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此処★(1/9)

「すみません、この議事録、まとめて一斉メールして貰って良いですか?」
手書きの書類を部署の女性に手渡すと、彼女は明らかに不快感を顔に出しながら、それを受け取る。
「いつまでやれば良いですか?今、立て込んでるんで」
「出来れば夕方までに・・・」
「は~い、分かりました」
俺と目も合わせようとせず紙束を机の隅に置いた彼女は、また自分のパソコンの方へ身体を向ける。
ムカつかない訳は無い。
それでも部署では俺が一番年下で、女たちが醸し出す雰囲気に抗える訳も無く
負けを認めながら、自席へ戻る。

「何の作業?」
「議事録だって。めんどくさ。自分でやれば良いのにね」
彼女のPCの画面には、文書作成や表計算ソフトのウインドウが立ち上がっているものの
それらが有効に使われていないことは明らかだった。
裏で立ちあがっているインターネットブラウザでダラダラと時間を潰しているのも知っている。
「まだ新人同然なんだから、残業買って出るくらいじゃないと」
「要領悪いんじゃないの?」
「冴えない奴」
女性だけで固められた島の一角が、そんな話題で盛り上がっていく。
残業だってしてる、如何に要領よく仕事を進められるか、少なくともお前らより考えてる。
鬱々とした気持ちを飲み込む度に、心が少しずつ削られるようだった。


「国枝君、彼女とかいるの?」
入社当初から風当たりが強かった訳じゃない。
この部署に配属されて一年ほど経った、花見の夜。
「良かったら、付き合ってくれない?」
偶然帰り道が一緒になった女性の先輩に、突然告白を受けた。
彼女を含めた少人数で飲みに行くことはあったが、二人で何かということは無く
明確なアプローチも、気が付かなかっただけかも知れないが、無かったように思う。
面倒見も良く、女性陣の中ではリーダー的な存在。
交際相手として申し分ない女であったことは確かだろう。

立ち止まった彼女が俺の手を取る。
春の夜の空気を纏う姿が、妙に、怖かった。
「・・・急がないから」
言葉とは裏腹の、何かを待ち侘びるような眼に思考が乱れる。
けれど、どんなに女が焦がれようと、その想いを受け容れる器を、俺は持っていなかった。
「いや、あの・・・俺」
「突然で、混乱しちゃった?」
軽く引き寄せられる腕が緊張で痺れる。
気の利いた言葉は、何一つ浮かばなかった。
「すみません・・・俺、ホントに・・・すみません」
謝罪の言葉を繰り返しながら考えていたのは、ここから逃げ出したい、それだけだった。

この歳になるまで、明確な恋愛経験は一回だけ。
ただ、一方的に想いを寄せられることは幾度もあった。
確かに顔は悪くないと自分でも思っているものの
言い寄ってくる女たちは、その心の中までを勘案することはしない。
"顔は良いのに冴えない男"
翌日から、俺にはそんなあだ名が付いたらしい。
女には興味が無い、恋愛感情も抱けない、勢いだけのセックスも無理。
絶対に口に出来ない現実が、ただでさえ卑屈な性格を更に悪化させていく。


「またやってんのか、あいつら。よっぽど暇なんだな」
向かいの席に座る折原さんが、視線の向こうへストレートな嫌味をぶつける。
「やっぱ、自分でやった方が・・・」
彼女たちの態度が豹変してからしばらくは、いつもならお願いしていた雑務を全て自分でやっていた。
どう声を掛けていいのか、分からなかったからだ。
「ダメダメ。遊ばせとく余裕なんか無いんだから、任せられることはちゃんとやらせろよ」
「でも・・・」
「このままだと、ずっとナメられっぱなしだぞ?」

事の顛末は、彼女が部署中に触れ回ったせいで、殆どの人間が知っている。
単なる逆恨みに呆れている社員が大半とはいえ、居た堪れなさは変わらなかった。
「大丈夫、お前は仕事も出来るし、顔も良いんだから、挽回のチャンスなんか幾らでもある」
先輩なりの、慰めの言葉なのだろう。
実際、彼は俺が来る前から、女性陣には冴えない男として揶揄され続けているらしい。
「オレの顔でも見て、安心しとけ」
そんなことを気にする様子も見せず、愛嬌のある表情をしながら、そう笑ってくれた。


折原さんとは自宅の最寄り駅が同じということで、仕事以外でも色々と付き合って貰っている。
大卒で上京してきて、殆ど知り合いがいない俺と
姉妹に囲まれた女系家族で、弟が欲しかったと今でも嘆く彼とは、それなりに気も合う。
互いに活動的な方でも無いので、大抵は彼の家で飲むか、ゲームをするか。
傍から見れば生産性の無い時間なのかも知れないが
俺にとっては仕事の様々なストレスを解消する、唯一の場になっていた。

ただ一つ、彼の態度の中で引っかかっている点がある。
「顔の良い奴には、わかんねーんだよ」
何かちょっと意見が食い違うと、先輩はそう言って俺の言動を一蹴することが多い。
誰にでも多少のコンプレックスはあるだろうが、彼のそれは、少し極端に思えた。
俺から見れば、顔は十分イケている。
伏し目がちな時が多いことと、若干姿勢が悪いことと
髪が薄くなっていることを気にしているのか、常に長めの前髪が印象を悪くしているだけ。
「もうすぐ夏なんだから、たまには髪、バッサリいったら良いのに」
「何したって無駄だよ。お前は・・・」
「あー、その言葉、聞き飽きました」
多分、ひた隠しにしている彼への想いが補正を掛けているのかも知れないが
彼の自虐の言葉を聞く度に、その好意を否定されているように感じるのは確かだった。

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□ 91_運命 □
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此処★(2/9)

「めんどくせーな・・・フォーマル過ぎない格好って何だよ」
ある週末の夜。
折原さんは発泡酒片手にPCの画面を眺め、5分ごとに愚痴をこぼす。
「スーツじゃダメとか、意味わかんねぇ」
「ジャケットと、ちょっとしたシャツとか・・・下はデニムとかでも良いんじゃないすか?」
「お前、オレがそんなの着てるとこ、見たことあるか?」
「・・・無いっすね」
「ったく、オレ抜きでやれよ」
「それじゃ、お姉さんの面子が立たないでしょ」
姉が結婚するにあたり、再来週の両家の顔合わせに呼ばれたという彼には
服装はカジュアルフォーマルで、というドレスコードが第一の関門になっていた。

