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空疎★(1/7)

「・・・おはようございます」
上目遣いの彼は小さな声で挨拶をしながら、遠慮がちに俺の向かいの席に座る。
こんな毎日が続くようになって、もう1ヶ月。
少しは馴染んで来ても良いのだろうと思うのに、その気配すら見えない。
3ヶ月の試用期間が終われば、彼は係長として登用される。
馴れ馴れしい人間は苦手だけれども、あまりによそよそしくされるのも複雑だ。

前職はゼネコンの構造設計。
転職の決め手になったものが何だったのかは分からないけれど
入社当初に開かれたささやかな歓迎会の場、呑めない酒に気分を浮かされたのか
何となく人生が煮詰まった様な気がしてと、はにかんだのは良く覚えている。
35歳を前にしての方向転換には、それなりに勇気が必要だったと思う。
彼より年下の俺でも、もう、ここを飛び出す気概は無い。

夕方、定時前。
グループの上司である引地課長補佐の声が飛んで来た。
「川端君、ちょっと良いかな」
目の前の彼は、ふと不安げな顔を浮かべ、その席に赴く。
今、引地さんが頭となって手がけている大手ホテルチェーンの建物耐震診断。
来週から始まる中国地方への出張コンサルティングの件なのだろう。
予備資料の作成は俺に任されていたけれど、本調査は彼がメインで進めて行くことになっている。
過去の実績から考えれば何の問題も無いはずなのに
あんな表情をするのは、まだ新しい仕事に自信が持てないと言うことなんだろうか。


明るい髪に小柄な身体、声も少し高いトーンの彼に、上司はあまり良い印象を持っていないようだった。
仕事ぶりを見た目で判断する事は出来ないが、自信無さげな口調も輪をかけたのか
喫煙所で同期相手に軽口を叩く姿を、何回か見かけたことがある。
「香月も、あんなチビで陰気な奴が上司なんて、腑に落ちないんじゃないのか?」
不意に話を振られても、引きつった笑いしか返せない。
あんたを筆頭に、上司は選べないんだから。
そんな言葉が口から出かかるのを、必死に堪えていた。

向かいに座る男に、来たる上司に対する感情以上のものを抱き始めたのは、いつ頃だろう。
ほぼ、一目惚れだったのかも知れない。
元々そう言う性質を持っていたのだろうけれど
男に対して性的魅力を感じるようになったのは、社会人になってからだ。
高校生の時の淡い恋愛から長いブランクを置いてしまったせいなのか
大した女に巡り合ってこなかったのか、理由は分からない。
瞬間、独りよがりな感情を抱きながら身体を慰めては、また移ろう。
想いを遂げようと思ったことも、その身に手を伸ばそうと試みたことも無い。
それでも、多忙な毎日の中で、俺は十分に満足していた。

彼への想いも、そんな一過性のものだと思っていた。
業務以外の会話が殆ど無いからこそ、妄想も冴える。
その風貌が、普段解消されない破壊衝動をも満たしてくれる。
好きなだけ楽しんで、また次に移るはずだったのに。
下衆な嘲笑が、思いも寄らない彼への独占欲を掻き立てる。


課長補佐と川端さんが出張から帰って来た翌日。
調査資料の作成で残業中、夜も更けて来た喫煙所で帰り際の上司に出くわした。
「出張はどうでした?」
「ああ、法的指針すら満たしてない建物が多くてね。オレら的には検討し甲斐があるけど」
「じゃあ、修繕費もバカにならないでしょうね」
「ホテルである以上、そんなこと言ってらんないだろ」
そう笑う彼は、短くなった吸殻を灰皿に投げ込み、更に新しい煙草に火を点ける。

「川端さんとも、いろいろ話す機会があったんじゃないですか?」
双方の間の感情が芳しいものでは無いことは、傍から見ても明らかだった。
単なる好奇心から出た俺の問に、彼の表情が気持ちの悪い変化を見せる。
「あいつ、なかなか使えるかもな」
目つきとは相反する言葉が、不快感を増長する。
「そう、なんですか。・・・優秀ですもんね」
俺の言葉を鼻で笑いあしらう彼は、幾分声を抑え、部下とのエピソードを話しだした。


