好尚(3/6)
「神谷さんと、結構仲良いの?」
フロアに戻るエレベーターの中で、そんなことを聞いてみた。
階数表示を見上げていた新美君は、些か穏やかな顔で俺の方を見る。
「仕事以外では、気さくな方ですから。それに」
エレベーターが目的のフロアに着く。
先に降りる様に促してくれた彼は、自らも箱から出た後、言葉を続けた。
「神谷さん、大学の研究室の先輩なんです。・・・随分、前の、ですけど」
「じゃ、そっちの関係で?」
「ええ、学生の時から。ここに入る時も、リクルーターになって貰いましたし」
「あの厳しさは、可愛い後輩への愛のムチってとこかな」
「そう思いたいところですけど・・・あの人は誰にでも厳しいですよ、仕事では」
オフィスの人影もまばらになってきた夜9時過ぎ。
設備から回ってきた鉄骨スリーブ位置の構造チェックも概ね完了したところで、隣の席に目をやる。
「どんな感じ?」
「もうすぐ、まとまりそうです」
「終わったら、声かけてくれる?こっちは大丈夫だから」
「分かりました」
社内LANに繋がっているスケジューラーで予定の確認をする。
新しく始まる物件の打合せ、名古屋にいた頃に担当していた物件の検査。
相変わらず忙しい日々だ。
その中で、違和感を覚えるほど、当然の様に空いている土日の欄。
今週こそは、何か、創造的なことでもしようか。
「杉浦さん、終わりました」
「あ・・・うん。じゃ、ちょっとチェックするよ」
「お願いします」
4~5cmはあるだろう計算書の束は、なかなか重量感がある。
「1時間くらい貰って良いかな?」
「はい。その間に、他の構造図作ってますんで」
これが終わったら、今日は業務終了。
そう決意し、計算書とコーヒーを携えて、共用の広い机に陣取った。
あれで何かミスがあれば、俺も新美君と一緒に神谷さんの雷に打たれよう。
計算書の修正を無事に終えた後輩と、駅までの道を歩く。
「そういや、料理教室って、いつ行ってるの?」
「基本は第1・3週の土曜の夜です。それが半年サイクルですね」
「男ばっか・・・なんだよね」
頭の中に、若干むさくるしい厨房の画が浮かんだ。
些か怪訝な表情をした俺を見て、後輩が苦笑する。
「講師まで、男ですから」
「結構、人いるの?」
「これが、今はキャンセル待ちらしいですよ」
「そこまでして料理を習うって、やっぱ、何、結婚考えてとか?」
「そう言う人もいるでしょうし、ま、その逆もいるのかも知れませんし」
若い彼がサラッと言い流した一言が、心に引っかかる。
再婚したいと言う気が無い訳じゃ無いけれど、相手もいない、仕事もこの調子。
同じ失敗を繰り返さないとも限らない。
そろそろ現実を見据えて、諦める覚悟も必要なのかも知れない。
「興味、あります?」
「う~ん、どうかな。精神的なハードルが高い気が」
「確かに僕も、申し込むまでが一番葛藤してました」
「正直、作って貰う方が、俺は良いなぁ」
踏ん切りのつかない俺の呟きに、新美君は少し視線を落として言った。
「僕は作ってあげるのも悪く無いかなって、思うようになりましたね」
「彼女とか?」
「・・・いれば、ですけど」
「料理できるのは、良いアピールになるんじゃない?」
「まぁ、頑張ります」
引っ越して1ヶ月も経とうと言うのに、部屋の片隅に未開封のダンボールがある。
意を決して開けると、中身は、食器の類と赤味噌だった。
「どうしろって言うんだよ・・・」
味噌の袋を手に、つい独り言が出る。
裏に赤だしの作り方が書いてあるが、味噌以外の材料は何も無い。
頼るあては、一人しか思い浮かばなかった。
「八丁味噌、ですか?」
夜の社員食堂。
携帯で撮って来た写メを新美君に見せると、彼は物珍しそうな口調で言った。
「僕、あんまり食べたことないですね」
「そうか、そうだよね。俺は、味噌って言うとこれなんだけど・・・」
「良いですね、そう言うの憧れるな」
後輩は裏書のレシピの写真を見ながら、楽しそうな表情を覗かせる。
「これくらいなら、杉浦さんでも作れるんじゃないですか?」
「そうなんだけどね・・・」
煮え切らない様子に、彼は一瞬何かを考え、俺を見た。
「もし良ければ、僕が作りましょうか?」
「え?」
少しはにかみながら、そんな提案をしてくる彼。
驚きよりも喜ぶ気持ちが大きかったのは、何処かにその言葉を期待していたからかも知れない。
□ 41_好尚 □
