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浮橋(1/4)

「実は昨日ねぇ・・・彼とちゅーしちゃった」
「ええっ?いつ?何処で?」
「んー?帰り、駅で別れる時」
「マジで?え~、どんな感じだったの?」
「んー?そうだなぁ・・・」
朝の通勤電車を待つ駅のホームで、俺の前に立つ女子高生がハイテンションにはしゃぐ。
微笑ましくもあり、ウザったくもあり。
そんな風に思っているところに、良いタイミングで電車がやって来る。

いつも、乗るのは最後尾の車両。
下車駅での降り口が一番近いからということと、比較的空いているというのがその理由だ。
乗っている間は、乗務員室側の窓にもたれてぼんやりと景色を眺めることが殆ど。
新聞や携帯を取り出しても、どうせ乗っているのは15分程度。
情報を追いかけるばかりの毎日で、そのスイッチをオフにする時間があっても悪くないと思っている。

この春から使っている路線は、途中に停まるターミナル駅で2つの私鉄が相互乗り入れしている。
接続時間でしばらく停車した後、大勢の客を乗せて電車は再び走りだし
程なく、車掌のアナウンスが、降りる駅への到着を教えてくれる。
客を掻き分ける途中で擦れ違った女子高生たちは、未だ甘酸っぱいキスの思い出を語らっていた。


初めて女の子とキスを交わしたのは、中学生の頃だった。
焦りと恥ずかしさで、その感触はすぐに消え去ってしまったことを覚えている。
けれど、ファーストキスはそれよりも前の小学2年生の時。
相手は、幼馴染の、男の子だった。

小学校を卒業するまでは、父の会社の社宅住まいだった。
彼はウチの下の階の住人で、幼稚園、小学校と同じだったこともあり、ほぼ毎日顔を合わせていた。
名前はタツキ、苗字は何だっただろう。
たっちゃんと呼んでいた幼馴染であり親友は、その頃から電車が好きだったようで
外でサッカーをしたり、家でゲームをするよりも、近くの河川敷から鉄橋を眺めていることが多かった。
「ほら、あれ、05系だよ。新しいやつ。かっこいいなぁ」
「ホントだ、すげーピカピカ」
アルミの車体に青いラインが入った車両を、小さくなるまで目で追いかける。
それほど興味の無かった電車にハマり始めたのは、まったくもって彼の熱病のせいだったのだと思う。

たっちゃんが引っ越してしまうという話を聞いたのは、夏休みも終わりかけの8月中旬だった。
「・・・行きたくないな~」
いつものように河川敷に腰を下ろし、夕日を浴びる電車を見ながら、彼は呟く。
確か、北海道か、九州か、随分遠い所への転勤だったはずだ。
その頃の俺には、友達が遠くへ行ってしまうことを実感できていなかったこともあり
寂しいという感情が、それほど大きくなかった気がする。
「向こうの電車、かっこいいのいっぱいあるんでしょ?」
「それは・・・楽しみだけど」
膝を抱えて顔を伏せる友達に幾ばくかの戸惑いを覚えながら、過ぎていく電車を見送る。
「りょーくん、オレたちって、いつまでも友達だよね?」
「当たり前じゃん。手紙とか書くから、たっちゃんも返事ちゃんと書けよな」
「・・・うん」
彼の弱弱しい声を、橋を渡ってきた電車の走行音が掻き消す。
多分、幼い彼自身も、寂しさを飲み込むことが出来ずにいたのだろう。