ルックスへの劣等感故か、彼は着るものに対しても無頓着で
夏はTシャツにハーフパンツ、冬はネルシャツにデニムと言うのが彼の定番。
俺が春先にストールを巻いていた時には、信じられないといった目つきで見られたこともあった程だ。
「ほら、こういうのとか、良いんじゃないすか?」
「えぇ・・・何か、なぁ」
急場しのぎでファッション関係のサイトを渡り歩くも、なかなか彼の興味を引くことは出来ない。
「系統だけでも決めて下さいよ。そしたら、俺の貸しますから」


歳の離れた兄貴がアパレル関係の会社に就職していることもあり、学生時代から服には困らなかった。
社会人になってからは私服を着る機会が減ってしまったものの
今でも毎シーズン、何らかのアイテムを購入するのがささやかな楽しみになっていて
ワンルーム+ウォークインクローゼットという変わった間取りの部屋に引っ越したのも、その為だ。

先輩とは、背格好がさほど変わらない。
若干、彼の方ががっしりしたタイプだろうか。
"じゃあ、こんな感じ" と彼が言った雰囲気に合うコーディネイトを自分の服で組み合わせ
何パターンか写真に撮って、携帯にメールする。
色が、形が、というNGにイラつきながらも、30分ほどで、"じゃあ、それで" との返事が戻ってきた。

一安心したところで、不意に足元の箱に目が行く。
ある日を境に着ることの無くなってしまった服が、そこには入っていた。
引っ越しをする度に捨てようと思っていても、捨てられない。
美化すら出来ない最悪な思い出しか、詰まっていないはずなのに。


「ホントに男の子?可愛いね」
それが最高の褒め言葉だと思っていた時期がある。
大学に入り、見た目で自分を主張する自由を得て、自らの性的指向をやっと認められるようになった頃
インターネットで目にした女装姿の男たちに心を奪われた。
スカートを穿き、メイクをし、ウィッグを被り、中には女と見紛うばかりの者もいる。
ポーズを付けてしおらしい少女を演じ、傍ら、男とのセックスで艶めかしい雌に変わる彼ら。
それまで、ひたすら疑似恋愛だけで満足してきた俺には、その世界が憧れの場所に見えた。
こうすれば、誰かと、一歩踏み出すことが出来るのかも知れないと、信じていた。

初めて買った服は、当時流行っていたアイドルの服装を模したものだった。
ノースリーブのタイトなシャツに、ミニスカートとニーハイソックス。
何故それを選んだのか、恐らく異常なテンションのまま注文してしまったのだと思うが
鏡に映った自分の姿を見た第一印象は、決して悪くなかった。
とはいえ、画面の向こうの彼らのクオリティに比べれば、俺はただ女物の服を着ただけ。
どうやったら、もっと洗練できるのか。
妄念が芽生えてから、育つまで、それほどの時間はかからなかった。


姿見の前でポーズを取り、自分の姿をデジカメに収める。
一通りのメイク道具や、女性用の下着にまで手を出しても、未だ他人とのコミュニケーションは無かった。
友人・知人にバレることを危惧していた訳じゃ無い。
誰にも振り向いて貰えない、注目して貰えないことが怖かったからだ。

自己顕示欲が一気に噴き出したのは、意を決してSNSにアップした写真のコメントがきっかけだった。
タイトなミニスカートに、白いブラウスといったシンプルな服装は、思った以上に男たちを引き寄せる。
「脚、組んでみてくれる?」
「ブラウスのボタン、もう一つ外してみようか」
許容できる程度の要求に応えながら画像を重ね、数人の閲覧者とのチャットを続ける内に
自分が彼らから性的対象として見られていることを徐々に認識し始めた。
「後ろ向いて、お尻突き出してみて。挑発する感じで」
画面の向こうから刺さる視線が、初めて感じる得体の知れない昂ぶりを身体にもたらす。
「いいね、最高に抜ける」
偏執的なコミュニケーションにも我に返ることは無く、浮かされた心だけが衝動に震わされた。


その男は、滝口と名乗った。
本名かどうかを確認する術は無かったけれど、別に構わなかった。
「写真より、ずっと可愛いね」
歳の頃は、40歳前後と言ったところだろうか。
白髪の混じる短い髪とアンダーリムの眼鏡が、顔の印象をより鋭く見せる。
フリーカメラマンを自称する男はSNSでコンタクトを取ってきた当初からゲイであることを告白しており
彼と実際に会う決心をしたのは、何処かで性的な関係を持てることを期待していたからだと思う。

ガランとした洋室に、キングサイズのベッドが一台と小さなテーブルセットが一組。
その正面には、壁一面の鏡。
不自然な内装の部屋の中は、薄い饐えた臭いが充満している。
生活感はまるでなく、それでも、本能的な気配が染みついた空間。
何かしら性的な目的で使われている場所なのだろうと、想像が巡った。

大きなカメラバッグを肩から降ろした男が近づいてくる。
立ち尽くすだけの俺の肩に手を添え、薄手のカーディガンの皺を伸ばすように腕を撫でていく。
「カレンちゃんは、男とセックス、したことある?」
何となく思いつきで付けたハンドルネームが、今の俺の存在の全て。
直球の質問に、まずそんな思考が頭に浮かぶ。
追いかけるように、期待と不安と高揚が入り混じった感情が湧いてきた。
「・・・いえ」
「こういう格好すると、男に抱かれたくなったり、する?」
腕を離れた掌がミニスカートの襞に入り込み、太腿に熱をもたらす。
少しずつ、彼との距離が近くなる。
「それは・・・」
「別に、関係を強要するつもりはないんだ。でも、もし、君が嫌じゃ無かったら」
服の下に潜り込んでいく彼の指を、拒む事は出来なかった。
「いつか、君を、抱きたい」

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此処★(3/9)

毎週末、男が選んだ衣装を身に纏い、ファインダー越しの視線に身体を撫でられる。
服の露出は徐々に多くなり、煽情的なポーズを求められることも増えてきた。
それでも、身体を求められることは、未だ無かった。
いつか、の時はいつ来るのか。
待ち侘び、焦らされる心が、衝動を抑制する力を削いでいく。

「ダメだな、カレン。折角のスマートなシルエットが台無しだよ」
肩が大きく開いたマイクロミニのワンピースは、腰回りが窮屈に思えるほど細身な物。
それまでしばらくはティアードやシフォンなど、下半身のラインがあまり目立たないスカートが多く
ある程度の興奮を隠すことが出来ていた。
けれど、締め付けられる感覚と、初めて身に着けたTバックの食い込む刺激が一層欲望を掻き立て
自分では、もう、身体の変化に抗えなかった。

