立つ彼と、窓越しに目があった時
不意に視線を逸らした自分の行為で、そのことに気づかされる。
何処か困惑した、怪訝な表情。
けれど、抵抗する素振りは見せない。
それに付け込んだのは、望みの無い恋心のせい。
正当化しようとする惨めで情けない自分を闇に映しながら、同じ朝が、幾日も続いていった。


独り善がりな幸せの終焉を覚悟していなかった訳じゃない。
いつだって、心の根底には別れの痛みが横たわっている。
幾らもがいたところで、上手く行くはずがないという諦めから逃れることは出来なかった。

いつもの朝。
彼は、俺の傍らに立って電車を待っているようだった。
突然途切れた音楽。
「すみません」
その声に削られた冷静さを、必死に取り繕った。
「・・・何でしょう」
普段よりゆっくり目に発した声は、少し震えていたかも知れない。
初めて交わった視線は、決して、俺が望んでいたものではなかった。

「あの・・・」
後ろめたさも手伝って、彼の雰囲気全てが、俺を否定しているように見える。
けれど、彼の口から次の言葉が出てこない。
居た堪れなさを吹き飛ばすように、乗るべき電車がホームに滑り込んできた。
彼の言葉を聞く勇気は、まだ無い。
乗降客を見やりながら、彼の肩に手をかけ、精いっぱいの言葉をかけた。
「嫌なら、態度で、示して下さい」

けたたましく発車ベルが鳴る。
彼は拒絶の視線を投げて、他のドアへ乗り込んでいった。
最低だ。
俺は、いつまで、こんな風に諦めに飲み込まれていかなければならないのか。
一人で映る車窓の闇に、孤独が広がっていく。


それでも翌日、俺は同じ時間にホームに立った。
次の日も、そのまた次の日も、同じ朝を迎えた。
こんなにも、週末を待ち望んだことはあるだろうか。
後悔と言う言葉が薄っぺらなものに思えるような、自らへの憎悪。
闇にはもう、何も映っていなかった。


「お休みだからって、こんな時間まで寝てるのはどうかと思うわよ」
何度となく鳴らされたチャイムにドアを開けると、呆れたように笑う妻が立っていた。
「あれ・・・今、何時?」
「もう、お昼過ぎた」
「ごめん。ちょっと・・・夜、遅くて」
眠れないまま夜を過ごし、朝方やっと意識を失った、と言うのが本当のところだったけれど
あまり心配をかけるのも嫌で、何となく誤魔化した。
「ご飯、どうする?」
「あれば・・・」
「今、美緒が作ってるから。着替えたら、来て」

あの爪が取れるものだとは、知らなかった。
「あれで仕事してると思ってる訳?」
食事をよそってくれる美緒は、そう言って笑う。
「ホント、女の子に興味無いんだね」
ゴテゴテした爪は、彼女のトレードマーク。
いつも違った装いをしていることには気が付いていたが、スッキリした爪を見るのは初めてだった。
「花も、肌も、傷つけちゃ、ダメでしょ?」
彼女の指が、妻の首筋を撫でる。
「ちょっと、美緒・・・」
「ふふ」
二人の間に流れる、匂い立つような甘い空気。
俺には、それを微笑ましく思える余裕すら、無かった。

□ 13_融化 □   
■ 1 ■   ■ 2 ■   ■ 3 ■   ■ 4 ■   ■ 5 ■   ■ 6 ■
□ 61_朝凪 □
■ 1 ■   ■ 2 ■   ■ 3 ■
□ 67_車窓 □
■ 1 ■   ■ 2 ■   ■ 3 ■   ■ 4 ■   ■ 5 ■   ■ 6 ■   ■ 7 ■
■ 8 ■   ■ 9 ■
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まべちがわ

Author:まべちがわ
妄想力を高める為、日々精進。
閲覧して頂いた全ての皆様に、感謝を。

2011-3-12
東日本大震災の被害に遭われた方に
心よりお見舞いを申し上げます。
故郷の復興の為に、僅かばかりにでも
尽力出来ればと思っております。

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