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挑発★(3/3)

海老名さんの携帯電話に着信が入ったのは、二人で店に入ってから大分経ってからだった。
「ああ、やっぱ無理か」
相手は恐らく、残業中の先輩。
「ん?いや、営業の氏家君と一緒だよ」
何の気無しに言ったであろう海老名さんの言葉に、緊張感が走る。
「じゃ、月曜日かな。土日くらいは、家族で過ごさせてくれよ」
笑いながら話す彼の姿に、電話の向こうの男の想いが滲む。

「稲富は、まだ仕事終わらないって」
「・・・そうですか」
「ちょっと、無理しすぎだな」
手元の日本酒を口にしながら、彼は煙草に火を点ける。
「海老名さんに、負けないようにって、思ってるんじゃないですか?」
同じ年に入社した同期に対しては、仲間意識も強い代わりに、ライバル心も強く芽生える。
それはきっと、俺も稲富さんも、誰もが同じように思っているはずだ。
「あいつ、そんなこと言ってた?」
「いや・・・直接聞いた訳では、無いですけど」
大学院を出て開発畑を進んできた男と、営業畑を歩んでいたのに突然開発へ異動になった男。
そもそもの土壌が違うにしても、稲富さんなりの気概があるはずだ。
「ま、その方がオレとしても、推薦した甲斐があったってもんだけどね」
同期の敵愾心を喜ぶように、彼は静かに煙を吐き、微笑んだ。
「ハッパかけないと、本気出さないからな、あの男は」


海老名さんと共に店を出て、駅の改札を抜けたタイミングで、一通のメールが届く。
『ウチで待ってろ』
件名も無い、それだけの文章が、男の心情を物語っているようだった。

「氏家君は、何線?」
不意にかけられた言葉に、一瞬戸惑いつつ、いつもとは違う路線を口にする。
「そっか。じゃ、オレ、あっちだから」
「今日は、ありがとうございました」
「また何かあれば、宜しく頼むね」
差し伸べられた手を取り、しっかりと握りあう。
離れていく指に、不思議と、寂しさは感じなかった。
「どうぞ、お元気で」

出来すぎた男への憧れは、この夜、深く心に刻まれた。
週末にしか見ることの無い車窓を眺めながら
その想いは、もう大きくも小さくもならないのだと、実感していた。


合鍵を渡されたのは、彼の環境が変わってから1ヶ月程経った頃だったと思う。
帰宅時間が合わず、行き違いになることを危惧したのだろう。
「・・・何も出来ねぇかも、しんないけど。とりあえず、渡しとく」
投げ渡された一本の鍵に込められた彼の想い。
行き過ぎた身体に、心がやっと追いついてきた気がした。

玄関のドアが開いたのは、夜中の1時になろうとするくらいだった。
ベッドに座る俺を一瞥した彼は、疲れ切った顔で床に鞄を放り出し、ネクタイを緩める。
「・・・海老名と一緒だったんだって?」
「ええ、報告会の担当で。帰りに、ちょっと」
明らかに不機嫌な声が、心を揺さぶる。
勘ぐるような視線が、身体を昂ぶらせる。
「進展したのか?海老名さん、とは」
残酷な嘘だとしても、彼のスイッチを無理矢理入れたかった。
素直に求め合いたかった。
「そうですね・・・それなりに」

舌打ちをした彼は、鋭く、けれど酷く切なげな眼をしながら俺の身体をベッドに押し倒す。
「マジかよ・・・信じらんねぇ」
表情を震わせていたのは、怒りか、嫉妬か。
眉間に深い皺を寄せながら、細切れの呟きを残していく。
「何で、オレ、こんな・・・やっぱ・・・」
感情を抑えた声が、悲痛な叫びのように聞こえる。
彼の想いを弄ぶつもりは無かった。
ただ、俺の存在だけでは、彼を繋ぎ止められないと思っていた。

