Blog TOP


依拠★(4/9)

誰かの視線に耐えられない。
濡れた髪から落ちる滴に背筋を冷やされながら、大通りまで足を進める。
酔眼だらけの街であることは、幸運だったのかも知れない。
怪訝な表情を浮かべる運転手を金でなだめ、タクシーで家路を急いだ。

貴重品が無事であったことに退路を断たれたと気が付いたのは
自宅に着き、スーツのポケットに突っ込んだ万札を取り出した時だった。
金を盗られたのであれば、強盗として警察に訴えることも出来る。
もちろん、暴行の被害届を出すことも可能だけれど、そんなこと、出来るはずが無い。
奴らはそれを知っていて、だからこそ、金には手を付けないのだろう。

何も無かったと思い込ませるには、業が深過ぎた。
身体を侵食していた鈍い痛みは、週末の時を経ても端々に残る。
道を歩いていても、電車に乗っていても、会社についても尚、周囲の気配に心が怯える。
平常心を取り戻すことが出来ない俺を置き去るよう、非情にも時間は過ぎていく。


「大丈夫?調子悪そうだね」
相変わらず浮ついたままでの業務が捗る訳も無く
今日中に終わらせる予定だった図面も中途半端な状態で迎えた夜。
少し離れた席で残業をこなしていた住吉さんが、声を掛けて来た。
「手伝えそうなことがあれば、言って。オレの方、もう終わるから」
「いえ・・・大丈夫です」
取り繕うように作った表情に、彼は少し戸惑いの眼を向ける。
「過ぎたことは、忘れる努力も必要だよ?」
傾いだ眼鏡に照明が反射して、その表情が窺えない。
それだけのことが、妙な不安を呼ぶ。
「・・・はい」
溜め息混じりの俺の返事に、彼は不意に立ち上がった。

レンズの向こうの眼は、やっぱり優しげで、ざわつく心を僅かに宥めてくれる。
並んだ机を回り込むようにして近づいてくる彼を目で追った。
俺の傍に立った先輩が机の上に広がるスケッチを手に取り、眺める。
「納まりの要領図か」
「頭の中に、構想は出来てるんですけど・・・」
「一回、リセットしてからの方が良いんじゃないかな」
彼はマウスを握る俺の右手を覆うように手を乗せ、書きかけの図面ファイルを閉じた。
「まだ、提出は先でしょ?」
「ええ、まぁ」
手の甲に触れる彼の体温が、意固地になっている気分を和らげる。
その指が袖を捲り上げた腕に滑り、離れて行った。


エレベーターに乗り込み1階のボタンを押した住吉さんは、自身のネクタイを緩める。
一つ息をつく気配に向けた視線が、彼のものと交わった。
「藤枝君、何か・・・悩みでもあるの?」
「え?」
「体調ってよりも、気分的な問題なんじゃないかと思って」
誰にも言えない、あんなこと。
でも、誰かに助けを求めたくて、堪らない。
「すみません・・・大丈夫です。本当に」
作り笑いは得意じゃない。
ぎこちない表情が彼の憂慮を深くしたのだろうか。
眼が、少し細く歪んだ。

彼を身体の左側に感じながら、エレベーターは目的階に到着する。
先に降りるように促され、それに従う。
扉の向こうには、照明が落とされたエントランスが広がる。
空調は止まっていたけれど、未だひんやりとした空間に仄かな月明かりが差し込んでいて
2階まで吹き抜けたカーテンウォールの向こうが熱帯夜だということを、忘れそうになる。

ふと、左腕が軽く掴まれた。
振り返った先には、薄い光を浴びた先輩の姿。
些か無表情の彼は、ワイシャツの袖のボタンを外し、静かに捲り上げていく。
「・・・どうしたん、ですか」
肘の下側に付いた傷が、袖の中から露わになる。
あまり他人には見られたくなくて、普段は服の下に隠している部分。
彼がその存在を知っていたのかどうかは、分からなかった。
「大きい傷だね。・・・何で、付いたの?」
小学生の頃、ふざけて遊んでいた拍子にガラス窓にぶつかり、ざっくり切ってしまった傷の跡。
一瞬にして血に塗れ、酷く泣いたのは覚えているけれど、その痛みはあまり覚えていない。

