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黄昏(1/5)

賞味期限なんて、ただの数字の羅列。
法律に遵守しているという会社の体面を保つ為だけのもので、それ以上の意味は無い。
夏の暑い盛り。
寒い位に空調が聞いた工場の中で、3日前の日付が印刷されたシールを一包みずつ剥がす。
手元には、一週間後の日付が書かれたシールがシートで束になっていて
それをまた、同じ包みに一枚一枚貼っていく。

初めてこの作業を指示された時、多分、俺の顔には戸惑いが現れていたのだろう。
こんなこと、何処でもやっていることだ。
監督者の中年の男はそんな表情を浮かべ、微かな赤色の雰囲気を纏わせた。
面倒は避けたい。
その一心で、自分の感情を引っ込める。

半年ほど前から働いている食品工場。
地元では知らないものはいない特産品を製造するメーカーの中の一社で
商品の殆どは観光客のお土産用に作られている為、俺も含め、一般客が口にする機会は滅多に無い。
ここ数年、マスコミやネットを使ったマーケティングが功を奏したのか
業績が随分上がってきていると言う話は、社員食堂で漏れ聞いていた。
年季が入ってきた工場も、改修の計画が出ているらしい。
そうすれば、少しくらい時給も上がるだろうか。
さして美味くも無いカレーを口に運びながら、些細な希望で自分を慰めた。


地元の大学を出て、初めて就職したのは全国規模の引っ越し業者だった。
ルートセールスとしてエリアを回り、同業他社との駆け引きを繰り返す。
決して嫌いな仕事では無かったし、成績もそれほど悪くは無かった。
引っ越しシーズンに契約が増えるのは当たり前のこと。
それよりも、シーズンオフにトラックの予約表が埋まっていくことが、楽しくて仕方なかった。

順調だった生活に影が差し始めたのは、就職して5年経った、ある春先のことだった。
同居している母が病を患い、入院することになった。
年末辺りから体調が悪いと言いつつ、更年期の症状だろうと笑っていた彼女の病魔は
しかし、念の為と病院で検査した時、既に手の施しようのない状態になっていた。
地銀に勤める父と二人、交代で看病をしていたものの
それまで快活に過ごしていた母は、自らの寿命を悟ったからなのか
殻に閉じこもったように沈み込み、やがて軽い認知障害を併発してほぼ寝たきりの身体になった。

肉親が壊れていく様を直視できる人間が、何処にいるのだろう。
けれど、余命半年との宣告を受けた母を放っておく事は出来ない。
会社は引っ越しシーズンに突入し、午前様が続く中で、自分自身にも限界を感じ始めていた。
父も同様、決算時期で家に帰らないことが多くなっている。
両親の親戚は双方とも遠方に住んでいることから、そうそう手を頼むことも出来なかった。


何とか空けて貰った一日だけの休暇。
春の陽が差し込む病室のベッドには、小さくなった母が横たわっていた。
「母さん、前に食べたいって言ってたお菓子、買ってきたよ」
ベッドの脇に立ち、話しかけた俺に、彼女は薄い笑顔を浮かべる。
白ぼける姿が、不意に青く染まったように見えた。
「久しぶりね、ケンちゃん。なかなか来てくれないから、お母さん、凄く、寂しかった」
「・・・ごめん、仕事が忙しくて」
「お父さんも、仕事。ケンちゃんも、仕事。・・・お母さんには、何もない」
目の前の青が、何処からかやってきた赤色と混ざり、鈍い紫を成す。
疲れているのかと思い、目頭を強く抑えた。
「お母さん、邪魔者なのね。早く、死んじゃった方が、良いよね」

報いが欲しくて介護をしているんじゃ無い。
せめて穏やかに、残りの生涯を過ごして欲しい。
その一心で、俺も、父も、懸命にやってきた。
「そんなこと、言うなよ」
つい、きつくなった声に、母の表情が曇り、シンクロするように色が青みを強くしていく。
「父さんも、俺も、頑張ってるんだから。母さんも、頑張ろう」

結局、周りの努力の甲斐も無く、母は1ヶ月もしない内に天国へ旅立った。
言葉も無かった最期の姿は仄かに赤い光に包まれ、生命の灯が消えると共に、色味も失われた。
やっと、終わった。
心の何処かで安堵してしまったことを、否定は出来なかった。


故人を偲ぶ余裕も無いまま、嵐のような忙しさに翻弄された一週間。
自分の身体の変調を認められるようになったのは、やっと落ち着いてきた辺りだった。
どんなに晴れていても、日常の光景に灰色の霞がかかり
それは人の周りに、まるでオーラのように、時には色を以って纏わりついている。
眼科に行ってみても、特に異常はない。
霊的な何かを信じられるほど、心に余裕がある訳でも無い。
もちろん、会社でも、客先でも、その状況は変わらず
営業成績が落ちてきた俺を叱責する上司は、常に暗赤色を背負い
背水の陣で限界の金額を提示した時の客は、満面の笑みと共に黄色い靄を吐き出した。

自分に向けられる感情が見えている。
混乱の中で導き出した結論は、自分でも信じがたいものだった。
どうしてこんなことになったのか、考えるだけ無駄だと分かっていても
絶え間なくやってくる色の洪水に、段々と心が疲弊していく。
笑顔で悲しみ、無表情のまま苛立ちを募らせる人々。
そして、何かしらの鬱屈を抱えながら死んでいった、母。

「健一郎、お前、最近少し様子がおかしいぞ」
多忙の中、たまに顔を合わせた父は、そう声を掛けてきた。
「・・・別に、何ともないよ」
青みがかった灰色の気配を背負いながら、彼は神妙な顔を浮かべる。
「忙しい日が続いたからな。ちょっと、休んだらどうだ」
労いの言葉とは裏腹に、色味は失われ、程なく透き通っていく。
ああ、唯一の肉親であるこの人は、息子に対してさしたる関心は無いのか。
それから俺は、他人と目を合わせることが、怖くなった。

□ 85_黄昏 □
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まべちがわ

Author:まべちがわ
妄想力を高める為、日々精進。
閲覧して頂いた全ての皆様に、感謝を。

2011-3-12
東日本大震災の被害に遭われた方に
心よりお見舞いを申し上げます。
故郷の復興の為に、僅かばかりにでも
尽力出来ればと思っております。

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