『6時になりました。外で遊んでいる皆さんは・・・』
聞き慣れたチャイムが、夕焼け空に響く。
「たっちゃん、帰んないと」
立ち上がる俺を見る彼の顔は、すっかり泣き腫らしていた。
手の甲で乱暴に顔を拭い、彼も腰を上げる。
「・・・りょーくん」
「ん?」
「オレのこと、好き?」
「当たり前じゃん。親友だろ?」
赤い目をして無理矢理微笑む彼は、2、3回頷いてから俺を見た。
「お願いが、あるんだ」
「何?」
「ちょっと・・・目、つぶってくれる?」
突然の頼みにも、その時はさほど疑問を抱かなかった。
彼の言う通り、目を閉じる。
遠くから電車がやってくる音が聞こえてきて、すぐ、唇に何かが触れた。
柔らかくて、暖かくて、少し、気持ちが良い。
ちょっと息が苦しくなり始めたくらいで、その感触は離れていく。
「・・・もう、目、開けて良いよ」
通り過ぎて行く電車を背に、彼はやっぱり寂しげな笑顔を浮かべていた。
「好きな人とお別れする時のあいさつなんだって・・・お母さんが、言ってた」


幼馴染が俺にした行為は、普通、女の子とすること。
それくらいは、分かっていた。
でも、俺はたっちゃんが好きだったし、彼も俺のことを好きでいてくれたはず。
だから、別におかしいことじゃない。
やがて歳を取り、恋愛と言う概念と、それに付随する行為を知識として身につけるまで
俺は、ずっとそう思っていた。

結局、彼との縁は中学校に上がる前、俺が引っ越しをするくらいで切れてしまった。
手紙の文字を見ると思いだされる幼い笑顔と別れの挨拶が
モヤモヤした違和感を湧き起こさせ、居た堪れなくなってしまっていたのも、あると思う。
嫌いになったんじゃ無い、そう言い訳しながら、彼の手紙を読まずに引き出しにしまい込む。
その内、大学に入る頃には、年賀状すら届かなくなった。

あまり長続きはしなかったけれど、それなりに恋愛もしてきたと思う。
叶わない恋も、幾つもあった。
想いを寄せられることに飢えて、世の中を冷めた目で見ることもあった。
そんな時に不意に過る、遠い昔の、消え去らない感触。
友情も愛情も一緒くただった子供の頃の出来事を、大人になった今の感情で推し量ることは出来ないにせよ
真っ直ぐに向けられていた気持ちに背を向けてしまったことを、少し、後悔している。

□ 83_浮橋 □
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浮橋(2/4)

「関谷君じゃない?」
休日出勤だった土曜日の夜。
ターミナル駅での停車中、ホームを行く見知った女性に声を掛けられた。
「阿川さん・・・?」
出産を機に退職した、新人の頃から世話になっていた会社の先輩。
まだ半人前だった俺にSEの何たるかを叩きこんでくれた鬼教官の雰囲気は、歳月を経て削られたのか
少し離れた場所から眼差しを送ってくれる女性は、思い出補正そのままの面持ちをしている。
「偶然ね~元気だった?」
「ええ、おかげさまで。阿川さんは・・・」
彼女の手の先に、ぶら下がるように立っている男の子に視線を送りながら問いかけた瞬間
タイミング悪く、発車ブザーがホームに響く。
何かを考える間もなく、無意識の内に身体が動いた。

「あがわのぞむ、5歳です」
しゃがみこんだ俺に、彼女の子供は自己紹介をしてくれる。
「そっか・・・ってことは、もう、あれから5年も経ったんだ」
「そういうことよね。怖いくらいあっという間」
「お仕事は・・・復帰されたんですか?」
「今は在宅勤務なの。打合せには行くけど、基本メールと携帯でやり取りって感じで」

同じ会社で働いていた当時、俺は彼女に対して、秘めた憧れを抱いていた。
仕事も出来て、厳しい中に優しさもあり、いろいろな相談にも乗ってくれる。
けれど、まだまだ新婚で、ご主人との惚気を嬉しそうに話す彼女が愛おしいと思った時
俺が好きなのは "他の男のもの" である彼女だと気が付いた。
もっと早く出会っていても、きっと、恋心を抱くことは無かったのだろうと
皮肉な運命を恨む事すら出来なかった。

「そういえば、関谷君って、前からこの辺に住んでたんだっけ?」
「いえ、この間越してきたばかりで・・・」
「そうなの?じゃ、今度遊びにおいでよ」
屈託のない笑顔に、燻る想いが湧き上がり、静かに落ち着いていく。
関係が変わっても、何処かで縁が繋がっていることを素直に嬉しく思えた。


