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一縷(1/6)

「では、必要なデータは、後ほどメールでお送りしておきますので」
「宜しくお願い致します」
客先打合せの席。
設計業務の担当である佐々木さんは、人当たりも良く、物静かな人で
この業界には珍しい類の人だ。
最近、風当たりの厳しいお客さんばかりだったこともあり、この人との打合せは気が楽で良い。

佐々木さんと別れ、エレベーターで1階へ下りる。
ビルを出たところで、同僚の井上に電話を入れた。
「今、打ち合わせ終わったけど、どうする?」
「こっちももうすぐ切り上げるから、どっかで時間つぶしててくれ。また電話入れるわ」
金曜日、時間は夜7時を回った辺り。
井上が気になっていると言う焼肉屋が、この近辺にあるとのことで
行ってみようとの話になったのだ。
うちの会社からここまでは、早くとも30分はかかる。
とりあえず、駅前のタリーズで暇をつぶすことにした。

打合せの資料を眺めていると、携帯に着信がある。
「今着いたけど、何処にいる?」
「東口出たところのタリーズだけど」
「すぐ行く」
時計を見ると、もう8時。
流石に腹が減った。
資料を片付けて、店を出る。


「ホントにこっちなのか?」
「だと思うんだけどなぁ」
「だと思う、じゃないよ」
駅から首都高速の高架をくぐり、細い路地が続く地域。
似たような店はあるものの、目的の店が見つからない。
「この辺りって、ちょっとやばいんだよな」
「何が?」
「有名じゃん?」
質問を質問で返してくるな。
「ハッテン場が多いんだよ。ここいら」
少し身の毛がよだつ。
そう聞くと、男同士で歩いている人間が、皆そう見えてくる。
ってことは、俺らもそう見られているのかも知れないが。

「ああ、あれだ」
やっと目的の店が見つかる。
相当ひなびた焼肉屋のようで、看板には日本語とハングルが併記されていた。
方向感覚には難があるが、舌は俺と同じ好みの井上が薦める店だ。
期待をしながら、すきっ腹を抱えて店に入る。

肉は申し分ない。
チヂミも冷麺も、俺好み。
2人で15000円と言う値段をしても、総じて満足できる夕食だった。
「良いんだよ、焼肉なんて、そう頻繁に食べるもんじゃないんだから」
「そりゃそうだけど」
「一食にこんだけ注ぎ込めるのも、独身の特権だろ」
そう言って満足そうに歩く井上の後ろを、軽くなった財布を思いながらついて行く。


「何か、面倒そうだな」
ふと、井上が歩みを止める。
見ると、路地の影で男たちが何やらもめている様だった。
「さっさと行くぞ。絡まれでもしたら厄介だ」
ああ、と言って、暗がりの彼らを横目で見ながら進もうとした時
そこに、見知った顔を見つけ、思わず立ち止まる。
佐々木さんだった。
確かに彼の会社からこの辺りは近い。
でも、揉め事に巻き込まれるような人じゃない。
「おい」
井上の呼び掛けにハッとする。
一瞬、佐々木さんと目が合ったような気がした。
「行くぞ」
井上に腕を掴まれ、そのまま引きずられるように、その場を去る。
誰かが呻く声が、路地に小さく響いた。
俺は、振り返れなかった。

「オレはね、厄介ごとは避けて生きて行きたい性分なんだよ」
それはよく分かってる。
「あんなところで揉めてるんだから、どうせ痴話喧嘩だろ」
それは、分からない。
「どうかしたのか?」
「いや、別に」
どんな状況だったのかは全く分からないけれど
佐々木さんを見捨てたのかも知れないと言う罪悪感は、なかなか払拭できなかった。

□ 09_一縷 □   
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一縷(2/6)

「ヒグチコンサルタントの佐々木と申しますが、吉岡さんはいらっしゃいますか?」
あれから1週間ほど経った日の夕方。
「私です。お世話になっております」
普段、業務に関する連絡はメールで済ませている。
わざわざ電話をしてくると言うことは、急ぎの用件だと言うことだ。
「すみません、施主打合せで急遽変更が出てしまいまして」
今、担当しているのは富裕層向けのデザイナーズマンション。
規模は小さいが、とにかく珍しモノ好きの施主で、細かなところにこだわっている。
聞くと、部屋の形状が変わり、天井も一部下がり天井になると言う。

