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一途(1/4)

『Hollyhock』と書かれた小さな木の看板が掛けられたドアを開けると
芳醇なコーヒーの香りが身に纏わりつくように漂ってくる。
「いらっしゃい」
「こんにちは」
カウンターの向こうでカップを拭きながら、男は柔らかい笑みを俺に向けた。
「いつもので良いかな?」
「はい、お願いします」
決して広くない店内には、珍しく数人の客がいる。
その光景で、今日が祝日だったことに気が付いた。

席の間を縫うように歩き、裏の扉から外に出る。
広い庭には、適度な距離を保ってテーブルセットが何組か配置されている。
大きなスズカケノキが良い感じに日陰を作っている席に腰を下ろす。
目線に立っているのは幾本ものタチアオイ。
蕾は膨らみ始め、あと1、2ヶ月もすれば大輪の花を咲かせるだろう。
ここに初めて来たのも、花々が咲き始めた初夏の頃だったと思う。


2年前の春、東京本社で研修が終わった後で配属されたのがこの街だった。
東京からは新幹線で1時間ほどのリゾート地。
オフィスビルや大型施設のメンテナンスを中心に行っている会社が
シーズンオフに使われていない別荘などのメンテナンスも長年手掛けていると知ったのは
配属先を告げられてからのことだ。
小さな営業所に、社員は所長を含めて6人しかいない。
それでも、支社・営業所の中で売り上げは上位を占める。
大手デベロッパーが開発すると同時に営業をかけ
分譲を始めた当初から契約を取り付けることが出来たからだと、昔気質の所長は笑って言った。

設備の管理やビル警備、清掃の手配など多岐にわたる業務について受けた研修は
ここでは、殆ど役に立たなかった。
給湯器やエアコンの修理、浄化槽の清掃、屋根や外壁の修繕はもちろん
蜂の巣の処理やイノシシ対策に呼ばれることもしばしばあり、まさに何でも屋と言う状態。
スーツで出勤することは一週間で諦め、毎日作業服で広い街を巡回する。
入社当時の思惑とは何かが違うと思いながら、月日はあっという間に過ぎていった。


シフト制で休日も不定期な生活にやっと慣れてきたのは、1年程経ってから。
毎日街中を巡っているのに、休みの日は惰眠を貪ることが常になっていて
住んでいるアパートの周りを歩いたことも無かったことに気が付く。
中心地から少し離れた住宅街に立ち並ぶ家々は敷地も広く、立派なものが多い。
普段は車で移動しているから気が付かなかったけれど
小高い丘の裾に広がっているからか、道の勾配も随分急な感じがする。

何となく気になった細い上り坂を進む。
初夏の日差しは、避暑地とは言えなかなか厳しく、身体を徐々に疲弊させていく。
しばらくすると丘の中腹辺りで道が開け、小さな建物と、後ろに立つ大きな木が目に飛び込んできた。
ドアに掲げられた看板には『Hollyhock』とぎこちない感じで彫られている。
普段から、あまり冒険はしない性質だ。
それでも入ってみようと思ったのは暑かったからでも、疲れていたからでも、無かったのだと思う。

鈍い鐘の音が、ドアを開けるとともにガラガラと響いた。
すぐに漂ってきた香りで、そこが喫茶店であることを知る。
中はそれほど広い空間ではなく、古い建物なのか窓が小さく薄暗い感じがした。
「いらっしゃい」
カウンターの中から声をかけてきたのは、中年の男。
父より少し年下くらいの彼は、柔和な表情を浮かべて俺を見ていた。
「初めてのお客さんだね」
「ええ、偶然・・・通りかかったので」
「それはようこそ。どうぞ、好きな席へ。・・・ああ、今日は庭の方が気持ち良いかも知れないよ」
そう言う彼は、店の奥のドアに視線を向ける。
開け放たれた扉の向こうに、陽の光を受けた空間が見えた。


巨木が広い影を作る空間には、幾つかのテーブルセットと背の高い花が並ぶ。
平日だからか、先客はいない。
木の下にある席に座ると、心地の良い涼風が吹いてきて、暑さを冷ましてくれた。
見上げると、小さな手のような形の葉っぱが風に揺れている。
幾重もの葉擦れの音が降り注いでくるのを一身に浴び、懐かしい感覚に囚われる。

「大きい木だろう。スズカケノキだよ。ここまで大きいのは、この辺でも珍しいんじゃないかな」
店の主人なのだろう男が、メニューを差し出しながら話しかけてくる。
「この木と、あのタチアオイが好きでね」
その言葉で、座った目線に丁度入り込んでくる花の名前を教えられる。
淡いピンク色の花はまだ咲き始めらしく、真っ直ぐ伸びた茎に大きな蕾を幾つも付けていた。
あの蕾が全て開いたら、相当に見事だろう。
日常のすぐそばにある非日常の空間の中で、夢見心地の想像を巡らせた。

店内は禁煙なのだそうだ。
煙草に火を点ける俺の傍で、他の客が来るまでと、彼も小さなキセルを取り出した。
「観光の人じゃ、無いのかな」
「この近くに住んでるんですけど・・・こんな所があるのは、全然知らなくて」
「奥まってるからね。物好きと迷い込んだ客しか来ないんだよ」
薄い煙をゆっくりと吐きながら、そう言っておどけたような顔を見せた。

店の方から、古ぼけた金属の音が聞こえてくる。
「おっと、お客さんだ。・・・ゆっくりしていってね」
目を細めた明るい笑みを残し、彼は建物の中へ戻っていく。
アイスコーヒーが入った銅のタンブラーの冴えた冷たさが、指に沁みる。
それから俺は、休みの度、ここへ訪れるようになった。

□ 77_一途 □
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まべちがわ

Author:まべちがわ
妄想力を高める為、日々精進。
閲覧して頂いた全ての皆様に、感謝を。

2011-3-12
東日本大震災の被害に遭われた方に
心よりお見舞いを申し上げます。
故郷の復興の為に、僅かばかりにでも
尽力出来ればと思っております。

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