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流儀(1/6)

「また、あいつかよ」
営業部の壁に張り出された先月の営業成績を見ながら、先輩方がそうぼやく。
「どうせ、ゲタ履かせて貰ってるんだろ」
「社長の運転手でもやってりゃいいのにな」
成績トップの欄には、社長の息子である赤羽さんの名前が書かれている。
2年前、俺が入社してから半年ほど経って転職して来た彼は
襟足まで伸びた茶色い髪に奔放な性格と、何故営業に配属されたのか皆が疑問に思う人物だった。
けれど、初めの数ヶ月こそ、仕事の成果は全く目に見えていなかったが
ある時期を境に営業成績が伸び始め、今では営業部どころか会社を引っ張る存在になっている。

部の先輩たちは、当然のことながら、それが面白くない。
社長のコネで仕事を回して貰っている。
毎日のように外回りをしているが、その間は社用車の中で寝ているか、パチンコをしているだけ。
彼に関する不確かな風評が、社内で公然と流されるようになったのはいつのことだろう。
部内で一番年下の俺は、その話に内心同調しつつ、居た堪れない思いで聞き流していた。


「実はね、他の工事会社さんからも見積もり貰ったんだけど」
夏も近づいて来た梅雨時期のある日。
馴染みの設計事務所に赴いた俺に、所長は申し訳なさそうな顔をして書類を差し出す。
「有馬さんのところは、いつも良い仕事してくれるんだけどね・・・」
手に取った厚みのある資料は、他の地場サブコンが作成した見積書だった。
ウチが出した金額よりも2割程度安いその数字に、言葉が出ない。
「こんなに・・・安く出来る訳が」
「ここね、あまり良い噂を聞かないのも確かなんだけど、まぁ、こういうご時世でしょ」
最も差がついていたのは、工事金額で大きな嵩を占める人件費と材料費。
ただ、それは最も工事の質を左右する部分であり、会社としても、俺個人としても、譲れない部分だった。
「施主もね、今回は金が無いからって再三言ってたから」
「それは、十分承知していますが」
「・・・写し、持ってく?」
「是非。もう一度、上と検討します」

県内でも3本の指に入る程度の設備サブコンである会社のターゲットは
個人住宅から中規模建物、公共施設までと幅広い。
今まで住宅を担当していた俺が、初めて担当するテナントビルの改修工事。
それだけに、気負う気持ちも大きかった。

「何だこれ?職人共にストライキでも起こさせるつもりか?」
人件費を限界まで削り、件の金額との差を何とか詰めた見積書を見て、上司は呆れた溜め息をつく。
「他に、削れる場所が・・・無くて。メーカーも、これが限度だと」
「お前の給料から補填するか、お前が現場に行って工事やるか、どっちが良い?」
「それは・・・」
突き返された書類を見ながら、悔しさが募る。
「こんな馬鹿げた見積もりに、振り回されんな」
住宅の工事を何回も施工し積み上げてきた信用が、離れていく様で怖い。
営業畑を歩んできた上司にも、そんな俺の心情は良く分かっていたのだろう。
「ウチの売りは、何より品質だ。お前がそのプライドを捨ててどうする?」
「はい・・・」
「元の見積で勝負して、それでダメだったら、今回は諦めろ」
客にとっては金額が全て。
目の前で心を動かす素振りを見せられて、それに矜持が揺らがされるのは
多分、俺自身が自社の施工を信用しきれていないからなのかも知れない。
「お前は、今まで通り誠実に客と接してれば良い。分かったな」


他のサブコンに決めたと言う連絡が事務所から入ったのは、それから1週間程経ってからだった。
金額は変えられない、そう告げた後にも他社との質の違いをアピールしたけれど、無駄だった。
「次の機会には、必ず有馬さんにお願いしますから」
社交辞令的なフォローの言葉にも、苦笑いしか出来ない。
なかなか気持ちの切り替えが出来ず、外回りの途中、駅のホームでぼんやりする時間が増えた気がする。
営業に向いていないのかも知れない、そんな風に思ったりもしていた。


「ユーマ、飯食いに行こうぜ」
その日、珍しく社内で赤羽さんと顔を合わせる機会があった。
「アリマ、ですって」
「知ってるよ。・・・何が良いかな。あぁ、うどんな気分だな」
社内で自分に対する誹り嫉みが横行していることを、彼だって知っているだろう。
それでも気にしている風も無く、我道を行く先輩。
人間としては、嫌いじゃない。
一番年が近い後輩として、可愛がってくれていることも確かだった。
ただ、周りの雰囲気に押し込められ、感情を表に出すことは出来なかった。

