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初秋とは言え、まだまだ残暑が厳しいこの時期。
夜遅い時間帯になると、会社のトイレにある小さな窓には、ちょうど良い具合に月が嵌まり込む。
休憩がてら入った、シンとした空間の中で窓の向こうを覗き込むと
仄かな明かりが疲れた眼と身体に沁みて、何処か癒されるような気がした。


部署内は大型物件の提出期日を間近に控え、多くの社員が残っている。
自分のデスクに戻ると、コンビニで買って来たらしい小さな団子が3つ、容器の蓋に納まっていた。
「飯買いに行ったら見かけたんで、つい」
向かいの席の同期がそう笑いながら、弁当で満たしたであろう腹に団子を放り込む。
「こういう時期じゃないと、買わないだろ?」
「まぁ、ね」
「荒巻、甘いのダメだっけ?」
手に取ったまま食べようとしない俺の様子を怪訝に思ったのか、同期は不思議な顔をする。
そうじゃない、むしろ甘い物は好物だし、特に団子には目が無い。
ただ、この時期の月見団子には切ない記憶が頭の中に残っていて、素直に喜べないだけだ。


実家は小さな田舎町にある。
祖母と両親と姉と弟の6人家族。
毎日、些細だけれど色々なことがあり、今よりもずっと喜怒哀楽に溢れた生活だったと思う。
9月15日。
その日になると祖母は必ず団子を作ってくれた。
蒸し上がる甘い米の香りが好きで、それを心待ちにしていたのをよく覚えている。
「泰は今日誕生日だべ。うんと、けっからな」
縁側で少し欠けた月を見ながら、祖母は小さな皿に団子を並べ、上に鮮やかな黄緑の枝豆の餡をかける。
寒い位の夜風に揺れる木々のざわめく音は、いつもなら怖かったけれど
この夜ばかりは、モチモチとした歯触りと丁度良い甘さが恐怖を和らげてくれていた。

「ばーちゃんの団子より、ケーキの方が良い」
多分、小学生の頃だったと思う。
近所の友達の誕生日に招かれた後、ちょっとした羨ましさから母にそんなことを言った。
洋菓子よりも和菓子の方が馴染みが深かったとは言え
綺麗な見た目と鮮やかな甘さが幼い心に衝撃を与えたのだろう。
「ん、そうか。じゃ、今年はケーキにすっぺしな」
母の隣に座り話を聞いていた祖母は、目を細めて呟く。
それから、誕生日に団子を食べることは無くなり
中秋の名月に合わせて作られた物を、少し摘むくらいになった。

祖母が亡くなったのは、大学進学のために上京してからすぐだった。
旧盆に合わせて帰省しようと思っていた矢先。
俺が帰ってきたら、久しぶりに団子を食わせてやりたいと祖母が言っていたことを
後になって母から聞いた。
晴れやかな笑顔の遺影を見て思い返されるのは、けれど、幼い頃に見た少し寂しそうなあの笑顔。
誕生日が近づくと記憶が蘇る。
そして、申し訳なさでいっぱいになる。
もう一回、あの団子を食べたいと、思う。


手にした団子を、一つ口に運ぶ。
柔らかめの食感は、嫌いじゃない。
でも、やっぱり、これじゃない。
「さ、あと一頑張りだな」
目の前の同期は、背伸びをして身体を捻る。
「・・・何だ? まだ、いるのか」
左に身体を傾けたまま、彼はその視線の先に向かって呟いた。
「ん?」
「そろそろ終電だぞ」
席を立った彼が廊下側の机に歩き出す。
気配に顔を上げたのは、部署で一番新入りの柏原君だった。
昨年配属されたばかりの青年は、まだ実務に関しては補助の段階だけれど
来月に控えた資格試験の勉強を、タイムカードを押した後に会社でしているのだと言う。
「すみません、ここが終わったら・・・」
「明日もあるんだから、あんまり無理するなよ」
新人の世話を任された同期は何かと気にかけているようで、時折勉強も見てやっているようだった。
それほど関わりも深くない俺は、挨拶を交わす程度。
彼らの関係を少し羨ましく思いながら、俺は自分のディスプレイに目を移した。


