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心象(1/5)

自宅のある駅から電車に乗ること2駅。
都内でも場末に位置する駅の北口改札を抜けて5分程歩くと、大きな幹線道路に出る。
フライング気味に横断歩道を渡り、コンビニの角を左へ曲がると、こじんまりとした住宅街になる。
3階建のコンパクトな家々が並ぶ一角は、どれも同じ表情をしているように見えるけれど
一軒一軒眺めると、各々の家族が何かしらの個性を出そうとしている様が窺えてくる。

ある家の前には、玄関の脇に小さな花壇がある。
季節ごとの花々はよく手入れをされていて、よほど花が好きな家人なのだろうと思わせられた。
初夏に差し掛かろうという今、土の上には小さな芽が顔を出し始めている。
後一週間もすれば、その正体が分かるかも知れない。

住宅街を抜けると、大きな公園に突き当たる。
野球場やテニスコートを併設しているこの場所は、地域の憩いの場になっているらしく、人の出入りも多い。
桜の季節には花見客で溢れていたし、ベンチで昼食をとるサラリーマンやOLの姿を見ることもある。
早朝には、犬の散歩をする人やランニングをする人もいるらしい。

木立に日差しを遮られた道を歩き、脇道を入ると、すぐに3階建ての建物の裏手に出る。
通用門を抜け、屋外階段を2階まで上がって、社員証を金属製のドアのカードリーダーにかざす。
鍵が開く時の複雑な金属音を耳にして、やっと気分が仕事モードに切り替わった。


「石橋君、MDFの強度試験の方はどんな感じ?」
ロッカー室で声をかけてきたのは、直属の上司である北尾室長だった。
「昨日で粗方終わったので・・・あと10検体程です」
「うん、順調だね。あ、そうだ。午後イチで所長から話があるそうだよ」
「何か・・・あったんですか?」
「いやぁ、そう大層なことでも無いみたいだけどね」
自身のロッカーからくたびれた白衣を取り出して羽織る男は、そう笑いながら部屋を出ていく。

木質系材料の研究所に転職をしてから、もうすぐ半年になる。
長野で林業を生業としていた祖父の影響で、大学では林業を学んだものの
新卒時には希望した研究職で就職することが出来ず、7~8年、建材メーカーの営業をしていた。

30歳を前にして、心の片隅に残っていた未練を断ち切ろうとしていた頃に出会ったのが、今の上司だ。
きっかけは、前の会社に対してOEM供給をしているメーカーとの懇親会。
偶然酒を注ぎに行った先で、同じ長野の出身、しかも同じ大学の先輩であることが分かり
そのまま意気投合してしまった。

もちろん、初めて関わる職務には戸惑うことも多い。
他の班が担当する実験を手伝ったり、資料を集めたり、論文執筆を行ったりと作業も多種多様だ。
それでも学生時代に思い描いていた "将来の自分" に、着実に近づいている。


昼休みが終わり、事務室の窓際に置かれたホワイトボードの前に所長が立つ。
ボードには何かが貼られていたが、俺の位置から内容までは分からなかった。
部屋に集まった20名ほどの所員に対して視線を送りながら
彼は何処となく申し訳なさげな表情を浮かべて、話を切り出した。

毎朝日曜日の朝6時半から行われている、公園の清掃ボランティアへの協力依頼。
その言葉に、部屋の中には静かなざわめきが起こった。
「勘弁してくれよ・・・」
溜め息と共に呟かれる誰かの声が耳に届く。
「それは、ウチだけに来た通達なんですか」
「地域全体、事業者・個人含めて広く協力を求める・・・と」
不満の種を撒いた本人も、戸惑いがちな言葉を投げた。

所長が煮え切らないのには訳がある。
研究所が本社から切り離され、この地に移転して来たのは30年近く前のことだ。
当時から住宅が多かった地域だけに、近隣説明会も開き、相当に気を遣って建てられたそうだが
やはりトラブルは避けられなかった。
問題になったのは、実験装置から出る排気。
スクラバーを通しているから、排気自体に殆ど臭気は残らない。
にも拘らず、屋上の煙突から上る湯気と、木材の臭いが何処かで結びつき
『あの研究所は毒ガスをばら撒いている』
そんな噂を立てられ、一部の住民からは立ち退き要求まで出たという。

あらぬ嫌疑はやがて晴れたものの、それ以来、代々の所長は過分な程の気配りを続けてきた。
近隣から寄せられるクレームには折詰を持って頭を下げに行き、自治会に寄付を求められれば言い値を渡す。
時代が進み、周辺に事業所が増えてきても、一度低くした腰を上げる事は出来ないままだった。


比較的近くに住んでいる。
面倒を見なければならない家族がいない。
たった二つの条件を付けただけで、対象者はぐっと減る。
その時点で、該当する者は手を挙げろと言われているようなものだろう。
近くに立っている若い社員が苦笑いを浮かべながらこちらを窺う。
ありったけの諦めの気分を、溜め息と共に彼に返した。

若手の社員2人と、自分と、パートの事務員さんと、所長。
結局、清掃当番はこの5人で持ち回ることとなった。
2時間分の休日出勤を付けて良いとの話にはなったが、雨天決行という気合の入り様に心が萎える。
「都の公園なら、税金で何とかするべきなんじゃないんですか」
ぼやく若人に、所長はほぼ同意であるというニュアンスで言葉を返した。
「予算縮小で公園清掃の経費が削られたらしくてね・・・ボランティアを活用しろとのお達しだよ」

□ 93_心象 □
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お疲れ様です。新作待ってました。続きが楽しみです。

これからも宜しくお願いします。

コメント頂きまして、ありがとうございます。
長らくお待たせしてしまいまして、申し訳ございませんでした。
なるべく遅延の無いように努力して参りますので
これからご愛顧のほど、何卒宜しくお願い致します。
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まべちがわ

Author:まべちがわ
妄想力を高める為、日々精進。
閲覧して頂いた全ての皆様に、感謝を。

2011-3-12
東日本大震災の被害に遭われた方に
心よりお見舞いを申し上げます。
故郷の復興の為に、僅かばかりにでも
尽力出来ればと思っております。

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