「今日も、このまま直帰なんですね」
「ん?ああ、見積もりに印鑑貰いに来ただけだから。どーせ、会社には居場所ねぇしな」
うどんを啜りながら自嘲気味に笑う彼は、けれど勝気な眼差しをしている。
彼の表情に、俺とこの人は何が違うのだろうかと、劣等感にも似た思いが去来した。
「僕も・・・最近は、居心地、良くないです」
「何でだよ?一件取り逃したくらいで、凹んでんの?よくあることだろ」
「まぁ、確かに・・・」
「真面目過ぎるんだよ。ユーマは。もーちっと軽く考えとけって」
麦茶を煽り一息ついた彼は、右手で自分の首筋を擦る。
彼の癖なのか、その仕草はよく見かけるものだった。

□ 75_流儀 □
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流儀(2/6)

「そうだ。午後、予定、何かあんの?」
一通り食事を終えた彼は、年季の入ったジッポで煙草に火を点ける。
「一応、事務所を回って来ようかと・・・」
「じゃ、オレに付き合ってみねぇ?」
「え?」
本来なら、午後一からアポ取りをして、夜まで客先回り。
誰もいない会社に戻って営業日誌をつけるのが、ここ最近の俺の日課だった。

「つまんねぇ毎日だな」
「赤羽さんほど・・・自由には出来ませんし」
「しようとしねぇだけだろ?」
社長の息子だから、何をしても許される。
そんな先入観が、知らず知らずのうちに植え付けられていたのも確かだった。
「枠に嵌ってる方が楽だってだけだろ。そんなの。オッサン共と一緒だな」
「赤羽さんは、そりゃ」
「オヤジのコネだからってか?そんなもんが会社の外で役に立つと思ってんの?」
俺を見る先輩の眼が僅かに鋭くなる。
こいつもか、そんな悔しさと寂しさが透けているようで、自分が情けなく思えた。
「オレのやり方は、オレが築いてきた。オヤジの手助けなんか、いらねぇんだ」
苛立った様子で煙草を揉み消した彼は、不意に立ち上がり、言った。
「んで、行くの?行かないの?さっさと決めろよ」

一人でウダウダしていても、気分は落ちるだけだ。
彼を追いかける様に席を立ち、答を発しようとした時、携帯の振動が響きだす。
相手は、つい最近、見積もりを提出した地場ゼネコンの担当だった。
回答期限はまだ先だし、時間的にも精査しているとは思えない。
それでも、担当は午後の早い時間に来て欲しいとの言葉を残した。

勘定を払い、店を出る。
「すみません、ちょっと・・・行かないとならない所が」
外に立っていた赤羽さんに、無念さを籠めて詫びた。
「そ。んじゃ、また今度な」
そっけない返事が寂しいような、嬉しいような、複雑な気分をもたらす。
軽く溜め息を吐いたタイミングで、半歩前を歩いていた先輩がこちらに振り向いた。
つられて立ち止まった俺の顔を、彼はしばらく見つめる。
「何ですか?」
「暗い顔、してんなぁ」
薄く笑いながら指を伸ばし、俺の眉の辺りをそっと撫でていく。
「ここがさぁ、こう、グッと下がるんだよな。ユーマが落ち込んでる時」
「そんなこと、無いですよ」
「自分じゃ分からねぇだろうけど。・・・ま、あんま気負んな」


相手にどんな意図があるのか、分かっていたのかも知れない。
「結論を求められても、即決するな。上と検討すると言っておけよ」
会社を出る直前、恐らく眉が下がった俺の顔を見て、上司はそう声をかけてきた。

約束の時間よりも5分ほど早く着くと、通されたのは小さな会議室だった。
いつもならローパーティションで仕切られた打合せスペースで事足りる。
正確に刻まれる時計の針に、元請けの意図が見え隠れするようで、虚しさが心を覆った。