社会人になって季節感の無い毎日を過ごす内に、自分の誕生日すら特別な日では無くなった気がする。
いつもと同じ金曜日の夜。
急に依頼を受けた仕事を終わらせるべく、一人残業をしていた。
オフィスの端には、真剣な眼差しでテキストを見ながら筆を走らせる若者の姿がある。

彼が目指しているのは、この仕事をするのには必須の資格で、部署の人間の大半は持っている。
俺も持ってはいるが、取ったのは入社して5、6年経った頃、しかも2回目の挑戦でだった。
経験も少なく、専門用語で右往左往する段階の彼では大変だろうな、そんな風に思いながら見ていると
不意にこちらを向いた彼と目が合う。
5歳近く離れた男の顔は、当然若く、まだ頼りなく見える。
同期のように気のきいた台詞を、と思ったのに、疲れた表情に瞬間言葉が出なかった。
「まだ、やってくの?」
「ええ、もう少し。・・・あの」
軽くはにかんだ彼は、視線を揺らしながら言葉を濁す。
「何?」
「ちょっと、分からないところがあって」
「俺が分かることなら、構わないよ」
「すみません、お仕事中に」
一つ頭を下げた彼は参考書とノートを持って立ち上がり、俺の机までやってくる。
目に入ったノートには、過去問と、彼なりの理解に基づく注釈が細かな字でびっしりと書き込まれていた。
「この、部分なんですけど」
彼の問いに、出来るだけ丁寧に答える。
俺の説明を頷きながら聞く彼は、事細かにノートへメモしていく。
昔、弟に勉強を教えていたような、そんな時間が何処か懐かしくて、嬉しく思えた。


時計の針はそろそろ11時半を指そうとしている。
席を立ったまま戻らない柏原君を見つけたのは、フロアにあるトイレの中だった。
壁に寄り掛かった彼は、その先にある小さな窓に向けて、自身のスマートフォンを構えていた。
突然入ってきた俺に驚いたのか、狼狽え、申し訳無さそうな様子を見せる。
「綺麗な・・・月だったんで」
窓のちょうど真ん中あたりに嵌まり込んだ、丸い月。
今年は、今日が中秋の名月だったことを思い出す。
彼はその月を写真に収めようとしていたのだろう。
顔を上げると、窓に映った二人の男の姿が目に入る。
台無しにしてはいけないと窓から遠ざかろうとした時、突然腕を掴まれた。
「あ、の・・・そこに、立ってて貰って、良いですか?」
「邪魔になるだろう?」
「いえ、あの・・・良いんです」

軽やかなシャッター音と共に、小さな白い月と、輪郭がぼんやりした俺と彼の姿が画面に残った。
どうやら本人はその写真に満足しているようで、口元が僅かに緩む。
折角の満月なのに、と微妙に思う俺の気持ちも、その顔に少し溶かされる。
「僕、今日、誕生日で」
「え?」
「何か祝うとか、そういうのはあんまりないんですけど。月を見てたら、ちょっと・・・寂しくなって」
しばらく画面を見つめた後、彼は手にしていたスマートフォンを握り締める。
「誰かと、見たかった」
この時間、このフロアにいるのは俺と彼の二人だけ。
他の誰かが来る可能性は、殆ど無い。
「俺のこと、待ってた?」
目を伏せた彼は、小さく頷く。
「・・・すみません」
後輩の抱える感情を滲ませたか細い声が、耳に届いた。
薄い雲が白い光に黒い輪郭を映す中、自身の腰の辺りに添えられた彼の手を、端末ごと掴み上げる。
「俺もさ、今日、誕生日なんだよ」
「え?」
「だから、この写真、俺にもくれない?」
戸惑う眼に、再び射した月光が散る。
どうしてか、その偶然を、偶然のままにしておくのがもったいなく思えた。
「でも」
「折角だから、電話番号も教えてくれる? 俺、まだ聞いてなかったし」

帰りの電車の中、一通のメールが届いた。
送り主は、姉だった。

―― 誕生日おめでとう! もう30? 泰もすっかりオッサンだね~。
―― 折角なんで、プレゼント送っておいたから。 ありがたく頂くように!