『まもなく3番線を特急列車が通過します。白線の内側に・・・』
ホームにアナウンスが流れると、目の前の男の子が矢庭に顔を綻ばせる。
「あ、スペーシア来る!」
「こら、望、待ちなさい!」
彼は母の手を振りほどき、ホームの反対側に駆けていく。
咄嗟に差し出した手が身体を掠めると同時に、視界の端に人影が入ってくる。
「坊や、危ないよ」
子供の前に私鉄の制服を着た男が立ち塞がり、その肩を軽く押さえた。
「次来るの、スペーシアだよね?」
「そうだよ。じゃあ、おじさんと、ここから見ようか」
しゃがみ込んだ彼は、男の子の身体を線路から少し遠ざける様に腰を抱く。
小ぶりな鞄を持っているところを見ると、恐らく車掌か運転士だろうか。
ホーンを鳴らしながら通り過ぎていく、青いラインの入った特急列車を見る彼らの姿に
昔、幼馴染と過ごしたあの日々が蘇ってくるようだった。

「すみません・・・ご迷惑をおかけしました」
列車が去り、阿川さんは制服姿の彼に対してそう言って頭を下げる。
「いいえ。でも、目を離さないようにしてあげて下さいね」
その様子を少し離れた場所から見ていた俺に、ふと男の視線が向けられた。
制服に包まれた姿の中に垣間見えた僅かな面影に、思わず息が止まる。
瞬間、彼の眼にも驚きが映ったように見えた。

「青いスペーシアだったね!かっこよかった!」
男の子の声が、彼の視線を横取りする。
「・・・電車、好きなんだね」
「うん。ボク、将来は運転士さんになる!」
「そうか。なら、僕が車掌さんやろうかな」
「ホント?絶対だよ?」
穏やかに微笑みながら子供の頭を撫で、俺たちに軽く会釈をした彼は
話しかけるタイミングを与えてくれないまま、その場を立ち去り、ホームの階段を下りていった。


子供の頃の夢。
狭い世界の中で毎日のように変わる幻は、結局具現化されることは無かった。
歳をとるにつれて、世の中が見えてくるにつれて、ただの戯言だったと冷めていたけれど
実際に叶えた男のことを思うと、そんな諦観が如何に滑稽なのかを思い知らされる。

「りょーくんは、運転士さんと車掌さん、どっちが好き?」
台風が近づいていた初夏の日の午後。
幼馴染の家で電車模型を弄る俺に、彼はそんな質問をしてきた。
「俺は絶対運転士だな。やっぱ、運転してみたいし、カッコいい」
「じゃ、ちょうど良いね。オレは絶対、車掌さん」
「何で?車掌なんて、ドア開けて、ブザー鳴らして、ドア閉めるだけじゃん」
子供の頃はそれほど電車に乗る機会も無く、正直車掌の仕事がどんなものなのか、俺には分からなかった。
「違うよ。車掌さんが合図出さないと、電車は出発しないんだよ?」
その点、友人は子供ながらに鉄道好き、恐らく、その頃から将来の夢にしていたのだろう。
「それに、昔はレッシャチョウって言って、偉い人だったんだから」
遊び過ぎて色がくすんでしまった新幹線の模型を手に、彼は満面の笑みを浮かべる。
「りょーくんが運転士さんで、オレが車掌さん。・・・いつか二人で05系に乗れるかな」

俺は、その約束をいつまで覚えていただろう。
もう果たすことの出来ない誓いなら、思い出さない方が良かったのかも知れない。
「ママー!ボク、絶対運転士さんになるよ!」
「はいはい。じゃ、たくさんお勉強しなきゃね」
無邪気にはしゃぐ、夢を叶えるチャンスを抱えた子供の姿に、羨ましさが募った。

□ 83_浮橋 □
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浮橋(3/4)