「今回のお客さんは、なかなか優良なデベさんでね」
父よりも幾らか若いであろうゼネコンの男は、手元の見積書を見ることなく、そう笑う。
「ここ何年かで、マンションなんかの計画もあるそうなんだよ」
今回の物件は、単身者向けのアパートの新築工事。
正直、設備的には大した工事では無い。
安い工事でも引き受け、それを足掛かりに大きな工事の受注を得る。
それがセオリーであり、足元を見られる隙にもなると、教わってきた。
「今後も付き合いが出来ればね、有馬君にも良いんじゃないかと思うんだ」
「それは、もちろん。弊社としても、誠心誠意・・・」
目に見えないものに何の価値も無い。
そう言わんとばかりに、彼は俺の前に二つ折りの紙を差し出してくる。
「なるべく早い内に、答えをくれるかな」
軽く開いた先にあったのは、走り書きの語句と数字。
真面目で誠実な営業活動なんて、結局誰にも求められていない。
「・・・良いお答えを出せるよう、検討させて頂きます」
憂いを紛らわせるように、眉を上げ、笑顔で言葉を返した。


俺が手渡した紙を見て、上司は嘲笑を隠さなかった。
「もう定年近いってのに、やるこた、相変わらずだな」
「昔から、ですか」
「女遊びは、ひとしきりこの人に教わったようなもんだ」
ゴルフ、賭博、酒、女。
昔ながらの営業スタイルは、この不況下だからこそ、重鎮たちに活きる。
「後5年もすりゃ、こんな輩も減るから。それまで我慢しておけ」
「あの、それは・・・」
「経費にも限界がある。落とせるのは精々一人分だからな。オレから連絡するって、伝えておいてくれるか」


朝、TVを点けて聞こえてきた、マンション発注に関わる贈収賄事件のニュース。
何処だってやってることなのに、誰が、どんな目的で情報をリークするのか。
ふと浮かんだその思考がおかしいと気が付くまで、どのくらい時間がかかっただろう。
必要悪だと自分に対して言い訳することが、少し疲れてきたような気がする。
「おはようございます。有馬です。・・・ちょっと、風邪を引いたみたいで」
入社以来続いていた無遅刻・無欠勤の生活。
社会人として何も出来なかった頃から持ってきた、ただ一つの克己。
「はい、明日までには必ず、治します」
何かが、切れてしまったのかも知れない。

□ 75_流儀 □
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流儀(3/6)

雨空のせいか、時間の感覚がおぼろげになってくる。
時計を見ると、もう午後の2時を過ぎていた。
何をする訳でも無く、飯を食うタイミングも逃し、ただただ時間が過ぎていく一日。
TVを点けてもつまらないワイドショーばかり。
ネットを徘徊するも、圧倒的な情報量の多さに、すぐに疲れてしまった。

机の上に放り出しておいた社用の携帯電話が、着信を知らせる音を響かせる。
数メートル先の物でさえ、取りに行くのが面倒臭い。
長いコールの後、電話は留守録に切り替わったようだった。
窓の外は激しい雨足で幾分煙り始めている。
怖い位の無力感を追い出すように息を一つ吐き、立ち上がった。


「どーした?珍しいな、ユーマが休むの」
電波が悪いのか、快活な声が途切れ途切れになる。
わざとらしく咳をしながら、嘘をついた。
「すみません、ちょっと・・・調子が悪くて」
「しょーがねぇな。ま、最近寒かったし。・・・そうだ、何か食いたいもん、あるか?」
「え・・・?」
「お前ん家、幕張だろ?オレ、これから蘇我の客ん所まで行くから、帰りに買ってってやるよ」
「でも・・・」
「そんな調子じゃ、どーせまともに飯も食ってないんだろ?」
彼の言葉で、忘れていた空腹感が戻ってくる。
それなのに、これと言った物は浮かんでこない。
「・・・ま、いーや。適当に買ってく。夕方過ぎには着くと思うから、また電話するわ」

羨ましいと思う気持ちが拗れると、嫉妬に変わるのだろうか。
営業成績も良く、確固たる自分を持ち、ゆくゆくは会社を継ぐと言う将来の展望まで開けている。
社内で彼を羨まない人間は、あまりいないのではないかと思う。
それが自身の努力によるものかそうでは無いかは関係なく、周囲は不公平感に満ちていく。
そもそも会社と言う組織は公平なものではないし、だからこそ切磋琢磨出来るのだと分かっていても
やっぱり俺は、彼が羨ましく、妬ましい。


「・・・ったく、ひっでー雨」
国道沿いのモールで買ったらしい品々を両手に下げた先輩がやって来たのは、5時を少し回るくらいだった。
「車、そこの下に置いたんだけど、大丈夫か?」
「ええ、あそこは来客用なんで」
「なら、良いか。ほら、とりあえず、これ食っとけ」
幾つもの袋を俺に手渡し、彼は濡れて色を失った髪を掻き上げる。
瞬間、眉をひそめた彼は、その手を首筋に当てて静かに目を閉じた。
「・・・大丈夫、ですか?」
「ああ・・・平気」
「あの、タオル持ってきますから。狭いですけど、どうぞ」

