一縷(5/6)
「耳にした噂なんだけど」
神妙な顔つきだった。
「佐々木と、何かあった?」
何となく、その噂の内容の想像がつく。
「いえ、別に」
「根も葉もないもんだとは思ってるんだけど、ね」
周りに誰もいない事を確認するように、坂口さんは続ける。
「その発信源が、どうも、さっきのヤツらしいんだ」
「どうして・・・」
「知ってる顔、なんだよね?」
路地で襲われました、とはとても言えなかった。
「前に、ちょっと・・・」
「俺らとしては、吉岡さん、良くやってくれてるから、どうこうってことは無いんだけど」
「どんな・・・噂なんですか」
「デキてるってさ」
「そんな馬鹿な」
「分かってるけどさ。女性陣の間で、すっかり熱が上がっちゃってねぇ」
恐ろしい噂の力を思い知る。
「ただ、総務のあいつが何でそんなことを吹聴しているのか、分からないんだよな」
ヤツのことを全てを話してしまえば、俺への疑惑も晴れる。
ただ、それは、佐々木さんのことも明らかにしてしまうことにもなる。
「まぁ、目立たないように火消しはしておくけど」
「お手数おかけします」
「いや、申し訳ないね、つまらんことに心労掛けさせて」
全く関係が無いのに申し訳無さそうな顔をする坂口さんを見て、逆に申し訳なく思う。
窓には大粒の雨が叩きつけていて、すっかり荒れた天気になっていた。
思った以上に雨は酷く、折り畳み傘ではとても太刀打ちできる状況ではなかった。
1階のエントランスホールで、雨が弱まるのを待つ。
玄関の方を眺めていると、酷い雨の中、歩いてくる人物が見えた。
佐々木さんだった。
傘をしまい、こちらに視線を向けた時、一瞬目が合う。
彼は簡単に会釈をすると、急ぎ足で去っていった。
噂は当然、彼の耳にも入っているのだろう。
火に油を注ぐ必要は無い、そう言う考えからだ、と納得した。
雨は、まだ止みそうも無い。
週末、佐々木さん担当の物件に関する図面が完了した。
データ納入も、報告もメールで済ませた。
本来なら電話の一本も入れておくべきなのだろうが、止めておいた。
夜になって、その件に関するお礼のメールが届く。
文面は、ありがとうございました、という流れの後にまだ続いており
ご迷惑をおかけしました、の先を読んで、俺は小さく声を上げてしまった。
会社を辞めると言う報告だった。
次に行く会社が記されていたので、予定していた転職だったのかも知れない。
メールの署名には、彼の携帯番号が記されている。
5分ほど迷って、俺は自分の携帯電話を取り出した。
長い呼び出し音の後、やっと繋がる。
「はい」
声は確かに佐々木さんだったが、少し警戒気味のトーンだった。
知らない番号からのコールだから、当然だろう。
「突然すみません、伊東設計の吉岡です」
「ああ、お世話になります」
「今、大丈夫ですか?」
「ちょっと・・・すぐ掛けなおします」
会社の中だったのだろうか。
言葉どおり、すぐコールバックがあった際には、どうやら外に出たようだった。
「先ほど図面確認致しました。ありがとうございました」
「本来なら電話でご報告させて頂くべきだったのでしょうが」
「いえ・・・本当に、申し訳ありませんでした」
坂口さんの火消しは徐々に功を奏して来ているようだったが
佐々木さんは、まだ、苦しんでいるようだった。
「あの、会社、辞められるんですね」
「はい。前から考えていましたので。良い、タイミングかなと」
声のトーンは冴えなかった。
「・・・私一人が逃げるような格好になってしまって」
「それで佐々木さんの気持ちが落ち着くなら、最善の選択だと思いますよ」
彼は、何も言わなかった。
しばらくの沈黙の後、ある提案をされる。
「少しお話したいことがあるので・・・お会いできませんか」
話なら電話で良いじゃないか、とも思ったが
やけに思いつめたような声に俺は、はい、としか答えられなかった。
□ 09_一縷 □
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神妙な顔つきだった。
