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黄昏(5/5)

「・・・あの」
予想通り、翌晩、彼は工場の通用口で俺に声を掛けてきた。
「中園さん・・・ですよね」
おどおどした口調が、緊張感を滲ませる。
俺は、彼の記憶の中で、良い人のままでいたかった。
誤魔化す方法は幾らでもあったはずだった。
「僕のこと、覚えてますか?」
それなのに、彼の全身を包み込む憂いの青に、思考が眩まされていく。

「・・・久しぶり」
絞り出した一言を遮るよう、少し離れたロータリーからバスのエンジン音が聞こえた。
無意識のうちに身体が反応し、追いかけるように思考が我に返る。
「ごめん、バスが出るから」
「送ります、僕が」
咄嗟に掴まれた右腕を振り払う。
「いいよ、大丈夫。ありがとう」
目を逸らし、背中を向けても尚、彼は俺の腕に縋ってくる。
「少しだけ、話を・・・」
「話すことなんか、無いから」
「お願いします、本当に、少しだけ・・・」

玄関から出てきた数人の従業員が、バスへ向かって走っていく。
出発時間が迫っているのだろう。
「もう、あの時の俺じゃないし。君の役には、立てない」
会えて嬉しかった。
でも。
皮肉なめぐり逢いを断ち切ろうとするよりも早く、力任せに引っ張られた身体が傾く。
肩同士がぶつかり、よろけた二人の身体が壁にもたれかかる。
「会いたかったんです・・・ずっと、ずっと探してた」
耳元で囁かれた言葉が鼓膜を揺らすと共に、夜の闇にバスのブザーが響いた。


不夜城を前に停まる車の中で、彼は未だに蒼然とした雰囲気を抱えている。
「なかなかいらっしゃらなくて・・・だから、あの時は諦めました」
一度目の引っ越しの機会は、去年大学を卒業する時だったと言う。
丁度、母が入院し、俺が思うように仕事に集中できなかった時期だ。
「別に、俺がいなくても、他の営業がちゃんと・・・」
その意図が掴めずに困惑気味の声を上げる俺に、彼は小さく首を振る。
「僕には・・・これしかチャンスが無かったから」
「チャンス・・・?」
「中園さんに、もう一度、逢うチャンス」
俺と彼を介在するものは、たった一つの行為だけ。
そして、二度目の機会がやってきた時、事実を聞かされた彼は深い絶望に苛まれる。
「会社を辞められたと聞いて・・・僕には、もう、チャンスは残されていないんだと」

何故、彼は、そこまで俺に執着するのか。
ただ、引っ越しの営業担当になって、イレギュラーな形で手伝っただけなのに。
「優しさが、嬉しかったんです。あの時の僕は、優しさに、飢えていて」
それとなく出した問への答、装った偽善に対する罪悪感を蘇らせる。
「そんな時、恋人に裏切られた傷を、癒してくれたから」

初めて自分のことを好きだと言ってくれた人。
彼にとっては、そのことが相手への想いの中枢だった。
不自然な金の無心にも疑いを持つことは無く、必要最低限の単位だけを取り、バイトに明け暮れる大学生活。
やがて、一人部屋に残されても、信じる気持ちを拭い去れなかった。
「あの言葉は嘘だったのかも知れないと思えるまで、随分時間がかかりました」
溜め息交じりに話す表情に、きっと未だ、何処かで嘘を信じているのだろうと思わされた。
「他人の感情が見えたら、どんなに良いんだろうって・・・思っちゃいますよね」
微かな青い笑みを口元に浮かべ、彼はそう呟く。


「良いことなんか、一つも無い。そんなの、見えない方が良いに決まってる」
思いも寄らない大きな声が、彼の視線を怯ませた。
「本音を曝し合って付き合えるほど、人間は強く出来てない」
心の叫びだったのかも知れない。
深くなる紺青に、夕映えの色が遠くなる。
彼との関係を失い、自分の立ち位置さえも見失い、この瞬間に求めた物は、皮肉にも夢現の色だった。
「・・・見えるんだ、俺。頭おかしいと、思うかも知れないけど」
「見える?」
「他人が、どんな感情でいるのか・・・色が、見える」

混乱を素直に顔に出した青年は、視線を至る所に漂わせ、やがて俺を見て目を細める。
「僕は・・・どんな色に、見えてますか?」
「・・・悲しい、色をしてる」
「あの頃から、見えてた?」
「いや・・・母さんが、死んでから」
触れてはいけない空気に曝されてしまったよう、彼は瞬きをして、軽く息を吐く。
彼の背中に、一筋の雲の切れ間が見えた。
「・・・中園さんは、いつでも、夕焼けの色をしてます」
「え?」
「夕陽の中に、いつもいたから。そのイメージが、強いんですかね」
街灯の光が射しこむ薄暗い車内に、眩しいほどの光が広がってくる。
「その姿を・・・僕は、いつも思い返してた」
柔らかな笑顔を向けられると同時に、求めていた色で、視界が染まった。


季節が冬に足をかけ始める頃。
あの頃から随分数を増した荷物を全て搬入し終わったのは、奇しくも夕刻に差し掛かる時間だった。
1SLDKの間取りは、前のワンルームよりもかなり余裕のある空間になっており
やや西に傾いた南側の窓からは、柔らかな橙色の光が射しこんできている。
「ありがとうございます。休みまで取って貰って」
「別に。引っ越し手伝うって約束がやっと守れて、ホッとしてる」
俺を見てはにかむ姿に、昔、彼が口にした言葉を思い出した。
「また・・・人生やり直す?これを機に」

不意に彼の手が、俺の右手を掴む。
狼狽える俺とは対照的な、真っ直ぐな眼だった。
「一緒に、やり直しませんか」
黄昏ていく空に、わだかまりが融ける。
力を抜いて、彼の指を受け入れた。
絡まる肌の感触が、身体中に想いを浸み込ませていくようだった。
「・・・ああ、良いよ」

彼の色がどんな感情を示していたのか。
真実を知ったのは、彼と共に過ごした大晦日の夜だった。
その時の俺にとって、受け入れられない想いでは、無かった。

しばらくして、俺の視界に映える魔法の色が徐々に薄くなり始める。
一週間ほどで、世界は無色透明に戻った。
赤い色に脅えることも、青い色に遣り切れなくなることも無くなったけれど
彼だけは、いつでも同じ夕映えの中に立っている。

□ 85_黄昏 □
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まべちがわ

Author:まべちがわ
妄想力を高める為、日々精進。
閲覧して頂いた全ての皆様に、感謝を。

2011-3-12
東日本大震災の被害に遭われた方に
心よりお見舞いを申し上げます。
故郷の復興の為に、僅かばかりにでも
尽力出来ればと思っております。

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