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矜持★(2/8)

「本当に、今回は・・・ありがとうございました」
週末の騒々しい居酒屋の中で、男はそう言って深々と頭を下げた。
「もう少し待遇を良くしてやりたかったんだけどね」
「いえ、十分です。助かります」
「それで、具合はどうなの?」
「・・・今は落ち着いていますが、メンタル的に弱くなってしまったようで」

目の前に座るのは、設計事務所時代に面倒を見ていた白井という男。
同じ部署の新入社員として顔を合わせてから、10年来の縁が続いている。
しかし、彼も他の社員同様、入社2年も経つ頃にはみるみる内に疲弊していく様子が窺えるようになった。
優秀であるが故に、任される仕事の量も突出していたのだろう。
出来るだけフォローするように努力はしていたが、周りも同じ状況で、理不尽さを表に出すことも出来ない。
「最近はもう、どうやってモチベーション保っていったら良いのか、分からなくて」
ある夜、帰り際にそう呟いた若い彼に対して
既に会社を離れることを決めていた俺は、何の言葉も返してやれなかった。

偶然の再会は、2年ほど前に手掛けた案件がきっかけだった。
テナントビルの大規模修繕の担当者として、工事会社のリニューアル部へ転職したという彼がやってきた。
あの頃と比べると大分落ち着いた印象に見え、安堵したのをよく覚えている。

「僕から担当を希望したんです」
打合せの後、彼は幾分気恥しそうに言葉を口にした。
「昔お世話になった恩を、今なら返せるかと思って」
結局、見捨てる形になったことを後悔していた俺にとって、それは得難い許しの言葉だった。

白井に人生の決断を迫る出来事が降りかかったのは、半年ほど前のこと。
故郷に住む母が交通事故に遭い、下半身麻痺の障害を負った。
父は既に他界し、兄弟もおらず、親戚も遠方に住んでいる。
幸い実家はあるものの、介護の手は彼しか無い。
様々な可能性を模索しては思い悩む姿に、今度こそ、手を差し伸べてやりたいと思っていた。

「後任は、決まりそう?」
「ええ、何とか調整できそうです。ついでに、新しい人材も募集を掛けてます」
彼の出した結論は、実家に帰る、というものだった。
最も非現実的な答えではあったが、男の真意がそこにあることを悟り
コンサルティング担当の委託社員として、俺の会社で雇用する話を取り付けた。
給与水準は下がるものの、各種福利厚生は他社員と変わらず、勤務体系も自由。
但し、朝のミーティングと週2回の進捗会議はテレビ会議での参加を義務付けている。
「僕は、大した人間じゃないですけど・・・運だけには、恵まれているみたいです」
逆境の中でも好機を喜べる部下を持てることを思えば、俺も十分、運に恵まれているのだろう。


白井と別れたのは夜の10時を過ぎた辺り。
直帰するか迷った挙句、打合せの資料だけを置いて帰ろうと会社に立ち寄り
地下からゲートを抜けいつものエレベーターに乗り込んだ。

ボタンを押し間違えたことに気が付いたのは、扉が開き、一歩踏み出した時だった。
通常のフロアとは違うだだっ広いホールには、正面と左右に大きなドアがある。
チラホラと付いた照明は、この高天井の空間には幾分照度が不足している感があり
ふと視線を動かすと、右側奥の扉が少し開き、そこから光が漏れてきていることに気が付いた。

ドアノブに手を掛けたのは、ちょっとした好奇心からだった。
手前に引こうとした瞬間、反対側から押される力を感じ、思わず後ずさる。
「・・・っあ」
言い訳が頭を過った俺の目の前に現れたのは、酷く怯えた様子の男だった。
皺だらけのワイシャツも、濡れた長めの髪も、怪訝に思わずにはいられなかったが
彼は震えた目を数秒こちらに向けただけで、自分の脇を通り抜け、非常階段へ駆けこんでいった。

部屋の中には大きな貯湯槽が設置されている。
手前側の照明しかつけられていない為、奥の方まで見渡すことはできないが
確かに、設置されている機器は随分古い。
何かの作業をしていたのか、コンクリートの床は一部が濡れていた。
その時、今度は、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「ここで、何を?」

振り向いてからの意識は、殆ど残っていない。
そこにいたのは、確かに、ビルメンの彼だった。
けれど、作業服を着崩し、冷めた表情を浮かべた男は、まるで別人のようだった。
「知ってます?このフロアはね、カメラ、無いんですよ」
薄笑いを浮かべた彼はそう言って近づいてきて、突然、みぞおちに一撃を入れてくる。
あまりの衝撃に膝が崩れ、意識が薄れていく。
「おっさんには、あんま、興味ねぇんだけどなぁ」
その声が本当に彼のものなのか、それすらも判断できない内に、目の前が暗くなった。

□ 98_矜持★ □
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まべちがわ

Author:まべちがわ
妄想力を高める為、日々精進。
閲覧して頂いた全ての皆様に、感謝を。

2011-3-12
東日本大震災の被害に遭われた方に
心よりお見舞いを申し上げます。
故郷の復興の為に、僅かばかりにでも
尽力出来ればと思っております。

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