「あの・・・少し、落ち着いたら・・・大丈夫」
苦しい言い訳を口にする俺をしばらく眺めた後、彼はカメラを置く。
「じゃあ・・・今日は、被写体を変えようかな」
差し出された手に導かれるよう男の傍へ向かうと、その手が俺の身体を鏡に相対させた。
背後に感じる熱が興奮を温める。
落ち着くはずも無かった。
太腿から上がっていく手が服をたくし上げながら尻を撫でる。
脚の付け根に沿って、そこへ向かってくる気配が喉を震わせる。
布を押し上げる不自然な膨らみは徐々に大きくなっていき、上半身が自然と前屈みになった。
「可愛いお人形さんじゃない・・・発情した、雌の写真」
低く響く囁きが、吐息を深くさせる。
「剥き出してあげるよ、本当の、カレンを」


小さな白いテーブルの上に腰かけ、右足をそこに載せた。
下半身に纏わりついていた布が捲れ上がり、小さな下着の中で窮屈そうにしている雄の象徴が露わになる。
俺の醜態を正面から眺める彼は、満足そうに微笑みながら、一本の小瓶を手渡してくる。
中に入っているのは、粘性の液体。
送った視線に返されたのは、首を傾ぐ仕草だけ。
蓋を開け、荒ぶる部分へ垂らす。
未知の感覚が敏感な場所をゆっくりと刺激して、吐息が震えた。

「急がないで・・・ゆっくり」
濡れた下着の中のモノを、自らの指で慰める。
薄布はぴったりと張り付き、形も色もはっきりと分かるくらいに透けていて
それが却って、卑猥さを強調していた。
ウィッグの隙間から滲んでくる汗が、首筋を滑り背中に流れていく。
「は・・・あぁ」
全身に籠った熱を発散するように、口から熱い音が漏れる。
「こっち向いて、気持ち良い、顔見せて」
顔を上げると、歪んだ視界の向こうには黒いレンズと満足げな笑みを浮かべる男の顔。
肩越しに映る自分の姿は、無残な性欲を露わにした人形のようだった。


カメラを置いた男がテーブルの傍に立つ。
一所の欲望を目で捉え、彼の意図を推し量った。
小さな頷きに応えるよう足元に跪くと、その手が静かに俺の頭を撫でながら引き寄せる。
目の前に迫る、他人の興奮。
ベルトを外し、ファスナーを下ろし、男の性器を引き摺り出す。
得も言われぬ匂いが身体を震わせ、悦びが眼が眩ませる。
頭上から見下ろしてくる視線を受け止めながら、俺は、それを口に含んだ。

見よう見まねの口淫は、彼をどれほど満足させているのか。
唾液を絡ませ、幾度となく唇で扱き上げる。
根元から舌を這わせ、裏筋を舐る。
切なげな吐息に混ざる、低く抑えた声が理性を奪っていく。
左手で彼を支え、右手で自らの身体を慰め始めると、男の動きは徐々に早くなった。
緩急を付けながら俺の喉奥を穿つ物体が、苦痛と快楽を同時にもたらす。
大きな溜め息と共に口から抜き取られたモノの先端からは
侵蝕の準備が完了した証しである液体が滲んでいた。


テーブルに上半身を伏し、腰を突き出す。
殆ど用を成していない下着が膝の方まで下ろされ、尻の割れ目に沿って粘液が滴ってくる。
男の指が入口を探る様に動く感触だけでも、息が震えた。
耳に響く淫らな音が腰回りを蕩けさせる。
やがて捉えられた場所に、他人が、入り込んだ。

第二関節辺りまで沈んだ指が、体内で細かな動きを繰り返す。
上下左右に腸壁を刺激し、捻じりを加えながら穴を押し広げる。
僅かな苦痛と倒錯が、微かな性感を呼び起こすようだった。
「力抜いて。もう一本、行くよ」
男の声で強張った背中が、尾てい骨を撫でる掌の熱に落ち着かされ、彼を受け入れる覚悟が固まっていく。
まだ見ぬ快楽を求めて大きく息を吸うと同時に、更なる責めが身体中を刺激した。

何をされているか、辛うじて分かる程度に意識が浮かされる。
乱暴に突かれる度に、テーブルの天板と下腹部に挟まれた自分のモノが擦られ、快感が走る。
「何本入ってるか、分かる?」
卑しい音を立てながら問うてくる声に、答えを返すことは出来なかった。
作り物の髪の毛がずれて、目の前を覆う。
道化を演じることも忘れて、素のままの自分が剥き出しになる。
「そろそろ・・・良いかな」
昂ぶる声と共に引き抜かれる指が、心から理性を奪い取り、名残惜しさだけを残した。

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此処★(4/9)

彼にとって、俺はどんな存在だったのか。
初めて肉体関係を持った夜、俺は追いかけるように芽生えた感情を彼に打ち明けた。
しかし男は、首を縦には振らなかった。
「いつまでも、愛しいカレンでいて欲しい」
道化以外の俺は要らない。
彼が必要としているのは、カレンという人形だけ。
残酷な意味を隠した優しい言葉に、それでもまだ、傷だらけの恋心は砕けなかった。

それから、男の前でポーズを取る機会はめっきり減った。
数日置きに繰り返していた逢瀬が、週一回、隔週と時間を置くようになり
やっとチャンスが巡ってきても、ただセックスをして終わることが多くなった。
一方的に燃え上がった俺の感情を鎮める為の、彼の策だったのかも知れない。
そんな好意的に脚色されていた妄想も、たった一通のメールで霧散する。
席を外した隙に盗み見た彼の携帯には、新しい人形を愛でる文言が羅列されていた。

『明日の待ち合わせ、ちょっと場所を変えたいんだけど、良いかな』
顔も知らない相手にメールを打ち、すぐさまアドレスを受信拒否リストに放り込む。
戻って来た彼はいつもと変わらぬ笑顔で俺の身体に手を伸ばす。
「可愛いよ、カレン。いつまでも、オレの傍に置いておいてあげる」
嫉妬と未練が入り混じったままの最後の夜伽は、今までで最高の快感を身体に刻んでくれた。


