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光陰(3/4)

この会社の良くないところは、辞令の発表があまりにも急すぎるところだ。
半期末が迫った9月の下旬。
入社以来所属していた工事部から、営業部への配置転換の辞令が下りた。
しかも、主任から係長への昇進付。
普通なら喜ぶべきところなのかも知れないが、工期が迫った現場を複数抱えた状況の中
引き継ぎや工事費の清算、挨拶回りなど多忙を極める毎日。
降って湧いた朗報を満喫する余裕は無かった。

転属前日の9月末。
課の面子で、ささやかな送別会を開いてくれた。
無礼講とばかりに盛り上がる場の中で、隣に座る須崎も、例外では無かった。
「係長っすか、辺見さん。凄いなぁ」
赤ら顔で発せられるテンションの高い声。
明らかに許容量を超えている。
「新しい名刺とか、もう、あるんすか?」
「あ、ああ・・・今日の昼くらいに貰ったよ」
好奇心に満ちた顔に負けて、鞄から真新しい名刺の箱を取り出す。
営業部 営業二課 係長。
改めて見る自分の新しい名刺に、期待と不安が入り混じる。
一枚抜き取った紙を後輩に手渡すと、彼はそれをしばらく見つめ、小さな溜め息をついた。
「お前だって、俺くらいの歳になれば係長になるよ」
「そーかもしんないですけど」
少しふてくされたような彼は、傍に置いてあるビール瓶から手酌でコップに注ぎ、それを一気に呷る。
「ちょっと飲み過ぎじゃないのか?」
「いーじゃないですか。このところ、バカみたいに忙しかったんだし」


こんなんじゃ、タクシーで連れて帰ってやるしかないか。
そう思いながらグラスに手を伸ばした時、彼の左腕が視界に入った。
捲ったワイシャツの袖の先に、時計は無かった。
「今日、時計は?」
俺の言葉に、彼は腕に視線を落とす。
「ん?ああ、今日はね、とことん飲むつもりで来たし、失くしたら困るんで」
眠たげな目をしばらく俺に向け、何かを思い出したように鞄の中を探り出す後輩。
「どうした?」
「いや、ちょっと・・・」
意図の見えない行動を不思議に思いつつ、煙草に火を点ける。

部署が変われば、こうやって彼を隣にすることも無くなるのだろう。
会社と言う組織に所属する以上、いつまでも同じ状況が続く訳でも無いことは覚悟していたけれど
誰にも言えない寂しさは、払拭できそうも無かった。
離れてしまえば、この気持ちは薄れて行くだろうか。
遠過ぎる距離に失望することも、無くなるだろうか。
虚像を語って自己嫌悪に陥る機会が訪れなくなることだけが、救いなのかも知れない。

俺の背後で何かが動く気配がある。
振り向くと、須崎が俺と壁の間で、何かをしようとしていた。
「何、やってんだよ?」
「ちょっと、失礼しますね」
おどけたように言う彼は、スラックスのポケットに入っていたキーチェーンを引き出す。
「おい・・・」
デカい図体に阻まれ、彼が何をしているのかは見えない。
チェーンの先に付いたリングに嵌る何本かの鍵が、チャラチャラと音を立てた。
「須崎」
「オレからの、昇進祝いです」
鍵束を再びポケットに収めながら、彼は笑った。
「は?」
気になってチェーンを引き出そうとする俺の手を、彼の手が制する。
「見るのは、後で」
「何で?」
一瞬言葉に悩んだような彼の顔から、笑みが消えた。
「辺見さんがどんな顔するのか、怖くて見たくないから」


後輩からの祝いの品を服の中に収めたまま、宴の時間は終わりを迎える。
案の定、潰れかけた須崎を引き摺るように、タクシーに乗り込んだ。
彼の家を経由するように目的地を告げると、車は走りだす。
上がり切った高揚感を、一息ついて鎮めた。

「時間が止まったら良いって、思ったこと、ありますか?」
シートに身を任せ、逆方向の窓に顔を向けたまま、須崎は呟いた。
「え?」
「オレは、今まで、時間が何でも解決してくれると、思ってました」
「まぁ・・・大抵のことは、そんなもんじゃないか?」
「時間の進みを確かめることで、何となく安心してたんですよね」
街の灯りを受けた彼の顔が、こちらに向き直る。
「ああ、オレは、ちゃんと前に進んでるって」
さっきまでの雰囲気が嘘のような、切なげな表情。
感傷的な想いが、一気にやって来たのだろうか。
「でも、今日は、立ち止まってたかった。だから、時計はして来ませんでした」


おぼつかない足で自宅のアパートへ入って行く後輩を、タクシーの中から見送る。
いつでも前を向いていたような彼の、後ろ向きな言葉が胸に残った。
先に進まないと言うことは、将来にあるかも知れない幸せに、淡い期待すら抱くことも出来なくなる。
心を侵食している様々な不安も、溜まったままになってしまう。
俺なら、こんなところで、時間が止まって欲しくは無い。

シートに座り直した時、やや重みを増したポケットの中身のことを思い出す。
チェーンを引き出し、その先に付いた鍵と、新たに付けられた物体を掌に載せた。
500円玉より少し大きなくらいのそれは、青い文字盤の懐中時計。
彼のお気に入りの時計と同じように、文字盤には文字は無く、二本の針がゆっくりと動いていた。
流れて行く街の灯りを受けて、文字盤が淡く輝く。
これが彼の言う、いずくない時計、なんだろう。
思わぬプレゼントに、嬉しさと、寂しさが込み上げた。
この時計と引き換えに、あの表情が、日常から消えて行くのだから。


見慣れた風景が車の外に広がってくる頃、スーツの胸ポケットに入れていた携帯にメールが届いた。
「今日はお疲れ様でした。たまには、覗いてみて下さい」
そんな文面の下に並んだURL。
アクセスすると、彼のブログに繋がった。
前に見た時と少し雰囲気が変わったのか、若干の違和感が小さな画面から伝わる。
最新の記事に張られていた画像は、今まさに、俺の手の中にある時計。

□ 55_光陰 □
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テーマ : 自作BL小説
ジャンル : 小説・文学

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心の上澄み。

幾つかコメントを頂いておりましたが、まとめてのご返信、ご了承ください。

今日、上野の桜を見に行ってきました。
上京してから、欠かさず訪れていますが
見事な桜の下の喧騒も人ごみも含めて、春の訪れを変わらず感じさせてくれます。

誰でも、自分の醜い部分を曝け出すのは抵抗があるものです。
ここに並べている文章は、時折私の考えや想いを織り込むことがありますが
基本的に体裁を整えたものになっていて
実際は、妬みや憎しみが心の奥で渦巻くこともある、ごく普通の人間です。
困難から逃げられないのも、自分が悪者になりたくないから仕方なく、と言う
ネガティブな感情からだと思っています。

コメントについては、少し言葉遊びが過ぎた面もありました。
何度も読み返すことが出来る本文とは違い、その時々の気分で書いていますので
こちらの方が本音と言えば、本音なのかも知れません。

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Information

まべちがわ

Author:まべちがわ
妄想力を高める為、日々精進。
閲覧して頂いた全ての皆様に、感謝を。

2011-3-12
東日本大震災の被害に遭われた方に
心よりお見舞いを申し上げます。
故郷の復興の為に、僅かばかりにでも
尽力出来ればと思っております。

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