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フロアに戻るエレベーターの中で、そんなことを聞いてみた。
階数表示を見上げていた新美君は、些か穏やかな顔で俺の方を見る。
「仕事以外では、気さくな方ですから。それに」
エレベーターが目的のフロアに着く。
先に降りる様に促してくれた彼は、自らも箱から出た後、言葉を続けた。
「神谷さん、大学の研究室の先輩なんです。・・・随分、前の、ですけど」
「じゃ、そっちの関係で?」
「ええ、学生の時から。ここに入る時も、リクルーターになって貰いましたし」
「あの厳しさは、可愛い後輩への愛のムチってとこかな」
「そう思いたいところですけど・・・あの人は誰にでも厳しいですよ、仕事では」
オフィスの人影もまばらになってきた夜9時過ぎ。
設備から回ってきた鉄骨スリーブ位置の構造チェックも概ね完了したところで、隣の席に目をやる。
「どんな感じ?」
「もうすぐ、まとまりそうです」
「終わったら、声かけてくれる?こっちは大丈夫だから」
「分かりました」
社内LANに繋がっているスケジューラーで予定の確認をする。
新しく始まる物件の打合せ、名古屋にいた頃に担当していた物件の検査。
相変わらず忙しい日々だ。
その中で、違和感を覚えるほど、当然の様に空いている土日の欄。
今週こそは、何か、創造的なことでもしようか。
「杉浦さん、終わりました」
「あ・・・うん。じゃ、ちょっとチェックするよ」
「お願いします」
4~5cmはあるだろう計算書の束は、なかなか重量感がある。
「1時間くらい貰って良いかな?」
「はい。その間に、他の構造図作ってますんで」
これが終わったら、今日は業務終了。
そう決意し、計算書とコーヒーを携えて、共用の広い机に陣取った。
あれで何かミスがあれば、俺も新美君と一緒に神谷さんの雷に打たれよう。
計算書の修正を無事に終えた後輩と、駅までの道を歩く。
「そういや、料理教室って、いつ行ってるの?」
「基本は第1・3週の土曜の夜です。それが半年サイクルですね」
「男ばっか・・・なんだよね」
頭の中に、若干むさくるしい厨房の画が浮かんだ。
些か怪訝な表情をした俺を見て、後輩が苦笑する。
「講師まで、男ですから」
「結構、人いるの?」
「これが、今はキャンセル待ちらしいですよ」
「そこまでして料理を習うって、やっぱ、何、結婚考えてとか?」
「そう言う人もいるでしょうし、ま、その逆もいるのかも知れませんし」
若い彼がサラッと言い流した一言が、心に引っかかる。
再婚したいと言う気が無い訳じゃ無いけれど、相手もいない、仕事もこの調子。
同じ失敗を繰り返さないとも限らない。
そろそろ現実を見据えて、諦める覚悟も必要なのかも知れない。
「興味、あります?」
「う~ん、どうかな。精神的なハードルが高い気が」
「確かに僕も、申し込むまでが一番葛藤してました」
「正直、作って貰う方が、俺は良いなぁ」
踏ん切りのつかない俺の呟きに、新美君は少し視線を落として言った。
「僕は作ってあげるのも悪く無いかなって、思うようになりましたね」
「彼女とか?」
「・・・いれば、ですけど」
「料理できるのは、良いアピールになるんじゃない?」
「まぁ、頑張ります」
引っ越して1ヶ月も経とうと言うのに、部屋の片隅に未開封のダンボールがある。
意を決して開けると、中身は、食器の類と赤味噌だった。
「どうしろって言うんだよ・・・」
味噌の袋を手に、つい独り言が出る。
裏に赤だしの作り方が書いてあるが、味噌以外の材料は何も無い。
頼るあては、一人しか思い浮かばなかった。
「八丁味噌、ですか?」
夜の社員食堂。
携帯で撮って来た写メを新美君に見せると、彼は物珍しそうな口調で言った。
「僕、あんまり食べたことないですね」
「そうか、そうだよね。俺は、味噌って言うとこれなんだけど・・・」
「良いですね、そう言うの憧れるな」
後輩は裏書のレシピの写真を見ながら、楽しそうな表情を覗かせる。
「これくらいなら、杉浦さんでも作れるんじゃないですか?」
「そうなんだけどね・・・」
煮え切らない様子に、彼は一瞬何かを考え、俺を見た。
「もし良ければ、僕が作りましょうか?」
「え?」
少しはにかみながら、そんな提案をしてくる彼。
驚きよりも喜ぶ気持ちが大きかったのは、何処かにその言葉を期待していたからかも知れない。
□ 41_好尚 □
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