「佐々木と、何かあった?」
何となく、その噂の内容の想像がつく。
「いえ、別に」
「根も葉もないもんだとは思ってるんだけど、ね」
周りに誰もいない事を確認するように、坂口さんは続ける。
「その発信源が、どうも、さっきのヤツらしいんだ」
「どうして・・・」
「知ってる顔、なんだよね?」
路地で襲われました、とはとても言えなかった。
「前に、ちょっと・・・」
「俺らとしては、吉岡さん、良くやってくれてるから、どうこうってことは無いんだけど」
「どんな・・・噂なんですか」
「デキてるってさ」
「そんな馬鹿な」
「分かってるけどさ。女性陣の間で、すっかり熱が上がっちゃってねぇ」
恐ろしい噂の力を思い知る。
「ただ、総務のあいつが何でそんなことを吹聴しているのか、分からないんだよな」
ヤツのことを全てを話してしまえば、俺への疑惑も晴れる。
ただ、それは、佐々木さんのことも明らかにしてしまうことにもなる。
「まぁ、目立たないように火消しはしておくけど」
「お手数おかけします」
「いや、申し訳ないね、つまらんことに心労掛けさせて」
全く関係が無いのに申し訳無さそうな顔をする坂口さんを見て、逆に申し訳なく思う。
窓には大粒の雨が叩きつけていて、すっかり荒れた天気になっていた。
思った以上に雨は酷く、折り畳み傘ではとても太刀打ちできる状況ではなかった。
1階のエントランスホールで、雨が弱まるのを待つ。
玄関の方を眺めていると、酷い雨の中、歩いてくる人物が見えた。
佐々木さんだった。
傘をしまい、こちらに視線を向けた時、一瞬目が合う。
彼は簡単に会釈をすると、急ぎ足で去っていった。
噂は当然、彼の耳にも入っているのだろう。
火に油を注ぐ必要は無い、そう言う考えからだ、と納得した。
雨は、まだ止みそうも無い。
週末、佐々木さん担当の物件に関する図面が完了した。
データ納入も、報告もメールで済ませた。
本来なら電話の一本も入れておくべきなのだろうが、止めておいた。
夜になって、その件に関するお礼のメールが届く。
文面は、ありがとうございました、という流れの後にまだ続いており
ご迷惑をおかけしました、の先を読んで、俺は小さく声を上げてしまった。
会社を辞めると言う報告だった。
次に行く会社が記されていたので、予定していた転職だったのかも知れない。
メールの署名には、彼の携帯番号が記されている。
5分ほど迷って、俺は自分の携帯電話を取り出した。
長い呼び出し音の後、やっと繋がる。
「はい」
声は確かに佐々木さんだったが、少し警戒気味のトーンだった。
知らない番号からのコールだから、当然だろう。
「突然すみません、伊東設計の吉岡です」
「ああ、お世話になります」
「今、大丈夫ですか?」
「ちょっと・・・すぐ掛けなおします」
会社の中だったのだろうか。
言葉どおり、すぐコールバックがあった際には、どうやら外に出たようだった。
「先ほど図面確認致しました。ありがとうございました」
「本来なら電話でご報告させて頂くべきだったのでしょうが」
「いえ・・・本当に、申し訳ありませんでした」
坂口さんの火消しは徐々に功を奏して来ているようだったが
佐々木さんは、まだ、苦しんでいるようだった。
「あの、会社、辞められるんですね」
「はい。前から考えていましたので。良い、タイミングかなと」
声のトーンは冴えなかった。
「・・・私一人が逃げるような格好になってしまって」
「それで佐々木さんの気持ちが落ち着くなら、最善の選択だと思いますよ」
彼は、何も言わなかった。
しばらくの沈黙の後、ある提案をされる。
「少しお話したいことがあるので・・・お会いできませんか」
話なら電話で良いじゃないか、とも思ったが
やけに思いつめたような声に俺は、はい、としか答えられなかった。
□ 09_一縷 □
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