まるで辛苦を鎮める様に、親指が傷を撫でる。
しばらく動きを繰り返した彼は、目を細め、古傷に唇を寄せた。
柔らかな感触が、あの夜感じた微かな官能を引き起こす。
「何、するんですか・・・っ」
認めたくない感情で、引き離そうとする腕に力が入る。
俺の抵抗に呼応するよう、彼の手は俺の肩を掴み、身体を引き寄せる。
「住吉さん!」
彼の人差し指が、声を制する如く唇に触れた。
「大丈夫、落ち着いて。・・・怖がらなくて、良いよ」
その声と言葉に、闇が、走馬灯のように頭を巡る。
唯一の拠り所であり、最後の希望を断ち切った存在。
受け入れがたい現実に気力を抜かれた身体が、彼の腕の中に納まった。

□ 62_依拠★ □
■ 1 ■   ■ 2 ■   ■ 3 ■   ■ 4 ■   ■ 5 ■   ■ 6 ■   ■ 7 ■
■ 8 ■   ■ 9 ■
>>> 小説一覧 <<<

コメント

非公開コメント

坂口/安吾の小説アプローチ

穏やかな物言いの男は住吉主任ではないか?と、ずっと思っていましたので、やっぱり…という思い。
サスペンス好きの私ですから、本作品は読んでいて大変楽しいです。…藤枝には悪いけど。

ところで、続編『朝凪』で終わりかと思ったら、リクエストされた方がいて、続々編を書かれるんですね!?ふふ、あなたには編集さんが付かれたみたいですよ?
私は小説全体の雰囲気や骨格を愛でますので、特にどの文章を抽出してという意識を重視しているわけではありません。

2月25日に実施された京都大学二次試験(前期)の国語文系の問二の出題文。作家の坂口安吾の「意慾的創作文章の形式と方法」より出題されている、その問題文が、小説を書くのに中々参考になると思いましたので、私のサイトに近々、考察と共に載せるつもりです。
もっとも、あなたのように既に独自のスタイルを築き上げられている方には自明の事かと思いますが、小説を理解する為には、一般人や学生には為になると思います。

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

日々勉強。

>夜来香さま

確かに、高校生の時は現代文の授業が好きでした。
今となっては、工学系の大学に進んでしまったことを少し後悔しています。
もっと、日本語を真摯に学ぶべきだったと思います。

文章の書き方を学んだことはありませんし
頭の中のイメージを具現化するアプローチも、未だに手探りです。
改めて、勉強する機会を作っていきたいものですね…。

伝えたいこと。

3/1 23:00にコメントを頂いた閲覧者様へ

非公開コメントではありますが、こちらには是非お返事させて下さい。

2/29:112 / 507 → 3/1:1,311 / 8,567

これは、この2日間のblogのユニークアクセスとトータルアクセスです。
爆発的なアクセスの急増は、お察しの通り、Open Sesame!様に掲載頂いたことが理由です。

自己満足の為に書いている文章とは言え、ネットにアップしている以上
誰かに読んで貰いたいと言う欲求が無い訳ではありません。
だからこそ、より多くの方の目に触れる機会を作って頂いたことを感謝しております。
本当に、ありがとうございました。
Information

まべちがわ

Author:まべちがわ
妄想力を高める為、日々精進。
閲覧して頂いた全ての皆様に、感謝を。

2011-3-12
東日本大震災の被害に遭われた方に
心よりお見舞いを申し上げます。
故郷の復興の為に、僅かばかりにでも
尽力出来ればと思っております。

*** Link Free ***



>> 避難所@livedoor
Novels List
※★が付く小説はR18となります。

>>更新履歴・小説一覧<<

New Entries
Ranking / Link
FC2 Blog Ranking

にほんブログ村[BL・GL・TL]

駄文同盟

Open Sesame![R18]

B-LOVERs★LINK

SindBad Bookmarks[R18]

GAY ART NAVIGATION[R18]

[Special Thanks]

使える写真ギャラリーSothei

仙臺写眞館

Comments
Search
QR Code
QR