実家から送られてきた新品のバスタオルで頭を拭く赤羽さんを横目に、やたらと重い一つの袋を開く。
「何ですか・・・これ」
中にあったのは、何個もの桃の缶詰だった。
「オレ、風邪引いたら、必ずそれ買うの」
「好きなんですか?」
「そーいう訳じゃねぇけど。しんどい時に食うと、ホッとするって言うかさ」
缶を開けると、濃厚な甘い香りが立ち上る。
と、ここまで来て、中身を入れる様な食器が無いことに気が付いた。

「他に、皿ねぇのかよ」
大きめの丼に浮かぶ桃を見て、彼は呆れたように笑う。
「あんまり食器持ってないんですよ」
「そう言われりゃ、オレもそうか。いつも缶のままで食っちまうし」
「僕も、一人ならそうしますけどね」
フォークで掬い取った大きな塊を、一口で頬張る先輩。
目を細めて満足そうに頷く姿が、俺の中で燻るストレスを和らげてくれる様だった。
「っていうか、お前に買って来たんだから。食えって」


桃で腹が一杯になり、彼の髪も色を取り戻してきた頃、彼は自分が座るベッドを眺めて言った。
「ユーマ、今日、ちゃんと寝てたのか?」
朝起きて、何となく布団を整えて、昼間はベッドに横になることも無かった。
「え・・・ええ」
口ごもる態度で、彼は俺の嘘を見抜いたのだろう。
「何だ?仕事、やんなったか?」
「そういう、訳じゃないんですけど・・・」
俺を見る目は酷く優しくて、それが自分の中の小さなプライドを傷つける。
けれど、否定されるにせよ、肯定されるにせよ、話を聞いてくれるのは、彼しかいないと思った。
「賄賂とか、接待とか、結局、営業ってそんなもんなのかなって。僕の誠意って、何だろうって」
「誠意、ね。その誠意を貫いて1件受注すんのと、金で5件受注すんのは、どっちが良いと思う?」
「それは・・・」
「オレは、金使って営業すんのを悪いとは思わない。つまんねぇとは思うけど」
あまり聞きたくなかった答に、つい言葉が口をつく。
「赤羽さんも、金渡したり・・・するんですか」

意味深な表情をした彼は、やおら立ち上がり、バルコニーへ向かう。
気が付くと、空には夜が覆い始めていた。
「ここなら、煙草吸っても良いのか?」
「別に、部屋の中でも・・・」
「お前、煙草吸わないだろ?」
煙草を咥えたままでサッシを開け、その敷居に腰を掛けて火を点ける。
暗闇に吸い込まれるように、煙が消えていった。

□ 75_流儀 □
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流儀(4/6)

「金ってのはさ、加減が難しいんだよな。多けりゃ良いってもんでも無い」
雨が止んだらしい空を見上げながら、赤羽さんは呟いた。
「その点、この業界は楽だよ。これだけくれって、言ってくれるんだから」
この業界。
転職して来た彼の前職について、そう言えば、聞いた記憶が無いことに気が付く。
「赤羽さん、前の仕事って・・・何、やってたんですか?」
スラックスのポケットから携帯灰皿を取り出し、短くなった煙草を放り込む。
窓際に座ったままこちらを向いた彼は、いつもの軽薄な空気を飲み込んでいた。
「同じ、営業だよ。外資の保険屋」

その口調から、あまり良い記憶では無いことはすぐに分かった。
大学時代に数年留学をしていたこともあり、ある程度英語を理解することも出来る。
父親が携わる建築業界からはなるべく離れたかった思いも、その進路を後押しした。
「入社式の日さ、外人のCEOが来て、言ったんだよ。あなたたちは、全てが公平な立場にいる、って」
日本法人に所属するほぼ全ての社員は、正社員と言う立場では無く委託社員なのだと言う。
オフィスに自分の机は無く、出社する義務も無い。
ノルマが無い代わりに、契約件数が給料に直結する。
まさに、自身の力量のみがモノを言う世界だった。
「それなのに、社員旅行がね、あからさまで」
「何処に行くんですか?」
「全国で成績が良い一握りがヨーロッパ、残りの連中は近場の保養所」
赤羽さんは何処に、そう言いかけた時、彼は口端を上げて俺を見た。
「パリは思いの外良かったなぁ。ユーマも時間が出来たら行ってこいよ」

