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幻想★(1/10)

居間の片隅に置かれた小さな木の戸棚の前に、ささやかな花とお菓子が置かれている。
横目で見ながら通り過ぎようとする俺に、父はネクタイを締めながら言った。
「月命日くらい、手を合わせてやっても、良いんじゃないか?」
居た堪れない彼の心情を表す様な覇気の無い声が、足を止めさせる。
俺も父も、未だ現実を受け止めきれていない。
「・・・そうだね」
屈みこむ俺の後ろに立った彼は、それと悟られないように、小さな溜め息を吐く。
こんな思いをするのなら、ずっと幻想を見ていた方が良かったのかも知れない。
真新しい青磁の壺には、いつもと変わらないはずの光景が白く映る。
俺たちの幸せは、一体、何処に行ってしまったのだろう。


自分に兄がいた、と言う話を初めて聞いたのは、いつの頃だったか。
気が付けば、毎朝、母と共に、小さな壺に向かって手を合わせるのが日課になっていた。
生まれてから半年足らずで事故死してしまった兄に、母がずっと後悔の念を抱き続けているのは明白で
時折見せる普通では無い態度が、子供ながらに怖かった。

ある夜のこと。
幼い俺が母を求めて居間を覗くと、いつも手を合わせている壺を抱えて座る母の姿があった。
声を掛けようとした瞬間、何かの音が聞こえてくる。
固いものを齧るような、けれど軽く、細かな音。
そして、母の荒い息遣いと、低く呻くような声。

壺の中に何が入っているのか、彼女が何を口にしていたのか、その時の俺には分からなかった。
それでも、光景と共に思い返される言葉。
『お母さんが、お兄ちゃんを、食べている』
あれ以来、家の中で兄について口にすることは、めっきり減った。
今でも、何かを噛む音を聞くと、心が落ち着かない感覚に陥ることがある。

写真の一枚も無い彼の存在は、やがて俺の中で大きな違和感になり
家族の関係をぎこちないものにしている厄介者、そんな感情を植え付けていった。


疑いもしなかった日常の真実を知らされたのは、それから大分経ってからのことだ。
看護師をしていた母が職場に復帰し、彼女の奇行を見る機会も減った。
俺の感情が幾らか落ち着いてきていたのを、父は分かっていたのかも知れない。
母が夜勤だった夜、父は居間の片隅に変わらず置いてある壺に視線を送りながら、話を始めた。

「敏典とお兄ちゃんは、実は、お父さんが違うんだ」
父と、2つ年上の母が出会ったのは、父が就職してすぐの頃。
大学時代の友人の紹介だったと言う。
惹かれ合い、結婚に至るまでは2年程あったにも関わらず、彼女から兄のことを聞いたのは婚約直前だった。

「お兄ちゃんのお父さん、つまり、お母さんの前の相手はね、今は何処にいるか、分からない」
母が初めて結婚し、子供を授かったのはまだ高校を出て程ない時。
「お兄ちゃんがいなくなって、お母さんは何日も何日も悲しんでいたのに、そいつは、いなくなったんだ」
不幸な事故で兄を失った母を見捨て、その男は行方知れずになった。
彼らの間に流れる複雑な事情や感情を理解することを、その時の俺には出来なかったけれど
父はその男を心から憎んでいるのだろう、そのことだけは、はっきりと感じることが出来た。

「・・・可哀想だね、お母さん」
「そうだね。でも、そのことが無かったら・・・」
幼い言葉に、父の眼が悲しげに歪む。
「お父さんとお母さんは結婚しなかっただろうし、敏典も生まれてこなかったかも知れない」

人は皆、喜怒哀楽の点を繋いだ線を引き摺りながら歩いている。
あまりに皮肉な人生を振り返るよう、父は俺の頭を撫でた。
「お父さんは、それでも、敏典とお母さんと三人でこうやって暮らしていることが、幸せだと思ってる」
「でも・・・お母さん、時々、泣いてる」
「それはね、きっと、お兄ちゃんがいなくなった寂しさを乗り越えようとしているからだよ」
不意に、あの気味の悪い光景を思い出す。
優しげな父の言葉と、母の行動が、どう考えても結び付かなった。
「お母さんも、頑張ってるから。敏典も、もう少し、見守っててあげて欲しいんだ」


家族と言う枠の不安定さを決定的にしたのは、そのすぐ後で出された一つの宿題だった。
自分の名前の由来を調べてくる。
極単純な質問を、俺は結局、両親に問うことは出来なかった。

相模敏典。
あることをきっかけに、大人になってからも素直に受け入れられない自分の名前。
亡くなった兄の名前は、敏也。
兄弟であれば、同じ漢字が入っていることはおかしいことでは無い。
けれど、俺と兄は、父が違う。
母が押し切ったのだろうか。
そんなに我を張るような人間では、無いと思う。
家族の中の点が線として繋がらない漠然とした不安が、小さな心に圧し掛かる。
所縁の無い字、顔の見えない兄、心を隠した母。
人が変わったように勉強に打ち込み始めたのは、拠り所を失いかけた恐怖心からだったのかも知れない。


元々地頭は良かったのだろう。
聡明な父の血を受け継いでいるはずだと、親戚からも言われていた記憶がある。
小学校を卒業し、地元でも有名な中高一貫の進学校に入学した俺は、益々勉学にのめり込んだ。

平穏を取り戻しつつあった家族の形が再び見えなくなり始めたのは
俺が高校生になり、父が単身赴任で海外へ行き、2、3ヶ月経った頃。
酒に酔って帰宅した母が、一人の男を連れて帰ってきたことがきっかけだった。

父と同じくらいの歳の男は、母の古い友人だと言う。
人当たりの良さそうな笑顔と、喋り口調が印象的だった。
兵藤と名乗った彼は、妙なテンションの母を宥めながら距離を詰めているようにも見える。
抱く必要のない父への罪悪感を少しでも軽くしたくて、俺は自室の扉の鍵を閉めた。

□ 70_幻想★ □
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まべちがわ

Author:まべちがわ
妄想力を高める為、日々精進。
閲覧して頂いた全ての皆様に、感謝を。

2011-3-12
東日本大震災の被害に遭われた方に
心よりお見舞いを申し上げます。
故郷の復興の為に、僅かばかりにでも
尽力出来ればと思っております。

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