「急で申し訳ないんですが、明日にでも打合せ出来ませんか」
「大丈夫ですよ。お時間は何時くらいがご都合宜しいですか」
「では、夕方の4時でお願いします」
電話を切った後、先週の夜の光景を思い返す。
佐々木さんは、俺があの場にいたことに、気が付いていたのだろうか。
そもそも、どうしてあんなことになっていたのか。
様々な疑問が頭を巡っていたが、その答えを知る機会は、無さそうだった。

約束の時間の5分前。
到着を知らせる為に、内線を入れる。
部署の女性が電話口に出た。
「佐々木は今、他の電話に出ておりますので、打合せスペースでお待ち頂けますか」
程なくして、女性がお茶を運んできてくれた。
「お待たせしてすみません。もう、来ると思いますので」
「ありがとうございます。お構いなく」
お茶を頂こうと手を伸ばした時、向こうから佐々木さんがやって来るのが見えた。

「直前に電話が入りまして、すみません」
相変わらず穏やかな物腰で話す佐々木さんの顔には、似つかわしくない傷があった。
目の上の辺りに切れたような跡があり、その周りが腫れぼったくなっている。
短い時間ではあったと思うけれど、思わず凝視してしまった。
その視線に気が付いたのか、何も聞かない内に、佐々木さんは苦笑しながら言った。
「先日、寝ぼけてドアにぶつかってしまいまして」
「・・・大変でしたね。まだ痛みますか」
「ええ、もう大丈夫ですよ」
あの時に付いた傷なんだろうか。
そう思うと、居た堪れなくなった。

打合せの内容は、それほど大変なものではなかったけれど
地味に面倒な修正が予想されるものだった。
既に設計を進めてしまった部分もあったので、手戻りも出る。
今後のスケジュールをどう組みなおすか、頭の中で考えを巡らせた。
「全体工程についても、調整しますので」
佐々木さんはそう言ってくれたが、着工時期がそう簡単にずらせない事ぐらいは分かっている。


「無理言ってすみませんが、宜しくお願いします」
打合せスペースを出て、エレベーターを待つ間、俺は窓から外を眺めていた。
もう外は暗くなり始めていて、定時を過ぎたからか待ち人も多い。
「あの時」
佐々木さんが、誰にとも無く言う。
「通り過ぎてくれて、本当に良かったです」
そのタイミングで、エレベーターがやって来る。
「・・・では、宜しくお願いします」
俺はまた、わだかまりを抱えたまま、場を去ることになった。

エレベーターを降り、トイレにでも寄っていこうと、玄関とは逆方向に歩き出す。
途中、自動販売機の並んでいる所には、小さな井戸端会議が出来ていた。
「ヤバイよね、あの傷」
「あの人、アレなんでしょう?男とキスしてたって」
「ホントに?」
「確かに、それっぽいところあるよね」
会議の出席者の中に、お茶を持ってきてくれた女性の顔を認める。
彼女たちは俺が近づくと共に、そそくさと去っていってしまった。

今のは、佐々木さんのことだったんだろうか。
そして、別れ際に呟いた一言。
俺があの場にいたことを、彼は知っていた。
用が済みスッキリしたけれど、気持ちは晴れないままだ。

□ 09_一縷 □   
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一縷(3/6)

ビルを出て、駅へ向かう。
曲がるところが一本早かったのか、いつもと違う道に入ってしまったが
どうせ、同じ所に出るのだからと、構わず歩く。
「吉岡さんですか?」
後ろから、声を掛けられる。
聞き覚えの無い声だった。
振り返ると、背の高い男が立っていた。
「はい?」
そう言うや否や、突然持っていたカバンで頭を殴られる。
目の前に、火花が散った。
上半身を起こそうとしたところに、腹へ膝蹴りを喰らう。
これは効いた。
痛みで、膝が崩れる。
顔をめがけて飛んでくる右足が見えた時、遠くから声がした。
「何やってるんだ」
その声を聞いて、ヤツは逃げていく。
俺は腹を抱えて、その場にうずくまることしか出来なかった。