身内が会社をやっていることは、彼に一歩アドバンテージを与えていたのだろう。
初めの内は、伝手から伝手を辿り、順調に契約件数を伸ばしていく。
優秀な営業マンの道が僅かにずれ始めたのは、皮肉にも大口の客と契約したことがきっかけだった。
「国内大手の会社だからって、営業があの態度じゃねぇ」
都内に数件の店舗を持つスーパーの担当者は、外資の営業に向かってそうぼやく。
長年契約していた保険会社の担当が新しくなり、その態度が気に食わない、と言うことらしかった。
従業員は100人程度、けれどパートやその家族を考えれば、任意とは言えかなりの契約数になる。
逃してはいけない客だと、彼は確信していた。
この商売の武器は、自分自身、そしてもう一つ。
「あん時が初めてだな。・・・金、渡したの」

流通業界と言うのは、横の繋がりもあるらしい。
大手を除く中堅業者にとっては、一人負けを防ぐ為、価格についての談合をする機会が増えてくる。
営業の元に連絡してきた数社の担当は、口を揃えて言ったと言う。
「お宅と契約すると、キックバックが貰えるんだって?」
初めに契約したスーパーの担当者に払った金は、100万。
当然、自腹だった。
それでも彼は、コンタクトを取ってきた全ての会社から契約を取ることに成功させる。
金よりも契約数、それしか見えなくなっていた。


静かな雨音が、再び耳に届いてくる。
「雨の時期になるとさ、何でか、いてぇんだ」
立ち上がり、サッシを閉めた彼は、そのまま首元のネクタイを緩め始めた。
解いた細布を首から下げ、ワイシャツのボタンを外す。
長めの髪を首の後ろで纏めると、赤黒い傷のようなものが右側の首筋から耳の方までついているのが見えた。
「どうしたんですか・・・それ」
「オレね、一回、死にぞこなってんの」

全国でも屈指の契約数を叩き出し、社長から優秀社員として表彰を受けた翌月。
彼を襲ったのは、激しい虚無感だった。
ありとあらゆる手を使って登り詰めた地位から転がり落ちる恐怖が、彼を更に追い込む。
「カネとコネ抜いたら、オレには何が残るのかって考えたらさ、何も残んねぇんだ」
羨望と嫉妬と思惑を抱えた人間たちが、彼に群がる。
率直な黒い本音を建前で受け流す内に、本当の自分の居場所を見失ったのかも知れない。

「何がきっかけになったのかは、未だに分かんねぇ。でも、そん時は、それしか考えられなかった」
公平な立場であったはずの同僚社員から接待を受けた夜のこと。
自宅に帰った彼は着替えることも無く、買い置きの延長コードをドアフックにかける。
軽く引っ張って重さに耐えられそうであることを確認し、コードで作った輪の中に頭を通した。
「ここをさ、こういう感じで圧迫すると楽に逝けるって、あったんだけど」
そのまま床に座り込むよう体勢を落とすと、徐々に気道が圧迫されていく。
重い耳鳴りが頭の中に充満し、意識が遠のく感覚が全身の力を奪い取る。
しかし、心地良い快感が猛烈な苦しさと吐き気に変わった瞬間、彼の心は一気に掻き乱された。
もがくようにコードに爪をかけ引っ張るも、益々首は締まる。
楽に死のうなんて、考えが甘過ぎた。
全てを受け入れる覚悟が出来た瞬間、コードが鈍い音を鳴らしながら千切れる。
反動でフローリングの床に頭を打ち付けた彼が再び目を覚ましたのは、病院のベッドの上だった。


俺に背を向け、彼は自らの首元を筋に沿って擦る。
「こうすると、ちょっと痛みが和らぐんだ」
呼ばれているのだと思った。
先輩に近づき、その痕に手を添える。
「こう、ですか」
軽く前後に手を動かすと、彼の頭は僅かに項垂れた。
「・・・そう。そんな、感じ」
撫でると赤みは一瞬薄れ、またすぐに痛々しい色を発する。
ワイシャツとネクタイと、長めの髪に隠された傷跡が、あまりにも切なく見えた。

痛みが大分取れてきたのか、彼の吐息が静寂を取り戻す。
「そのまま・・・締めてくれても、良いぞ」
静かなその声に、思わず手を離した。
「じょ、冗談、止めて下さい」
「いつ、ああなるか、自分でも分かんねぇんだ。・・・怖いんだよ」
優秀だったことの無い自分に、優秀な人間の苦労は分からない。
その苦悩さえ羨ましく思える自分が、心底情けなかった。

