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心象(5/5)

初めて遅刻したのは、盆休み初日の日曜日。
時計を見た時、一瞬サボることも頭を過ったが、結局駅から公園までを走りきり、5分ほどの遅れで済んだ。
そんなに急がなくても大丈夫、と係のおばちゃんは笑っていたが
用紙に社名を記入する段になって、会社の名前を背負って来ていることを改めて実感し
これからは気をつけますと、軽く頭を下げた。

指定されたのは、初めて掃除をした時と同じ、高台の周りだった。
遅くなった為にコンビを組む人がおらず、一人でその場へ赴く。
途中の広場には子供の姿も多く見られ、世間はすっかり夏を満喫しているのだと他人事のように思う。

大した収穫も無いまま掃除は終わり、木々の向こうに見える街を眺めた。
変わり映えのしない風景の中、一か所、背の高いボーリングマシンが立っている場所がある。
恐らくマンションの建設現場であろうそこには、以前、何があったのか。
きっと彼だったら、そんなつまらない質問にも、笑って答えてくれたに違いない。

「あそこ、マンションになるんですね。この辺じゃ名の知れた和菓子屋があったんですが」
背後から聞こえた声に、思わず振り向いた。
驚きの表情を整える暇も無かった。
「・・・もう、掃除終わっちゃいましたよね。すみません」
走ってきたのか、幾分肩を弾ませながら、待ち侘びていた男は精一杯の柔和な表情を見せる。


二ヶ月程見ない内に、彼の表情には何処か寂しさが漂うようになっていた。
ベンチに腰掛け、しばらく無言の時間を過ごす。
「仕事、忙しかったんですか?」
何かがあったのだろう。
それは分かっていたが、どう聞いて良いのかの判断はつかなかった。
俺の声に顔を上げた男が、小さく溜め息をついてこちらに視線を向ける。
その眼の中に、かつての幸せの光は見えなかった。

息子が生まれるまで、彼は都心のマンションで妻と暮らしていた。
人材派遣会社の営業という仕事を天職だと信じ、がむしゃらに働く毎日。
同年代のサラリーマンから見れば破格の給与を手にし、ある意味充実していたと彼は振り返る。
けれど、家のことを蔑ろにし、子供が産まれても、その顔を見る時間すら取れない人生は
父として、男としてどうなのかという疑問が頭をもたげ始めた。
幸い貯蓄もあり、資産運用も波に乗っている。
数か月の葛藤の末、同業他社への転職と、この街へ戻ることを決めたという。

会社が遠くなり出勤時間は早くなったものの、残業はそれほど多くないし、土日も休むことが出来る。
平坦で平凡な毎日が、彼にとっては何よりも幸せだった。
やがて、子供が幼稚園に上がる頃、妻はパートに出るようになる。
彼の実家が同じ街にあり、義実家に面倒を見て貰えることも大きかったのだろう。
そこから、少しずつ歯車が狂いだした。

妻が子供を置いて家を出て行ったのは、一ヶ月前のこと。
何かが変わってきていると、気が付いてはいたのだという。
それでも、真実を見ることが、今の生活を歪めてしまうことが怖かった。
「正しいと思う選択肢を選んできた、つもりだったのに」
変化を恐れるがあまり、夢に縋ったのかも知れない。
「もう、今の僕には・・・何が後悔するべきことなのかすら、分かりません」

項垂れた大きな身体が、小刻みに震える。
掛ける言葉を見つけられないまま、宥めるように背中を撫でた。
「・・・情けない」
震えた声のすぐ後で、押し殺した嗚咽が漏れてくる。
重い思いを感じながら、彼が思い描いた原風景を、街並みに重ねた。


短い夏休みが終わり、気怠さを残したままの出勤時。
あの小さな家から、家族の面影は消えていた。
コンパクトワゴンも、釣竿も、向日葵も、幻では無かったはずだ。
人の営みの無常さをつくづく思い知りながら、その場を後にする。


翌週から、彼は息子を清掃作業に連れてくるようになった。
けれど、人見知りなのか、父親の影に隠れる様にこちらを見るだけで
しばらくすると、同じように親に連れられた友達の元へ走っていってしまうのが常だった。

