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想望(3/5)

「塩澤さん、お電話ですよ」
俺に付きっきりになっていてくれた彼は、そう呼ぶ声に頷き、場を離れる。
「じゃあ、ちょっと弄ってて下さい。すぐ戻りますんで」
窓の外では、もう陽が傾き始めて来ている。
何時に来たのか、正確な時間は忘れてしまったけれど
決められた時間を過ぎているであろうことは確かだった。

どうして彼は、あんなに俺に親切にしてくれるのか。
新規の客を獲得する為の、彼のやり方なんだろうか。
そうだよな、あっちからすれば、俺はただの金づる。
ここで心証を良くしておけば、彼の勝ちだ。

結局、彼との授業が終わったのは、俄かに空がくすみ始めた頃だった。
もちろん、パソコンの前から離れても、すぐに返しては貰えない。
むしろ、室長にとっては、これからが本番なのだろう。

「如何でした?感触は」
「いろいろ、出来るんだなぁ、と」
「今日はホンの触りですからね。どんなことが出来るのか、その可能性をこちらで習得して頂ければ」
夕日に陰らされる顔が、俺を見る。
同時に差し出される、分厚い教材。
「原則、ウチの授業を受ける際には、これを最初にご購入して頂かないとならないんです」
中には、さっき見せられた薄い冊子とは違う、小難しい文言が並んでいた。
このテキストだけでは理解出来ないように、そんな魂胆なのかも知れない。
「これに合わせた授業は、別途チケットを購入頂くと言う形ですね」
提示された一つ一つの金額は、捻出できない額じゃない。
ただ、それが積み重なる度に、段々と気持ちが冷めて行く。

「ご自宅に、パソコンはお持ちですか?」
無言でページをめくる俺に、彼はそう声を掛ける。
「一応・・・家族の共用のが」
「もし、このソフトが入っていれば・・・」
彼の声のトーンが、僅かに落ちる。
「君塚さんは飲み込みが早そうですから、ご自宅で学習されても良いのかも知れません」
「でも、それじゃ・・・」
「ウチの教室、お客様が途切れる時間帯に、自習時間を設けてるんです」
「自習?」
「パソコンをお持ちでない方に対して、指導無しでパソコンを使って頂く趣旨なんですが」
室内を見回すように彼の視線が泳ぎ、また俺の元へ戻ってくる。
「分からないことがあれば、僕に聞いて貰って良いんで」

平日の客層の殆どが主婦や高齢者。
夕方のこの時間は概ね客足が途絶えることもあって、指導員は彼一人なのだそうだ。
1時間500円、チラシ約170枚分。
それが高いか安いかが分かるのは、このテキストの内容を理解しきった時なんだろう。
分厚い冊子を手に教室を出る俺に、彼は深々と頭を下げて、言った。
「お待ちしてます」


バイトの休憩時間、ポスティングから戻って寝るまでの時間。
時には自宅のパソコンの画面とにらめっこをしながら、少しずつテキストを進めて行く。
500円とは言っても、毎日教室に通う事は出来ず
週2、3回、バイトの前に立ち寄っては疑問を彼にぶつける。
本来なら、その何倍もの金を払って対価を得るはずの行為。
分かっているからこそ、頻繁に通うことは躊躇われた。
それでも、何処か後ろめたい気分で入り口のドアを開ける俺に、彼はいつでも笑顔を向けてくれた。


ある日の夕方。
いつものように教室へ入ると、彼の姿は無かった。
代わりに対応してくれたのは、指導員と言うIDを下げた中年の女。
どうやら室長は出張で不在と言うことらしかった。
パソコンのトラブルがあったら声を掛けてくれ、と言い残し、彼女はカウンターの後ろに消えて行く。

初めてこの画面を見てから、1ヶ月くらい経ったのだろうか。
表計算やグラフの作り方は、何となく理解出来て来た。
数式も、一般的な物であれば使えるようになった。
引っかかっていたのは、論理式の組み立て方。
答を求める存在がいないまま、仕方なく、復習を兼ねてテキスト通りに式を弄ってみることにした。

「塩澤さんも、もっと愛想良くすればいいのにね」
「でも、さっきのお客さんには、凄く親切なんですよ」
「そうなの?室長がニコリともしないって文句言われたことあるのに」
断続的なキーの音に混ざる、くぐもった声。
漏れ聞こえていることに気が付いてないのか、別に聞かれても構わないと思っているのか。
どちらにしても、自分が好意を持つ人間に対する陰口を聞くのは、良い気分じゃない。
席に着いてから20分も経っていなかったけれど、もう出よう、そう思った時、更に追い打ちをかけられる。
「あのお客さんだって、こんな時間に来てるんだからフリーターとかでしょ?」
「まぁ、そうでしょうね」
「きっと、今は同情してるだけで、それに飽きたら不愛想になるわよ」

笑顔以外の彼の表情が思い浮かばない。
ありがとうございました、そう呟いて教室を出る俺に、彼女たちは素知らぬ笑い声を返した。
慈善事業じゃない、これはれっきとした商売。
金を払わない客に用は無い、当たり前の現実を改めて突き付けられたような気がした。


バイトのシフトが深夜から朝に変わり、パソコン教室からも自然と足が遠のいて行く。
疑問の山も乗り越えられない部分に差し掛かると、いよいよ興味も薄れて行く。
1、2週間も経つと、彼と顔を合わせることも気まずく感じるようになって
スーパー自体を避けて歩くようになった。
待ってる、その言葉がただの社交辞令じゃなかったと信じたい気持ちが、罪悪感に変わる。
俺がもっと、ちゃんとした人間だったら、良かったのに。

□ 59_想望 □
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テーマ : 自作BL小説
ジャンル : 小説・文学

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まべちがわ

Author:まべちがわ
妄想力を高める為、日々精進。
閲覧して頂いた全ての皆様に、感謝を。

2011-3-12
東日本大震災の被害に遭われた方に
心よりお見舞いを申し上げます。
故郷の復興の為に、僅かばかりにでも
尽力出来ればと思っております。

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