「奴が少し遅れるっていうから、それまで相手してあげてって言われたんだ」
俺と同年代であろう男は、そんな出まかせで簡単に警戒心を解く。
待ち合わせに指定したのは、いつものスタジオでは無く、場末のラブホテル。
小さなキャリーバッグには、女装道具が入ってるのだろう。
華奢で、背も低く、中性的な顔立ちが目を引いた。
「ここで、撮るんですか?」
「中は結構おしゃれなインテリアでね。きっと気に入って貰えると思うよ」
ネットで拾っただけの薄い知識で緩む表情。
俺も、あの男から、こんな風に見えていたのかも知れない。

女装姿の男は、まさしく "人形" という言葉がピッタリ嵌る風貌だった。
膝上のワンピースに、レースのショール。
巻き髪のウィッグときつすぎないメイクが、俺には無い清楚な魅力を醸し出している。
西欧風の調度品と天蓋付きのベッドが置かれた空間で、存在は一層華やぎを増し
それが、俺の中の何かを壊した。

腹に拳をめりこませると、人形は簡単に崩れ落ちた。
床にうつ伏せにし、彼が身に着けていたショールで腕を後ろ手に縛る。
頭を床に押さえつけ、腰を持ち上げ引き寄せる段になって、やっと俺の意図を理解したのだろう。
「オレ、男とは、ヤったこと、無いんだ。だから・・・」
「男の視線集めて悦に入ってるくせに、今更白々しいんだよ」
俺もそうだった。
自責の念を口にしながら、ワンピースの裾を捲り上げ、ストッキングを引き裂く。
「良かったじゃん、俺が初めての相手で。おっさんより、ずっとマシだろ?」


精液で汚された虚ろな表情の顔を見下ろしても、心の靄は晴れない。
その時、彼の携帯電話に着信が入った。
本来の待ち合わせ時間を過ぎたのだろう。
一つ息を吐き、電話に出た。
「今、何処にいるんだい?」
新たな愛玩具を心配する男の声に、虫唾が走る。
「心配しないで、ちょっと遊んでただけ」
「・・・誰だ?」
「私の声、分からないんだ。酷いな」
極端な声色を作るのも、これが最後。
「彼女、貴方に会いたいって。早く来てあげてね」
言葉を失った電話の向こうの相手に今いる場所だけを告げ、別れの挨拶も無いままで電話を切った。

粉々になった想いは、多くの洋服と共に箱の中に仕舞い込んだ。
本当の自分に価値が無いと思い知らされてから、より一層、着るものに執着するようになった気がする。
いつか誰かに、俺という人間を認めて貰いたい。
そう思っているのに、殻を重ねた外見だけが独り歩きしていく。


「明日、新幹線、何時だって言ってましたっけ?」
「ん?10時半過ぎだったかな」
三連休の初日、いつものように先輩の家でダラダラとした時間を過ごす。
そんな中、顔合わせを明日に控えた彼の表情は、何となく落ち着かないように見えた。
「じゃ、明日行きがけに、ウチ寄って服持っていきます?」
「あー、どうすっかな」
「俺はいつでもいいっすよ」
折原さん渾身の自作PCで検索した路線案内に依れば、最寄駅の出発時間は9時半。
自宅から駅までは5分程度だから、時間的にも無理は無い。
「ちょっと早めに出たいから、今日借りといても良いか?」
「良いですよ。じゃ、飯食いがてらウチ寄ってって下さい」
「お前んちって、初めてだよな?オレ」
「そうっすね。狭いんですよ、マジで。人呼べるとこじゃないんで」

ブラウザを閉じると、開きっぱなしになっていたエクスプローラーが現れる。
何かの拍子にクリックしてしまったフォルダには、数多の画像ファイルが並んでおり
大抵の男のパソコンに潜む秘密の場所であろうことは、すぐに分かった。
普段、女絡みの話は殆どしないから、彼の好みもよく知らない。
ふと湧きあがった好奇心で、一つの画像を開いてみた。

「ちょ、何勝手に見てんだよ」
「いいじゃないすか、減るもんじゃ無し」
背後でゲームをしていたはずの折原さんが、慌てた様子で近づいてくる。
画面に映し出されたのは、少し童顔で色の白い女の子、に見えた。
「ああ、それ、抜きフォルダじゃねぇからいいや」
あからさまにホッとした様子に苦笑しながら、他の適当な画像をダブルクリックする。
「・・・これ」
目の前で微笑む娘を見て、言葉を失う。
それは、数年前、俺が封印したはずの、もう一人の自分だった。

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此処★(5/9)

「見た目は完璧女なのに、付いてるとか、さ。何かイケないことしてるみたいで、興奮するんだよね」
自分の画像をすぐに閉じ、画像の違和感を問うてみると、彼はあっさりとそう話した。
世間にジワジワと浸透しつつある男の娘。
正直、ノンケの男が彼女たちに興奮する理由がイマイチ掴めなかったが
折原さん曰く、作り物であることと、生々しくない性的魅力が良いのだそうだ。
「感覚的には、二次元に嵌んのと同じかなぁ。あざとくてもムカつかねぇし」
「ニューハーフとかじゃ、無くて?」
「身体弄っちゃってんのは無理。・・・あ、別にそういう趣味がある訳じゃねーからな」
「いや、まぁ・・・そうでしょうけど」

作り物の俺を見て、先輩はどんな感情を抱いたのだろう。
何を思って、自分のパソコンにダウンロードしたのだろう。
奇しくも、画像の中の服が、今もクローゼットの奥に仕舞ってある。
もし、俺がその格好で彼の前に立ったら、同じように、いかがわしい視線を浴びることが出来るのか。
「そろそろ、飯、行くか」
「え、ああ・・・良いですよ。何にします?」
道化にはならないと、決めたはずなのに。
「この間駅前に出来たつけ麺屋、行ってみねぇ?」
「いつ通っても並んでますよ、あそこ」
「いいじゃん、特にやることもねぇし。ものは試しだよ」
本当の自分を見て欲しい、ただ一人の相手なのに。


狭いワンルームの空間には、ベッドと小さなローテーブルと、天井までの高さがあるメタルラックだけ。
「ホント、狭いな・・・」
「だから言ってるじゃないですか」
恐らく、ウォークインクローゼットの方が見えている床の面積は広いだろう。
水回りとは反対側にあるドアを開け、照明のスイッチを入れる。
「うわ、すげぇ」
二面の壁に作り付けられたハンガーポールと棚、そこに収められている服を見て、彼は思わず声を上げた。
「着てないのも、結構あって」
「もったいねーな。合コンとか、デートとかで着て行けよ」
「残念ながら、そんな機会、無いんで」
中に入った折原さんは、幾つかの物色するように服を眺め
何となく気に入った物を引っ張り出しては、また戻す、という動作を繰り返す。

