明鏡(2/4)
珍しく都心に雪が降った日の夜。
残業中だった俺の携帯に、一本の電話が入った。
「吉崎さんですか?・・・晴彦の、母です」
互いの両親に、同棲していることは隠していない。
もちろん、恋人としてではなく、友人としてのルームシェアと言う名目。
何かあった時の緊急連絡先として、携帯番号を伝えていた。
こうやって、直接連絡を貰うことは初めてで
それは、彼の身に何か起きたのであろうことを、容易に想像させる出来事だった。
病院のベッドには、右足をギプスで固定されたままで寝かされている彼の姿があった。
「悪い、ちょっと自爆した」
そう笑う顔に、不安が溶かされる。
「・・・何、やってんだよ」
安堵の気持ちで、身体の力が抜けるようだった。
バイク便のライダーをやっている彼は、その日も通常通り荷物を運ぶ最中だったそうだ。
年末も差し迫った繁忙期。
午後から降り出した雪はあっという間に路面を濡らし、気温の低下と共に危険度を増した。
「後ろから車来てたら、マジやばかったわ」
幸い、自損事故を起こしたのが路地に入ったところだったと言うことで難を免れたが
もし幹線道路だったりしたら、そう考えると背筋が寒くなる。
「ご両親は?」
「ああ、おふくろが明日来るってさ」
「そ、か」
「貴司がいるから来なくて良いって言ったんだけど」
「そう言う訳には、いかないだろ」
不意に、彼の手が俺の手を捕らえる。
「心配かけて、ごめん」
自然と絡む指に力が篭った。
「・・・無事で良かった。本当に」
見つめ合うほどに、彼の存在の大きさを感じる。
吸い込まれそうになるのを、必死に耐えた。
「何か必要なもの、あるか?明日持ってくるよ」
晴彦が退院するまでの2週間余り。
ことある毎に、俺は着替えや必要な物を持って病院と自宅を行き来していた。
事故った場所から近い所に搬送されたこともあり、家からは結構な距離。
地下鉄と電車を乗り継いで片道1時間の行程は、車の必要性を否が応にも感じさせる。
家の近くに借りている駐車場には、彼の車が停まっている。
けれど、俺に運転する資格は無い。
結局、退院の日もタクシーでの帰宅になり、もどかしさは更に募った。
「免許、やっぱ要るかな・・・」
車中で呟いた一言に、彼は松葉杖を抱えながら笑う。
「取っても、乗らないだろ?」
「あれば便利じゃん。こう言う時とか」
「オレとしては、こんなことは二度とゴメンだけどな」
「そう言う意味じゃなくて」
「分かってるよ」
ふと言葉を止め、俺の顔を見る。
その表情は、何処と無く心配そうな、不安げなものだった。
「免許取っても、絶対、事故るなよ?それだけは、約束してくれ」
自宅近くの駅から出ている送迎バスに乗り、国道に程近い教習所に着く。
入所式から2週間。
平日に来れない分、土日はほぼ一日中教習所で講義と教習と言うスケジュールだ。
その間の家事は、晴彦に丸投げ状態。
「とりあえず、今はそっちに集中しとけ」
そう言って支えてくれる彼に、申し訳なさを感じながら、甘えている毎日だ。
「標識、多くて覚えきれねぇよ」
テキストに並べられた色鮮やかな標識一覧。
日常目にすることはあっても、特に意味を気にして見ていたことは無かった。
「まず、形と色で区別して、そっから絵で判断したらどうだ?」
長年運転で生計を立てている彼は、俺にそう助言をくれた。
学科の内容についても、運転の技法についても、当然のことながら良く知っている。
自分の知らないことを知っている、出来ないことが出来る。
それだけのことが、人をこんなにも惹き付けるんだと、改めて実感させられた。
技能教習のみきわめが近くなってきた、ある日の午後。
「また、お会いしましたねぇ」
指定された教習車の横には、すっかり馴染みになった教官が立っていた。
俺が通っている教習所では、担当教官は完全にランダムで選ばれていて
その時限になって見なければ、分からない。
にも拘らず、彼と顔を合わせるのは何回目だろう。
若狭と書かれたネームプレートを付けた教官は、多分俺とそれほど歳は離れていないと思う。
はにかんだ笑顔と物腰の柔らかい話し方が、緊張をほぐしてくれる。
「こんなに続くことは滅多に無いんですけど。吉崎さんとは、何か縁があるのかな」
□ 37_明鏡 □
■ 1 ■ ■ 2 ■ ■ 3 ■ ■ 4 ■
□ 46_治癒★ □