「大丈夫ですか?」
「ええ、少し休んでれば、大丈夫そうです」
声を掛けてくれた男性は、ポケットティッシュを差し出してくれる。
口の中は、独特の鉄錆味がしていて、気持ちが悪い。
周りに付いた血をティッシュで拭い、中の分は、少しずつ吐き出した。
「これ、あなたのですか?」
そう言って、彼は道に落ちていた名刺入れを拾い上げる。
俺のじゃないとは分かっていたが、受け取っておいた。

「ありがとうございました。本当に助かりました」
「いえいえ、お気をつけて」
駅の手前で、助けてくれた男性と別れる。
俺は立ち止まり、ヤツが落としていったと思われる名刺入れを開けてみた。
同じ名刺が3枚以上入っていたら、本人の名刺入れと見なす、と言うのは
地下鉄の駅の拾得物預かり所で聞いた言葉だ。
中には、10数枚の同じ名前の名刺があり、それが持ち主であるのは明らかだった。
会社名を見て、俺は憂鬱な気分になる。
そこには、ヒグチコンサルタント、と書かれていた。

男は、総務部勤務らしい。
ヒグチコンサルタントでは、佐々木さんの他にも何人か仕事の付き合いがある人はいるが
当然のことながら全員設計部の人たちで、総務部に知り合いはいない。
けれど、ヤツは俺の名前を知っていた。
何処かであっただろうか?
すれ違ったことはあるかも知れないが、名乗ったことは無いはずだ。
入っていた他の名刺を見ていると、そこには、佐々木さんの名刺もあった。
同じ会社の人間同士で、名刺交換なんかするんだろうか。
ヤツと佐々木さんは知り合いなのか?
俺の疑念は、ますます深まっていく。

当座の問題は、この名刺入れをどうするか、だ。
本人の素性は分かったが、直接返すことは避けたかった。
落し物として、駅にでも届けておけば良いのか。
しばらく考えて、俺は痛む腹を押さえつつ、今来た道を戻ることにした。


「伊東設計の吉岡と申しますが」
内線の向こうに出たのは、佐々木さんだった。
「どうされました?」
大分驚いたような声だった。
「ちょっと、お渡ししたいものがあるんです」
そう言うと、彼は、すぐ行きますと言って電話を切った。
窓の外はすっかり日が暮れて、高々と聳える東京タワーが綺麗に見えた。

佐々木さんは、俺の顔を見るなり怪訝な顔をした。
「大丈夫ですか?」
頭を殴られた際に、弾みで唇も切ってしまっていたらしく
右の下唇が腫れてしまっていたことを、自分で触ってみて気が付く。
口の中の痛みで、すっかり分からなくなっていたようだ。
「大したこと無いんで」
傷のついた目を細めて、佐々木さんは心配そうに俺を見る。

「これなんですが」
佐々木さんに、拾った名刺入れを差し出す。
「私のでは・・・ありませんが?」
「こちらの会社の方のもののようなので、お渡し頂けないかと」
中身を見せると、佐々木さんの表情が一瞬曇る。
「失礼ながら、中を見せていただいたところ、佐々木さんの名刺があったもので」
「・・・そうですか。では、総務の方へ渡しておきます」
あまり気乗りしないような雰囲気で、名刺入れを受け取る。
「あの、これは、何処で?」
答えに詰まる。
「えっと・・・帰り際に拾いまして」
まっすぐ見つめてくる佐々木さんは、俺が何かを隠していることを分かっているようだった。
しばらく名刺入れの中の名刺を眺めた後、思いもよらない質問をしてくる。
「何をされました?」
「え?」
「彼に、何かされたんじゃないですか?」

何故そんなことを聞いてくるのか。
俺が殴られる理由を、佐々木さんは知っているのだろうか。
言うべきかどうか迷いつつ、俺は、帰り道で起こった出来事を話した。
「佐々木さんは、彼とお知り合いなんですか?」
一通りの話の後、そう聞いてみた。
すると彼は、ネクタイを緩め、一番上のボタンを外して、襟元からネックレスを引っ張り出す。
シンプルなチェーンに、指輪が繋がれていた。
どういうことなのか、おぼろげには想像できた。
けれど、それが俺の件とどう繋がるのかは、分からなかった。

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一縷(4/6)

「彼とは、恋人同士でした」
そうだろうと思っていても、本人の口から聞くと、やはり衝撃的だった。
「あの夜、別れたのですが」
俺が側を通りかかった日のことだろう。
「私が心変わりをした、と思い込んでしまっていまして」
まぁ、よくあること、かも知れない。
「どうやら、その相手が・・・吉岡さんだと」
「な・・・どうしてですか?」
「分かりません。物件の担当だと言う話しかしていなかったのですが」

