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螺旋(8/8)

「・・・ふざけたこと言ってんじゃねぇよ」
男の胸ぐらを掴み上げ、頭を壁に押さえつける。
怯えた目が、真っ直ぐに刺さった。
「自分さえ良けりゃ、それで良いのか?」
「そういう、訳じゃ」
「信頼ってのは、互いが積み上げて作ってくもんだろ。あんたが梯子を外したら、俺はどうなる?」

折角追い出したはずの悲劇の主人公が、彼の瞳の中で揺れていた。
否定しなければ、部下が自分への負の感情を募らせる。
否定すれば、自分の想いが悲鳴を上げる。
結果、彼は俺から逃げることを選んだ。
恋慕だけを、抱えて。

「僕は・・・信頼を得られるような、そんな、人間じゃない」
「それを決めるのは、俺だ」
苦しげに顔を歪める上司から、自信と矜持が霧散していく。
こんなところで失いたくない、そんな純粋な独占欲が突き動かされたのは
俺がこの会社にいる意義を彼が握っているという認識が、確かにあったからだろう。
加えて、弾みで乗り越えようとしている垣根は、案外、低いようにも思えた。
「片想いの辛さは、よく分かってるんじゃないのか」
「・・・え?」
一方通行の想いは、ただの自己満足。
そんな惨めな感情に翻弄されたままでいるのには、耐えられなかった。
「あんたの想いは、俺が叶えてやる。だから、あんたは、俺の想いを受け止めるんだ」

襟元をネクタイごと掴み、頭を引き寄せた。
程なく唇が触れ合い、すぐに離れる。
唖然とした表情で視線を泳がせる上司の顔を、間近で見つめ続けた。
やがて眼差しが交錯し、頬の辺りの硬直が融けていく。
「・・・逃がさない。絶対、一人になんかしない」
彼は、俺が囁いた言葉で静かに目を伏せ、ゆっくりと頷いた。


「何なんだよ、急に」
帰途につく途中の駅で待ち合わせた男は、然程困った素振りも見せずに、そうぼやく。
「いや、さ。気持ちが変わんねー内に、言っておこうと思って」
表情に僅かな戸惑いを残した上司を見送った後、すぐに元同期へ連絡を取った。
引き伸ばし続けた答を、返しておきたかったからだ。

駅前の立ち飲み屋は、週の真ん中だというのに結構な繁盛具合で
店内に風が吹き込んでいるにもかかわらず、酷い熱気に包まれていた。
薄い焼酎で喉を潤し、煙草に火を点ける。
向かいに立つ根来は、もつ焼きを串から箸で引き抜き、皿に並べてから口に運んでいた。
「んで、何?」
「前に話してた、件なんだけど」
「ああ、ウチに来るって話?」
「そう、それ」
持っていた箸を置き、彼は一つ溜め息をつく。
「残るんだよな。今の事務所に」
咄嗟に言葉が出なかった俺の顔に、彼の視線が止まった。
「ま、そんなこったろうと思ってたよ」
「悪い・・・いろいろ、話しつけて貰ってたのに」
「すっげー残念だけど、お前が決めたことだし。しょうがねぇ」

この男は、仕事をする上でのパートナーとして申し分のない存在だと、今でも思っている。
付き合いが長い分、精神的な結びつきも強い。
途中で別れても、最終的に帰る場所は彼の元だと、いつまで待たせても許してくれるだろうと思ってきた。
どちらかを選べ。
急に目の前に突き付けられた選択肢は、優柔不断な俺に対する、試練だったのだろう。

「なーんか・・・ちょっと妬けるな」
「何が?」
「あの課長がいるから、だろ?」
「まぁ・・・そう。でも、新しい社員、募集してるんじゃないのか?俺よりも・・・」
「お前の代わりがいたら、嫉妬なんてしねぇの」
卑屈な笑い声をあげ、彼は再び手元に目を移す。
箸を手に取り、余りにも自然な手つきで俺の皿にバラバラになったレバーを載せた。
「いや、俺レバー嫌いなんだけど」
「オレも嫌い」
「じゃ、頼むなよ」
「良いじゃん、食ってみろよ。旨いかも知んないぞ」

