成就★(10/13)
声を上げて泣いたのは、きっと子供の時以来だ。
そこにあったのは悔恨の念。
自分の気持ちの全てを否定して、消し去ってしまいたかった。
人を裏切ることの愚かさを、痛感した。
病欠と言う体裁ではあったが、次の日に出社する時には何となくバツが悪く
俺はわざとマスクをしてオフィスに入った。
実際、自分が思っているほど、他人は自分のことを気にしてはいない。
風邪か?と同僚に聞かれるくらいで、職場はいつもと何も変わらなかった。
メールをチェックしていると、仁科さんが出勤してくる。
「おはようございます。昨日は・・・すみませんでした」
「もう、平気か?」
「はい、大丈夫です」
何も無かったようなやり取りを交わす。
その視線が、俺のパソコンの画面に移った。
彼はキーボードに手を伸ばすと、一通の未読メールを選択し、Deleteキーを押す。
「迷惑メールは、さっさと消しとけ」
消されたのは、山崎課長からのメールだった。
仕事の内容に関する物だったら、と思いつつ、俺はそのままメーラーを閉じた。
朝の工程打合せが終わると、高木課長が声をかけてくる。
「仁科、都築、ちょっと」
仁科さんと顔を見合わせ、促されるまま打合せ室に入った。
机には、今手がけている物件のファイルが積まれている。
椅子に腰掛けるとすぐに、高木課長は言った。
「この物件、オレの専任物件にするから」
「どう言うことですか?」
珍しく、仁科さんの驚いた声を聞く。
あまりに突然のことで、俺は声すら出なかった。
専任物件と言うのは、うちの会社で使われている言葉で
何らかの問題が生じた物件のことを指す。
例えば、施主と元請けがもめていると言ったものから、金が絡んだ問題に発展しているものまで
課長以上の役職を持つ者が、一括で責任を持って事態を収拾する。
要するに、その間、物件は完全にストップすると言うことだった。
「コンプライアンスからの、指示だ」
高木課長は、ファイルを無造作に眺めた後、俺たちに視線を移す。
10年程前、うちの会社はゼネコンとの贈収賄で逮捕者を出した。
業務停止命令を喰らい、その年はもちろん減収減益。
取引会社との関係修復にも、長い月日を費やした。
それから、役員付のコンプライアンス統括と言う部署が設立され
社内・社外を問わず、金の絡んだ問題を燻らせている輩を監視するようになった。
設計はおろか、工事が進んでいる物件でさえ
問題を持った者が担当するものは全て契約破棄をさせる、最強の部署だ。
もちろん、訴訟問題も厭わない。
「山崎が、どうやら他のサブコンから金を受け取っているらしい」
「では、今回の物件は中止ですか」
「そうなるな」
課長は、一息ついてから、彼の顔を見て訪ねる。
「・・・奴には他にも色々噂があってな。お前、何か知ってるだろ?」
仁科さんの顔色が変わった。
「オレはね、自分の部下が侮辱されたら、黙ってられないんだよ」
「私は、何を・・・」
「徹底的に追い詰めてやりたい。手を貸せ」
彼の隣に座った俺は、緊張の極みにいた。
あんなこと、公にすることじゃない、して欲しくない。
もしかしたら俺のことまで、そんな不安が大きくなる。
仁科さんは、スーツの上着から何かを取り出す。
「これを」
それは、ペン型のICレコーダーだった。
「秘密は厳守するように言っておく」
「・・・お願いします」
「山崎からの電話は、全てオレに回すように言っておけ」
「分かりました」
そう言って、高木課長は部屋から出て行った。
「お前のことは、黙っておくから心配するな」
椅子にもたれたまま、仁科さんは言った。
「仮にコンプラから何か聞かれても、知らない、で通せ」
「でも、仁科さんは」
「オレのことは気にしなくて良い」
一瞬でも保身を考えた自分が、心底嫌になる。
仁科さんは立ち上がり、俺を見下ろす。
「後悔してるんだよ」
「え?」
「部下を守れなかったことを、心底後悔してる」
彼は俺の頭に手を置き、ゆっくりと撫でる。
「その憂さを晴らす為だ」
違う。
彼は何一つ業を背負うことはしていない。
□ 16_成就★ □