どんな顔をして席に戻れば良いのか。
迷いあぐねる内に、エレベーターは目的階に到着する。
照明が落とされた廊下の向こうに、蛍光灯が輝く一角が目に入った。
様々なものが視線を遮っているけれど、確かに彼は、そこにいるはずだ。

俺の気配に気が付いた川端さんは、何となく安心したような眼差しを向けてくる。
「どうですか?そちらの方は」
「ええ、何とか基本的な部分は入力できました」
ディスプレイに軽く添えた手に呼ばれるよう、彼の席の方へ回り込んだ。
緩めたネクタイに、袖が捲られたワイシャツ。
昼間とは違う、少し気が緩んだような雰囲気が、小さな身体から感じられる。
「来週から具体的な検討作業に入れそうですね」
屈みこんで画面を覗き込む俺の傍で、彼はそう言って疲れた笑顔を見せた。

「出張は、どうでした?」
彼の表情を窺えない位置で、そんな問い掛けをした。
「・・・本格的な調査は、初めてだったんで。なかなか苦労しました」
一瞬言葉に詰まりながらも、彼はそう答える。
「引地さんと3日も4日も一緒って、大変だったでしょう?」
「え、いや、まぁ・・・仕事ですし」
振り返ると、若干困惑した彼の顔が目に入る。
上司が笑いながら話したことは事実だったんだろうと、呆れるような、悔しいような気分になった。

体勢を立て直し、彼の肩に手を置く。
「香月、さん?」
見上げる視線に混ざる、幾ばくの不安。
この身体が、俺のものになるのかも知れない。
期待で心が逸るのを感じながら、その耳元に顔を近づけ、呟いた。
「川端さん・・・引地さんのチンポしゃぶったって、本当ですか?」

□ 56_空疎★ □
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コメント

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鏡の欠片

誘っているわけではないのに、男の攻撃的な狩猟本能を刺激して狙われる人がいます。
川端も誘蛾灯みたいな男だわ…。

急な送別会で、栄転なのに行きたくないと号泣した上司。私が結婚すると報告した時に、「男に殺されないように気を付けろ。その眼が狂わせる。」と言って、驚かせた人。

何年たっても、心の奥に刺さったトゲのようで、時々傷口が開く。

妻に財布を渡す男は日本くらいなもの。家計は男が管理して、女は鍋ばかり磨かされる…。レディファーストは男性優位の意識の裏返し。

容貌が魅力的で、体格も立派で知性や教養があって人当たりも柔らかいのに、妻子に時々暴力を震う男がいます。そんな男は暴力を震った後は、猫なで声で一層優しくなる。
「本棚は内面を映す鏡」と仰ったのは、その通りですね。

コメントしてからちょうど1年。月日は確かな歩みで、いつだって前へ進むんですね。

笑ってりゃ、いいんだよ。

ある飲み会の場で、女性の悩み事を聞いていた男性が不意に言いました。
「女はね、笑ってりゃいいんだよ。そしたら、その内、何とかなるから」
傍で聞いていた私には、酷く乱暴な言葉にしか聞こえませんでしたが
笑うことは自分の心をリセットさせるだけではなく、周りの雰囲気も大きく変えるもの。
それが、取り巻く状況すらを好転させて行くのだと、彼は言っていたのでしょう。

昔から、諍い事が苦手です。
争うくらいなら、流される、関係を断つ、そんな過ごし方をしてきました。
誰かが笑って、その場を癒してくれるのを待つばかりではいけないのでしょうが
何処かで笑うことを忘れないようにしたいと思います。

一年は長いのか、短いのか。
自分の中では、随分無理をして走って来た気がします。
そろそろ歩き始めるタイミングを計る頃でしょうか。
Information

まべちがわ

Author:まべちがわ
妄想力を高める為、日々精進。
閲覧して頂いた全ての皆様に、感謝を。

2011-3-12
東日本大震災の被害に遭われた方に
心よりお見舞いを申し上げます。
故郷の復興の為に、僅かばかりにでも
尽力出来ればと思っております。

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