今までと変わらず、ちゃんと仕事を寄越すように。
別れ際、根来はほろ酔いの口調で俺を諭した。
「オレ、諦めてねーんだ。いつかの為に、恩売っておかないとな」
彼を選ばなかったことに対して、もちろん後悔はあったし
何より決断の後ろめたさを何処かに引き摺っていた俺には、救いになる言葉だった。


年末の動きを見据え、新たな物件が増えてきた10月中旬。
安住さんが、11月いっぱいで早期退職をするという話が耳に入ってきた。
「オレも、そろそろ第二の人生を楽しもうと思ってな」
昼食を取りながら、上司と部下の前で、彼はそう笑う。
「でも・・・突然、ですね」
神妙な顔をする課長の呟きに、安住さんは何故か俺を見る。
「もう、良いだろ。お前に任せて」
「は?・・・えっと」
「馬鹿だな。そういう時は嘘でも良いから、心配ありませんっていうもんなんだよ」

隣に座る上司と、不意に目が合う。
渦を巻くような想いが巡るほどに、決意が固まるようだった。
彼を選んだことは間違っていないと、改めて自分に言い聞かせる。
「大丈夫です。後は、私が」
「そう、それで良い。ああ、代わりに褒美をやろう。内示が出るのは11月だろうが」
「・・・内示?」
「後は頼んだぞ。香椎、副課長」


部下の分まで夜食の使いを買って出た課長と二人、非常階段を上る。
年末進行で慌ただしさを増す空気は躯体壁一枚で遮られ
幾分荒い息だけが、静寂の空間に響いていた。
あの秋の夜から、こうやって階段を上り下りすることが習慣になっている。
やや使い勝手の悪い場所にあるからか、滅多に人は通らない。

先を行く彼が4階の踊り場に辿り着いた時、ふと、その手が差し伸べられる。
指を絡ませるように手を繋ぎ、段を上がり、身体を引き寄せた。
言葉もないまま、視線だけを交わして唇を寄せ合う。

「ありがとう。離さないでいてくれて」
握り締められる手に、力が篭る。
「まだまだ、これからだよ」
見上げると、無機質な螺旋状の階段が闇に伸びていた。
一段一段登って、辿り着いた先には、何があるのだろう。
「何処まで行けるのか、見届けるまで・・・離さないから」
その声に応える柔和な表情が、肩の荷を軽くしてくれる。
互いの大切なものを抱えながら、俺たちは再び階段を上り始めた。

□ 89_螺旋 □
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コメント

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お元気ですか?

いつも素敵なストーリーありがとうございます。まべちかわさんの作品は、会社組織の中で揺れたりもがいたりする人たちのリアルな描写がきちんと書き込まれているので、読む手応えを感じます。
最近更新がないようですが、お体の調子でもお悪いのでしょうか?
気長に待ちますので、また作品よろしくお願いします。

ご無沙汰しております。

コメントを頂きまして、ありがとうございます。

ご心配をおかけしまして、申し訳ございませんでした。
実は、螺旋終了時から1ヶ月、更新をお休みさせて頂いております。
モバイル(携帯・スマホ)からの閲覧ですと、アナウンスした旨がTOPに表示されないことに
コメントを頂いてから気が付きました。
念の為、blog紹介の欄に付け加えさせて頂きました。

お休みを頂いているのは、単純に多忙になってきたからという理由です。
話のストックも尽きてしまった為、現在焦りながら文字を書き連ねております。
1ヶ月待たされたことに納得していただけるような物をお届けできればと思っておりますので
今しばらくお待ちください。

これからも宜しくお願い致します。
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まべちがわ

Author:まべちがわ
妄想力を高める為、日々精進。
閲覧して頂いた全ての皆様に、感謝を。

2011-3-12
東日本大震災の被害に遭われた方に
心よりお見舞いを申し上げます。
故郷の復興の為に、僅かばかりにでも
尽力出来ればと思っております。

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