姉夫婦は、両親と共に実家で暮らしている。
甥は、もうすぐ小学生。
帰省する度に成長していく子供を見るにつれ、時の流れの速さを思い知らされるようで
何の変化も無く流れてしまう毎日に不安を感じることもある。

翌日、実家から届いた小包には、密閉容器に入った黄緑色の物体が入っていた。
「マコトがね、団子が食べたいって言うから」
電話に出た姉は、笑いながら言った。
「あんたも、昔好きだったでしょ? だから、お裾分け」
枝豆の餡を掻き分けると、顔を出したのは真っ白い団子。
思い出の中の、あの団子だった。
祖母から作り方を教わったという母お手製の団子は、甥のお気に入りなのだそうだ。
「硬くなってたら、ほんのちょっとレンジで温めれば良いから」
ありがとう、そう言って電話を切ったものの、この量は一人で食べるには多すぎる。
携帯電話のアドレス帳を眺めながら、どうしたものかと思案を巡らせた。


「試験勉強追い込みのところ、悪いね」
「いえ、構いません」
夜、戸口に立つ後輩を出迎える。
Tシャツにジーンズ、パーカーを羽織っただけのラフな格好を見るのは初めてで
改めて普通の若者なんだと言うことを認識した。

ベランダの窓からは、月の下の方の、僅かな部分が見える。
適当に店屋物で夕食を済ませた後、団子を肴に酒を飲みながら、ぼんやりと闇に視線を泳がせていた。
「これ、枝豆ですか?」
「そう。あっちじゃ、ずんだって言うんだけど」
「初めて食べました。僕、結構好きかも知れないです」
「小さい頃は、ばあちゃんが作った団子、よく食べてて」
美味しそうに食べる彼の表情に、幼い頃、団子を食べる俺を見ていた祖母の笑顔が重なる。
不意に視界が滲む。
手元の酒を煽り、湧き上がった感情を流し込んだ。
「今でもたまに・・・食べたくなるんだ」

傾いた月が、下半分程窓に入ってきた頃。
心地良い酔いに襲われていたのは、俺だけでは無かったんだろう。
「荒巻さん」
ベッドに寄り掛かった赤ら顔の後輩が、口を開く。
「どうして、僕に、連絡をくれたんですか?」
大して親しい訳でも無く、こうやって社外で会うのはもちろん初めてだった。
同期でも、大学時代の友達でも、声をかければ来てくれた奴はいるだろう。
それでもアドレス帳に登録したばかりの名前を見て、彼しかいないと思った。
待っていてくれたことが、素直に嬉しかったのかも知れない。
俺も、寂しかったのかも知れない。
「もう一度、君と、月が見たかったから」

立ち上がり、窓を開ける。
狭いベランダから少し身を乗り出すと、丸い月が綺麗に見えた。
振り向いて彼に視線を送ると、ゆっくりと立ち上がった彼は俺の隣にやってくる。
今日の月は少し大きくて、手を伸ばせば届きそうな、そんな気がした。
「来年も、一緒に見ようか」
酒に浮かされた彼の身体が揺らぎ、その体温が上半身に伝わってくる。
「・・・是非」
生温い風と共に流れてきた彼の声もまた、少し揺らいでいるように聞こえた。

平坦だった日常に出来た、小さな起伏。
「ちょっと遅いけど・・・誕生日、おめでとう」
「荒巻さんも、おめでとうございます」
誕生日を誰かと祝う、そんなこととは縁遠くなっていたけれど
窓の向こうの月に、共に思いを馳せた時間を大切にしたいと、心から願っていた。

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まべちがわ

Author:まべちがわ
妄想力を高める為、日々精進。
閲覧して頂いた全ての皆様に、感謝を。

2011-3-12
東日本大震災の被害に遭われた方に
心よりお見舞いを申し上げます。
故郷の復興の為に、僅かばかりにでも
尽力出来ればと思っております。

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