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そこにあったのは悔恨の念。
自分の気持ちの全てを否定して、消し去ってしまいたかった。
人を裏切ることの愚かさを、痛感した。
病欠と言う体裁ではあったが、次の日に出社する時には何となくバツが悪く
俺はわざとマスクをしてオフィスに入った。
実際、自分が思っているほど、他人は自分のことを気にしてはいない。
風邪か?と同僚に聞かれるくらいで、職場はいつもと何も変わらなかった。
メールをチェックしていると、仁科さんが出勤してくる。
「おはようございます。昨日は・・・すみませんでした」
「もう、平気か?」
「はい、大丈夫です」
何も無かったようなやり取りを交わす。
その視線が、俺のパソコンの画面に移った。
彼はキーボードに手を伸ばすと、一通の未読メールを選択し、Deleteキーを押す。
「迷惑メールは、さっさと消しとけ」
消されたのは、山崎課長からのメールだった。
仕事の内容に関する物だったら、と思いつつ、俺はそのままメーラーを閉じた。
朝の工程打合せが終わると、高木課長が声をかけてくる。
「仁科、都築、ちょっと」
仁科さんと顔を見合わせ、促されるまま打合せ室に入った。
机には、今手がけている物件のファイルが積まれている。
椅子に腰掛けるとすぐに、高木課長は言った。
「この物件、オレの専任物件にするから」
「どう言うことですか?」
珍しく、仁科さんの驚いた声を聞く。
あまりに突然のことで、俺は声すら出なかった。
専任物件と言うのは、うちの会社で使われている言葉で
何らかの問題が生じた物件のことを指す。
例えば、施主と元請けがもめていると言ったものから、金が絡んだ問題に発展しているものまで
課長以上の役職を持つ者が、一括で責任を持って事態を収拾する。
要するに、その間、物件は完全にストップすると言うことだった。
「コンプライアンスからの、指示だ」
高木課長は、ファイルを無造作に眺めた後、俺たちに視線を移す。
10年程前、うちの会社はゼネコンとの贈収賄で逮捕者を出した。
業務停止命令を喰らい、その年はもちろん減収減益。
取引会社との関係修復にも、長い月日を費やした。
それから、役員付のコンプライアンス統括と言う部署が設立され
社内・社外を問わず、金の絡んだ問題を燻らせている輩を監視するようになった。
設計はおろか、工事が進んでいる物件でさえ
問題を持った者が担当するものは全て契約破棄をさせる、最強の部署だ。
もちろん、訴訟問題も厭わない。
「山崎が、どうやら他のサブコンから金を受け取っているらしい」
「では、今回の物件は中止ですか」
「そうなるな」
課長は、一息ついてから、彼の顔を見て訪ねる。
「・・・奴には他にも色々噂があってな。お前、何か知ってるだろ?」
仁科さんの顔色が変わった。
「オレはね、自分の部下が侮辱されたら、黙ってられないんだよ」
「私は、何を・・・」
「徹底的に追い詰めてやりたい。手を貸せ」
彼の隣に座った俺は、緊張の極みにいた。
あんなこと、公にすることじゃない、して欲しくない。
もしかしたら俺のことまで、そんな不安が大きくなる。
仁科さんは、スーツの上着から何かを取り出す。
「これを」
それは、ペン型のICレコーダーだった。
「秘密は厳守するように言っておく」
「・・・お願いします」
「山崎からの電話は、全てオレに回すように言っておけ」
「分かりました」
そう言って、高木課長は部屋から出て行った。
「お前のことは、黙っておくから心配するな」
椅子にもたれたまま、仁科さんは言った。
「仮にコンプラから何か聞かれても、知らない、で通せ」
「でも、仁科さんは」
「オレのことは気にしなくて良い」
一瞬でも保身を考えた自分が、心底嫌になる。
仁科さんは立ち上がり、俺を見下ろす。
「後悔してるんだよ」
「え?」
「部下を守れなかったことを、心底後悔してる」
彼は俺の頭に手を置き、ゆっくりと撫でる。
「その憂さを晴らす為だ」
違う。
彼は何一つ業を背負うことはしていない。
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