光陰(2/4)
後輩についた、一つの嘘。
彼が異動して来て、昼飯を一緒に食いに行くようになったくらいのことだろうか。
彼女がなかなか出来ないとぼやく彼から尋ねられた問に、つい発してしまった答。
「辺見さんは、彼女いないんですか?」
「・・・ああ、地元に、いるよ」
「地元って、北海道ですよね?」
「ん、そう」
「頻繁に会えないんじゃ?」
「まあ、そうだな」
興味深げに質問を繰り返す後輩に、後ろめたさが募った。
性指向を隠す為、自分の恋愛対象は女なんだと軽くアピールする為の言葉が、徐々に心に圧し掛かる。
有りもしない話を作って、他人の関心を満足させる。
どうして、ここまでしなきゃならないんだろうと言う虚しい疲労感が、更に卑屈な自分を作るようだった。
「やっぱオレ、好きなものは傍に置いておきたいんだろうな」
流れる車窓を眺めながら、彼は言った。
「時計と女を一緒にするなよ」
「物と人の違いはありますけど、好きなものってカテゴリでは一緒じゃないですか」
「それは、そうだけど」
こんなにすぐ傍に立っているのに、永遠に辿り着けない距離。
北の大地にいるはずの仮想の彼女の方が、よっぽど現実的にも感じられる。
「他人の気持ち、信じきれないのかも」
ぽつりと呟いた言葉に、思わず視線を上げて彼の顔を見る。
何処と無く寂しげな表情をした後輩は、俺に向かって目を細めた。
「見えないから・・・でも、傍にいれば、何か感じられるんじゃないかって」
「全部見えたら、ますます信じられなくなるんじゃないのか?良いとこばっかな訳じゃ、無いんだから」
「辺見さんは、本心を見せない人間を信じられます?」
それは、俺のことか。
目の前の男にだけは知られたくない本心をひた隠しにしていることが、少し声を強張らせた。
「その時言っていることが本心か、そうじゃないかなんて、誰にも分からないだろ?」
「まぁ、そうですね」
「俺は、お前の本心が何処にあるかは分からないけど、信用してるぞ?」
伏し目がちな眼が、俺から車窓に移る。
「どんなに傍にいたって見えやしないんだから、お前が本心だと思うことが、本心なんだよ」
「・・・それくらいの気の持ちようじゃないと、遠距離恋愛なんて続きませんよね」
手繰り寄せて欲しくない部分に、彼は手をかけようとしている。
この会話は、長く続けるべきじゃない。
絶妙なタイミングで、電車は目的の駅に滑り込む。
安堵の溜め息を軽くつきながら、後輩をドアの方へ促した。
平べったく、角ばった文字盤には、歪んだ数字が描かれている。
珍しい時計は散々見せられて来たはずだが、その時計はまた一風変わっていた。
さほど興味の無い俺の眼に留まる様な物を、後輩が見逃すはずは無かった。
打ち合わせが終わり、場の雰囲気が緩んだのを見計らったように、須崎は口を開く。
「その時計、フランスのブランドのものですよね?」
俺より少し年上、40前くらいであろう小出係長は、自身の右手首に視線を落とす。
「ああ、そうなんですよ。ちょっと前にたまたま見つけて」
時計に金をかけるのは、若い独り者の道楽。
そんな風に考えていた俺の認識は、どうやら間違っていたらしい。
左手の薬指には結婚指輪。
独身時代ほどは買えなくなったけれど、今でも時折物色しているんだと楽しそうに話す彼を見て、思う。
「私も、それのちょっと前のモデル、欲しいなって思ってたんです」
「一年とか半年とかで生産中止しちゃいますもんね」
「見つけた時には、既に売り切れてました」
エレベーターホールで話に花を咲かせる二人を見ながら、悶々としてくる。
それがまた、情けなくて、悔しい。
「時計、お好きなんですね」
「ええ、周りから呆れられるくらい」
趣味を同じくする同士を見つけた喜びで綻んだ顔が、こちらを向く。
「本当に。毎日、違う時計着けて来てますから」
気分を取り繕うように、無理やり穏やかな表情を作る。
「結婚するまでに、存分に楽しんでおいた方が良いですよ?なかなか理解して貰えませんから」
人生の先輩のアドバイスに、後輩は幾分的外れと思うような答えを返した。
「でも、これだけは分かって貰えるって、信じたいんで」
いつものように昼食後の喫煙タイム。
喫煙所で携帯を弄っていた後輩が、ふと驚いたような声を上げる。
「あ、小出さんだ」
「え?」
思わず周囲を見回す。
「いや、違います。ブログにコメントが」
「ブログ?」
もしかしたら聞いたことはあったかも知れないが、記憶の中からはすっかり消え去っていた。
須崎が書いているという時計に関するブログ。
自分が持っている時計や、興味を持っている時計に関して綴られた文章が、小さな画面の中に並ぶ。
何日か前に彼が書いた時計のレビューに、小出係長がコメントを寄せたらしい。
「律儀な人だなぁ」
嬉しそうに話す後輩をよそに、ある一点がどうしても気になった。
「お前、時計失くしたことなんか、無いんだろ?」
「無いですよ、オレは」
「これ、お前のブログだろ?」
「そうですよ?」
ブログのタイトルは『時計を失くした男』。
なら、これは誰のことを言ってるんだ?
