相思(2/6)
時折抜けていく車の走行音が、闇の中へ消える。
夜も更けてきて、吐き出す空気は白く霧散した。
煙草のお供にと買ったコーヒーは、そろそろ暖を取るには心もとなくなっている。
「君に、恋してるかも知れない」
彼は確かに、そう言った。
けれど、それが、俺が抱く本能的な恋とは違うことも明らかだ。
適度な距離感をもって、何処までも平行線を辿る関係。
これで満足しなければならないことは分かっているのに
同じ時間を重ねるほど、満たされない想いばかりが大きくなってしまう。
一度目の初恋は、中学生の時だった。
産休を取った女の担任の代理でやって来た、若い男の教師。
穏やかにはにかむ表情が印象的な男は、今の俺よりも幾分年下だったはずだ。
それまでにも、一方通行の想いを寄せた相手はいたけれど
相手の想いを本気で求めたのは、初めてだった。
もちろん、自分の抱く感情の質が、クラスメイト達と異なることは分かっていた。
だから、届くはずの無い気持ちを独りよがりな妄想に変えて、自分自身を納得させる。
あまりにも、青い時間だった。
半年ほどの彼の任期が、残り少なくなる頃。
帰りのホームルームを終えて教卓から離れようとする彼を、数人の女子生徒が囲んだ。
「せんせー、写メ撮ろー?」
携帯電話を向けられた先生の隣に、一人の女子が立つ。
「どうした、急に」
「思い出、思い出。ほら、もっとくっつかないと画面に入んないって」
ファイルを抱える彼の右腕に、女の腕が絡みつく。
好意の矢印を向けることにも、向けられることにも、不自然さの無い関係。
素直に羨ましかった。
「こら、そんなに・・・」
「だって、入んないって言うから」
「少し、離れなさい」
「最後だから、いーじゃん。ねぇ」
納得の一枚が撮れたのか、腕を組んだまま少女が問いかける。
「先生、彼女とか、いるの?」
一瞬困った顔をした彼は、間を置いてその問いに答えを出す。
「実は、今度ね、結婚するんだ」
それが、本当のことかどうかは分からなかった。
「え~・・・マジで?」
「そう。彼女に怒られちゃうから、こういうことは最後だよ?」
本当のことだと、思いたくなかったのかも知れない。
「すっごいショックなんだけど」
彼の特別な存在になれなかったことへの絶望感は、思いの外大きかった。
期待をしても無駄だと分かっていたはずなのに、諦められなかった。
俺を裏切った男、男を攫っていった女。
幼い失恋の傷は、誰かを悪者にして自分を正当化しないと、癒すことが出来ない。
現実を受け入れられたのは、男が去ってから、随分経ってからだった。
不意に吹いた風が、煙草の先端の灰を飛ばす。
転がりながら砕けていく塊を目で追った。
「ここにいたんだ」
背後から掛けられた声に、強張った顔のまま振り向いた。
「・・・あ」
「気がついたら姿が無いから、焦ったよ」
「すみません、ちょっと・・・」
目を細めて安堵の表情を見せる男が、思い出の中の笑顔に重なる。
「もう、大丈夫ですか?」
「うん、大分すっきりした」
そう言って、彼は白い息を吐き出しながら大きく伸びをする。
「朝になる前に、帰れると思うよ」
「無理しない程度で、お願いします」
大丈夫と笑って答える顔を見て、急に切なさが込み上げた。
あの時と同じように、いつか、この笑顔も、諦めなければいけない時が来る。
数週間後、東京本社へ出張に行っている河合さんから電話があったのは、金曜日の夕方のこと。
当初金曜日の夜に戻ってくるはずの予定が、月曜日の朝になるとの話だった。
仕事ですかと問うた俺に、彼は何故か答を濁す。
深く聞かない方が良いのだろうと、お土産待ってますとだけ伝えて、電話を切った。
土曜日、遠方の彼からの音沙汰は無かった。
気にならないはずは無いが、気に病んでも仕方ない。
溜まっていた洗濯物をホテルのコインランドリーで片づけても、時間はまだ昼前。
俄かに春めいてきた陽気に誘われる様、外へ出た。
免許を取ったのは、大学一年の夏休み。
親に借金をして買った中古の軽を、飽きるほど乗り回した。
だからだろうか、久方ぶりのハンドルの感触に一瞬戸惑ったものの
エンジンをかけ、振動が腕に伝わってくると、不思議と感覚を取り戻す。
何処に行くか、その当てもないまま、一先ずレンタカーを北へ走らせた。
□ 71_初恋 □
■ 1 ■ ■ 2 ■ ■ 3 ■ ■ 4 ■
□ 79_相思 □
■ 1 ■ ■ 2 ■ ■ 3 ■ ■ 4 ■ ■ 5 ■ ■ 6 ■
□ 87_相愛 □