俺がコーディネイトしたジャケットに辿り着いた彼は、それを手にしたまま、こちらに顔を向けた。
「国枝さぁ」
「何すか?」
「オレに気ぃ遣うこと、ねーから」
「そんなこと、俺・・・」
ハンガーを外し、俺に背を向けて服を羽織る。
着丈も丁度良く、細身のシルエットも十分綺麗に見えた。
「後輩としても、友達としても、良い奴だと思ってるからこそ、足引っ張りたくねーんだ」
それなのに、彼の口からは切ない言葉しか出てこない。
「俺、そんな風に思ったこと、無いですから」
遣る瀬無い想いを振り切る様に、彼の為に選んだ他の服を手渡す。
「ほら、これと合わせてみて下さい。意外と似合いそうっすね」
「意外と、は余計だよ・・・それに、結構、きついんだけど」
「お姉さんの為に、一日くらい我慢しましょうよ」

素材が良いのは分かっている。
それにも増して、借り物の服に身を包んだ先輩は、普段の装いもあって、まるで別人のようだった。
多分、一番驚いているのは、クローゼットの中に置いてある姿見で自分を見ている彼自身かも知れない。
「・・・なんか」
「ん?」
「いや・・・こんな感じかぁって思って」
違和感と気恥しさと、変身したことに対する悦びと。
あまり経験したことの無い感情が、彼の中に芽生えているのだろう。
「かっこいいっすよ。マジ惚れそう」
「お前に言われても何の得にもなんねぇし」
俺の本音に、言葉とは裏腹のまんざらでも無い笑顔を見せた。
「着て帰ります?」
「んー・・・とりあえず持って帰るわ」
「じゃ、何か袋でも・・・」
クローゼットの奥にある紙袋の束に手を伸ばそうとした時、彼とぶつかり思わずよろける。
拍子に崩れた箱が床に落ち、中身が散乱した。


「悪い、大丈夫か?」
「あ、ええ・・・大丈夫です」
明らかに違和感のある幾つもの服を見て、彼は何を思ったのか。
「それ・・・何?」
「これは・・・」
「元カノの服、とか?」
「あー・・・いや」
折り重なる山から、一枚のスカートを抜き取る。
「これ、見覚え、ないっすか?」
床に跪いたまま、訝しげな顔をした先輩を見上げた。
「ある訳・・・」
その表情は、数秒の間に目まぐるしく変わり、やがて元の怪訝な顔に戻る。
「いや、どっかで」
「さっきの、男の娘が着てた、服」
「は?・・・え、なんで」

果して、彼に全てを告げる必要はあるんだろうか。
微妙な空気に怖気づいた感情が、口の動きを鈍らせる。
「一時期、ハマってて」
「・・・何に?」
「女装」
「マジで?」
「マジで」
何着かの服を手に立ち上がり、一つ息を吐いた。
「俺ねぇ、ゲイなんすよ。男に抱かれたくて、女装、やってた」

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此処★(6/9)

言葉を無くした折原さんの眼は、軽蔑するような、憐れむような視線を俺に向けていた。
大抵のことを軽くいなしていく性格の彼を、ここまで黙らせたことは無かった様に思う。
嘘をつくことも出来た。
突然の告白が、彼を酷く混乱させることも分かっていた。
「・・・見てみます?」
「え?」
それでも、飽和した思考に酔わされた男へ、追い打ちをかけた。
「これ着た、俺」

あっちにいる、彼はそう呟いてクローゼットを出ていく。
独りになった空間で、知らず知らずの内に震える身体を落ち着かせようと、目を閉じ、歯を食いしばった。
俺のイメージの全てを覆す出来事に、先輩はどう対処してくれるだろう。
最悪、今までの関係が無かったことになるかも知れない。
けれど、軽率な決断を後悔しても、もう遅い。
懐の深さに一縷の望みを託しながら、ベルトに手を掛けた。


あの頃から生活は随分変わったはずなのに、体型はそれほど変わっていないらしい。
女性物の下着の堅苦しさが、押し込めていた何かを弾けさせるように、心を締め付ける。
ボックスプリーツのミニスカートに、胸元が大きく開いたカットソーは、人形使いが好きだった組み合わせ。
若干歪んでしまったウィッグを被り、形を整えると、鏡の中で道化が息を吹き返し始めてくる。

「その格好で、男に抱かれた訳?」
背後から聞こえた声に、瞬間、鼓動が跳ねた。
他人の服を着たままでクローゼットの入り口に立つ彼は、俺の爪先から頭までを目で追う。
「・・・そうっすね」
「ふ~ん・・・」
ゆっくりと近づいてくる彼と間を置くように後ずさるものの、僅かな距離で身体は壁にぶつかった。
「改めて見ると、細いな、お前。毛も薄くて、羨ましいわ」
伸びてきた手が、ガーターストッキングの上を滑っていく。
動揺を悟られないように、なるべく深く呼吸をする。
「・・・で、そいつとは、今でも付き合ってんの?」
「いえ・・・他の奴に、取られました」
俺の言葉を小さく肩をすくめながら鼻であしらい、その手は更に上がってくる。
「どんな男だった?」
「アラフォーくらいで・・・カメラマンの、男」
スカートの中に入り込んできた手を、思わず制した。
「ちょっと・・・」
「男同士で嫌がんなよ。それに、減るもんじゃねぇだろ」

熱を帯びた手が尻を弄っていく。
初めて見る彼の表情にもたらされる緊張と狼狽が感覚を麻痺させているのか
俺の身体は、強張ったままだった。
「寝取った奴も、女装?」
「・・・そう、でした」
「お前より、可愛かった?」
頭に浮かぶのは、蹂躙されて壊れた人形の姿。
「そう、かも、知れません」
事実とは言え、過去のこととは言え、負けを認める言葉は素直には出てこなかった。

不意に顎を掴まれ、目の前の顔と無理矢理向き合わせられる。
「惨めだな、お前」
「・・・え?」
「顔も良くて、仕事も出来て、それなりに充実した人生送ってきたんだろうって思ってたけど」
悦に入ったような冷たい笑顔が、心を怯ませた。
「実はホモで、女装までしたのにおっさんにヤリ捨てられたって。どんな笑い話だよ」


