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形影(4/4)

「悪いな、休みなのに」
クリスマスを明日に控えた日曜日。
恐らく、ここ数日はほぼ徹夜だったであろう浦本さんの手伝いに赴いた。
「・・・大丈夫です?」
「ん、ああ。あとちょっとだからな」
そう言って背伸びをする彼の机には、若干の違和感が残る。
「片づけでもしたんですか?大掃除にはまだ早いですよ」
妙にサッパリした机回り。
お世辞にも綺麗好きとは言えない先輩は、笑いながら言った。
「気晴らしだよ。夜中に煮詰まったから、掃除でもするかって」
物件ごとに整理されたプラスチック製の資料ボックスが、改めて彼の重荷を示していた。


土曜日に私用で来られなかった分、今日はいつまでも付き合う心づもりでいたから
時計が日を跨ぐ頃になっても、大した焦燥感は無かった。
やっと終わりが見え始め、幾分気も緩み始める。
「何か、買って来ましょうか」
俺が作った計算書のチェックをする先輩に、そう声をかけた。
「お前、終電は?」
「もうそろそろですけど、今日は良いですよ。そのつもりで来たんで」
疲れた顔を緩め、一息ついた彼は、矢庭に立ち上がる。
「オレも行くわ。座りっぱなしで、ケツ痛ぇし」

「らっしゃいませ」
コンビニの制服にサンタ帽を被った若い男は
まるで自分だけが不幸を背負ったかのような顔でレジに立っている。
オフィスビルと飲み屋が隣り合い、背後に風俗店が潜んでいるこの街では、夜中の客はそう多くない。
店内のディスプレイだけが一人はしゃぐ状況に、辟易しているのだろう。
パンや飲み物をレジに持っていく俺たちだって、彼と大して変わらない位置にいる。
少しだけ同情を感じながら、同士から釣りを受け取った。

エレベーターから降りた浦本さんは、そのまま屋外階段へ歩いて行く。
先輩がドアを開けると同時に、冬の風が全身を冷やす。
眼下に派手な色彩を見下ろしながら、煙草に火を点けた。

こんな場末の、あんな安いラブホテルでも、今日は特別らしい。
精々5分程度の間に、訪れては去っていくカップルが何組いただろう。
「きっと、しばらく経てば、笑い話になるんだろうな」
階段の柵に肘をつき、彼は笑った。
「でも、あれが原因で別れるかも知れませんよ?」
「そりゃ、それまでの仲だったってことだろ」
振り向いたその表情は酷く穏やかで、それなのに言い知れない不安が生まれる。
「なぁ」
「・・・何ですか?」
「キスしてくれよ」
それは多分、冗談では無かったと思う。

よっぽど飢えていたのか、クリスマスという雰囲気に飲まれたのか。
いずれにしても、男にキスをせがむ心境に何故なったのか、俺には理解出来なかった。
もちろん、俺と同じような気持ちを持っているなんて、考えられるはずも無い。
狼狽える俺が明確な返事を出さないことを、彼は是と捉えたらしい。
近づいて来た彼は、俺の顎に指をかけ、少しだけ上向かせる。
その眼は、真っ直ぐに唇を見ていた。
後は、俺が、近づくだけだった。

首を傾いで、ゆっくりと唇を重ね合わせた。
乾いた感触が、煙草の匂いとともに全身を駆けて行く。
互いの眼差しが、互いを掴み、離さない。
震えるほどの歓びが、身体を熱くさせた。

「オレは、どっちかって言うと犬の方が好きかも知れないな」
煙草に火を点けた先輩が呟く。
「え?」
「その方が、オレが傍にいて欲しい時に、いてくれるだろ?」
吐き出した煙が、くすんだ夜空に溶けて行った。
いつでも傍にいられる存在になりたい、なれるかも知れない。
彼の言葉を胸に仕舞い込みながら、そう、考えていた。


無事に図面提出を終えた翌日。
出社時間を過ぎても、先輩は姿を現さなかった。
10時、11時、時間が経っても連絡は無い。
上司や社員が代わる代わる携帯電話にかけても、誰一人繋がらなかった。
昼休みに差し掛かる頃、業を煮やした社長から俺に声がかかる。
彼の自宅まで様子を見に行け、とのことだった。

初めて降り立つ駅から程近くに、彼が住むマンションはあった。
オートロック式の玄関でインターホンを押しても、応答は無かった。
管理会社に連絡をするかどうか上司に伺いを立てると、とりあえず今日は様子を見ようとの返事。
仕方なく帰る途中、来た時には気が付かなかった掲示板の文字に、目を奪われた。
『今朝、当駅で発生した人身事故の影響により、ダイヤが乱れております』

嫌な予感が全身を強張らせる。
そんなバカなこと、ある訳ない。
第一、それなら会社に連絡があっても良いはずだ。
でも、身元の分かる物を何も持っていなかったら?
目が回りそうなほどの、不毛な思考の氾濫。
早くなる鼓動を抑えながら、ホームへ続く階段を上った。

