Blog TOP


形影(3/4)

「もう、いいや。後、オレやるから」
浮足立った世間に居心地の悪さを感じる冬の夜のこと。
計算書の作成を手伝っていた俺に、浦本さんはそう言った。
慣れない作業で、進みが遅かったのは確かだったものの、提出まではまだ時間があると聞いていた。
彼の口調は明らかに苛立っていて、足手まといを追い払うような、そんな態度だった。
腑に落ちないけれど、反論しても仕方が無い。
どんなに彼の助けになりたくても、本人がいらないというのなら、意味が無い。
「・・・分かりました」
「今日は帰って良いよ。明日、別のこと頼む」

あんな言われ方をしたのは、初めてだった。
ただ、ここ数日、不機嫌な態度は顕著で、彼はそれを隠そうともしていなかった。
気持ちに余裕が無くなっているのだろう。
そう分かっていても、どうすれば落ち着いてくれるのかが分からない。
「お疲れ様でした」
パソコンに向かう彼の背中に向かって挨拶をし、自席を離れる。
気の利く言葉すら、何も思いつかなかった。


会社のビルの入り口付近には、朝の出勤時間帯、時折猫が集っている。
何処かの猫好きが餌でも撒いているのかも知れない。
近づくとすぐに散ってしまうから、マジマジと眺めたことは無いけれど
その光景に、気分が癒されるようだった。

前日の先輩の言葉を引き摺りながら出社した俺の視界に、今日も猫溜まりが入ってくる。
いつもと違うのは、その真ん中に人の姿があったことだった。
近づくと、やっぱり猫たちは逃げて行く。
俺の気配に気が付くのが遅かった一匹の猫が、目の前に立つ男の足の陰に隠れ、つぶらな瞳で威嚇する。
「猫、好きなんですか?」
「別に、そういう訳じゃないんだけどな」
足元の猫に優しい眼差しを送りながら、先輩はそう笑った。
「俺が近づくと、いつも逃げられるんですけど」
「食われるとでも思うんじゃないか?」
「そんなこと、思ってませんよ」

逃げ遅れた猫が、フイと狭い隙間へ滑り込んでいく。
その影を追いかけた穏やかな表情に、懐かしさすら感じる。
「犬と猫、どっちが好きです?」
「・・・お前、結構つまんないこと聞いてくんのね」
「普通の質問ですよ」
俺の言葉を鼻であしらった彼は、玄関に向かって歩き出しながら答える。
「そうだなぁ・・・どっちも嫌いじゃないけど」
「浦本さんだって、つまんない答じゃないですか」
「普通の答だろ?」

狭いエレベーターに乗り込み、会社があるフロアのボタンを押す。
「でも、お前はどっちかって言うと、犬っぽいよな」
「それって・・・褒め言葉じゃ、無いですよね」
「まぁな」
からかうような口調でそういう彼の視線が、俺を捕え、すぐに外れた。
「昨日は悪かった。ちょっと、イラついてた」
「・・・いえ」
「折角手伝って貰ってたのに・・・ホントは、凄く、助かってるから」
「・・・はい」
「代わりと言っちゃなんだけど、今日はガッツリ頼むから、覚悟しておいてくれ」
エレベーターが目指すフロアに到着する。
口角を上げた悪戯っぽい笑顔を向けて降りる彼に、分かりました、と声をかけた。
憂鬱なはずの残業が、楽しみにすら思えてくる。
彼の役に立てる、必要とされることを心から嬉しく感じていた。


「冗談じゃないですよ!間に合う訳ないでしょう?」
怒りを抑えきれない声が社内に拡がる。
「最終の要望書は一週間も前に締め切ってるじゃないですか。現場対応で何とかして下さいよ」
どうやら、来週提出予定の図面に関する設計変更の連絡のようだった。
「統括してんのは、そっちだろ?!」
ヒートアップする一方の先輩を宥めるように、上司が対応を代わる。
張りつめた雰囲気に強張る俺に、彼が声をかけてきた。
「その計算、ちょっと待って。床面積変わるっつーから」

凝った意匠が目を引くマンションの新築工事。
何かと我儘な施主に、自らの信念を通そうとする建築家の先生のコンビは最凶だった。
事あるごとにやってくる設計変更に、流石に業を煮やしたのか
浦本さんは、要望書の提出がなければ変更には対応しないと、打合せの席で無理矢理了解を取った。
にも拘らず、イレギュラーでやってくる要望の数々。
今の今までキレなかったのが、不思議なくらいだった。

溜め息交じりで電話を切った上司が、浦本さんを呼ぶ。
「金額上げるから、何とか対応してくれだとさ」
「何とかって・・・もう、来週出しなんですよ?」
「あと5日あるだろ?」
「ああ・・・土日も入れて、5日ってことですよね?」
冷静を装えない程の憤りを感じているのか、その声は僅かに震えているように聞こえた。
「これも勉強だ。もう少しの辛抱だから」
「・・・そうですか」

年末を控え、社内は確かに煩雑な状況を迎えている。
中でも彼の仕事量は突出していた。
頼りになる中堅どころとして、会社からの信頼の厚さだとポジティブに受け取ることも出来るのだろうが
彼が欲しかったのは、きっと、助けの手だったのだろうと思う。
諦めを帯びた目が、望郷を映すディスプレイを見つめている。
この時、糸は、切れてしまったのかも知れない。

□ 63_形影 □
■ 1 ■   ■ 2 ■   ■ 3 ■   ■ 4 ■
>>> 小説一覧 <<<

テーマ : 自作BL小説
ジャンル : 小説・文学

コメント

非公開コメント

愛と恋

いつの間にかそこにあるのが「愛」で、不意討ちにいきなり来るのが「恋」。
「恋」の胸苦しさから逃れる為に、穏やかな「愛」に気持ちを昇華さすのかな?
そうして、安定した「愛」に満足して暮らしていても、いきなり「恋」が来る事もあるのは何故かしらね?

まだ「恋」ができる自分を再確認する為かもしれない。

結婚しているのに不倫するのは、夫婦仲が冷えていたりセックスレスだと思っていたけど、そうでない場合もあると、最近、ようやく分かりました。

自己の再確認…。成る程!

園部も恋に落ちたとしたら、向上心と共に孤独の再確認をするんでしょうか。

流れゆくもの。

恋は落ちるもの、とは本当によく言ったものです。
相手が確かにいるはずなのに、恋をすることで孤独を感じる。
不思議な感覚ですが、分かる様な気がします。

水を湛える湖が愛ならば、流れゆく川が恋、なのでしょうか。
Information

まべちがわ

Author:まべちがわ
妄想力を高める為、日々精進。
閲覧して頂いた全ての皆様に、感謝を。

2011-3-12
東日本大震災の被害に遭われた方に
心よりお見舞いを申し上げます。
故郷の復興の為に、僅かばかりにでも
尽力出来ればと思っております。

*** Link Free ***



>> 避難所@livedoor
Novels List
※★が付く小説はR18となります。

>>更新履歴・小説一覧<<

New Entries
Ranking / Link
FC2 Blog Ranking

にほんブログ村[BL・GL・TL]

駄文同盟

Open Sesame![R18]

B-LOVERs★LINK

SindBad Bookmarks[R18]

GAY ART NAVIGATION[R18]

[Special Thanks]

使える写真ギャラリーSothei

仙臺写眞館

Comments
Search
QR Code
QR