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受動★(7/11)

病院近くの喫茶店で、どのくらい時間を潰しただろう。
仕事とはいえ、ほんの数分のこととはいえ、二人きりで彼に対峙することが怖かった。
夕方前に書類を取りに行く、そう約束した時間は、既に18時を過ぎようとしている。
食事の時間は18時半だと、昨日、病院の壁にあった貼り紙で確認した。
それまでには、行かなければならない。


「ごめん、遅くなって。ちょっと、現場が押しちゃって」
窓に掛けられたブラインドの隙間から橙色の光が射している病室には
昨日とは少し違った表情をした深山の姿があった。
何処の誰なのか、それを知っているだけでも心象が変わるのだろう。
「いえ、こちらこそ・・・わざわざすみません」
側机の引き出しから書類を手に取り、彼はこちらへ差し出す。
「確かに」
休職願いと、業務研修に関する届出。
俺はそれを受け取り、鞄へ仕舞いこむ。

「あの付箋の字、鈴木さんの字ですか?」
気遣いから発せられたのであろう言葉が、地味に心へダメージを与えた。
あいつの中で、俺は、創ではなく鈴木。
一方的にリセットされてしまった人間関係を、改めて突き付けられる。
「え?・・・ああ、多分、そう」
「綺麗な字、書かれるんですね」
「見た目と違うって?よく言われるよ」
今の部署に異動したばかりの頃、彼は同じように会話の糸口を探ってきたことを思い出した。

「そういえば・・・鈴木さん、僕が事故に遭う前、お電話頂いてますよね」
僅かに緩んだ気分が、聞こえてきた疑問形の言葉で再び緊張感を増す。
「電話、取らなかったみたいで。何か用事があったんじゃないかと」
切られたと思っていた電話。
あれが、まさに事故の瞬間だったのだと気が付いた。
「いや・・・それは、仕事の件で確認したいことがあって・・・もう大丈夫だから」
「そうですか。もしかしたら、その時のことを、何かご存じなんじゃないかと思って」
後輩の手元に置かれているスマートフォンには、自身の知らない履歴が残っている。
恐らく彼は、そこから記憶の糸を手繰ろうとしているのだろう。
無意識の内に、溜め息が漏れた。
「・・・本当に、何も覚えてないんだな」
求めに応じることは、出来る。
けれど、わざわざ、忘れたい出来事を思い出させる必要は無い。

帰るタイミングを逸した俺に、彼は更に言葉をぶつけてくる。
「でも、昨日、夢を見たんです」
「・・・夢?」
「好きな人に裏切られて、絶望する夢。当時の僕に、何か、そんなことがあったのかな、と」
裏切ったのも、絶望を与えたのも、俺のはず。
引っ掛かりを感じた言葉は、一つだった。
「好きな、人?・・・彼女、とか?」
恋人はいないと言っていた。
「そういう人がいたのかも、覚えてないんです。でも、それなら見舞いにでも来てくれるでしょうし・・・」
「そう、か」
「僕の片想いだったのかも知れません。けど・・・もし、何か事情があったのなら、それが知りたくて」

深山が想いを寄せる相手を知ることは、今となっては誰にも分からない。
ただ、俺の中で導き出された結論は酷く歪んだ物で、有り得ないと分かっていても、鼓動が早まった。
「ゴメン、仕事残ってるから、戻らないと」
これ以上、ここにはいられない。
背を向けた俺に、後輩は訝しげな口調で食い下がる。
「鈴木さん、何か知って・・・」
「深山」
何故、その記憶だけを残してしまったのか。
いっそ、全てを失くしてくれていたら、どれだけ救われただろう。
「そんな奴のことは、忘れろ。思い出したところで、傷つくだけだ」
廊下の向こうから、夕食を積んだワゴンが向かってくる。
復帰を待っている、そんな短い挨拶を残し、俺は病室を後にした。


9月初めに無事退院した深山の会社復帰は、中旬くらいになるという。
突然の欠員で乱れた部署内の工程も順調な流れに戻り
俺は、渡邉さんから任されたOJT用の資料を作ることに注力していた。
例の出来事以来、あの部屋にも赴くことは無くなって、とりあえず短調で平穏な日常が訪れている。

その男が俺の前に姿を現したのは、後輩が戻ってくる一週間前のことだった。
「宇田川と言います。ちょっとお話聞きたいんで、同行して貰って良いですかね?」
火曜日の出勤時、マンションのエントランスの前で、そう声を掛けられた。
白髪の男がこちらに向けていたのは、警察手帳とよく似た手帳。
僅かに認識できた厚生労働省という文字に、背筋が凍る。
少し離れた場所には白いバンが停まり、傍にもう一人男が立っていた。
夏の朝日に照らされた中年の男の髪が銀色に輝く。
タケルが言っていたマトリとは、こいつのことなのだろう。
狼狽え、硬直した腕が男に掴まれる。
「時間も無いんで、後悔するなら車の中でしてくれるかな」
会社に連絡する間もないまま、俺は車に押し込められた。


連行された近くの警察署で、貴重品を回収され、尿検査を受けた。
疾しいことは何も無い。
そう思っていても、周りの目は完全に犯罪者を見る物になっていて
それだけで、心が折れそうになる。

無機質な小部屋の中で対峙した白髪の男は、冷淡な眼で俺を一瞥した後、手元の資料に目を落とす。
「8月3日の夜のことなんだけどね」
タケルとの最後の時間を過ごした夜、そして、深山が壊された、夜。
「この男とホテルで一緒だった?」
差し出された写真に写っているのは、金髪の男。
懐かしさと恥ずかしさに惑う俺を、職務中の男が急かす。
「ここに来て躊躇うことも無いだろう?どう?一緒だったの?」
「・・・一緒でした」
「別れたのは、夜の0時半くらいで合ってるかな」
「え?」

□ 90_能動★ □
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□ 92_受動★ □
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まべちがわ

Author:まべちがわ
妄想力を高める為、日々精進。
閲覧して頂いた全ての皆様に、感謝を。

2011-3-12
東日本大震災の被害に遭われた方に
心よりお見舞いを申し上げます。
故郷の復興の為に、僅かばかりにでも
尽力出来ればと思っております。

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