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黄昏(3/5)

天職だと思っていた仕事を辞め、自宅に引きこもっていた期間が半年を数えようとする頃。
体重は10kg以上も落ち、髪も髭も伸ばし放題のまま昼夜逆転の生活を送っていた俺に
痺れを切らした父が持ってきたのは、食品工場でのバイトの話だった。
「一日数時間でも、外に出てみるきっかけにしたらどうだ」
息子の変化の理由も分からず困惑している彼は、濃い藍色の背景に立っている。
久しぶりに目にする他人の色。
俺は、まだ、おかしいままだ。
「・・・考えておく」
それだけ答え、自室に戻った。

何か趣味がある訳でも無く、恋人がいる訳でも無い。
貯えもある程度あるし、父もまだしばらくは現役で働き続けるはずだ。
動かないから腹も減らず、ただ、空を見つめているだけの毎日で、何かを考えることも億劫になってくる。
こうやって、何十年も生きていくなんて、あまりにも時間の無駄だ。
俺も死ぬ時は、きっと後悔だけを背負っているんだろう。
紅い喘ぎを吐きながら、逝くんだろう。

ある日の深夜。
トイレに向かう途中のリビングで、ソファに座り、うな垂れる父の姿を見かける。
いつもなら床に就いている時間のはずだった。
俺の気配には気が付いていなかったらしく
彼は青く塗り潰された感情を洗い流すように、嗚咽を漏らしていた。
母の死に目でさえ涙を見せなかった父が、初めて晒した弱い姿は
心を狼狽と焦燥に巻き込み、結果、立ち上がるきっかけをくれたようにも思う。


人間扱いされない。まるで自分が機械の一部になった様。
一日誰とも喋らない職場。咄嗟の時に口から言葉が出てこなくて困る。
長時間のルーチンワークに耐えられる奴限定。

父から聞いた工場の評判をネットで調べると、とても優良な職場とは思えない言い分ばかりが目に付いた。
創造性の欠片も無いであろう作業に、全く魅力は感じなかったが
環境はむしろ、俺向きなのかも知れないとも自嘲する。
電話の受話器を持つ手が震え、惨めさに打ちひしがれても
この家をいつまでも群青の海の中に沈めておく訳にはいかないと、覚悟を決めた。


勤務先は、確かに、ほぼ噂通りの様相だった。
学生から年季の入ったご老体まで、様々な人間が、ひたすら商品を流れ作業で作り上げる現場。
皆が白い作業服と帽子とマスクを身に着け、一定の温度に保たれた室内で黙々と手を動かす。
担当する作業は、シフトに入っている人数によって毎日振り分けが行われ
2週間も経つ頃には、概ね全ての工程が頭に入った。

早朝自宅を出て、最寄駅までやって来る送迎バスに揺られ、半日工場で働き、夕方前には帰宅。
営業をしていた時には想像も出来なかったスケジュールをこなす日々は
それでも、少しずつ人生を営んでいる実感を植え付けてくれるようだった。
けれど、周りの人間は誰一人色を発する事無く、無色透明の世界。
俺が誰にも関心を寄せないように、彼らもまた、俺に関心を向けることは無い。
目も眩むような彩に溢れた過去と、砂を噛むような虚しい現在。
どっちがマシか、なんて考えは、きっと無駄なことなんだろう。

学生の長期休みが終わると、工場内は俄かに閑散とした雰囲気になった。
一人一人の作業量が増え、残業を求められる日も多くなる。
家に帰ったところで、何をすることもない。
俺みたいな存在は、工場にとって格好のコマだ。
朝日に照らされる建屋に入り、出るのはすっかり夜が更けてから。
中途半端な身体の疲れが、心に充足感を与えてくれることは無かった。


夜6時半のチャイムが工場に響く。
「晩飯食ってきて良いよ」
制服のボタンを留めながら持ち場についた夜勤担当の監督者が、そう声を掛けてきた。
「この分が終わったら、行ってきます」
手元に積まれた包みは、後10個ほど。
幾分派手な薄紙で包み、赤い紐を巻き、ラベルを貼るという工程は、一包み辺り30秒といったところか。
「キリが良いところで。任せるから」
彼は既に飯を済ませてきたのだろう。
その肩には、満足げな黄色い光が漂っていた。

工場に隣接するように、本社の建屋がある。
事務方の社員が工場に入ることは滅多に無いので、その姿を目にすることも無いが
夜になると、あちらの社員食堂は閉まってしまうらしく
この時間の食堂には、ワイシャツ姿の社員がちらほらと見受けられた。

食券の自販機の前で迷うのが面倒な時は、いつもカレーを頼む。
愛想が良いとは言えないおばちゃんから皿を受け取り、窓際のカウンター席に着く。
ブラインドが上げられた窓の外の闇に白い月が浮かんでいた。
俺はいつまでこのままなんだろう。
別にこのまま流されたって、誰が困る訳じゃない。
常に頭の中を巡る自問自答。
黒白の世界が、少しだけ、そんな心を落ち着かせてくれる。

視界の隅に、一瞬、明るい色が見えた。
ガラスに映る背後の世界に意識を戻した時、その色は、確かな記憶として蘇る。
あれから、どのくらいの月日が過ぎただろう。
こんな所で、こんな形で再会するなんて、思ってもいなかった。

□ 85_黄昏 □
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まべちがわ

Author:まべちがわ
妄想力を高める為、日々精進。
閲覧して頂いた全ての皆様に、感謝を。

2011-3-12
東日本大震災の被害に遭われた方に
心よりお見舞いを申し上げます。
故郷の復興の為に、僅かばかりにでも
尽力出来ればと思っております。

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