因縁(2/4)
バイト先のコンビニは、家から自転車で10分程度のところにある。
俺が使っている都営新宿線の最寄り駅の近くではなく、半蔵門線の駅に近い場所。
この周辺に知り合いもいない。
何となく後ろめたい気分が、そうさせたのかも知れない。
週末の夜。
まだ飲み足りないと言った雰囲気を振りまきながら、上品には見えない中年のカップルが来店した。
騒がしく何種類もの酒をカゴに放り込み、乱暴にカウンターへ置く。
黙々とレジを打っていると、男が俺の顔を覗きこんでくる。
「若くも無いのに、コンビニバイトかよ」
嘲りを含んだ笑い声を上げながら、彼はそう言った。
「・・・3450円になります」
ムカつく気持ちをなだめながら、あくまで平常心での対応を心がける。
放り投げられた500円玉が、床に落ちた。
しゃがみ込んでその行方を捜していると、頭の上から追い討ちをかけるような言葉が降る。
「時給数百円で床に這いつくばって、惨めだな」
歯を食いしばりながら、棚の下に落ちている硬貨に手を伸ばした。
「あんたの方が、まともな職に就いてる様には見えないけどね」
立ち上がろうとした時、そんな声が聞こえてくる。
「何だと?」
その声の主は、ヘビースモーカーの彼だった。
「コンビニ店員いびる事でしか、ストレス解消できない訳?」
「ふざけたこと言ってんじゃねぇぞ、こら」
「お客様・・・」
一触即発の空気にうろたえる声が、少し震えた。
相反するように、スーツ姿の彼は、あくまで冷静な口調で畳み掛ける。
「オレには、そっちの方がよっぽど惨めに見えるよ」
舌打ちの音が、店内の雰囲気を居た堪れなくする。
憎々しい表情を浮かべる男を引き留めたのは、連れの女だった。
「もう良いよ、早く行こう」
俺が差し出した釣りを奪い取るように、彼は常連を睨みつけながら出て行く。
微妙な空気の中、彼は何も無かったかのように笑みを浮かべて言った。
「全く・・・誰のお陰で、こんな便利な生活送れてると思ってるんだろうね」
青山なんて、上京してから今まで、何回来たことがあるだろう。
もしかしたら、初めてかも知れない。
そんな街を、緊張感に包まれながら歩く。
新しい取引先のオフィスは、大通りから一本路地を入った所にある。
高砂さんの後ろを歩く足取りは決して軽いものじゃなかった。
資料の重みも相まって、肩の力が知らず知らずのうちに入ってしまう。
「古市は間もなく参りますので、少々こちらでお待ち下さい」
大きなガラス窓に面した打合せスペース。
コーヒーを出してくれた女性が、そう言いながら奥へ戻っていく。
「アメリカとか、ヨーロッパにも支社があるんですね」
「元はドイツの会社らしいよ」
「はぁ・・・」
「別に気負んなくて良いさ。日本じゃ、日本のやり方で進める訳だから」
「そうですけど・・・」
不安のメーターが徐々に上がっていくのを感じる。
その時、一人の男がブースの中に入ってきた。
「すみません、お待たせしました」
担当者の顔を見て、一瞬、時間が止まったような気がした。
何故、と言うような表情を浮かべた彼は、すぐに平常心を取り戻したようだった。
一通り名刺交換をした後、俺の向かいの席に座り、早速本題に入る。
「今まで、こう言ったフィットネスクラブの設計実績って言うのは、どの程度ありますか?」
「それほど多くはありませんが、幾つか手がけております」
持ってきた図面を提示しながら、その内容を説明する。
「フィットネスではありませんが、スパやプールの施設を持つホテル等も担当致しました」
「ろ過設備を含んだシステムについては、如何ですか?」
「その辺りは大丈夫です」
一概にフィットネスクラブと言っても、建物に設置される設備は多岐に及び
特にプールやスパと言った大規模な水廻りは、特殊な設計が求められる。
真剣な眼差しで資料を眺めていた彼は、ふと顔を上げ、俺の顔を窺う。
コンビニ店員じゃなかったのか?何で、ここにいる?