次の日から、毎朝通勤電車に乗る度、ターミナル駅で交代する車掌の顔を窺うようになった。
とはいえ、想像以上に乗務員のシフトは複雑なようで、なかなか機会は訪れない。
おまけに、担当している案件が急に修羅場を迎え、出退勤時間は不規則に。
午前様の帰宅が続き、短い朝の乗車時間も惜しむ様にうたた寝をすることが多くなり
その頃になると、窓の向こうに目をやることまで、気が回らなくなってしまっていた。

不思議なもので、ちゃんと降りる駅の直前で目が覚める。
ある朝までは、そんな風に高を括っていたところがあった。
電車に乗り込み、背後の窓に寄りかかると、初夏のような暖かさにつられて意識はすぐに飛んでいく。

ガラスを叩く鈍い音と振動で、夢が途切れた。
ふと顔を上げると、ドア上のモニターにはもうすぐ降りる駅に到着することが示されている。
振り返った先にあったのは、降りる方向を指差しながら目を細める車掌の姿だった。

車両から降り、ホームの柱の前で電車を見送る。
指差し確認をし、発車ブザーを押した彼は、一瞬こちらに顔を向けて制帽のつばに指を添えた。
そしてすぐに電車に乗り込み、ドアを閉め、やがてゆっくりとホームから離れていく。
乗降客が足早にホームから立ち去る中、俺は闇に消える電車を眺めていた。


「おはよう」
それから数日後、微かな期待を胸に乗務員室を覗く俺に、一人の男が声を掛けてきた。
「・・・え」
制服姿しか見たことが無かったからか、咄嗟に人物を認識できなかった。
「夜勤明けなんだ。やっとタイミングが合った」
そう言って、彼は俺の隣に立つ。
「久しぶりだね、諒くん」

ターミナル駅を出てすぐ、電車は鉄橋を渡る。
駅間の所要時間は5分弱と、この路線の中では最も長い。
しかし、20年近い空白を埋めるにはあまりに短く、あっという間の時間。
「明日は、シフトが違うから・・・また、その内」
貴重な機会は、通り一遍の短い会話とアドレス交換をしただけで過ぎ去ってしまった。


彼のシフトと俺の就業時間を縫うように繰り返される、画面越しの逢瀬。
大学時代まで九州にいて、就職をきっかけに東京へ戻ってきたこと。
子供の頃からの夢を諦めきれず、3年前、今の会社に転職したこと。
遠い昔から今に至る彼の足跡が、徐々に見え始めてくる。

ある夜、彼から送られてきたメールに添付されていた一枚の写真は
視覚のみならず、様々な感覚が蘇るような錯覚に、俺を陥れた。
『この辺は、あんまり変わってないよ』
出来過ぎた偶然と言うべきか、彼は今、独身寮に住んでおり
それは、二人の思い出が詰まった、あの街にあるのだと言う。
『俺、引っ越してから、行ってないな』
『基本住宅地だからね。用事が無きゃ、立ち寄らないんじゃない?』
鉄橋を見上げる様なアングルで写された新型の車両の画像を見ながら、追想を手繰る。
『今でも、電車眺めてるの?仕事で毎日見てるだろ?』
『たまに、時間が空いた時にね。二人でよく見てたなって、思い出すのが楽しくて』

入社当時から寮に住んでいたというから、それだけの間、彼は鉄橋を渡る電車に思いを馳せていたのだろう。
『久しぶりに、行ってみようかな』
川の匂いと蒸し暑い空気と、隣に座る俺のことを頭に浮かべていてくれたのかも知れない。
『来月だったら、公休と重なる土曜日があったはず』
『じゃ、予定しておくよ』
昔に戻りたい訳じゃない。
途切れてしまった縁を、もう一度結び直したい。
背を向けてしまった想いを、今度は正面から受け止めてみたい。
そして、約束を果たせなかったことを、謝りたい。
自分勝手だと分かっていても、彼があの頃とは変わってしまっていたとしても
そんな考えばかりが頭の中を巡っていた。


