紐帯(3/5)
警告の声が、耳から剥がれない。
いつも変わらない、不機嫌そうな低いトーン。
彼と視線を合わせることも無く出て来た店を離れながら、頭の中は混乱する一方だった。
寮へ帰る途中、電話をかけてみた。
当然、出なかった。
出られても、何を話していいのか分からないから、それで良かったのかも知れない。
真っ暗な住宅街の中に、コンビニの灯りが見えて来る。
こんなおぼつかない夜は、早く終わりにしたい。
兄貴からの着信に気が付いたのは、そう考えながら自転車を降りた時だった。
「お疲れ」
店に入ると、斎木はそう声を掛けてくれた。
気分は落ち着いたけれど、心からの笑顔は出てこなかった。
炭酸飲料と、ライターと、煙草を一箱買う。
「煙草、吸うんだっけ?」
「何となく・・・そんな気分」
「どうした?」
「いや、別に、何でも無い」
俄かに心配そうな顔をする彼に、大丈夫、そう声を掛けて店を出る。
その言葉には、自分にハッパをかける意味も含まれていた。
「何の用だ?」
父に瓜二つの響きが、俺の心を強張らせるのかも知れない。
家族と言う囲いの中で、誰にも興味を持って貰えなかった自分。
卑屈になっている俺を、兄は何処かでせせら笑っているんじゃないか。
情けないと思っても、この声で、つまらない妄想が蘇ってくる。
「今、良い?」
「ああ」
彼の後ろには、街の喧騒が流れていた。
俺の後ろには、日常を呼び覚ましてくれる友達がいる。
様々な要因が完全な二人の世界を邪魔していることに、些細な安心感を持っていた。
「何で、あんな所に、いたの?」
「お前には関係ないだろ?」
極単純な問いを、極単純な答えで返してくる。
「それは、そうだけど・・・」
「つまらないことに、首突っ込むな」
出会った時は既に大人だった兄貴の口調は、まるで他所の子供を諌める様なものだった。
俺は、あの人のことを何も知らない。
家族だという意識も、薄いままだ。
だから却って、配慮の無い言葉が出たのだと思う。
「兄貴・・・ゲイなの?」
舌打ちの後に続く溜め息が、耳を通って背筋を凍らせる。
震える手が徐々に汗ばんで来るのを感じていた。
「だったら、何なんだ」
「・・・別、に」
人に言えないであろう秘密を知った、浅ましい優越感。
それを超える、言い知れない恐怖と拒絶。
力が抜けた身体が、地面にへたり込む。
コンビニのガラスに身を預け、揺らぐ息を吐いた。
「・・・ごめん、もう、切る」
「清輝」
「・・・何?」
「忘れろ。今日のことは、全部」
声色は変わらなかったはずなのに、妙に優しく聞こえた言葉。
思わず込み上げたものが、声を歪ませる。
「そんな、の・・・無理だよ」
「桐生、大丈夫か?」
情けない顔のまま振り返った先には、友人の姿が見えた。
救われた、心から、そう思った。
兄が出来る、母からそのことを聞いた時の喜びを、今でも覚えている。
子供の頃から持っていた、兄と言う存在への憧れが消え去らない。
どんなにそっけない態度を取られても、いつかは俺の期待に応えてくれるんじゃないか。
自分勝手な想いが、更に失意を深くする。
手元に届いた2通の招待状。
父方の従妹の結婚式の案内だった。
バラバラに送れば良いのに、何故か兄弟二人分が同封されている。
手渡すか、郵送するか。
数日迷った末、その週の土曜日、俺は封筒を手に家を出た。
俺が住む街から兄貴のいる街までは、3つの路線を乗り継いで30分ほど。
東京駅を中心に、ちょうど東西正反対の場所に位置している。
訪れたのは、1回か2回か、その程度だったと思う。
必死に記憶を辿りながら、頭の中に地図を広げていた。
複々線の線路がホームの間を走る駅で降りる。
6両編成の赤い電車を見送りながら、ふと、向かいのホームに目が行った。
そこに立っていたのは、血の繋がりの無い二人の男。
穏やかな顔で微笑み合う姿は、俺の憧憬、そのものだった。
□ 65_紐帯 □