そう詮索されるに違いないと思う気持ちで一杯だった俺は、あまりの居た堪れなさに視線を外す。
ウチの会社の事情なんて、先方にとってはどうでも良いこと。
設計者がバイトをしているなんて、片手間での仕事だと思われても仕方が無い。
そんな俺の気持ちを察しているのか、彼は見慣れた柔和な表情を浮かべ訊ねて来る。
「伊澤さんは、設備士資格をお持ちなんですか」
「え、ええ。一応、学会資格と国家資格を」
「大変ですよね、仕事しながらだと。一発合格ですか?」
「おかげ様で・・・」
「すごいな。僕は一回筆記落ちてから、チャレンジしてませんよ」
とは言え、彼の名刺の肩書きには一級建築士の文字。
俺にとっては、そっちの方が、よっぽど立派に見える。
客としての彼を知らなかったら、こんな惨めな気持ちになることも無かったんだろうか。
「御社は設計実績にも幅がありますし、ウチの仕事をお任せするには十分過ぎますね」
「ありがとうございます」
高砂さんの緊張した面持ちに、ふと安堵が過ぎる。
「正式な委託契約と、新規案件については、また後日でも宜しいですか?」
「わかりました。ご連絡お待ちしております」
資料をまとめながら、彼は俺の方に向き直す。
「改めて、宜しくお願いしますね。頼りにさせて頂きますので」
「こちらこそ・・・宜しくお願い致します」
□ 39_因縁 □
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俺が使っている都営新宿線の最寄り駅の近くではなく、半蔵門線の駅に近い場所。
この周辺に知り合いもいない。
何となく後ろめたい気分が、そうさせたのかも知れない。
週末の夜。
まだ飲み足りないと言った雰囲気を振りまきながら、上品には見えない中年のカップルが来店した。
騒がしく何種類もの酒をカゴに放り込み、乱暴にカウンターへ置く。
黙々とレジを打っていると、男が俺の顔を覗きこんでくる。
「若くも無いのに、コンビニバイトかよ」
嘲りを含んだ笑い声を上げながら、彼はそう言った。
「・・・3450円になります」
ムカつく気持ちをなだめながら、あくまで平常心での対応を心がける。
放り投げられた500円玉が、床に落ちた。
しゃがみ込んでその行方を捜していると、頭の上から追い討ちをかけるような言葉が降る。
「時給数百円で床に這いつくばって、惨めだな」
歯を食いしばりながら、棚の下に落ちている硬貨に手を伸ばした。
「あんたの方が、まともな職に就いてる様には見えないけどね」
立ち上がろうとした時、そんな声が聞こえてくる。
「何だと?」
その声の主は、ヘビースモーカーの彼だった。
「コンビニ店員いびる事でしか、ストレス解消できない訳?」
「ふざけたこと言ってんじゃねぇぞ、こら」
「お客様・・・」
一触即発の空気にうろたえる声が、少し震えた。
相反するように、スーツ姿の彼は、あくまで冷静な口調で畳み掛ける。
「オレには、そっちの方がよっぽど惨めに見えるよ」
舌打ちの音が、店内の雰囲気を居た堪れなくする。
憎々しい表情を浮かべる男を引き留めたのは、連れの女だった。
「もう良いよ、早く行こう」
俺が差し出した釣りを奪い取るように、彼は常連を睨みつけながら出て行く。
微妙な空気の中、彼は何も無かったかのように笑みを浮かべて言った。
「全く・・・誰のお陰で、こんな便利な生活送れてると思ってるんだろうね」
青山なんて、上京してから今まで、何回来たことがあるだろう。
もしかしたら、初めてかも知れない。
そんな街を、緊張感に包まれながら歩く。
新しい取引先のオフィスは、大通りから一本路地を入った所にある。
高砂さんの後ろを歩く足取りは決して軽いものじゃなかった。
資料の重みも相まって、肩の力が知らず知らずのうちに入ってしまう。
「古市は間もなく参りますので、少々こちらでお待ち下さい」
大きなガラス窓に面した打合せスペース。
コーヒーを出してくれた女性が、そう言いながら奥へ戻っていく。
「アメリカとか、ヨーロッパにも支社があるんですね」
「元はドイツの会社らしいよ」
「はぁ・・・」
「別に気負んなくて良いさ。日本じゃ、日本のやり方で進める訳だから」
「そうですけど・・・」
不安のメーターが徐々に上がっていくのを感じる。
その時、一人の男がブースの中に入ってきた。
「すみません、お待たせしました」
担当者の顔を見て、一瞬、時間が止まったような気がした。
何故、と言うような表情を浮かべた彼は、すぐに平常心を取り戻したようだった。
一通り名刺交換をした後、俺の向かいの席に座り、早速本題に入る。
「今まで、こう言ったフィットネスクラブの設計実績って言うのは、どの程度ありますか?」
「それほど多くはありませんが、幾つか手がけております」
持ってきた図面を提示しながら、その内容を説明する。
「フィットネスではありませんが、スパやプールの施設を持つホテル等も担当致しました」
「ろ過設備を含んだシステムについては、如何ですか?」
「その辺りは大丈夫です」
一概にフィットネスクラブと言っても、建物に設置される設備は多岐に及び
特にプールやスパと言った大規模な水廻りは、特殊な設計が求められる。
真剣な眼差しで資料を眺めていた彼は、ふと顔を上げ、俺の顔を窺う。
コンビニ店員じゃなかったのか?何で、ここにいる?
