猶予 (2/5)
転勤までの一ヶ月。
そんな俺の気分などどうでも良くなるくらい、忙しい日々が続いた。
うちの会社は、基本的に一物件を一人が担当することになっている。
あいつの担当していた案件の殆どは完了していたものの、幾つかはまだ竣工に至っていないものもあり
それらを引き継ぎ、担当者へのあいさつ回りに奔走した。
あいつは、名古屋支店で動き始めた大型案件について、向こうの責任者とのやり取りが始まっていた。
どうやら、転勤後すぐに担当して欲しいとの意向のようだ。
東京ではなかなか出ない規模だけに、初めての経験になるだろう。
本人もそれを自覚しているようで、設計の詳細や留意事項などの相談が多くなった。
最後の飲み会は、課の送別会だった。
本人が希望した転勤ということもあり、場の雰囲気は至って明るいもので
名古屋は食べ物が美味しそうだとか、女の子が皆可愛いとか、そんな話題に終始した気がする。
その中で、俺は一ヶ月前に感じた違和感を思い出していた。
まぁ、どうしても払拭したいものではないし、そのうち忘れるだろう。
送別会はそろそろお開きに向かい、各々が帰り支度を始めている。
「斎藤さん、この後時間あります?」
そう聞いてきたのは、あいつだった。
課の女性陣から貰った花束を手に提げ、大分飲まされたのか首まで赤い。
「あるけど。どうした?」
「ちょっと飲みなおしません?」
「しこたま飲んだだろう?」
足元すらおぼつかないように見える。
「最後の思い出ですよ。いいでしょう?オレが出しますから」
後輩に、ましてや来週から転勤するって奴に出させる訳にいくか。
結局、終電までの約束で、いつもの店へ行くことになった。
「ここも今日で最後だなぁ」
薄汚れた天井を眺めながら、あいつはぼんやりと呟いた。
「お前、俺に何か話があったんじゃないのか?」
「ん~、別に無いですよ」
誘っておいて、それかよ。
「お前さ、何で転勤のこと、俺に黙ってたんだ?」
最後だし、いい機会だ、と軽い気持ちで聞いたつもりだった。
けれど意に反し、あいつの目は明らかに曇った。
「別に隠してた訳じゃないですよ」
いつもと違うトーンに、つい大人気なく質問を重ねる。
「地元に戻りたいなんて、一回も話したこと無かったじゃないか」
「・・・戻りたい訳じゃない。ここには居辛くなっただけです」
会社の雰囲気は、悪くは無いと思う。
仕事で大きなミスをしたことも無いはずだった。
「あくまで個人的な理由、です」
そう言われては、こちらもお手上げだ。
会社の後輩である以上、これ以上は詮索したくない。
そうか、とだけ答え、俺はグラスに残った酒を飲み干した。
「好きな人がいるんです」
不意に、あいつが口を開いた。
「向こうにか?」
「いえ、こっちに」
話が見えない。
なら、わざわざ転勤する必要は無いだろう。
「何かトラブルにでもなったのか?」
「いえ、まだ何も。付き合ってもいないし」
「お前ね・・・」
おちょくってるのか?
酒の勢いに任せて問いただしてやろう、そう思った時
それまで節目がちだった顔を上げ、あいつは俺をまっすぐに見て、言った。
「オレ、斎藤さんのこと、好きになっちゃったんです」
酒が一気に抜けた気がした。
背中から腕、首筋にかけて、うっすらと鳥肌が立つ感覚があった。
「だから、もう、ここにはいられない」
□ 01_猶予 □
■ 1 ■ ■ 2 ■ ■ 3 ■ ■ 4 ■ ■ 5 ■
□ 100_結論★ □
■ 1 ■ ■ 2 ■ ■ 3 ■ ■ 4 ■ ■ 5 ■ ■ 6 ■ ■ 7 ■
■ 8 ■ ■ 9 ■ ■ 10 ■ ■ 11 ■ ■ 12 ■ ■ 13 ■ ■ 14 ■
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そんな俺の気分などどうでも良くなるくらい、忙しい日々が続いた。
うちの会社は、基本的に一物件を一人が担当することになっている。
あいつの担当していた案件の殆どは完了していたものの、幾つかはまだ竣工に至っていないものもあり
それらを引き継ぎ、担当者へのあいさつ回りに奔走した。
あいつは、名古屋支店で動き始めた大型案件について、向こうの責任者とのやり取りが始まっていた。
どうやら、転勤後すぐに担当して欲しいとの意向のようだ。
東京ではなかなか出ない規模だけに、初めての経験になるだろう。
本人もそれを自覚しているようで、設計の詳細や留意事項などの相談が多くなった。
最後の飲み会は、課の送別会だった。
本人が希望した転勤ということもあり、場の雰囲気は至って明るいもので
名古屋は食べ物が美味しそうだとか、女の子が皆可愛いとか、そんな話題に終始した気がする。
その中で、俺は一ヶ月前に感じた違和感を思い出していた。
まぁ、どうしても払拭したいものではないし、そのうち忘れるだろう。
送別会はそろそろお開きに向かい、各々が帰り支度を始めている。
「斎藤さん、この後時間あります?」
そう聞いてきたのは、あいつだった。
課の女性陣から貰った花束を手に提げ、大分飲まされたのか首まで赤い。
「あるけど。どうした?」
「ちょっと飲みなおしません?」
「しこたま飲んだだろう?」
足元すらおぼつかないように見える。
「最後の思い出ですよ。いいでしょう?オレが出しますから」
後輩に、ましてや来週から転勤するって奴に出させる訳にいくか。
結局、終電までの約束で、いつもの店へ行くことになった。
「ここも今日で最後だなぁ」
薄汚れた天井を眺めながら、あいつはぼんやりと呟いた。
「お前、俺に何か話があったんじゃないのか?」
「ん~、別に無いですよ」
誘っておいて、それかよ。
「お前さ、何で転勤のこと、俺に黙ってたんだ?」
最後だし、いい機会だ、と軽い気持ちで聞いたつもりだった。
けれど意に反し、あいつの目は明らかに曇った。
「別に隠してた訳じゃないですよ」
いつもと違うトーンに、つい大人気なく質問を重ねる。
「地元に戻りたいなんて、一回も話したこと無かったじゃないか」
「・・・戻りたい訳じゃない。ここには居辛くなっただけです」
会社の雰囲気は、悪くは無いと思う。
仕事で大きなミスをしたことも無いはずだった。
「あくまで個人的な理由、です」
そう言われては、こちらもお手上げだ。
会社の後輩である以上、これ以上は詮索したくない。
そうか、とだけ答え、俺はグラスに残った酒を飲み干した。
「好きな人がいるんです」
不意に、あいつが口を開いた。
「向こうにか?」
「いえ、こっちに」
話が見えない。
なら、わざわざ転勤する必要は無いだろう。
「何かトラブルにでもなったのか?」
「いえ、まだ何も。付き合ってもいないし」
「お前ね・・・」
おちょくってるのか?
酒の勢いに任せて問いただしてやろう、そう思った時
それまで節目がちだった顔を上げ、あいつは俺をまっすぐに見て、言った。
「オレ、斎藤さんのこと、好きになっちゃったんです」
酒が一気に抜けた気がした。
背中から腕、首筋にかけて、うっすらと鳥肌が立つ感覚があった。
「だから、もう、ここにはいられない」
□ 01_猶予 □
■ 1 ■ ■ 2 ■ ■ 3 ■ ■ 4 ■ ■ 5 ■
□ 100_結論★ □
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