「あれ・・・軍手が片方しかないな。ちょっと、貰ってきますね」
秋分を間近にし、なお暑い日が続いていた日曜日。
出会いから一ヶ月にして、初めて、男の子と二人きりになる事態が起こった。
駆けだしていった父を追いかける素振りを見せ、ふと足を止めた彼は、俺を見上げて言った。
「勇人くんは、パパとずっと仲良くしてくれる?」
「・・・え?」
「大好きなお友達に会いにいくから、頑張って早起きしてるって、言ってた」
上向いていた視線が地面に落ちる。
彼と目線を合わせるようにしゃがみ、軽く頭を撫でた。
「パパ、家だとあまり元気ないけど、ここに来るといつも楽しそうなんだ。だから・・・」
自分を守るべき存在の弱い姿を見るのが辛いのは、子供にとっては当たり前のことだろう。
家の中の微妙な雰囲気に、不安を感じているのかも知れない。
「大丈夫。ずっと仲良くするよ。約束する」
「ホントに?絶対だよ?じゃあ、ゆびきり!」

絡んでいた小さな指が離れていくタイミングで、父親が戻ってくる。
「何の約束?」
「パパには内緒!ボクと勇人くんだけの秘密!」
「太一、その呼び方は止めろって・・・」
「あっ、しょうくんだ!しょうくーん!」
朝から何てテンションだろう、そう思わせるほどの快活さをばら撒きながら子供は走り去っていった。

妻を奪った男と同じ苗字だったから。
彼の息子が、俺を下の名前で呼んだのはそういう理由だったらしい。
「僕が家でそう呼んでいたのを真似てしまったようで・・・すみません」
「構いませんよ。ちょっと、びっくりしましたけど」
「それで・・・太一とは何を話してたんですか?」
興味深げにこちらを窺う視線で、つい口が滑りそうになったが、これは男同士の秘密。
「早起き頑張ろうね、って」
「ホントですか?それだけ?」
「ホントですよ」
腑に落ちない、そんな表情を浮かべた彼に、一つ問いかけてみた。
「太一くんも約束してくれたんだから、屋代さんも約束してくれますよね」
「早起き?」
「そう」
視線を交わしたまま、彼はしばらく思案を巡らせる。
程なく、何か思い当たる節を見つけたのか、いつもの朗らかな笑みを見せてくれた。
「もちろん、頑張りますよ。太一には負けないようにしないと」

不思議な縁を繋ぎ留めてから、数ヶ月。
そういえば、誰かに心を奪われることを煩わしいと思わなくなったような気がする。
彼と並んで高台から眺める街並みは、少しずつ確実に変化を遂げていて
いつかこれが、俺の中の原風景になるのだろうかと思うと、嬉しさが込み上げた。

□ 93_心象 □
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コメント

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No title

いつも心がホクホクするストーリーに感動してます。
今回は
勇人くんは、パパとずっと仲良くしてくれる?」
「・・・え?」
「大好きなお友達に会いにいくから、頑張って早起きしてるって、言ってた」
うるうるきちゃいました。
個人的にはエロ要素が余り入ってない話が好きです。
特に初恋シリーズがお気に入りで、何回も読まさせていただいてます。

こりからもマイペースで頑張ってください。応援してます。

気の迷いとの違い。

コメント頂きまして、ありがとうございます。
更新をお待たせしており、申し訳ございません。

これだけの数の話を書いてきていますが
未だに性的描写に頼ることのできない話の展開には悩みが尽きません。
恋なのか、気の迷いなのか、その境目を如何に表現するかは
今でも一番の課題です。
精進しつつ、より心に残る話をお届けできればと思います。

これからもご愛顧のほど、何卒宜しくお願いします。
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まべちがわ

Author:まべちがわ
妄想力を高める為、日々精進。
閲覧して頂いた全ての皆様に、感謝を。

2011-3-12
東日本大震災の被害に遭われた方に
心よりお見舞いを申し上げます。
故郷の復興の為に、僅かばかりにでも
尽力出来ればと思っております。

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