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托生(3/6)

CADチームのリーダーである後藤女史は、元々インフラ設計の部署にいた俺の先輩で
新人の頃は何かと相談に乗って貰うことも多かった。
大学では土木工学を専攻し、上下水道計画の基礎を学んだ彼女には
会社としても期待するところが大きかったはずだ。
技術者として順調にスキルを重ねていた女に転機が訪れたのは、今から10年前。
左手の薬指には婚約指輪替わりに貰ったというシンプルな指輪が光り
まさに、幸せの絶頂という時期だった。

先輩から頼まれた作業が終わったのは、夜の8時過ぎ。
定時を過ぎてすぐ、上司と共に会議室へ入っていった彼女は、未だに戻ってこない。
慢性的な人手不足の折、仕事は幾らでもやってきて手持ち無沙汰になることは無かったが
不自然な離席の長さが、僅かばかり、心にざわめきをもたらしてくる。

一服して、気分を落ち着かせよう。
そう思って立ち上がった瞬間、フロアの奥の扉が開く。
中から出てきた男女は、俺が予想していたものとは少し違い
何処か晴々とした表情を浮かべる後藤さんとは対照的に、上司の顔には困惑が見て取れた。
遠くから視線を送る後輩に気が付いたのか、女は歩きを速めて近づいてくる。
「ごめん、もう終わったよね?」
「え、ええ・・・」
「後、見ておくから。今日は上がって良いよ」
さっきまでと何も変わらない様子が、却って不安を募らせたものの
結局その夜は、真相が分からないまま過ぎていってしまった。


突然の辞令が下りたのは、それから一週間も経たない週明けのことだった。
インフラ設計からCADチームへの異動。
多くの物件を任され、部署の重要な歯車だったはずの人材が何故。
俺を初め、事情を知らない社員は皆一様に疑問を抱いたはずだった。
家庭の事情、上司からの説明はその一言だけで、本人も笑ってそれを繰り返す。
結婚が近いという話は知っていたものの、それなら他に言い方があるだろう。
ともあれ、彼女が抜ける穴はそれなりに大きく
ぎこちない雰囲気の中、本筋の業務と並行して、火急の引き継ぎ作業に取り掛かることになった。

元々口数の少ない女では無い。
ふとした時に場を和ませる会話を持ってくるような存在だった。
けれど異動が決まってからというもの、その口からは謝罪の言葉が多く出てくるようになった。
「本当にゴメンね。こんな途中で」
大机に広げられた図面は、未完成の管路設計図。
まだ経験の浅い俺にはとてつもなく複雑に見えるその経路を、彼女は懇切丁寧に説明してくれる。
しかし、難易度の高い物件が積み重ねられていくことに、正直、焦りもあった。
「・・・せめて、持ってるのが片付くまで、異動を待って貰えないんですか?」
気遣いを装った愚痴が、つい口を衝く。
一瞬止まった空気が、静かな溜め息で動き出す。
「急な話で迷惑かけて、本当に・・・」
「別に、やるのが嫌とか、そういうんじゃないです・・・けど、何でって」
伏し目がちに窺ったその表情は、やや切なげなものに変わっていた。
「そうだよね。皆そう思ってるのは、分かってる。私だって・・・本意じゃない」


父親を早くに亡くし、看護師の母と、大学生の妹と3人暮らし。
彼女曰く、"ごく普通" の家族だった。
異変に気が付いたのは、半年ほど前。
活発な性格だった妹が徐々に学校へ行かなくなり、無気力な様子が目立ってきた。
理由も分からないまま夏休みを迎え、9月を過ぎる頃には昼夜逆転の生活になり
今ではすっかり部屋に引きこもるようになってしまったのだという。
夜中に奇声を上げては何かに脅え、激昂する。
流石に何かがおかしいと、無理矢理病院に連れていったのが2ヶ月前のこと。
そこで受けた診断は、統合失調症だった。

投薬と通院で様子を見ていたが、症状には波があるようで
家族に暴力を振るうことも、少なからずあるのだという。
回復のきっかけを見逃さない為には、どうすれば良いのか。
「本当はもう少し先にする予定だったんだけど、ちょっと、状態が良くなくてね」
時短勤務が可能な部署に異動したいと告げた彼女に、上司たちは揃って慰留を続けたらしい。
現職での時短も勧められたと言うが、先輩はそれを固辞した。
「やりがいを感じてるからこそ、全力で取り組めないのは悔しいでしょ?」
久しぶりに見せた勝気な笑顔には、遣り切れなさが滲んでいた。


そこかしこに走り書きのメモが並ぶ図面を眺めながら、一つ息を吐く。
「まあ、細かいところは逐一聞いてくれれば良いから」
「分かりました」
資料を片付ける女の手に、ふと目が向いた。
いつの間にか生じていた変化に、思わず言葉を失う。

女の勘の良さは、こんな時にも如何なく発揮される。
後藤さんは俺の顔を一瞥してから、視線を下に落として、自身の左手を数秒見つめた。
「彼とは、別れたの。今のままじゃ、結婚は無理だから」

どんな時も支え合いながら、二人で生きていく。
夢ごこちな理想から遠く離れた人生を歩む俺にとって、彼女の選択は俄かに認めがたいものだった。
愛する者が苦難の途にいる時、手を差し伸べない人間が何処にいるだろう。
当然、別れを告げられた男も、同じように憤慨にも似た感情を抱いたに違いない。
「もちろん、一緒に頑張ろうって言ってくれた。でもね・・・」
不意に潤んだ瞳は、その覚悟が女の弱さ故のものだと教えてくれた。
「自分の人生に他人を巻き込むのが、怖かったのよ」

□ 05_感触 □   
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□ 99_托生 □
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まべちがわ

Author:まべちがわ
妄想力を高める為、日々精進。
閲覧して頂いた全ての皆様に、感謝を。

2011-3-12
東日本大震災の被害に遭われた方に
心よりお見舞いを申し上げます。
故郷の復興の為に、僅かばかりにでも
尽力出来ればと思っております。

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