この気分は、何だろう。
仮免試験に合格し、路上教習に出始めた頃。
相変わらず若狭教官との縁は切れる事無く、今日も助手席には彼が座っていた。

「今更ですけど、吉崎さん、失効で来てるんじゃないんですよね？」
彼が言う失効とは、免許更新を忘れうっかり失効してしまった人のこと。
学科講義の際にも聞いたが、これが案外多いのだそうだ。
確かに、晴彦も一度更新期限ギリギリに警察署へ駆け込んだことがあった。
「いえ、初めてですけど・・・」
「所内での講習の時から、センス良いなぁって思ってまして」
「そうですか？」
「僕、このところ、補助ブレーキ踏んでませんもん」
「じゃあ、過信しない程度に、喜んでおきますね」

その日の教習は、最終時限。
教習所へ戻った頃には、既に夜になっていた。
停車位置に車を止めた後、彼は俺が手にしているハンドルを横から取る。
「このまま、車しまっちゃうんで、ちょっと手伝って貰えますか？」
そう言って、アクセルとクラッチのタイミングを俺に指示して来た。
助手席に乗ったままでハンドルとブレーキを操り、車を狭い空間に収めていく。
微妙に近くなった彼の肩口を眺めながら、霞みがかった気持ちの正体に気がつかされる。
しまったと思った時には、もう、遅かった。

惚れっぽい性格であることは自覚していた。
面食いであることも、全く否定できなかった。
路上教習中、彼が同乗する他の教習車を見ると、何処と無く悔しい。
再び彼が助手席に乗る機会に巡り合うと、テンションが上がる。
いい歳をしてこんな気分に振り回されている自分が、情けなかった。


晴彦の勤務シフトはまちまちで、休日が合わないのはよくあることだった。
それに加えて俺の出張などが重なり、このところ、一緒の時間を過ごすことも少なくなっている。
珍しく俺が先に帰宅していた夜。
「お疲れ」
そう声をかけた俺を見て、彼は思いがけず嬉しげな表情を見せる。
「どうした？」
「いや、眼鏡かけてんの、久しぶりに見たような」
コンタクトにしてから大分経ってはいるけれど、やっぱり夜にまで着けているのは辛くて
帰宅してからは眼鏡をかけるようにしている。
「夜はずっとかけてるぞ？」
「そうだっけ？」

荷物を床に置いた彼は、取るものも取り合えず、俺の背後から机の上のテキストを覗き込む。
教習も佳境を迎え、そろそろ本試験に向けての勉強の時期。
「調子は、どう？」
「ん～・・・大丈夫そうだけどね」
「高速教習とか、もうやったの？」
「今週末に行って来る」
「雨とか降んなきゃ良いけど。・・・気をつけろよ」
言葉の端々に感じられる、彼の優しさ。
嬉しさと共に、罪悪感で居た堪れなくなる。

晴彦の手が頬に触れる。
振り向くように顔を移した先には、彼の顔があった。
軽く鼻を擦り合わせ、唇を重ねる。
長く、暖かなキス。
「貴司」
「ん？」
「好きだ」
間近で感じる、真剣な眼差し。
日常に溶け込んでしまっていた感情をすくい出されるようだった。
「・・・どうしたんだよ？」
「分かんね。でも、何か・・・」
僅かに離れていく彼の顔を、手で引き留める。
首を伸ばし、彼の唇を求めた。
触れ合わせ、下唇を舐めて、舌を呼ぶ。
息が荒くなるまで、絡ませる。

「・・・やべ」
彼の手が俺の肩に乗り、身体を引き離される。
「ん？」
「ちょっと・・・抜いてくる」
「キスしかしてねぇのに・・・中学生かよ」
「しょうがねぇだろ、最近ご無沙汰だったし」
机の上のテキストにペンを挟み込み、閉じる。
恥ずかしそうに視線を外す彼の手を取った。
「一人で抜くなよ。もったいないだろ」

□ 37_明鏡 □
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□ 46_治癒★ □
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