頻繁に打合せをしているわけでも無いし、そんな素振りももちろん無い。
どうしてそんな風に思われているのか、全く心当たりが無かった。
勝手な思い込みで恋人と別れ、勝手な思い込みで赤の他人に怒りをぶつける。
性別を限らない恋愛感情の複雑さに、目眩がする思いだった。
「私から、二度とこんなことが無いように、言っておきますので」
佐々木さんは、名刺入れから自身の名刺を取り出すと、それを破る。

「あの時、揉めていた相手は彼なんですか?」
顔色を伺いながら、それとなく聞いてみる。
「そうです」
「助けられずに・・・すみませんでした」
「さっきも言ったとおり、あれで良かったんですよ」
目の上の傷を触りながら、苦笑した。
「あそこで貴方が出てきたら、殴られていたのは、私じゃなかったかも知れません」
佐々木さんの手が、不意に俺の唇に触れる。
「私の方こそ、すみませんでした」
初めて見る切なげな表情に、言葉が出なかった。

「まだ、彼のことが?」
俺は首元に光る指輪を見ながら、そう聞いてみた。
「一生共に、と言っていた時期もありました」
指輪を弄りながら、目を細める。
「そうそう、断ち切れるものでは」
佐々木さんは目を細めて、俯く。
傷心を抱える佐々木さんに同情する気持ちと共に
勝手にその関係に引きずり込まれた困惑が、俺の中に生まれていた。


顔の傷も癒え、スケジュールの厳しい案件も、何とか形になって来た頃。
あれから、佐々木さんとはメールや電話でのやり取りはあったけれど
直接顔を合わせる機会は無かった。
暗い路地を歩く際に抱いていた恐怖心も、やっと治まって来た。
そんな中で、新規案件の話が舞い込んでくる。
打合せに来てくれないかと言ったのは、ヒグチの坂口さんだった。
正直、あまり行く気はしなかったが、仕事となればそうは言っていられない。

「郊外型のショッピングモールなんだけど」
坂口さんは、基本計画書のファイルを広げた。
「大きいですね。これ、全体ですか?」
「いや、うちの担当は、こっちの敷地の棟」
まだ計画段階と言うことだが、大手のスーパーを核とした商業施設になる予定とのこと。
いつも手がけている図面とスケールが違いすぎて、建物の規模がぱっとは浮かばないほどだ。
「基本設計はうちでやるから、詳細を、吉岡さんのところで詰めてもらいたいんだ」
「実際の作業は、もうちょっと先ですかね」
「そうだね。一先ず、見積りからお願いして良いかな」
これだけの大きな物件は、うちではあまりやることが無い。
持って帰って、上と相談だな、と考える。

「そう言えば、佐々木の方の物件は、まとまりそう?」
雑談の中で、そんな話が出る。
「ええ、今週中には提出させて頂く予定です」
「スケジュール大変だったでしょう」
「まぁ、何とか」
とりあえず、笑ってごまかす。
持ちつ持たれつの関係の中、赤を切らざるを得ない物件も少なからずある。
佐々木さんの物件は、その一つになりそうだったからだ。
「今回の物件については、出来るだけ上積みして払えるようにするから」
雰囲気を察してくれたのか、坂口さんはそう言って笑った。

エレベーターを待つ。
ホールから見える空は、今にも雨が降り出しそうな曇天だった。
「降りそうだねぇ」
「そうですね」
「傘、ある?」
「折り畳みがあるんで、大丈夫です」
そう話しているうちに、エレベーターが着き、扉が開く。
中から出てくる人物を見て、俺は背筋が凍る思いをした。
ヤツだ。
俺に不敵な笑みを投げかけて、フロアの奥へ消えていく。
恐怖と気まずさで、動けなかった。
「どうした?」
坂口さんに声を掛けられ、我に返る。
明らかに表情の変わった俺を見て、ちょっと良いかな、と彼は言った。

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一縷(5/6)