□ 75_流儀 □
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流儀(5/6)

膝立ちになり、後ろから彼の首に両手をかける。
息を飲みこみ揺れる喉仏が、震える指に命の感触を植え付けた。
「・・・外回り、一緒に連れて行ってくれるって、約束しましたよね」
「そうだったな」
「明日、連れてって下さい」
小さな溜め息が、手の甲を滑っていく。
少しだけ顔を上げた彼の眼が、窓に映る俺を見ていた。
「それと、もう一つ、約束して欲しいんです」
「・・・何」
「帰りに、また明日も行こうって・・・誘って下さい」

首から離した手を、彼の手が掴み、軽く引く。
覆い被さるように、その背中に身を預けた。
「じゃあ、オレの言うことも、聞いてくれ」
「何ですか」
「いつか、オレのこと、殺して欲しい。おかしく、なる前に」
指が指に絡んでくる。
「・・・分かりました」
絡み合った指が、やがて一つになった。
「それまで、ちゃんと、生きててくれますか」
「分かった・・・約束、する」
繋がれた手が彼の口元に当たる。
俯いて唇を震わせながら、心の内に溜めてきた想いを吐き出しているのかも知れない。
やがて伝ってきた無言の涙に、その辛苦が滲んでいた。


体調不良での欠勤を上司に詫び、溜まっていたメールと電話を整理し終えたのは昼を少し過ぎたくらい。
午前中から外回りをしていた赤羽さんと待ち合わせたのは、最寄りの駅前だった。
「今日は、また暑いですね」
適度に空調が効いた車に乗り込むと、先輩はサングラスをずらしてぼやきを呟く。
「このまま梅雨明けでもしてくれると良いんだけど」
「明日は、また雨だって言ってましたよ」
「しょーがねぇな・・・」

俺が普段している客回りと言えば、ゼネコンや大手の設計事務所など、所謂上流に赴くことが殆どだった。
けれど彼は、上流から下流まで、満遍なく足を運ぶ。
下請けの工務店から今後の日程を聞き、工事の受注が可能なスケジュールを確認する。
自社で施工している物件の現場に赴いて、進捗状況や懸案事項を聞く。
小さいながら一分野に特化した設計事務所で、工事の入札情報を手に入れる。
果ては、竣工した建物のオーナーへ挨拶がてら、伝手を探りに行く。
足を使い、情報を集め、仕事を手繰り寄せる。
あまりにも堅実な、営業手法だった。

その日、最後に訪れたのは松戸にある工務店だった。
「こんちわ。例の現場、どうすかね?」
「ああ、赤羽さん。何とか、週末にはケリが付きそうです」
「そりゃ、何より」
市内にあるアパートの新築工事は、ウチが直接施工している訳では無いが
技術協力として職人を何人か派遣し、設計の方でも簡単なコンサルを引き受けている。
「・・・こちらは?」
「同じ営業の有馬です。ウチの、次期エースですよ」
冗談っぽく笑う彼を横目に、名刺交換を済ませる。
今日だけで、同じ言葉を何回聞き、何枚の名刺を手にしただろう。

「そう言えば、例の話なんですけど」
何処かしら申し訳なさそうに、所長が図面を広げだす。
「どの辺りですっけ?」
「南東の一角ですね」
二人は、アパートの配置図を見ながら問答を続ける。
「水はここまで来てるんですよね?」
「ええ、そこでバルブ止めになってます」
「露出で良いっすか?」
「この期に及んで、贅沢言えません。・・・繋がってれば」
恐らく、話の内容からして追加工事の件だろう。
「人・・・追加します?」
半ば他人事のように聞いていた俺に、赤羽さんは意味ありげな笑みを向けた。
「いや、オレらだけで、大丈夫っすよ」


施主の気まぐれな一言から発生した散水栓の移設工事。
とは言え、ただでさえタイトなスケジュールと工事金額の中
何故か赤羽さんは自分がやると所長に提案をした。
「平気だって。オレ、管工事持ってるし。後でチェックもして貰うから」
日曜日の朝早く、殆ど使ったことの無い作業服姿の俺に、彼はそう笑う。
「いつも、こんなことしてるんですか?」
「いつもじゃねぇよ。たまに、だな」
簡単な工事とは言え、職人を使えばそれだけの人工がかかる。
それを、彼は自分がやることで浮かそうとしていた。
「このこと、会社には・・・」
「言ってねぇ。対外的には、所長がやるってことになってるから」
浮き沈みの激しい世の中、その波に煽られるように業界の景気も乱高下を繰り返している。
いつ転ぶかも分からない会社を支える為には、強固な土台が必要だ。
彼が持ちつ持たれつの関係を繋ぎ合わせているのは、将来の経営を見据えているからなのかも知れない。