数秒、意識が飛んだような気がする。
視界が急に歪み、流れ落ちていったところで、我に返った。
彼の手を振り切り、顔を背ける。
自分の感情が整理できないまま、涙だけが零れる。
頬を伝い、首筋から胸元へ落ちていく水滴が、不快でしょうがなかった。
「悪い・・・ちょっと、言い過ぎた」
俺の身体から手を放し、彼は一歩後ずさる。
「オレさ、お前にすげー嫉妬してんの、自分でも分かってるんだ。勝てるのなんて、歳くらいだし」
一気にトーンを落とした声を耳にしながら、壁に身を預けて呼吸を整えた。
「お前みたいな奴でもオレと同じくらい惨めな思いしてるんだって、正直、ちょっとホッとして」
彼の劣等感が、心に刺さる。
「最低だな、オレ。お前、何も悪くないのに・・・ごめんな」

感情が裏返りそうになるのが、ひたすら、怖かった。
視界の端に見えたジャケットの袖口に手を伸ばす。
引き寄せられるよう再び目の前に立った彼が、作り物の髪の毛を静かに撫でる。
「いつも思うんだ。オレら、釣り合い取れてんのかな・・・一緒にいて、良いのかなって」
何かを振り切ろうとするように絞り出された声に、大きく頷いて答えた。
腕に絡め取られた上半身が、彼の胸元に重なる。
「そっか」
溜め息と共に漏れた声で、やっと心が落ち着いていくのを感じていた。


どのくらい彼に身を預けていただろう。
腰に置かれた片方の手が、静かに背中を撫でていく。
「普通に、似合ってるよ。違和感、そんなにねぇし」
「・・・そうすか」
「今も、思ってんの?」
「何、を?」
「抱かれたい、って」

ゆっくりと瞬きをした男の眼に映る自分が、微かに揺れた。
彼の手が首元にかかる髪を掻き分け、うなじをなぞる。
「男に抱かれたいから女装するって言ったお前が、オレの前で女装するから見ろって言う」
肩に流れた掌が腕を擦り、軽く掴む。
「それで、予想もついたし、少し、覚悟もした。・・・途中、ちょっと混乱したけど」
些細な引っ掛かりを感じさせる声が、すぐ鼻先から発せられる。
「ホントに、オレで良いのか?」

□ 88_此処★ □
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□ 91_運命 □
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此処★(7/9)

彼が逡巡するのは当たり前だ。
この短時間になされた会話が、二人の何かを変えた訳じゃ無い。
他人の、しかも同性同士の性的な領域に踏み込むことへの躊躇と恐怖。
おぼろげな覚悟が固まるとは思えなかった。
「あの・・・別に、今じゃ、無くても」
呟きに眉をひそめた男は小さな溜め息を吐き、すぐに俺の前髪を浮かす。
「そうじゃねぇよ。オレよりも・・・もっと良い奴、いるんじゃねぇの、って」

人からの好意を素直に受け取れないのは、劣等感の裏返し。
このままじゃ、いつまでも、俺の気持ちは届かない。
少し身体を離し、彼の顔を正面から窺う。
「いません・・・俺には、折原さんしか、いません」
妥協でも、自棄でも、衝動でもないことを、伝えたかった。
「ずっと、好きでした」

彼の重心が移動するのを感じ、身体の力を抜いた。
後頭部が壁に押し付けられる。
すぐにやってきた熱を帯びた感触が、緊張と興奮を伴って耳の奥に痛みを広げ
2、3回、互いの唇を軽く潰しあった後、彼は囁いた。
「・・・分かった」
二人の間の僅かな隙間が息苦しい空気で満ちていく。
俯きがちの顔にかかる前髪で彼の表情は大半隠されていて、次の展開が予期出来ないことが怖かった。
男の背中に腕を回し、抱き寄せる。
想いを寄せてきた男と関係が持てる、その期待で身体は昂ぶり始めているのに
罪悪感を取り繕うことが頭を過り、素直に喜べない。
「すみません、我儘言って」
「まったくだ」
いつもと変わらない強がる口調に、僅かな震えが混ざる。
「もし、勃たなくても、許してくれよ」
「・・・はい」
「お前が嫌いだって、訳じゃないから」
肩口に埋もれていた顔が目の前まで戻ってくる。
額を合わせ目を閉じた彼は、大きく息を吐く。
背中を抱える手に、ほんの少し力を入れると、吸い寄せられるように唇が重ねられた。


彼の左腕が俺の頭を抱える様に回り、身体半分を密着させたままでもう片方の手が脇腹を這う。
うなじに沈んだ頭が、熱く濡れた感触と共に胸元へ下りていく。
喉仏や鎖骨を軽く愛撫される刺激と、カットソーがたくし上げられる気配に、溜め息が漏れる。
他人の熱が直接肌に沁みてくるだけで意識が火照り、鼓動が早くなった。

「これって、何か、入れてんの?」
作り物の乳房を弄りながら、彼は若干興味深そうに聞いてくる。
「浮い、ちゃうんで・・・パッド、入れて」
「ふ~ん・・・ここまでやるんだ」
「胸無いと、綺麗に、見えないから」
グレーのブラジャーを露わにしたまま、しばらく感触を楽しんでいる風の男を尻目に
所在の無い俺は、言いようのない恥ずかしさだけが募っていく。

中途半端な上半身を置き去りに、彼の好奇心は下の方へと移る。
繰り返される口づけにぼんやりとした頭が、スカートの中に潜り込んでくる指の感触で強張った。
「これも、女物?」
その時着けていたのは、メンズのTバック。
女性物も着けたことはあるが、やはり収まりが悪く、見栄えも良くないので穿かなくなった。
「それは・・・違う」
捲れ上がる布の中に空気が入り込み、尻の辺りが途端に冷える。
追いかけるようにやってきた掌の温もりが、敏感な場所の衝動を追い立てた。
「いつも、こんなの、穿いてんの?」
「いや、滅多に・・・っん」
不意に二本の指が下着のバックの部分に絡み、腰の方へ引っ張り上げる。
尻の割れ目に食い込んでいく細い布が、擦れる度に身体を煽っていく。
俺の吐息が震えながら彼の前髪を揺らし、後輩の官能を目の当たりにした眼が、満足げに小さく歪んだ。


太腿の間に男の脚が割り込んでくる。
腰が壁から浮かされ、自然と股間を突き出すような格好になった。
下着のラインに沿って流れてきた指が、窮屈な場所に押し込められている部分へ辿り着く。
「何割くらい?今」
耳元でそう聞かれると共に、滑らかな生地の上からモノが擦られる。
「3割・・・くらい、す」
答を絞り出している間にも局部の血流は速度を増し、興奮の度合いは一気に上がっていく。
輪郭をなぞる様に動く5本の指が恨めしいほど、快感が脳を刺激した。
「急に来たな」
「・・・は、あ」
抑えきれない声が口から溢れる。
「何か、変な感じ」
「な、にが」
「お前のこと、ちょっと・・・可愛く、見えてきた」

