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流儀(4/6)

「金ってのはさ、加減が難しいんだよな。多けりゃ良いってもんでも無い」
雨が止んだらしい空を見上げながら、赤羽さんは呟いた。
「その点、この業界は楽だよ。これだけくれって、言ってくれるんだから」
この業界。
転職して来た彼の前職について、そう言えば、聞いた記憶が無いことに気が付く。
「赤羽さん、前の仕事って・・・何、やってたんですか?」
スラックスのポケットから携帯灰皿を取り出し、短くなった煙草を放り込む。
窓際に座ったままこちらを向いた彼は、いつもの軽薄な空気を飲み込んでいた。
「同じ、営業だよ。外資の保険屋」

その口調から、あまり良い記憶では無いことはすぐに分かった。
大学時代に数年留学をしていたこともあり、ある程度英語を理解することも出来る。
父親が携わる建築業界からはなるべく離れたかった思いも、その進路を後押しした。
「入社式の日さ、外人のCEOが来て、言ったんだよ。あなたたちは、全てが公平な立場にいる、って」
日本法人に所属するほぼ全ての社員は、正社員と言う立場では無く委託社員なのだと言う。
オフィスに自分の机は無く、出社する義務も無い。
ノルマが無い代わりに、契約件数が給料に直結する。
まさに、自身の力量のみがモノを言う世界だった。
「それなのに、社員旅行がね、あからさまで」
「何処に行くんですか?」
「全国で成績が良い一握りがヨーロッパ、残りの連中は近場の保養所」
赤羽さんは何処に、そう言いかけた時、彼は口端を上げて俺を見た。
「パリは思いの外良かったなぁ。ユーマも時間が出来たら行ってこいよ」

身内が会社をやっていることは、彼に一歩アドバンテージを与えていたのだろう。
初めの内は、伝手から伝手を辿り、順調に契約件数を伸ばしていく。
優秀な営業マンの道が僅かにずれ始めたのは、皮肉にも大口の客と契約したことがきっかけだった。
「国内大手の会社だからって、営業があの態度じゃねぇ」
都内に数件の店舗を持つスーパーの担当者は、外資の営業に向かってそうぼやく。
長年契約していた保険会社の担当が新しくなり、その態度が気に食わない、と言うことらしかった。
従業員は100人程度、けれどパートやその家族を考えれば、任意とは言えかなりの契約数になる。
逃してはいけない客だと、彼は確信していた。
この商売の武器は、自分自身、そしてもう一つ。
「あん時が初めてだな。・・・金、渡したの」

流通業界と言うのは、横の繋がりもあるらしい。
大手を除く中堅業者にとっては、一人負けを防ぐ為、価格についての談合をする機会が増えてくる。
営業の元に連絡してきた数社の担当は、口を揃えて言ったと言う。
「お宅と契約すると、キックバックが貰えるんだって?」
初めに契約したスーパーの担当者に払った金は、100万。
当然、自腹だった。
それでも彼は、コンタクトを取ってきた全ての会社から契約を取ることに成功させる。
金よりも契約数、それしか見えなくなっていた。


静かな雨音が、再び耳に届いてくる。
「雨の時期になるとさ、何でか、いてぇんだ」
立ち上がり、サッシを閉めた彼は、そのまま首元のネクタイを緩め始めた。
解いた細布を首から下げ、ワイシャツのボタンを外す。
長めの髪を首の後ろで纏めると、赤黒い傷のようなものが右側の首筋から耳の方までついているのが見えた。
「どうしたんですか・・・それ」
「オレね、一回、死にぞこなってんの」

全国でも屈指の契約数を叩き出し、社長から優秀社員として表彰を受けた翌月。
彼を襲ったのは、激しい虚無感だった。
ありとあらゆる手を使って登り詰めた地位から転がり落ちる恐怖が、彼を更に追い込む。
「カネとコネ抜いたら、オレには何が残るのかって考えたらさ、何も残んねぇんだ」
羨望と嫉妬と思惑を抱えた人間たちが、彼に群がる。
率直な黒い本音を建前で受け流す内に、本当の自分の居場所を見失ったのかも知れない。

「何がきっかけになったのかは、未だに分かんねぇ。でも、そん時は、それしか考えられなかった」
公平な立場であったはずの同僚社員から接待を受けた夜のこと。
自宅に帰った彼は着替えることも無く、買い置きの延長コードをドアフックにかける。
軽く引っ張って重さに耐えられそうであることを確認し、コードで作った輪の中に頭を通した。
「ここをさ、こういう感じで圧迫すると楽に逝けるって、あったんだけど」
そのまま床に座り込むよう体勢を落とすと、徐々に気道が圧迫されていく。
重い耳鳴りが頭の中に充満し、意識が遠のく感覚が全身の力を奪い取る。
しかし、心地良い快感が猛烈な苦しさと吐き気に変わった瞬間、彼の心は一気に掻き乱された。
もがくようにコードに爪をかけ引っ張るも、益々首は締まる。
楽に死のうなんて、考えが甘過ぎた。
全てを受け入れる覚悟が出来た瞬間、コードが鈍い音を鳴らしながら千切れる。
反動でフローリングの床に頭を打ち付けた彼が再び目を覚ましたのは、病院のベッドの上だった。


俺に背を向け、彼は自らの首元を筋に沿って擦る。
「こうすると、ちょっと痛みが和らぐんだ」
呼ばれているのだと思った。
先輩に近づき、その痕に手を添える。
「こう、ですか」
軽く前後に手を動かすと、彼の頭は僅かに項垂れた。
「・・・そう。そんな、感じ」
撫でると赤みは一瞬薄れ、またすぐに痛々しい色を発する。
ワイシャツとネクタイと、長めの髪に隠された傷跡が、あまりにも切なく見えた。

痛みが大分取れてきたのか、彼の吐息が静寂を取り戻す。
「そのまま・・・締めてくれても、良いぞ」
静かなその声に、思わず手を離した。
「じょ、冗談、止めて下さい」
「いつ、ああなるか、自分でも分かんねぇんだ。・・・怖いんだよ」
優秀だったことの無い自分に、優秀な人間の苦労は分からない。
その苦悩さえ羨ましく思える自分が、心底情けなかった。

□ 75_流儀 □
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まべちがわ

Author:まべちがわ
妄想力を高める為、日々精進。
閲覧して頂いた全ての皆様に、感謝を。

2011-3-12
東日本大震災の被害に遭われた方に
心よりお見舞いを申し上げます。
故郷の復興の為に、僅かばかりにでも
尽力出来ればと思っております。

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