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片生(3/5)

「・・・古屋さん?」
その声を聞き、男の正体を知る。
思考回路は、咄嗟に体の良い言い訳を探しに走り始めた。
ここからはかなり遠い現場での定例会議から直帰と言う予定を利用して、この場に赴いた。
付き合いのある会社は近くに数か所あるものの、行き先としては不自然過ぎる。
店らしい店も無いオフィス街のど真ん中、飲みに来たとも言えない。

「こんな所で、どうしたんですか?」
「いや・・・ちょっとね。紺野君は?」
時間稼ぎとして、質問に質問を重ねる。
ずぶ濡れの前髪から水滴を垂らしながら、後輩は訝しげな表情を浮かべた。
「急に、打合せに呼ばれたので・・・その帰りです」
「こんな時間に?」
確か、面談を終えたのは8時過ぎ。
どれだけ打合せを行っていたのかは分からないが、呼ばれたのは定時を過ぎてからだろう。
「来週じゃ、ダメだったの?」
「担当の人が急に月曜日出張になったとかで、来てくれって」
気怠そうにネクタイを緩め、濡れたワイシャツの裾のボタンを外す彼。
雨足は、未だ激しいままだ。
「・・・そう。資料は、大丈夫?」
「ええ、多分・・・」
そう言って自らの鞄を弄る男に対する最適の答は、まだ見つからない。


「古屋さん」
背後から掛けられた声は、窮地の中で救いとなるのか。
振り向いた先には傘を持ったエージェントが立っていた。
「忘れ物ですよ」
どう声を掛けるべきか迷う俺の気配に、彼は傍に立つ男との関係を察したのだろう。
「お気を付けて」
「・・・すみません、わざわざ」
差し出された傘を受け取る俺に諭すような視線を送り、足早に立ち去ろうとする。

「どちらさまですか?」
無粋な若い声に、思わず苛立ちが込み上げる。
「紺野君」
「マネジメントセミナーの講師をしている、喜連川と申します」
「マネジメント・・・?そんなの、受けてるんですか?」
「ああ、まぁ・・・」
「自主的な研鑽は、あまり他人には告げないものですよ。特に、部下には」
怪訝な眼差しを受け止める中年の男は、懐の深い様をまざまざと見せつけるようだった。
「そんなもんですかね」
眉間に皺を寄せ前髪を掻き上げる後輩と、狼狽が収まらない俺に、彼は一つ頭を下げる。
「では、失礼します。・・・また、来週」
「ありがとうございました」

機転を利かせてくれた男を見送る俺の耳に、不機嫌な声が届く。
「そういうの、胡散臭いって、言ってませんでしたっけ?」
確かに、以前回覧メールで知らされた自己啓発セミナーについて、そんなことを言った覚えはある。
「・・・会社がこういう状況だからね。必要かなって」
「今のままで、十分だと思いますけど」
それが褒め言葉なのか、皮肉なのかは分からなかった。
ようやく小止みになった雨を見上げながら、煙草に火を点ける。
「ともあれ・・・初見の相手に、ああいう言い方は無いと思うよ」
「すみません、つい・・・」
目を伏せた表情は何処と無く悔しげで、若さから来る血気故なのだろうと、思った。


決断への猶予期間を、引き伸ばし過ぎたのかも知れない。
転職先との最終面接を終えた週明け、上司から言い渡されたのは昇進人事だった。
「・・・課長、補佐?」
係長になってから、まだ1年。
あまりに急すぎる昇進と、タイミングの悪さで目の前が暗くなる。
「組織の改編で、意匠チームも幾つかの課に統合することになってね」
意匠設計がメインのウチの会社では、担当する建物によって部署が細分化されている。
オフィスビル、商業施設、工場、病院、マンションなど、現状では6つの課に分かれているものが
9月から3つに統合されると言う。
お飾り程度の役職とは言え、今までよりも責任は重くなる。
何より、俺は、この会社を去るつもりでいる。
「あの・・・辞令は、いつ?」
「来週には出る予定だ。まぁ、今まで通り仕事をしていてくれれば、問題ないから」

終業後、会社の外から電話を入れる。
「組織が固まる前に、出してしまった方が賢明かと思います」
けれど、まだ先方からの合否の連絡は無い。
ここで退職の意を表明することは、賭けの様にしか思えなかった。
「大丈夫、勝算は十分です。自信持って下さい」
小さな溜め息に、弱音を溶かす。
「万が一、残念な結果になっても、私が最後までサポートしますよ」
スピーカーから聞こえる優しげな声が、不安を薄めてくれる。
鞄の中に仕舞いこんだ退職願を書いたのは、もうどれくらい前だろう。
希望日をいつにするか、そのことに考えを巡らせながら、分かりました、と答えた。


夜7時を過ぎても、フロア内には多くの社員が残っている。
パンを齧りながらパソコンの画面を眺めていた後輩が、ふと呟いた。
「喜連川、って珍しい苗字ですよね」
「ああ・・・そうだね」
突然振られた話題が、後ろめたさも手伝って居た堪れない。
少し早まった鼓動を落ち着かせようと席を立った俺に、彼は冷たい口調で言った。
「古屋さん、転職するんですか?」

□ 69_片生 □
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まべちがわ

Author:まべちがわ
妄想力を高める為、日々精進。
閲覧して頂いた全ての皆様に、感謝を。

2011-3-12
東日本大震災の被害に遭われた方に
心よりお見舞いを申し上げます。
故郷の復興の為に、僅かばかりにでも
尽力出来ればと思っております。

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