そう詮索されるに違いないと思う気持ちで一杯だった俺は、あまりの居た堪れなさに視線を外す。
ウチの会社の事情なんて、先方にとってはどうでも良いこと。
設計者がバイトをしているなんて、片手間での仕事だと思われても仕方が無い。
そんな俺の気持ちを察しているのか、彼は見慣れた柔和な表情を浮かべ訊ねて来る。
「伊澤さんは、設備士資格をお持ちなんですか」
「え、ええ。一応、学会資格と国家資格を」
「大変ですよね、仕事しながらだと。一発合格ですか?」
「おかげ様で・・・」
「すごいな。僕は一回筆記落ちてから、チャレンジしてませんよ」
とは言え、彼の名刺の肩書きには一級建築士の文字。
俺にとっては、そっちの方が、よっぽど立派に見える。
客としての彼を知らなかったら、こんな惨めな気持ちになることも無かったんだろうか。
「御社は設計実績にも幅がありますし、ウチの仕事をお任せするには十分過ぎますね」
「ありがとうございます」
高砂さんの緊張した面持ちに、ふと安堵が過ぎる。
「正式な委託契約と、新規案件については、また後日でも宜しいですか?」
「わかりました。ご連絡お待ちしております」
資料をまとめながら、彼は俺の方に向き直す。
「改めて、宜しくお願いしますね。頼りにさせて頂きますので」
「こちらこそ・・・宜しくお願い致します」
□ 39_因縁 □
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コメント
意外な強者
面目丸つぶれで伊澤が凹むのは理解出来ます。
男性は子供の頃から泣いちゃいけないとかプレッシャーがかかった育て方をされて、プライドが高いですから。
男性は、女性より強いと信じているでしょうが、生物は雄(オス)より雌(メス)のほうが強いです。
例えば、息子が小学生の頃、毎年、かぶと虫を飼育しましたが、必ず雄が雌より先に死にました(笑)。
人間の平均寿命も女性のほうが長生きですね。
その上、男性のほうが女性よりずっと繊細で傷付きやすい心を持っていると思います。
男性は子供の頃から泣いちゃいけないとかプレッシャーがかかった育て方をされて、プライドが高いですから。
男性は、女性より強いと信じているでしょうが、生物は雄(オス)より雌(メス)のほうが強いです。
例えば、息子が小学生の頃、毎年、かぶと虫を飼育しましたが、必ず雄が雌より先に死にました(笑)。
人間の平均寿命も女性のほうが長生きですね。
その上、男性のほうが女性よりずっと繊細で傷付きやすい心を持っていると思います。
後に引けない弱さ。
男はこうあるべき、こうあらねばならない。
男性は無意識の内にそんな刷り込みがされているのかも知れません。
軽々しく後に引けない弱さが、かえって心を脆くしているようにも思えます。
男性は無意識の内にそんな刷り込みがされているのかも知れません。
軽々しく後に引けない弱さが、かえって心を脆くしているようにも思えます。