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いつも変わらない、不機嫌そうな低いトーン。
彼と視線を合わせることも無く出て来た店を離れながら、頭の中は混乱する一方だった。
寮へ帰る途中、電話をかけてみた。
当然、出なかった。
出られても、何を話していいのか分からないから、それで良かったのかも知れない。
真っ暗な住宅街の中に、コンビニの灯りが見えて来る。
こんなおぼつかない夜は、早く終わりにしたい。
兄貴からの着信に気が付いたのは、そう考えながら自転車を降りた時だった。
「お疲れ」
店に入ると、斎木はそう声を掛けてくれた。
気分は落ち着いたけれど、心からの笑顔は出てこなかった。
炭酸飲料と、ライターと、煙草を一箱買う。
「煙草、吸うんだっけ?」
「何となく・・・そんな気分」
「どうした?」
「いや、別に、何でも無い」
俄かに心配そうな顔をする彼に、大丈夫、そう声を掛けて店を出る。
その言葉には、自分にハッパをかける意味も含まれていた。
「何の用だ?」
父に瓜二つの響きが、俺の心を強張らせるのかも知れない。
家族と言う囲いの中で、誰にも興味を持って貰えなかった自分。
卑屈になっている俺を、兄は何処かでせせら笑っているんじゃないか。
情けないと思っても、この声で、つまらない妄想が蘇ってくる。
「今、良い?」
「ああ」
彼の後ろには、街の喧騒が流れていた。
俺の後ろには、日常を呼び覚ましてくれる友達がいる。
様々な要因が完全な二人の世界を邪魔していることに、些細な安心感を持っていた。
「何で、あんな所に、いたの?」
「お前には関係ないだろ?」
極単純な問いを、極単純な答えで返してくる。
「それは、そうだけど・・・」
「つまらないことに、首突っ込むな」
出会った時は既に大人だった兄貴の口調は、まるで他所の子供を諌める様なものだった。
俺は、あの人のことを何も知らない。
家族だという意識も、薄いままだ。
だから却って、配慮の無い言葉が出たのだと思う。
「兄貴・・・ゲイなの?」
舌打ちの後に続く溜め息が、耳を通って背筋を凍らせる。
震える手が徐々に汗ばんで来るのを感じていた。
「だったら、何なんだ」
「・・・別、に」
人に言えないであろう秘密を知った、浅ましい優越感。
それを超える、言い知れない恐怖と拒絶。
力が抜けた身体が、地面にへたり込む。
コンビニのガラスに身を預け、揺らぐ息を吐いた。
「・・・ごめん、もう、切る」
「清輝」
「・・・何?」
「忘れろ。今日のことは、全部」
声色は変わらなかったはずなのに、妙に優しく聞こえた言葉。
思わず込み上げたものが、声を歪ませる。
「そんな、の・・・無理だよ」
「桐生、大丈夫か?」
情けない顔のまま振り返った先には、友人の姿が見えた。
救われた、心から、そう思った。
兄が出来る、母からそのことを聞いた時の喜びを、今でも覚えている。
子供の頃から持っていた、兄と言う存在への憧れが消え去らない。
どんなにそっけない態度を取られても、いつかは俺の期待に応えてくれるんじゃないか。
自分勝手な想いが、更に失意を深くする。
手元に届いた2通の招待状。
父方の従妹の結婚式の案内だった。
バラバラに送れば良いのに、何故か兄弟二人分が同封されている。
手渡すか、郵送するか。
数日迷った末、その週の土曜日、俺は封筒を手に家を出た。
俺が住む街から兄貴のいる街までは、3つの路線を乗り継いで30分ほど。
東京駅を中心に、ちょうど東西正反対の場所に位置している。
訪れたのは、1回か2回か、その程度だったと思う。
必死に記憶を辿りながら、頭の中に地図を広げていた。
複々線の線路がホームの間を走る駅で降りる。
6両編成の赤い電車を見送りながら、ふと、向かいのホームに目が行った。
そこに立っていたのは、血の繋がりの無い二人の男。
穏やかな顔で微笑み合う姿は、俺の憧憬、そのものだった。
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