「耳にした噂なんだけど」
神妙な顔つきだった。
「佐々木と、何かあった?」
何となく、その噂の内容の想像がつく。
「いえ、別に」
「根も葉もないもんだとは思ってるんだけど、ね」
周りに誰もいない事を確認するように、坂口さんは続ける。
「その発信源が、どうも、さっきのヤツらしいんだ」
「どうして・・・」
「知ってる顔、なんだよね?」
路地で襲われました、とはとても言えなかった。
「前に、ちょっと・・・」
「俺らとしては、吉岡さん、良くやってくれてるから、どうこうってことは無いんだけど」
「どんな・・・噂なんですか」
「デキてるってさ」
「そんな馬鹿な」
「分かってるけどさ。女性陣の間で、すっかり熱が上がっちゃってねぇ」
恐ろしい噂の力を思い知る。
「ただ、総務のあいつが何でそんなことを吹聴しているのか、分からないんだよな」

ヤツのことを全てを話してしまえば、俺への疑惑も晴れる。
ただ、それは、佐々木さんのことも明らかにしてしまうことにもなる。
「まぁ、目立たないように火消しはしておくけど」
「お手数おかけします」
「いや、申し訳ないね、つまらんことに心労掛けさせて」
全く関係が無いのに申し訳無さそうな顔をする坂口さんを見て、逆に申し訳なく思う。
窓には大粒の雨が叩きつけていて、すっかり荒れた天気になっていた。

思った以上に雨は酷く、折り畳み傘ではとても太刀打ちできる状況ではなかった。
1階のエントランスホールで、雨が弱まるのを待つ。
玄関の方を眺めていると、酷い雨の中、歩いてくる人物が見えた。
佐々木さんだった。
傘をしまい、こちらに視線を向けた時、一瞬目が合う。
彼は簡単に会釈をすると、急ぎ足で去っていった。
噂は当然、彼の耳にも入っているのだろう。
火に油を注ぐ必要は無い、そう言う考えからだ、と納得した。
雨は、まだ止みそうも無い。


週末、佐々木さん担当の物件に関する図面が完了した。
データ納入も、報告もメールで済ませた。
本来なら電話の一本も入れておくべきなのだろうが、止めておいた。

夜になって、その件に関するお礼のメールが届く。
文面は、ありがとうございました、という流れの後にまだ続いており
ご迷惑をおかけしました、の先を読んで、俺は小さく声を上げてしまった。
会社を辞めると言う報告だった。
次に行く会社が記されていたので、予定していた転職だったのかも知れない。
メールの署名には、彼の携帯番号が記されている。
5分ほど迷って、俺は自分の携帯電話を取り出した。

長い呼び出し音の後、やっと繋がる。
「はい」
声は確かに佐々木さんだったが、少し警戒気味のトーンだった。
知らない番号からのコールだから、当然だろう。
「突然すみません、伊東設計の吉岡です」
「ああ、お世話になります」
「今、大丈夫ですか?」
「ちょっと・・・すぐ掛けなおします」
会社の中だったのだろうか。
言葉どおり、すぐコールバックがあった際には、どうやら外に出たようだった。

「先ほど図面確認致しました。ありがとうございました」
「本来なら電話でご報告させて頂くべきだったのでしょうが」
「いえ・・・本当に、申し訳ありませんでした」
坂口さんの火消しは徐々に功を奏して来ているようだったが
佐々木さんは、まだ、苦しんでいるようだった。
「あの、会社、辞められるんですね」
「はい。前から考えていましたので。良い、タイミングかなと」
声のトーンは冴えなかった。
「・・・私一人が逃げるような格好になってしまって」
「それで佐々木さんの気持ちが落ち着くなら、最善の選択だと思いますよ」
彼は、何も言わなかった。

しばらくの沈黙の後、ある提案をされる。
「少しお話したいことがあるので・・・お会いできませんか」
話なら電話で良いじゃないか、とも思ったが
やけに思いつめたような声に俺は、はい、としか答えられなかった。

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一縷(6/6)

指定された場所は、御茶ノ水だった。
佐々木さんの会社と、うちの会社の、ちょうど中間辺りだ。
聖橋から水道橋の方向には、小さな店がひしめいていて
学生からサラリーマンまで、様々な年齢層の人たちが行きかっている。
適当な居酒屋に入ると、週末と言うことで、店は大分賑やかなことになっていた。