たまたま課の先輩に飲みに誘われた夜。
店から近い改札は、いつも乗る帰りの車両とは真逆の最後尾に位置していた。
ホームに降りる階段の途中で流れ始めた電車の到着を報せるアナウンスに、足を速める。
多分、最終の2、3本前だったのだと思う。
ドアが開くと共にホームに辿り着いた俺の目に飛び込んできたのは、車両の後ろから降りてくる彼だった。

制服を着た幼馴染に声を掛けることは無い。
曲がりなりにも、大勢の人間の安全を預かる仕事。
当然その辺は弁えているのだろうが、出来るだけ気を散らすことはしたくないと思っていた。
擦れ違う時、僅かに目を細めた表情だけを認め、車両に乗り込む。
やがてドアは閉まり、ゆっくりと電車が走りだした。

乗務員室へ通じる扉にもたれ掛かり、暗い車窓を眺める。
程なく、視界の中に簡素な夜景が流れ始め、鉄橋を渡る重い振動が空間に響く。
軽く、斜め後ろを窺う。
少なくとも俺の視線上に、車掌の姿は無かった。
不思議に思い身体を翻すと、俺のすぐ後ろに、背中を合わせるよう彼は立っていた。
体温も、鼓動も、息遣いも、何も伝わってこない。
それでも、彼の気配を背負うべく、同じ場所に身を預ける。
今の時間の乗務ということは、夜勤のシフトなのだろう。
ということは、明日の朝は、久しぶりに直接言葉を交わすことが出来る。
ぼんやりと夜空に浮かぶ扁平な月を見ながら、自然と口元が緩んだ。

□ 83_浮橋 □
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浮橋(4/4)

あいにくの雨模様の朝。
混雑気味の電車に乗り込んできた友は、小さな袋を手渡してくる。
「ウチの会社のやつだから・・・気に入って貰えるか分からないけど」
「・・・何?」
「車両をかたどったストラップなんだ。良かったら、息子さんにって」
職務から離れた鉄道好きの素直な笑顔が、一瞬の混乱を呼び起こす。
「スペーシアみたいなのが好みだと、通勤型は興味無いかもなぁ」
愉しげに話す彼に、プレゼントを手にしたまま言葉が出なかった。

彼が独身であることは、話の端々に容易に窺えた。
俺は、別に隠すつもりも黙っているつもりもなかったけれど、何も話してはいなかった。
邂逅の時の状況から、彼は彼で、一つの結論に達していたのかも知れない。
「・・・ごめん、あの子、俺の子供じゃないんだ」
やっと絞り出した台詞に、彼はバツが悪そうに苦笑いを浮かべる。
「あっ・・・そうなんだ。てっきり・・・」
理想の家族の肖像が一瞬脳裏に浮かび、消えていく。
当然、そこに俺はいなかった。
「・・・そうだったら、良かったんだけど」
つい口を衝いた独りよがりの悔しさが、蒸し暑い車内の二人の間に、沈黙を広げる。
「でも、渡しておくよ。きっと、喜んでくれる」
偽善を口をする自分が、本当に、惨めだった。


「何だ関谷、お前、そういう趣味?」
その日の昼休み。
パソコンのディスプレイの脇にぶら下げておいたストラップに、向かいに座る先輩が食いついてきた。
「ああ、いや・・・友達がくれたんで」
「へぇ、15000系か。悪くないな」
「電車、好きなんですか?」
いつも眉間に皺を寄せ、しかめっ面でディスプレイにかじりつく姿ばかり見ているからか
ごつい指で小さな車両を摘んで愉しげに弄る彼に、違和感すら覚える。
「好きっつーか・・・まぁ、好きかな。昔は運転士に憧れたクチ」
「僕も、子供の頃は・・・」
「オレは、今でも時々思うよ。いっそ転職してやるか、とかね」