足元にしゃがみ込んだ彼は、俺の手を取りスカートの裾へ導く。
「持って」
見上げる視線の意図は、すぐに分かった。
この期に及んで抗えるものでも無い。
両手で裾を掴み、へその上の方まで捲り上げる。
剥き出された欲望は既に大きく膨らみ、下着の縁から僅かに顔を出すまでになっていた。

□ 88_此処★ □
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□ 91_運命 □
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此処★(8/9)

しばらくの間擦り込まれていた指の感触が、ふと離れる。
快楽で痺れた脚に力を入れ直し、深呼吸で鼓動を整えようとした時
薄い視界の端に、彼の頭が思いも寄らない場所へ近づいていくのが見えた。
「ちょ・・・と、折原、さん」
「ん・・・どんなもんかと、思って」
直後、生ぬるい吐息と共に柔らかな感触が屹立したモノの上を這う。
力が抜けそうになる腰を壁に押し付けて何とか体勢を保つも
徐々に大胆になっていく男の行為が、繰り糸を一本一本切っていく。
「う・・・っく」
唾液が滲み込み軟化した布が、舌と同化して性器全体を弄る。
玉をゆっくりと握られ、張りつめた裏筋を唇で愛撫される。
押し寄せる波に、呼吸の仕方すら分からなくなった。

「も、やば・・・」
無駄な抵抗を絞り出した瞬間、膝が折れる。
壁に擦られたウィッグから数本のヘアピンが外れ、床に落ちた。
「気持ち良すぎて、立ってらんねぇ、って?」
しゃがみ込んだ俺の眼前に紅潮した男の顔が迫り、首を振る間もなく、荒い息を吐き出す口が唇で塞がれる。
「とりあえず、お前のこと、ガッカリさせないで済みそうだわ」
変な方向にずれてしまった髪の毛を整えながら、彼はそう囁いてくれた。


壁を背にして腰を下ろした先輩に、身体を預ける。
腰の辺りに感じられる昂ぶりが邪な感情を膨らませていく。
彼の肩に天井を仰ぐよう頭を載せ、つかの間、見つめ合った。

背後から回された腕が、腹を擦りながら上がってきて
ブラジャーのアンダー部分を指で数回なぞり、紛い物の感触を惜しむ様にカップを撫でる。
「これ外したら、夢、壊れそう」
「それ、ばっかりは・・・どうしようも」
「ま、そうなんだけど」
意を決したように下着が摺り上げられ、上半身の殆どが露わになった。
僅かに盛り上がる腹筋の辺りから痩せた胸板までを、彼の掌が行き来する。
くすぐったさと恥ずかしさと、一つの期待が相まって、微かな痺れを全身にもたらす。

心待ちにしていた部分を、男の指が捉える。
引きつった呼吸とビクついた肩に、すぐ傍にいる彼が気が付かない訳は無い。
視線の先には、愉快そうな彼の顔。
細かく弾かれる乳首への刺激が、落ち着き始めた下半身の衝動を再び押し上げた。
「感じんの?」
そんな問にも、息を飲むことしか出来ない。
人差し指と中指で挟まれ、軽く引っ張られると、痛みにも勝る快感が理性の殻を剥がす。
「・・・っあ」
「痛ぇか?」
「い・・・え」
服従の姿勢を見せている限り、徐々に責め苦は強くなっていく。
指の腹で潰されたまま、捻じられ、引き伸ばされると共に
上半身が大きく仰け反り、声にならない潰れた音が喉から漏れる。
「もっと?」
「も・・・と」
「案外、マゾいな、お前」
その言葉で、自制心の薄皮が完全に剥かれた気がした。

彼が、床に落ちていた物を拾い上げる。
「流石に、きついよなぁ」
意地悪な口調で呟きながら、細い金属の物体を指で摘み、散々甚振られた場所をつつく。
ずれやすいウィッグを留めるのに使うヘアピン、痛みは想像に難くない。
「どうする?」
それなのに、目を細めて俺を見る彼の誘いを振り切れなかった。
胸元の彼の手に、自分の手を被せる。
「・・・はさん、で」
「何を?」
「ちく、び」


金具で締められた二つの痛みが身体を強張らせる。
歯が震え、顎の奥が軋んだ。
目を閉じて苦痛の奥の快楽を探していると、軽く開いていた脚の間に彼の脚が割り込んでくる。
彼の太腿に載る格好になった膝が大きく左右に分かれ、股間が露出した。
「もう、限界だろ。見てみろよ」
熱を帯びた声が耳元に響く。
眼下に見えた局部は、下着から半分ほど顔を出し、先端からはだらしなく汁が垂れ流されている。
男の中指が焦らすようにそこを撫でた後、少しずつ布を剥いでいく。
程なく自由になった性器は、時を待ちきれないかのように真っ直ぐに立ち上がった。

力強く扱かれる快感を長く味わえる状態では無かった。
見え隠れする絶頂から幾ら目を逸らしても、すぐに目の前まで迫ってくる。
彼と舌を舐りあいながら細切れの喘ぎを吐く、この瞬間が堪らない。
痛みと羞恥はいつの間にか性欲に飲み込まれ、悦びに変わっていた。
「も・・・む、り」
「イきそうか?」
「・・・いっ、く」
言葉を放り投げると共に、意識が一瞬白くなる。
噴き出された液体が腹に纏わりつく感触が、恍惚の終わりを身体に刻みつけた。

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□ 91_運命 □
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此処★(9/9)

本当の自分を見て欲しいと思ってきた。
服を脱ぎ、ウィッグを外し、一人の男として彼を前にすると
道化のままで本能を剥き出したひと時とは、違った緊張感が全身を覆うようだった。
気持ちが切れそうだから、二人で一緒に。
言われるがまま、同じように全裸になった彼と、ユニットバスの中に立つ。
シャワーの湯で流されていく絶頂の証しを惜しむように見送っていると
肩を掴まれ、後ろを向かされる。

