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片生(2/5)

これからの会社を牽引するべき年代だと言うことは、よく分かっている。
主任から係長、課長補佐に足を掛けようとする立場。
組織と命運を共にする、諦観が僅かに混ざる決断を迫られるほどに、息苦しさが増していく。

「残される部下の気持ちとか、考えないんですかね」
相変わらず不機嫌なトーンの後輩は、そう言って一つ溜め息をついた。
「自分だけ逃げおおせ様としてるみたいにしか、見えなくて」
「前から、転職の意思はあったんじゃないかな」
同期の本心は、分からない。
それでも、紺野の言葉に居た堪れなくなった自分を擁護するように、彼を庇った。
「この状況が決断を促したのかも知れない、けどね。彼は、上を目指せる人間だから」
「それは・・・そうかも知れませんけど」

会社の業務拡大には、俺を含め、懐疑的な社員も多い。
恐らく、彼もその一人なのだろう。
けれど、後輩を初めとする若い社員は、就職難をくぐり抜けて職を得た世代。
経験値も少ない中、転職と言う手段を選択することも出来ないのなら、会社に留まる以外道は無い。
「上の人に抜けられたら、僕ら、どうしたら良いんですか?」
その一言に、彼らの本心が見えるようだった。


将来への不安を一つずつ排除する。
生きていく上では必要不可欠な行為だ。
それを逃げだと言われても、仕方ない。
困難に立ち向かうのも、回避するのも、間違いじゃないと思っているが
残される者の心情を改めて突き付けられると、もともと強固では無かった意思が揺らぐようだった。

「もしかしたら、一番の障壁はそこなのかも知れませんね」
先週なされた提案の答を告げに赴いた俺に、中年の男は幾分寂しげな表情を見せながら言った。
「信頼されていればいるほど、きつい足枷になるのは確かです」
「ご経験が、ありますか?」
「・・・まぁ、誰もが経験することだとは思いますが」
「出来れば円満に、と思っているんですが・・・難しいんでしょうか」
諦め半分に笑った俺を見て、居た堪れない過去を思い出したのだろう。
感情を抑えるように口を閉じ、目を伏せた彼は静かに話し始めた。

「目をかけていた部下がいましてね。上司に退職の意思を告げる前、彼だけに、話したんです」
当然のように引き留めようとする部下。
けれど、男の意思は固かった。
「彼の態度は、正直嬉しかった。でも、それは私の決意表明でした」
既に転職先を決め、内々に引き継ぎ資料も作成していた。
進路を変更してしまってからの事後報告に、部下の気持ちは憤りを通り越す。
「私がいなくなることは、彼にとってもチャンスなんだと、そう諭しても、無駄でした」
真面目だったはずの、残される彼の勤務態度は豹変。
注意を促しても、二言目に出てくるのは「貴方はもう上司では無い」と言う言葉。
ほだされると言うよりは、諦める、と言う心情になりかけたと彼は言った。

頭に浮かぶのは、同期に批判の声を投げた後輩の姿。
「それでも、転職、されたんですよね」
「ええ」
「どうやって・・・振り切りました?」
自分にも訪れるであろう修羅場を想像すると、背筋の辺りが落ち着かなくなる。
真っ直ぐに信頼を向けてくれていた眼が、不信に染まる瞬間を、いずれ迎えなければならない。
「最後は・・・冷たいようですけど、どちらに自分の利があるか、で決めました」
目の前のエージェントが何を意図して転職を決意したのか、その本心は分からないまでも
結局彼は、新天地へ踏み出すことを選択した。

やりがい、収入、人間関係。
仕事に何を求めるかは人ぞれぞれだ。
働く上で、俺の利になるものは何なのか。
今の選択が、将来どういう結末を招くのかなど、誰にも分からない。
「・・・転職して、正解だったと思いますか?」
だからこそ、誰もが求めるであろう答のヒントが、欲しかった。

優しく、涼しげな視線と交わった瞬間、情けなさが込み上げる。
「いや、あの・・・こんな気分になるのかと、ちょっと、思ったので」
「良いことばかりじゃないですからね。・・・よく、分かります」
不意に逸らされた眼差しの先では、予定の時間の超過を示す時計が時を刻んでいた。
「でも、転職しようと考えた決意は、大切にするべきです」
面談を希望する旨の書類を整理しながら、彼は眼を細める。
「私は、あの時の選択は間違ってなかったと、今は、思っていますよ」
「そうですか・・・」
「転職した立場から、一つだけ、アドバイスするとすれば」
一つの溜め息が、小さな部屋に充満する。
「大切に思う人間には、敢えて、話をしないことでしょうね」
「社内で公になるまで?」
「特別な感情だけを残して去ることが如何に残酷なのか、痛感しましたので」


煙を吸い込みながら見上げた空には、厚い雲がかかっている。
先方に対する勝算は十分だと言ってくれる喜連川氏の言葉もあるのに、気分が晴れないのは何故だろう。
同じ部署で数年仕事を共にしてきた仲間。
この期に及んで、袂を分かつことに抵抗を覚え始めているのかも知れない。

闇から立つ水音に、雨の気配を感じる。
あっという間に勢いを増していく水の流線が、視界を霞ませた。
道を行く人々は、傘を開き、もしくは駆け足で過ぎていく。
バシャバシャと音を上げ、鞄を抱えて喫煙所に駆け込んで来る一人の男を見やりながら
持って来た傘を面談場所に忘れたことを思い出した。

□ 69_片生 □
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まべちがわ

Author:まべちがわ
妄想力を高める為、日々精進。
閲覧して頂いた全ての皆様に、感謝を。

2011-3-12
東日本大震災の被害に遭われた方に
心よりお見舞いを申し上げます。
故郷の復興の為に、僅かばかりにでも
尽力出来ればと思っております。

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