元の散水栓を取り外し、土台に支持を取りながら配管を延長して、移設した器具に接続する。
営業マンとは思えない手つきで工具を使いこなす姿を、廃材を片づけながら眺めていた。
「ユーマ、ちょっとそこのバルブ開けてくれるか?」
一連の作業が終わったらしい先輩が声をかけてくる。
ゆっくりとハンドルを捻ると、水栓から水が流れ出した。
延長した配管を辿りながら、接合部を軽く工具で叩く。
「漏れてっとこは、無さそうだな」
確認作業を終えた彼が頷くのを合図に、バルブを閉める。
「良し。じゃ、片づけて、帰ろーぜ」


現場の帰りに立ち寄ったファミレスは、日曜日の午後とあってか多くの家族連れで賑わっていた。
「これが、赤羽さんの・・・誠意、ですか」
煙草を咥える彼に、そう、聞いてみる。
「お前、その言葉、好きだな」
「それが、基本だと・・・思ってるんで」
溜め息と共に煙を吐く彼が、俺の顔を真っ直ぐに見た。
「誠意ってのは、見返りを求めないって意味だろ?オレらがやってんのとは、真逆のことだ」
互いの私利私欲を満たす為の駆け引きを、体良く見せるように口にされる言葉。
腑に落ちない結果ばかり見てきて、それでもこれが自分の仕事だと矜持を保つ為に
俺はいつからか、この言葉に縋るようになっていたのかも知れない。
「無料の奉仕やってんじゃねぇんだよ。遠回りでも利益に近づくことをやるのが、オレのやり方」
「・・・理想、ですね。営業として」
「そう思うんなら、やりゃあ良いだろ。互いに納得出来んのが、最高の結果なんだから」

□ 75_流儀 □
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流儀(6/6)

赤羽さんの外回りに同行するようになって一ヶ月あまり。
営業成績は、当然落ちた。
「結果を焦ったってしょうがねぇからな」
そんな先輩の言葉を頼りに、彼から引き継いだ幾つかの芽を、堅実に育てていく。
やがて花を咲かせ、次の種を作り、また芽を出してくることを期待して。
「明日、印西の方行くけど、一緒に行くか?」
「ええ。帰りで良いんで、鎌ヶ谷に寄って貰っても良いですか?」
焦らず、気負わずいられるのも、傍にいてくれる営業の先輩のお陰なんだろうと思う。

運転席に着いた彼の携帯に、着信が入る。
シートにもたれながら挨拶を交わした後、彼はふと俺の顔を見て言った。
「ちょっと待って下さいね。有馬に替わるんで」
差し出された携帯電話を訳も分からず受け取り、電話に出る。
「・・・お世話になります、有馬です」

相手は、散水栓の移設工事を手伝わされた、あの工務店の所長だった。
「お施主さんがね、是非、お宅に仕事を頼みたいって仰ってて」
聞くと、アパートの施主は近隣にある老人ホームの理事長もやっているそうで
その建て替え工事にウチの会社も携わって欲しいと言っているらしい。
隣の彼には、まるでそれが聞こえているようだった。
返答に迷い表情を窺うと、背中を押すように、強く頷く。
躊躇いが、消えた。
「是非、お引き受けさせて頂きます」

工事の質、スケジュール管理、目の肥えた施主を動かした要素は多くあったのだろうが
最も効いたのは、赤羽さんが竣工祝いで持って行った贈り物だったと言う。
「施主が老人ホームやってんのは知ってたし、蘭が趣味だってのも、聞いてたから」
「花で、決めるんですか・・・何億もの工事を?」
「それだけじゃねぇんだろうけどさ。結局、決断すんのは人間で、人間は感情で動くってことだ」
「喜んで貰えたって、ことですかね」
「んじゃねぇの?家ん中連れ込まれて、2時間、話に付き合わされたからな」
言ってみれば、これだって誠意と言う名の賄賂。
それでも後ろめたい気分がしないのは、互いが納得しているからだろうか。
「そうだ。この物件、ユーマが担当してくれ」
「え?」
「オレ、他ので手が回んねぇんだ」
「でも・・・」
「そろそろ契約とんねぇと、年寄連中に睨まれるだろ?オレにくっついて歩いてるからだって」