「わざわざご足労頂いて、すみません」
「いえ・・・お話って、何でしょう」
「総務の彼のことなんですが」
転職することになっても、やはり悩みはそこに尽きるらしい。
「昨日、話をつけました」
「どうやって・・・?」
「彼の上司に、洗いざらい報告してきまして」
「え?」
「取引先の方に迷惑を掛けるようなことは、社内倫理に反すると」
神妙な面持ちだった。
「これで、落ち着いてくれると思うんですけどね」
「あの、それは・・・お二人のことも」
「話しました。そうじゃないと、話が繋がらないので」
辞めるとは言え、引継ぎなどでしばらくは会社に留まるはずだ。
針のむしろもいいところだろう。
どんな気分で残りの時間を過ごすのか、そう考えるとこっちまで胃が痛くなりそうだった。

佐々木さんは、あまりビールは好きじゃないのかも知れない。
半分ほど残ったグラスをもてあます様に、くるくると回して、深いため息をつく。
「あと、もう一つ、吉岡さんには言っておかなきゃならないことが」
「何でしょう」
「・・・私のせいなんです」
佐々木さんは、伏目がちに言った。
「私は確かに、心変わりをしていたのかも知れません」
「それは・・・」
「本当に、すみません」
少し意識が遠くなる感覚があった。
酒のせいじゃない。
唐突な告白に、戸惑いが隠せなかった。

男が男を好きになる。
今まで考えたことも、考えようとしたことも無かった。
自分とは無縁のことだと思っていたし
もしかしたら、そんなものは存在しなんじゃないか、そう思うくらい非現実的なものだった。
だからこその嫌悪感を、勝手に抱いていた。
それなのに、自らの身に降りかかってきた今
拒絶だけではない感情が自分の中に存在することを、自覚する。
気まずそうな彼を見ながら、俺は気持ちを収拾できずにいた。

結局、その話題はそこで途切れ、後はありきたりな仕事の話に落ち着いた。
佐々木さんの転職先は、今の会社とは違って、個人の設計事務所なのだという。
もう、一緒に仕事をすることは無いだろう、そう言ったのは彼だった。
目を合わせないようにしている彼と、よそよそしい態度しか取れなくなった俺。
騒がしい店内で、そこだけが別の空間のようだった。


渋る彼を抑えて、会計は俺が済ませる。
今後仕事をすることは無いとは言え、今までお世話になったことを考えれば、当然だった。
駅へ向かう道の途中、前を歩く佐々木さんの、ネクタイを緩めた首筋に光るものを見つける。
無性に、腹が立った。
まだ固執しているのか。
佐々木さんの肩を掴み、歩みを止める。
振り向いた彼は、俺の表情を見てどう思っただろう。
ワイシャツの襟の中に手を入れ、ネックレスを引っ張り出す。
「いつまでも、囚われ過ぎじゃないですか」
彼は、目を伏せて、宙に浮いた指輪を見つめている。
「忘れる努力が、必要でしょう?」
俺は力を込めて、その鎖を引きちぎった。

俺の中にあった感情は、何だったんだろう。
鬱憤、焦燥、もしかして、嫉妬だったのかも知れない。
直前に受けた告白も、何かに拍車をかけた。
切れたネックレスと指輪を、手に握らせる。
失礼な行動に怒りを表すことも無く、彼は淋しげな表情で俺を見た。
「俺も・・・手伝いますから」
彼は小さく、首を振る。
握った手は離さないまま、黙って彼を見つめた。

佐々木さんの指が、俺の唇に触れる。
思わず、息を飲んだ。
震える人差し指が唇を静かに撫で、やがて離れていく。
「一瞬の感情に流されて進むような道じゃ、無いんですよ」
彼は、ふっと微笑んで、俺から離れる。
「巻き込んでしまって、本当にすみませんでした」
軽く会釈をして、佐々木さんは駅へ向かって行く。
その背中は、まるで切れた鎖のように、揺らいで見えた。
俺との鎖はまだ何処かで繋がっているだろうか、そう思うと、切なさがこみ上げた。

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Information

まべちがわ

Author:まべちがわ
妄想力を高める為、日々精進。
閲覧して頂いた全ての皆様に、感謝を。

2011-3-12
東日本大震災の被害に遭われた方に
心よりお見舞いを申し上げます。
故郷の復興の為に、僅かばかりにでも
尽力出来ればと思っております。

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