10歳ほど年上の彼は、社内でも中堅どころ。
プロジェクトマネージャーとして複数の物件を掛け持ち、実力と信頼を兼ね備えた人だ。
その口から転職という言葉が出てきたことに、動揺に近い驚きを覚える。
「10年も15年も同じ仕事してれば、隣の芝はますます青くなってくもんだ」
「そんな、もんですかね」
「たまにさ、社会人募集やってるんだよな。オレはそろそろ年齢制限に引っかかるけど」
名残惜しそうに青いラインが入った模型を手放し、彼は複雑な溜め息をついて笑った。
「まあ、まだ夢を諦める歳にはなってないってことかな」


旧友との待ち合わせは、彼の住む街の駅だった。
少し早めに着き、改装された駅舎の中を眺めていると、一枚のポスターが目に入る。
募集は、現業職のみ。
年齢には、まだ余裕がある。
締め切りまでの猶予は、約1ヶ月。


「あ、あれ、この間のストラップの」
「そう、15000系。性能的には良い車両だけど、オレはやっぱ05系が好きかな」
「毎日乗ってるんだろ?普通、飽きないか?」
「飽きないねぇ。鬼のようなラッシュも、あれに乗ってれば耐えられる感じ」
久方ぶりに訪れた幼少時代を過ごした街。
土手に腰を下ろし、彼を隣に置いて鉄橋を眺める。
まるで、タイムスリップでもしたかのような、感覚だった。

橋が架かる川には、河口が近いこともあり何艘かの釣り船が係留されている。
水面がざわつく度に、その船尾がゆらゆらと揺れていた。
曇天の空に、川向うで草野球に勤しむ人々の声が吸い込まれていく。
確かに、あまり変わっていない風景。
けれど、河川敷の向こうには壁のようにマンションが林立していて
カラフルなモザイク模様に、思い出がちょっとだけ削られるような気がする。

「・・・運転士って、どうなのかな」
穏やかな横顔を一目見て、また視線を外して、独り言のように呟いた。
「ん?」
「たっちゃんは、運転士にはならないの?」
「う~ん・・・オレは車掌が天職だと思ってるからなぁ」
大きく両手を頭上に伸ばし、下ろすと同時に深く息を吐いた彼は、僅かに目を細める。
「でも・・・まだ、探してる」
「何を?」
向けられた切なげな視線が、様々なわだかまりを吹き飛ばしていくように思えた。
「オレにとっての、最高の、運転士」


雲が切れ始めた空に浮かぶ鉄橋の上を、騒々しい音と共に電車が走っていく。
顔を上げた幼馴染は、車両を見送ってから俺を見た。
「昼飯でも食いに行こうか」
「ああ、良いよ」
立ち上がる彼の姿が、あの日の面影に重なる。
「・・・たっちゃん」
「何?」
「俺のこと、まだ、好き?」
「え・・・そりゃあ・・・もちろん」
軽い口調とは裏腹な、あからさまに狼狽を映す目が、彼の心情を教えてくれた。
「じゃ・・・目、閉じて」
「な、に・・・」

手を伸ばした先にあった憂色の表情は、すぐに見えなくなり
ほんの数秒の後、その顔は吃驚に変わっていた。
「いつまで、待てる?」
予期せぬ事態に、彼は薄く開いた唇を震わせて言葉を失う。
「いつか必ず、一緒に、05系に乗ろう」
何かが変わっていく自分の、背中をあと一押ししてくれるきっかけが欲しかった。
「・・・いいよ。いつまででも、待ってる」

陽の光を受けて彩度を奪われたスカイブルーのラインが、真っ直ぐに伸びていく。
夢を語ることは、戯言なんかじゃない。
手に届くところにあるのに、努力もせずに目を逸らしていたのは自分の方だ。
何かを成し遂げることで、青い芝を手に入れたい。
仄かな熱と柔らかな感触を頭の中に滲ませながら、そう決心していた。

□ 83_浮橋 □
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Information

まべちがわ

Author:まべちがわ
妄想力を高める為、日々精進。
閲覧して頂いた全ての皆様に、感謝を。

2011-3-12
東日本大震災の被害に遭われた方に
心よりお見舞いを申し上げます。
故郷の復興の為に、僅かばかりにでも
尽力出来ればと思っております。

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