突然入ったアポイントのせいで、いつもより戻りが遅くなった夜。
助手席で一日の〆のため息をついた俺を見た彼は、不意に目の上に指を寄せる。
「お前、最近、眉毛、下がらなくなったな」
「・・・そうですか?」
目を細めて微笑む彼は、静かに呟いた。
「ずっと、そーゆー顔、してろよ。・・・オレが、いなくても」
その言葉に、言い知れない不安が去来する。

彼の首元に、手を寄せる。
少し左へ傾いだまま、彼は俺に視線を向けていた。
「今日は、痛みは無いんですか」
「ああ、平気」
距離が、少し遠い気がした。
「お前、何か、ちょっと・・・微妙に近過ぎねぇか」
僅かに狼狽えた声に引き摺られる様、距離を詰める。
やがて唇に触れた頬の感触が、彼がそこにいることを教えてくれた。

「何・・・」
唖然とする赤羽さんは、ハンドルに手を置いたままで虚ろに言葉をこぼす。
「あ、いや・・・なんとなく」
「なんとなく、て・・・オレ、そういう趣味、ねぇけど」
「僕も・・・別に、ただ・・・」
いつか、俺の前からいなくなってしまうんじゃないか。
信じ難い約束をしたあの夜から、その不安が急にぶり返すことがある。
すぐ傍にいるのに、怖くて堪らない。
確かにここにいると言う、証明が欲しかった。

「約束しただろ?」
「そう、ですね」
「オレがいなくてもってのは、お前が一人で客先行く時もってことだよ」
「それは、分かっていたつもり、なんですが」
ため息を一つついた彼は、街灯に照らされるフロントガラスの向こうを一瞥する。
釣られて視線を移した瞬間、顎に添えられた手に顔を呼ばれた。

唇が重なっていた時間は、どのくらいだったんだろう。
解放された口から、薄い声の混じる吐息が漏れた。
「・・・そんな声、出すなよ。罪悪感が、ハンパねぇ」
「すみません、苦しくて・・・つい」
「死ぬまで一緒だっつったって、どーせ、気にすんだろうしな」
穏やかな声に、言葉が返せない。
「これで落ち着くってんなら・・・しょーがねぇか。我儘言ったのは、オレの方だし」
彼の親指が、俺の眉を押し上げるように瞼を撫でる。
「その代わり、拒否んなよ?恥ずかしいから」
後頭部に回った手に押さえつけられたまま、再び唇を重ね合う。
長い長いキスは、彼の存在を、確かに俺の心に刻みつけてくれた。


月初の朝、貼り出された営業成績の結果に、ホッと胸を撫で下ろす。
やっと咲いた花が、目に見えるようになってきた。
赤羽さんの成績が若干落ちたのは、きっと俺に株分けをしたからなのだろう。
「お、随分上がったんじゃねぇ?」
それでも自分のことのように喜んでくれる先輩には、やっぱり叶わないのだと痛感させられる。

「今日はあちぃな」
「やっと梅雨が明けたんですから、文句言っちゃダメですよ」
それぞれの客先を回ることも多くなってきたけれど、一週間に一度は、未だに彼と営業に出る。
「なーんか、あったまいてぇんだ」
「体調、悪いんですか?」
車の前まで来て、いつものように助手席側に回ろうとした時、不意に腕を掴まれた。
一瞬の口づけが、鼻腔に微かなアルコールを残す。
「運転、代わってくれよ」
「・・・二日酔いですか」
「まぁ、ちょっとな」

半日で回る客先は、大小含めて10件ほど。
助手席に座る先輩は何処かしら楽しげで、仕事中とは思えない雰囲気だった。
けれど、手元に抱える手帳は使い込まれ、種々の情報が詰め込まれている。
誠意を振りかざす営業は、まだ、他の諸先輩方に任せていれば良い。
今は、理想に向かって一歩一歩進めていく姿勢を教えてくれた彼の背中を見ながら
羨ましさを抱えつつも、自分のやり方を作り上げていきたいと思う。

□ 75_流儀 □
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まべちがわ

Author:まべちがわ
妄想力を高める為、日々精進。
閲覧して頂いた全ての皆様に、感謝を。

2011-3-12
東日本大震災の被害に遭われた方に
心よりお見舞いを申し上げます。
故郷の復興の為に、僅かばかりにでも
尽力出来ればと思っております。

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