間違いなく、何処かに躊躇いを残しているのだろう。
さっきまで眼に宿されていた性的な光は、殆ど気配を消しているように見えた。
男であって男じゃない、俺であって、俺じゃない。
彼が望んでいるのは、そんな存在。
むしろ、ここまでしてくれたことに感謝すべきで、彼を責める一部の隙も無い。
「もう一回・・・服、着ますか」
失意を隠しながら問うた俺の言葉に、彼は、ハッとした表情を見せた。
「いや、ごめん・・・ちょっと、訳わかんなくなってた」
抱きすくめられ、互いの身体が密着する。
溜め息がシャワーの飛沫に掻き消され、腰に回された手に力が篭った。
「いつもどおりのお前見ても、興奮してる自分が・・・今まで、こんなことなかったのに、って」
下腹に当たる彼のモノは、確かに、昂ぶりを保ったまま。
「浮かされてんな、オレ。お前に」


浴槽の縁に腰かけた先輩を、下から見上げる。
濡れた前髪を掻き上げスッキリした額を見せた彼が、俺の頭に手を添え、ゆっくりと撫でた。
半分ほど勃起したモノに、視線を移す。
指を伸ばし顔を近づけると、深い吐息が耳に届く。
もう一度彼と視線を交わし、俺は彼のモノに舌を伸ばした。

先端を舐りながら手で扱くと、刺激を吸収した部分が如実に硬さを帯びていく。
波打つ血管が彼の衝動の度合いを教えてくれる。
身体中のどの部分よりも性的な感触が、俺の身体を再び昂ぶらせた。
やがて自立できるようになった性器を、口に含む。
腰に腕を回し、初めは緩やかに、頭を振る。
「は、あ・・・っん」
降り注いでいた荒い息に音が混ざり、寸でのところで堪えようとする抗いの声。
初めて耳にする男の淫らな声に、官能がくすぐられた。
啜る唾液に酸味が混ざり始め、彼の身体が駆け出す様がありありと感じられる。

「ちょっ・・・ま、て」
動きを速めようとした時、彼の手が肩に載せられた。
痛々しい程に腫れ上がったモノを口から抜き取り、その意図を確かめるべく表情を窺う。
「マジ、もう、ヤバい」
目を閉じて何かを振り切るよう息を吐いた彼が俺の腕を掴み、上半身を引き上げる。
顎に添えられた指に呼ばれるまま、唇を重ねた。
「ここに、いてくれ」
潤んだ眼でそう呟いた彼の腕が、俺の頭を絡め取って肩に寄せる。
いきり立つモノに導かれた右手の上に、手が重ねられた。
ゆっくりと上下させる度に、彼の鼓動が激しく波打ち、引きつった声が口から出ていく。

「・・・舌」
口元で囁くと、半開きの唇から男の舌が小さく顔を出す。
軽く吸い付き、絡ませ、舐り合う。
次第に大きく広がった口から、抑えきれなくなった喘ぎが響いてきた。
「っあ・・・はぁ」
「可愛い、声」
「ば・・・っか、・・・っう」
軽く前屈みになった彼の身体が強張る。
駆け上がっていく瞬間の感触が、掌に焼きつく。
ほとばしる衝動は二人の身体を汚し、滴り落ちていく液体をそのままに、俺たちは長い口づけを交わした。


乱れた洋服を正し、床に散らばった物を拾い上げ、洗い籠に入れる。
シンとしたクローゼットの中は、それでも、さっきまでの興奮の余韻に満ちていた。
その時、突然インターホンのチャイムが鳴る。
時計を見ると、夜の10時過ぎ。
不審に思いつつモニターを確認すると、そこには、1時間以上も前に帰ったはずの折原さんが立っていた。
「どうしたんすか?」
「いや、ちょっと・・・忘れ物したみたいだ」
狭い家の中は、もう粗方整理がついている。
彼の物と思しき物は何も無かったはずだ。
モニターの向こうの表情は、伏し目がちで、覇気も無い。
一人になり、冷静さを取り戻し、色々なことを考えたのかも知れない。
「そうっすか・・・どうぞ」
後悔か、怨嗟か、結論は聞きたくないと思いつつ、開錠キーを押した。

部屋の扉を開けるなり、彼は俺を押し込むように玄関に入り、扉を閉める。
「折原さん?」
「オレ、知らなかった」
「・・・何を?」
「こんな気持ちに、なるんだって」
切なげな視線を一瞬受け止めた後、身体が引き寄せられ、唇を奪われた。
絡みつく腕が、俺の肩から脚までを満遍なく滑っていく。

「誰か好きになるって、楽しいことばっかじゃ、ねぇのな」
肩口に頭が抱えられ、耳のすぐ傍にで囁かれた言葉が頭の中を巡った。
「お前がいなくなったらどうしようとか、これからどうなるんだろうとか、考えると、キリがねぇ」
それは、誰もが持つ恋愛の真理。
そして、相手を本気で想っていることの証明。
髪を撫でる掌が、二人の隙間を徐々に縮めていく。
彼の頬が耳を塞ぎ、口から発せられる言葉が骨を通じて響いてくる。
「・・・ずっと、ここにいてくれ」


地元に帰った彼から電話があったのは、家族同士の会食が終わった後のことだった。
「そっち着くの、多分夜遅くなるな」
「晩飯、どうします?食ってきます?」
「・・・待てるか?」
「良いっすよ。じゃ、待ってます」
朝、俺の家から出発した彼の装いは、相手の親族にも概ね好評だったという。
むしろ、自分の家族の反応が予想以上に大きく、若干立腹しているらしい。
「何?例の彼女?」
「あー、うるせぇ、あっち行ってろ!」
「いーじゃん、声くらい聞かせてよー」
兄の服では無いことを即座に見破った妹の追及は特にしつこく
手を焼いた彼は、咄嗟に恋人に選んでもらったと口走り、更に火種を大きくしてしまったようだ。
「ったく、面倒な奴だな・・・んじゃ、切るわ」
「気を付けて」

箱の中に仕舞い込んだ洋服も、バッサリ切った前髪も、彼方に置いてきた。
やっと互いを認め合い、本当の自分と向き合いながらの日常が過ぎていく。
歓び、不安、嫉妬・・・様々な感情に揺さぶられることはあるけれど
彼の肩口に頭を埋める度、気持ちはフラットに戻る。
もう、大きな変化は望まない。
今こうやって、此処にいられることが、俺にとっての幸せだから。

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Information

まべちがわ

Author:まべちがわ
妄想力を高める為、日々精進。
閲覧して頂いた全ての皆様に、感謝を。

2011-3-12
東日本大震災の被害に遭われた方に
心よりお見舞いを申し上げます。
故郷の復興の為に、僅かばかりにでも
尽力出来ればと思っております。

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