間近に迫る顔を両手で包み、真っ直ぐに見つめ合う。
軽く唇を重ね、吐息を彼の顔に纏わせた。
「俺のこと・・・嫌いですか?」
その問いに、彼は顔を強張らせる。
「俺の中では、稲富さんが、一番です。だから・・・」
僅かに歪んだ口元に、何度も、キスを繰り返す。
「明日は、仕事しないで・・・一日、俺といて」


眠りについたのは、既に朝日が昇った後だった。
彼を繋ぎ止めていた卑しい鎖を解き、互いの心と身体を絡ませ合う。
翻弄し、傷つけたことを詫びるように彼の身体を愛撫し、ゆっくりと官能に浸る時間を過ごす。
そこには主従も勝ち負けも無く、同じ快感を同じように分かち合う二人がいるだけ。
今までとは違う、あまりに優しい刺激。
にもかかわらず、心は許容量を超えるほどに満たされた。


「お前、海老名に何言ったんだ?」
「え?何って?」
深夜のサッカー中継を観ながら、疲れた顔の先輩が焼酎を呷る。
「氏家君が寂しそうにしてるから、たまには遊んでやれよ、ってさ」
「俺、そんなこと、言ってませんけど」
「顔に出たんじゃねぇの?」
「それは・・・分かんない、ですけど」
「その前に、早く良い女見つけろって釘刺されたけどな」
目を細めて俺を見る顔が何処か挑発的に見えたのは、気のせいじゃ無かったと思う。
「・・・言うこと、ねぇの?」
「別に・・・良いんじゃないですか」
「ふ~ん」
居た堪れない気分を抱えた俺を、彼は愉快そうな声を上げて煽る。

視線をTVへ移した瞬間、冷たい指が頬を撫でる。
一気に距離を詰めてきた彼は、そのまま俺の唇を奪った。
「・・・ん」
唇に触れたのは、口に含んでいたのであろう氷。
隙間から入り込む冷えた舌と共に、熱を帯びた口の中を翻弄していく。
融けた氷の滴を掬い上げるように、舌を絡ませ合った。
「ま・・・お前で抜いてる内は、無理だろうけど」
「そんなこと、言ったんですか?」
「言う訳ねぇだろ」

嫉妬心や加虐心を煽る駆け引きが、純粋に楽しく感じられる。
それはきっと、心が繋がったからなのだと思う。
日々大きくなる想いを抱えながら、俺たちは飽きもせず、感情を絡ませる。

□ 68_玩弄★ □
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□ 74_挑発★ □
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世の中は不平等で出来ている。

非公開コメントではありますが、返信させて頂きますことをご了承ください。

お返事が遅くなりまして、申し訳ございません。
何故このタイミングまでお返事できなかったかと言いますと
リクエスト頂いたシチュエーションが
本日より更新を始めた『花火』とそっくり被っていたからです。
ディテールはもちろん異なりますが、この話を書くにあたって初めに掲げていたコンセプトは
"コンプレックスを抱えた男の話" でした。

人が劣等感を抱く原因の一つに、自身を取り巻く不平等感があると思います。
自分と同等、もしくは自分より下だと思っていた人間が、実は自分より優れた点を持っている。
理解できても納得いかない状況が積み重なる内に、どんどん卑屈になっていく。
大人になり、世の中が不平等に満ちていることに気がついた時には
既にコンプレックスに歪まされた人格が出来上がっている。
今回の主人公は、かなりの勢いで歪を広げられていきます。

お望みの展開とは少し異なる流れになるとは思いますが
楽しんで頂ければ幸いです。
今年一年、ご感想頂きましてありがとうございました。
Information

まべちがわ

Author:まべちがわ
妄想力を高める為、日々精進。
閲覧して頂いた全ての皆様に、感謝を。

2011-3-12
東日本大震災の被害に遭われた方に
心よりお見舞いを申し上げます。
故郷の復興の為に、僅かばかりにでも
尽力出来ればと思っております。

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