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残業中だった俺の携帯に、一本の電話が入った。
「吉崎さんですか?・・・晴彦の、母です」
互いの両親に、同棲していることは隠していない。
もちろん、恋人としてではなく、友人としてのルームシェアと言う名目。
何かあった時の緊急連絡先として、携帯番号を伝えていた。
こうやって、直接連絡を貰うことは初めてで
それは、彼の身に何か起きたのであろうことを、容易に想像させる出来事だった。
病院のベッドには、右足をギプスで固定されたままで寝かされている彼の姿があった。
「悪い、ちょっと自爆した」
そう笑う顔に、不安が溶かされる。
「・・・何、やってんだよ」
安堵の気持ちで、身体の力が抜けるようだった。
バイク便のライダーをやっている彼は、その日も通常通り荷物を運ぶ最中だったそうだ。
年末も差し迫った繁忙期。
午後から降り出した雪はあっという間に路面を濡らし、気温の低下と共に危険度を増した。
「後ろから車来てたら、マジやばかったわ」
幸い、自損事故を起こしたのが路地に入ったところだったと言うことで難を免れたが
もし幹線道路だったりしたら、そう考えると背筋が寒くなる。
「ご両親は?」
「ああ、おふくろが明日来るってさ」
「そ、か」
「貴司がいるから来なくて良いって言ったんだけど」
「そう言う訳には、いかないだろ」
不意に、彼の手が俺の手を捕らえる。
「心配かけて、ごめん」
自然と絡む指に力が篭った。
「・・・無事で良かった。本当に」
見つめ合うほどに、彼の存在の大きさを感じる。
吸い込まれそうになるのを、必死に耐えた。
「何か必要なもの、あるか?明日持ってくるよ」
晴彦が退院するまでの2週間余り。
ことある毎に、俺は着替えや必要な物を持って病院と自宅を行き来していた。
事故った場所から近い所に搬送されたこともあり、家からは結構な距離。
地下鉄と電車を乗り継いで片道1時間の行程は、車の必要性を否が応にも感じさせる。
家の近くに借りている駐車場には、彼の車が停まっている。
けれど、俺に運転する資格は無い。
結局、退院の日もタクシーでの帰宅になり、もどかしさは更に募った。
「免許、やっぱ要るかな・・・」
車中で呟いた一言に、彼は松葉杖を抱えながら笑う。
「取っても、乗らないだろ?」
「あれば便利じゃん。こう言う時とか」
「オレとしては、こんなことは二度とゴメンだけどな」
「そう言う意味じゃなくて」
「分かってるよ」
ふと言葉を止め、俺の顔を見る。
その表情は、何処と無く心配そうな、不安げなものだった。
「免許取っても、絶対、事故るなよ?それだけは、約束してくれ」
自宅近くの駅から出ている送迎バスに乗り、国道に程近い教習所に着く。
入所式から2週間。
平日に来れない分、土日はほぼ一日中教習所で講義と教習と言うスケジュールだ。
その間の家事は、晴彦に丸投げ状態。
「とりあえず、今はそっちに集中しとけ」
そう言って支えてくれる彼に、申し訳なさを感じながら、甘えている毎日だ。
「標識、多くて覚えきれねぇよ」
テキストに並べられた色鮮やかな標識一覧。
日常目にすることはあっても、特に意味を気にして見ていたことは無かった。
「まず、形と色で区別して、そっから絵で判断したらどうだ?」
長年運転で生計を立てている彼は、俺にそう助言をくれた。
学科の内容についても、運転の技法についても、当然のことながら良く知っている。
自分の知らないことを知っている、出来ないことが出来る。
それだけのことが、人をこんなにも惹き付けるんだと、改めて実感させられた。
技能教習のみきわめが近くなってきた、ある日の午後。
「また、お会いしましたねぇ」
指定された教習車の横には、すっかり馴染みになった教官が立っていた。
俺が通っている教習所では、担当教官は完全にランダムで選ばれていて
その時限になって見なければ、分からない。
にも拘らず、彼と顔を合わせるのは何回目だろう。
若狭と書かれたネームプレートを付けた教官は、多分俺とそれほど歳は離れていないと思う。
はにかんだ笑顔と物腰の柔らかい話し方が、緊張をほぐしてくれる。
「こんなに続くことは滅多に無いんですけど。吉崎さんとは、何か縁があるのかな」
□ 37_明鏡 □
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