その疑問に、彼は笑って答える。
「別に、誰って訳じゃ無くて。これ見て、気に入るような時計を見つけてくれる人がいれば良いな、と」
□ 55_光陰 □
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彼が異動して来て、昼飯を一緒に食いに行くようになったくらいのことだろうか。
彼女がなかなか出来ないとぼやく彼から尋ねられた問に、つい発してしまった答。
「辺見さんは、彼女いないんですか?」
「・・・ああ、地元に、いるよ」
「地元って、北海道ですよね?」
「ん、そう」
「頻繁に会えないんじゃ?」
「まあ、そうだな」
興味深げに質問を繰り返す後輩に、後ろめたさが募った。
性指向を隠す為、自分の恋愛対象は女なんだと軽くアピールする為の言葉が、徐々に心に圧し掛かる。
有りもしない話を作って、他人の関心を満足させる。
どうして、ここまでしなきゃならないんだろうと言う虚しい疲労感が、更に卑屈な自分を作るようだった。
「やっぱオレ、好きなものは傍に置いておきたいんだろうな」
流れる車窓を眺めながら、彼は言った。
「時計と女を一緒にするなよ」
「物と人の違いはありますけど、好きなものってカテゴリでは一緒じゃないですか」
「それは、そうだけど」
こんなにすぐ傍に立っているのに、永遠に辿り着けない距離。
北の大地にいるはずの仮想の彼女の方が、よっぽど現実的にも感じられる。
「他人の気持ち、信じきれないのかも」
ぽつりと呟いた言葉に、思わず視線を上げて彼の顔を見る。
何処と無く寂しげな表情をした後輩は、俺に向かって目を細めた。
「見えないから・・・でも、傍にいれば、何か感じられるんじゃないかって」
「全部見えたら、ますます信じられなくなるんじゃないのか?良いとこばっかな訳じゃ、無いんだから」
「辺見さんは、本心を見せない人間を信じられます?」
それは、俺のことか。
目の前の男にだけは知られたくない本心をひた隠しにしていることが、少し声を強張らせた。
「その時言っていることが本心か、そうじゃないかなんて、誰にも分からないだろ?」
「まぁ、そうですね」
「俺は、お前の本心が何処にあるかは分からないけど、信用してるぞ?」
伏し目がちな眼が、俺から車窓に移る。
「どんなに傍にいたって見えやしないんだから、お前が本心だと思うことが、本心なんだよ」
「・・・それくらいの気の持ちようじゃないと、遠距離恋愛なんて続きませんよね」
手繰り寄せて欲しくない部分に、彼は手をかけようとしている。
この会話は、長く続けるべきじゃない。
絶妙なタイミングで、電車は目的の駅に滑り込む。
安堵の溜め息を軽くつきながら、後輩をドアの方へ促した。
平べったく、角ばった文字盤には、歪んだ数字が描かれている。
珍しい時計は散々見せられて来たはずだが、その時計はまた一風変わっていた。
さほど興味の無い俺の眼に留まる様な物を、後輩が見逃すはずは無かった。
打ち合わせが終わり、場の雰囲気が緩んだのを見計らったように、須崎は口を開く。
「その時計、フランスのブランドのものですよね?」
俺より少し年上、40前くらいであろう小出係長は、自身の右手首に視線を落とす。
「ああ、そうなんですよ。ちょっと前にたまたま見つけて」
時計に金をかけるのは、若い独り者の道楽。
そんな風に考えていた俺の認識は、どうやら間違っていたらしい。
左手の薬指には結婚指輪。
独身時代ほどは買えなくなったけれど、今でも時折物色しているんだと楽しそうに話す彼を見て、思う。
「私も、それのちょっと前のモデル、欲しいなって思ってたんです」
「一年とか半年とかで生産中止しちゃいますもんね」
「見つけた時には、既に売り切れてました」
エレベーターホールで話に花を咲かせる二人を見ながら、悶々としてくる。
それがまた、情けなくて、悔しい。
「時計、お好きなんですね」
「ええ、周りから呆れられるくらい」
趣味を同じくする同士を見つけた喜びで綻んだ顔が、こちらを向く。
「本当に。毎日、違う時計着けて来てますから」
気分を取り繕うように、無理やり穏やかな表情を作る。
「結婚するまでに、存分に楽しんでおいた方が良いですよ?なかなか理解して貰えませんから」
人生の先輩のアドバイスに、後輩は幾分的外れと思うような答えを返した。
「でも、これだけは分かって貰えるって、信じたいんで」
いつものように昼食後の喫煙タイム。
喫煙所で携帯を弄っていた後輩が、ふと驚いたような声を上げる。
「あ、小出さんだ」
「え?」
思わず周囲を見回す。
「いや、違います。ブログにコメントが」
「ブログ?」
もしかしたら聞いたことはあったかも知れないが、記憶の中からはすっかり消え去っていた。
須崎が書いているという時計に関するブログ。
自分が持っている時計や、興味を持っている時計に関して綴られた文章が、小さな画面の中に並ぶ。
何日か前に彼が書いた時計のレビューに、小出係長がコメントを寄せたらしい。
「律儀な人だなぁ」
嬉しそうに話す後輩をよそに、ある一点がどうしても気になった。
「お前、時計失くしたことなんか、無いんだろ?」
「無いですよ、オレは」
「これ、お前のブログだろ?」
「そうですよ?」
ブログのタイトルは『時計を失くした男』。
なら、これは誰のことを言ってるんだ?
その疑問に、彼は笑って答える。
「別に、誰って訳じゃ無くて。これ見て、気に入るような時計を見つけてくれる人がいれば良いな、と」
□ 55_光陰 □
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