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托生(2/6)

今から1年ほど前の、ある夜。
測量部隊の作図作業が間に合わないという理由で、大半の社員が徹夜残業の憂き目を見ていた。
夜も深夜の1時を過ぎ、一息入れる為にフロアの隅にある休憩室へ向かうと
椅子に浅く腰掛け、前屈みの姿勢で項垂れている五十嵐くんの姿があった。
俺が扉を開ける音で顔を上げた彼の様子は明らかに疲れ切っており
こちらを見やる虚ろな眼に、居た堪れなさを感じる。
「・・・あ、すみません」
「いや・・・大丈夫?」
「最近、寝不足で・・・何か、一気にきた感じです」
「もう少し休んだら?」
「いえ、あとちょっとなんで・・・」
儚い笑みを浮かべ、立ち上がろうとする彼の上半身が急にバランスを失う。
咄嗟に抱えた身体は、すぐに、重さを増した。
「五十嵐くん?」
呼び掛けに応える声が無い代わりに、程なく、静かな寝息が聞こえてくる。
肩口に納まった頭の重みが鼓動を僅かばかり急き立て、思わず、その背中に腕を回した。

少しずつ腕に力を籠めてみる。
やがて、彼の髪が頬を撫で、吐息がうなじに沁みていく。
他人とは何かが異なる自らの本能がくすぐられるほどに、躊躇いが頭を過る。
振り切るように視線を上げると、時計の針が刻一刻とタイムリミットに迫っていた。
独り善がりな衝動を溜め息に溶かしながら、一度だけ、その身体を抱き締めた。


フロアに安堵の雰囲気が漂い始めたのは、東の空が白み始める頃だった。
作業が一通り完了し、外にある喫煙所で一服して再び戻ると、空間には早くも静寂が訪れ始めている。
机に突っ伏す、椅子を並べて横になる、直に床に横たわる・・・皆が様々な方法で仮眠を取る中
明日、もとい今日の作図依頼資料をまとめ終わったところで、彼の様子を窺うことにした。

皆、気を遣っているのか、部屋の中には彼一人が眠りに就いている。
椅子に腰かけ、穏やかな寝顔を見やる内に、急激な睡魔に襲われた。
眼鏡を外し、一瞬目を閉じる。
意識が落ちていく心地良い快感が身体を駆けるタイミングで、声が聞こえてきた。
「・・・今、何時ですか?」

慌てて向き直すと、やや寝ぼけ眼の若い男と目が合った。
「ああ、気が付いたか。今・・・5時過ぎくらいかな」
そのまま時計を見やり、時間の感覚が正しいことを確認して、再び彼を視界に収める。
「そうですか・・・すみませんでした」
自らの状況を把握したのだろう、遣り切れない様に口をつぐみ、小さな溜め息を吐く。
「作業は、どうですか?」
「一通り終わったから、大丈夫。それよりも、具合はどう?」
「まだちょっと目眩がしますけど、平気です」
倒れた時に比べれば若干顔色は良くなったように見えるが、それでも言葉は大分弱弱しい。
「少ししたら始発出るから、それで帰ると良いよ」
「でも・・・今日納品ですよね?」
「CADチームにお任せ。後藤さんにも言ってあるし」
それなりに経験を積んできているとは言え
若さ故に、仕事に対する力加減の調節が上手くいかないところが往々にしてある。
「しばらく忙しかったからね。しっかり休養取って、また月曜日から頑張って貰わないと」
「・・・分かりました」

椅子から立ち上がった俺を、彼は眼で追いかけてくる。
縋るような目つきに、理性が揺さぶられた。
「もう少し、休んでなよ」
ゆっくりと手を差し伸べ、そっと額に添える。
「・・・時間が来たら、起こすから」
程よく柔らかな髪の毛を掻き揚げるように、数回撫でた。
目を細めた安堵の表情を間近にし、堪え切れなかった。
身を屈め、彼の額に口づける。
瞬間、驚きを示した面持ちは、けれど、抗いの様子は窺えない。
「じゃ、また後で」
それだけが、救いだった。


しかし、それからというもの、フロアの向こうの彼を見かける度
得も言われぬ後悔の念が膨らんでいくことに気付き始めていた。
あの日のことを言及されることも無く、関係は特に変わらず、挨拶や雑談を交わす程度。
それなのに、ほんの些細な感触は心を侵蝕し続け、奥底に隠してきた心情に火を点けようとしている。
叶うはずも無い想い。
遠巻きに見ているだけで満足だったはずなのに、どうして踏み止まれなかったのか。


「お先に」
「お疲れ様でした」
仕事が落ち着いてきたある日の夜。
残業に励む後輩たちの脇を通り抜け、廊下に出たところで、ある女と一緒になった。
「今日は早いのね」
「早いって言っても、定時はとっくに過ぎてますよ」
「まぁ、そうだけど」
「後藤さんも、今日は残業ですか?」
「引き継ぎあるからねー。入院中に仕事の電話とか、取りたくないじゃない」

成り行きでエレベーターホールまで一緒に歩を進める。
「あぁ・・・」
小さく声を上げた彼女の視線の先には、下へ降りていく表示灯が見えた。
溜め息を吐いてボタンを押す彼女の様子に、随分昔に聞いた言葉を思い出す。
「・・・あの、飯でも行きません?」
「珍しいね。清水くんから誘ってくるの」
「たまには良いかと思って。・・・家の方は、大丈夫ですか?」
「うん、2時間くらいなら」
その時は余りにも遠く聞こえた一言が、今の俺には息苦しくなる程に理解できる。
「今日は俺が奢りますよ」
「いいよ、清水くん飲まないし」
「じゃあ、7:3で」
「了解。なら、お店選びは私に任せてね」

□ 05_感触 □   
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□ 99_托生 □
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まべちがわ

Author:まべちがわ
妄想力を高める為、日々精進。
閲覧して頂いた全ての皆様に、感謝を。

2011-3-12
東日本大震災の被害に遭われた方に
心よりお見舞いを申し上げます。
故郷の復興の為に、僅かばかりにでも
尽力出来ればと思っております。

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