■ 1 ■ ■ 2 ■ ■ 3 ■
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夜も更けてきて、吐き出す空気は白く霧散した。
煙草のお供にと買ったコーヒーは、そろそろ暖を取るには心もとなくなっている。
「君に、恋してるかも知れない」
彼は確かに、そう言った。
けれど、それが、俺が抱く本能的な恋とは違うことも明らかだ。
適度な距離感をもって、何処までも平行線を辿る関係。
これで満足しなければならないことは分かっているのに
同じ時間を重ねるほど、満たされない想いばかりが大きくなってしまう。
一度目の初恋は、中学生の時だった。
産休を取った女の担任の代理でやって来た、若い男の教師。
穏やかにはにかむ表情が印象的な男は、今の俺よりも幾分年下だったはずだ。
それまでにも、一方通行の想いを寄せた相手はいたけれど
相手の想いを本気で求めたのは、初めてだった。
もちろん、自分の抱く感情の質が、クラスメイト達と異なることは分かっていた。
だから、届くはずの無い気持ちを独りよがりな妄想に変えて、自分自身を納得させる。
あまりにも、青い時間だった。
半年ほどの彼の任期が、残り少なくなる頃。
帰りのホームルームを終えて教卓から離れようとする彼を、数人の女子生徒が囲んだ。
「せんせー、写メ撮ろー?」
携帯電話を向けられた先生の隣に、一人の女子が立つ。
「どうした、急に」
「思い出、思い出。ほら、もっとくっつかないと画面に入んないって」
ファイルを抱える彼の右腕に、女の腕が絡みつく。
好意の矢印を向けることにも、向けられることにも、不自然さの無い関係。
素直に羨ましかった。
「こら、そんなに・・・」
「だって、入んないって言うから」
「少し、離れなさい」
「最後だから、いーじゃん。ねぇ」
納得の一枚が撮れたのか、腕を組んだまま少女が問いかける。
「先生、彼女とか、いるの?」
一瞬困った顔をした彼は、間を置いてその問いに答えを出す。
「実は、今度ね、結婚するんだ」
それが、本当のことかどうかは分からなかった。
「え~・・・マジで?」
「そう。彼女に怒られちゃうから、こういうことは最後だよ?」
本当のことだと、思いたくなかったのかも知れない。
「すっごいショックなんだけど」
彼の特別な存在になれなかったことへの絶望感は、思いの外大きかった。
期待をしても無駄だと分かっていたはずなのに、諦められなかった。
俺を裏切った男、男を攫っていった女。
幼い失恋の傷は、誰かを悪者にして自分を正当化しないと、癒すことが出来ない。
現実を受け入れられたのは、男が去ってから、随分経ってからだった。
不意に吹いた風が、煙草の先端の灰を飛ばす。
転がりながら砕けていく塊を目で追った。
「ここにいたんだ」
背後から掛けられた声に、強張った顔のまま振り向いた。
「・・・あ」
「気がついたら姿が無いから、焦ったよ」
「すみません、ちょっと・・・」
目を細めて安堵の表情を見せる男が、思い出の中の笑顔に重なる。
「もう、大丈夫ですか?」
「うん、大分すっきりした」
そう言って、彼は白い息を吐き出しながら大きく伸びをする。
「朝になる前に、帰れると思うよ」
「無理しない程度で、お願いします」
大丈夫と笑って答える顔を見て、急に切なさが込み上げた。
あの時と同じように、いつか、この笑顔も、諦めなければいけない時が来る。
数週間後、東京本社へ出張に行っている河合さんから電話があったのは、金曜日の夕方のこと。
当初金曜日の夜に戻ってくるはずの予定が、月曜日の朝になるとの話だった。
仕事ですかと問うた俺に、彼は何故か答を濁す。
深く聞かない方が良いのだろうと、お土産待ってますとだけ伝えて、電話を切った。
土曜日、遠方の彼からの音沙汰は無かった。
気にならないはずは無いが、気に病んでも仕方ない。
溜まっていた洗濯物をホテルのコインランドリーで片づけても、時間はまだ昼前。
俄かに春めいてきた陽気に誘われる様、外へ出た。
免許を取ったのは、大学一年の夏休み。
親に借金をして買った中古の軽を、飽きるほど乗り回した。
だからだろうか、久方ぶりのハンドルの感触に一瞬戸惑ったものの
エンジンをかけ、振動が腕に伝わってくると、不思議と感覚を取り戻す。
何処に行くか、その当てもないまま、一先ずレンタカーを北へ走らせた。
□ 71_初恋 □
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