人の少ない昼間のプラットホーム。
電車が来るまでは時間があるからとベンチに腰掛けようとした時、ある物が目に入った。
拾い上げると、それは儚い小さな音を響かせる。
似たような物は幾つもあるのだろうと思う。
けれど、俺には、その時の俺には、これが誰の物であるのか、一つの結論にしか至れなかった。
固いベンチに沈み、白い息を吐く。
「浦本さん、この電車じゃ、田舎に帰れませんよ・・・」


無断欠勤3か月をもって退職とする。
前代未聞の出来事を受けて急遽作られた社内規定により、春を迎える頃、彼はクビになった。
既に両親は他界されていて、唯一の肉親である姉の元にも、連絡は無いとのこと。
生死も分からないまま、俺の気持ちを離さないまま、彼は消えてしまった。
確実に巡る季節は、既に盛夏に近づきつつある。
中核を失った会社はしばらく迷走を続けていたが、何とか、立ち直ってきていた。

残業中のある夜。
携帯に一通のメールが届いた。
送り主のアドレスに覚えは無かった。
件名も本文も無いメールには、画像が一枚添付されている。

紺碧の青空に力強い稜線を描く山並みと、遥か広がる草原。
そして、芝生に写り込んだ、長い人影。

電話を持つ手の震えが止まらなかった。
小さな望郷の風景が、徐々に滲んでいく。
彼の面影と感触を頭に思い浮かべながら、声を殺して、泣いた。

□ 63_形影 □
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テーマ : 自作BL小説
ジャンル : 小説・文学

コメント

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心の稜線

冒頭の描写がここに繋がったんですね。

この小説は、私にとって忘れられない記念碑的作品になりました。
読み終わって直ぐに続編を希望する事は禁止手だと思うので、これは異例中の異例だと思って下さいね。
続編をお願い出来ますか?我が儘で申し訳ありませんが…。

まだ、結婚する前です。母とふらりと入った画廊で、文化勲章受賞者である日本画の奥村/土牛画伯のなだらかな山の稜線の絵に吸い寄せられました。風景画でこんなに惹かれた事は、正直なかったのです。
値段を聞くと、百五十万円くらいで買えない金額ではない。どうしても欲しかったのに、「文化勲章受賞者の絵だから、値上がりしますよね?」
と、店の人に聞いた無粋な母の一言に反抗してしまって、買うのを止めてしまいました。若気の至り…。
それをずっと後悔しています。
今頃、あの素晴らしい絵は何処かの会社の社長室に飾られているのかもしれません。

そんな後悔をしたくありません。
ですから、無理を承知で、こんなに早くお願いしました。
申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。

昨日は、此方はかなり強風でした。琵琶湖の佐々波もさぜかし……と、思いました。

情けない物書きの戯言。

毎朝、電車に乗って通勤しています。
時折、降りる駅を前にして、このままここで降りなかったら…と考える時があります。
まぁ、終点まで行ったとしても然程遠い所まで行ける訳でも無く
結局は、そのまま目的地で降りてしまいます。

誰にでも逃避願望があると思います。
全てを放棄し、周りに遺恨を残して、それでも踏み出せるのか。
私は、失踪した男に、自分の儚い希望を乗せました。
ですが、良い結末を思い浮かべることが出来ません。
感情移入し過ぎているのかも知れないと、貴女のリクエストを見て、感じています。

ご希望は承ります。
ただ、一つお願いがあります。
禁じ手と仰った貴女に、更に禁じ手で返すようですが
どのような展開をお望みなのか、御教示頂きたいのです。
雰囲気でも、単語でも構いません。
手を引く一言を、与えてやって下さい。
但し「やっぱり無しで」は承りませんので、悪しからず…。

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ありがとうございます

仰るとおり難しい展開ですのに、ありがとうございます。

新年度となり、お忙しくお過ごしの事と思います。
どうか、ご無理なさらずに。ゆっくりお待ちいたします。

春とはいえ、まだまだ寒い日もありますので、風邪などひかれませぬように、ご自愛下さいませ。

死を知っている人の文章

死はこんなふうにさりげなく、日常生活にすべりこんでくるのだと。
冷静で的確な文章があきらかにしています。
読みながら、浦本さんの安否を心配し、死なないでと祈りましたが、同時に、私は、
「あぁこれは、死を知っている人の書いた文章だ」と感じて、しみじみと、癒されたのです。




初夏の風に乗せて。

>夜来香さま

ご期待に添えるかどうかは分かりませんが
暫しお待ち頂ければと思います。
こちらこそ、我儘を言いまして、申し訳ございませんでした。

憧れと恐怖。

>みんとさま

今まで、祖父母や学生時代の友人の死を見てきました。
昨年の震災で犠牲になった故郷の知り合いもいました。
そろそろ、肉親の死も見据える歳です。
希死念慮があることも、否定できません。

日常と隣り合わせにあるはずなのに、意識すると恐怖になる。
死後の世界を信じている訳でも無いのに、時折向こうの世界に憧れる。
知っている、と言って良いのかは分かりませんが
意識することは、多いのかも知れません。

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Information

まべちがわ

Author:まべちがわ
妄想力を高める為、日々精進。
閲覧して頂いた全ての皆様に、感謝を。

2011-3-12
東日本大震災の被害に遭われた方に
心よりお見舞いを申し上げます。
故郷の復興の為に、僅かばかりにでも
尽力出来ればと思っております。

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