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片生(1/5)

狭い部屋の壁を一面覆うガラス窓の外には、街の灯りが煌めいている。
空調が少し効き過ぎているくらいの部屋は独特の緊張感に満ちていた。
「すみません、お待たせしました」
そう言いながら入ってきたのは、俺よりも一回り程年上の男。
クールビズを推奨する季節にも拘らず、ネクタイを締め、上着を羽織った彼の姿は、けれど何処か涼やかで
それは、彼の面持ちや立ち居振る舞いのせいなのだろうと思った。

「どうですか?幾つか候補は絞れました?」
何枚もの資料を机に並べ、彼は俺にそう聞いてくる。
「そうですね・・・こちらの会社なんかは、条件も良いかなと思うんですが」
「少し、給与が下がるんじゃないですか?」
「これくらいなら、許容範囲内かと」
軽く微笑んだ男は、小さく頷きながら手元のタブレットを弄り始める。
「古屋さんの経歴なら、もっと上を目指しても良いと思いますよ」
程なく出力された数枚の紙が、俺に差し出された。
「昨日来た案件なんですけどね・・・」


転職を思い立ってから2ヶ月弱。
初めは、登録制の転職サイトを頼りに探していた。
とは言え、30歳転職限界説はあながち間違っていないようで
引っかかるのは希望にマッチしない求人ばかり。
個別面談式の転職エージェントの扉を叩いたのは、現実を知り、焦りを感じ始めた頃だった。
待つだけの登録サイトとは違い、面談からレジュメ作りまでかかる手間は多い。
その分、新天地への歩みは確実に進んでいるような気がする。

30代前半で進路変更を決意したのは、会社の経営方針が変わってきたことが一つのきっかけだ。
勤めている設計事務所は規模としては中堅クラスだが、このところ人員増強を精力的に行っていた。
業務内容の拡大を狙っているらしく、そのための布石だと知ったのは、つい最近のこと。
設計だけではなく、施工管理やコンサルタントなど、幅広い業種に対応できる会社への転換を図る。
この不況下、敢えて手を広げることで、会社としての生き残りを懸けるつもりなのだろう。

保守的な人間ではないと思っていたけれど、10年近く同じ仕事を続けている内に
何処かに安定を求める気持ちが芽生えてきたのかも知れない。
過渡期に突入しようとする会社に対して、それほどの忠誠心を持っていなかったのかも知れない。
煮え切らない気分で転職活動を行うにつれ、将来への不安がいよいよ煽られるような気分になっていた。


担当のエージェントである喜連川氏は、前職がファイナンシャルプランナーと言う異色の経歴を持つ。
珍しいですね、そう問うた俺に対して、彼はそうでもないんだと笑っていたことを思い出す。
この会社に集まる人材に求められるスキルは、相手の要望を的確に引き出すこと。
各担当業種に関する研究は、長い間に培われてきた過去の実績が既にある。
彼らは、それをベースにして、求職者と人材を求める会社との間の橋渡し役をするだけなのだと言う。
就職してから、ずっと同じ会社に勤務してきた俺は
様々な業界、多様な職種があるのだと、彼の話を聞いて、改めて思い知らされた。

「勤務地は横浜ですけど、やりがいは十分だと思いますよ」
受け取った求人票に書かれていたのは、某独立行政法人の名前。
設計事務所時代、物件を担当したこともある。
「即戦力になる経験を持った人材を探しておられるということで、古屋さんにはピッタリなんじゃないかと」
「下請けとしてお付き合いさせて頂いたことがあるんですが・・・大丈夫なんですかね」
「想定内でしょう。それに、その方が、あちらとしてもやりやすいんじゃないですか?」

提示される会社は、業界では概ね名の通った大手企業ばかり。
客先として見上げるだけの存在だった企業に籍を置くことが出来る。
自分にそれだけの能力があるのか不安になることもあったけれど
エージェントや先方との面談を繰り返す内に、自分の本当の実力が分かるようにもなってきた。
新たな何かに挑戦する機会を得ることも悪くないと、前向きな変化が出てきたのも確かだ。
「回答期限は来週末なので、それまでご検討してみて下さい」


2時間ほどの面談を終え、ビルの隅に設置されている喫煙所で煙草に火を点ける。
ふと顔を上げると、真っ暗な空に輝く赤い航空灯が目に入った。
時間は夜の10時を回ろうとしているのに、ビルの窓からは多くの光が漏れている。
仕事に追われる毎日は、自分だけに訪れているのではない。
見も知らない企業戦士たちの面影を思い浮かべながら、気合を入れ直した。


いつか出さなければならない書類は、未だ鞄の中に仕舞い込んだまま。
仮に新しい会社が決まったとしても、すぐに今のところを去ることが出来るという保証は無かったけれど
転職が上手く行かず、無職のままで放り出されるのも怖かった。
入社のタイミングは採用から1、2か月程度の猶予がある。
そんなエージェントの言葉を頼りに、先延ばしにしているものの
部署の異動や組織の編成変更など、慌ただしく動く会社の状況を見ていると、焦りも生じてくる。
活動のことは、会社では一切公にしていないだけに、一人悶々としていたのも確かだった。

「古屋さん、知ってました?」
ある朝。
神妙な面持ちでそう声をかけてきたのは、後輩の紺野だった。
「何を?」
「構造の鈴木さん、会社辞めるって話ですよ?」
「・・・ホントに?いつ?」
「今月末だって、さっき課長が話してて」
鈴木とは設計部の同期で、入社以来の付き合いだ。
課が違うこともあり、頻繁に顔を合わせることは無かったが、腹を割って話せる仲だと思っていた。
それだけに、彼の決断に驚きと羨ましさが募る。
先を越されたと言う、くだらない競争心もあったような気がする。

「いや、初めて聞いたな」
なるべく感情を出さないように答えた俺に、彼はあからさまな不快感を示した。
「ちょっと、酷くないですか?」
「どうして?」
「会社がこんな時に、中堅どころが抜けるって・・・無責任過ぎる」

□ 69_片生 □
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まべちがわ

Author:まべちがわ
妄想力を高める為、日々精進。
閲覧して頂いた全ての皆様に、感謝を。

2011-3-12
東日本大震災の被害に遭われた方に
心よりお見舞いを申し上げます。
故郷の復興の為に、僅かばかりにでも
尽力出来ればと思っております。

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