黒白-陽-(2/4)
望んでここに入る子供なんて、存在しない。
幼い弟の手を引いて訪れた施設の中は、諦めの空気に満ちていた。
親から見捨てられたこと、将来への不安。
状況を理解出来ない弟を抱え、これからどうすれば良いのか、途方に暮れるしかなかった。
施設にいた子供は30人ほど。
高校生から乳児まで、あらゆる年代の子供が共同生活を送る。
徐々に周りと馴染んでいく弟とは違い、俺はなかなか雰囲気に慣れなかった。
全てに見捨てられた人生を、受け入れたくなかったのかも知れない。
高校2年の初夏だったと思う。
ある少年が、施設にやって来た。
明らかに虐待の跡を残したその顔には、諦めを超え、憎しみが満ちていた。
最年長だった俺は、気を遣って彼に話しかけてみたりもしたが、一向に反応は無い。
自分が施設に入った頃のことを思い出し、きっと彼も同じ状態なんだろうと考えるようにしていた。
中学1年生だった彼は、けれど、学校へ行こうとはしなかった。
部屋の片隅で、まるで気配を消すかの如く、息を殺しているように見えた。
「それ、誰にやられたの?」
風呂の時間。
彼と同じタイミングで入浴していた俺は、何かきっかけが欲しくて、そんなことを聞いてみた。
振り返り、睨むように俺に視線を向けた彼は、一言ポツリと呟いた。
「・・・親父」
「母さん、いないの?」
「いない」
「そう・・・」
大きな溜め息が、湯気と共に風呂場に溶ける。
「でも、弟がいる」
「一緒じゃ、ないの?」
「連れて来れなかった。親父が、隠したんだ」
唇を噛み、揺らぐ水面を見つめる彼の目が、ふと潤む。
「きっと、泣いてる。オレのこと、呼んでる」
彼は、ミツヒロと名乗った。
学校に行きたがらないのは相変わらずだったので、俺がたまに勉強を見てやることもあった。
夏休みが終わる頃には、彼の気持ちもだいぶ落ち着いてきたのだろうか。
休み明けからは学校へ通うようになった。
「ついて行けそう?勉強」
学校からの帰りしな、施設に近い河川敷で、ミツヒロと一緒になった。
「どうかな。クラスじゃ、ぼっちだし。何か、面倒」
「高校くらい、行っておいた方が良いんじゃない?」
「オレ、あんたと違って賢い訳でも無いし、適当に働くよ」
「弟、迎えに行くんでしょ?なら、高校くらい出た方が良いって」
俺の言葉を聞いて、彼の表情が曇る。
その顔を見て、俺はこの暗い人生の中でも、唯一の肉親が近くにいることを幸せに思えた。
目的地にまもなく着く、その時。
気味の悪い男が、行く手に立っていた。
「坊やたちさぁ、あそこの施設の子?」
顔に浮かんだ笑みが普通ではないことは、明白だった。
得体の知れない雰囲気に、顔が引きつる。
「・・・だから?」
感情を露わに睨みつけ、脇を通り過ぎようとした時、腕を掴まれた。
「施設出て、まともな人生歩める訳、無いんだからさ」
吐き気のするような視線に、身体中を舐められる。
「世の中を上手く渡れるコツ、教えてあげるよ」
俺を掴む腕を叩き掃ったのは、ミツヒロの手だった。
「行こうぜ」
彼はそう言いながら、俺の腰の辺りを掴んで早足で歩き出す。
しばらく歩き、不意に振り返った彼は、男に言い放つ。
「そんなこと、とっくに知ってるんだよ。失せろ、変態」
こんな境遇で大学に合格できたのは、まぐれだったのかも知れない。
それでも、施設を出た後の生活が壮絶なものになるんだろうと言う不安は
新たな春を清々しい気持ちで迎えることを、許してはくれなかった。
「兄ちゃん、園長先生が、写真撮るよって」
この春、中学生になる弟を残していかなければならないことも、辛かった。
唯一の家族。
いつでもそばにいると思っていた存在。
施設の庭に植えられている桜は、8分咲き程。
中でも日当たりの良い1本の木は、ほぼ満開になっていた。
高校卒業と同時に、施設も卒業となる。
施設長の計らいで、卒業する子供の写真を撮る、と言うのは春の恒例行事だった。
「ほら、もっと笑って」
写真を撮ることに慣れていない俺は、どうしても上手く笑顔を作れなかった。
風が吹き、桜の花びらが目の前を舞う。
心の奥の不安が一瞬溶かされたような気がして、顔が緩んだ。
人生に色を付けて行く様に、少しずつ確実な一歩を進めて欲しい。
そんな願いが込められた白黒写真。
「必ず迎えに来るから、待ってろよ」
弟の記憶は、そう言って抱き締めた時のまま、止まっている。
自分が生きていくので必死だった。
ありきたりな言い訳は、未だ、罪悪感を消し去ってはくれていない。
□ 34_黒白-陰-★ □
■ 1 ■ ■ 2 ■ ■ 3 ■ ■ 4 ■ ■ 5 ■
□ 35_黒白-陽- □
■ 1 ■ ■ 2 ■ ■ 3 ■ ■ 4 ■
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幼い弟の手を引いて訪れた施設の中は、諦めの空気に満ちていた。
親から見捨てられたこと、将来への不安。
状況を理解出来ない弟を抱え、これからどうすれば良いのか、途方に暮れるしかなかった。
施設にいた子供は30人ほど。
高校生から乳児まで、あらゆる年代の子供が共同生活を送る。
徐々に周りと馴染んでいく弟とは違い、俺はなかなか雰囲気に慣れなかった。
全てに見捨てられた人生を、受け入れたくなかったのかも知れない。
高校2年の初夏だったと思う。
ある少年が、施設にやって来た。
明らかに虐待の跡を残したその顔には、諦めを超え、憎しみが満ちていた。
最年長だった俺は、気を遣って彼に話しかけてみたりもしたが、一向に反応は無い。
自分が施設に入った頃のことを思い出し、きっと彼も同じ状態なんだろうと考えるようにしていた。
中学1年生だった彼は、けれど、学校へ行こうとはしなかった。
部屋の片隅で、まるで気配を消すかの如く、息を殺しているように見えた。
「それ、誰にやられたの?」
風呂の時間。
彼と同じタイミングで入浴していた俺は、何かきっかけが欲しくて、そんなことを聞いてみた。
振り返り、睨むように俺に視線を向けた彼は、一言ポツリと呟いた。
「・・・親父」
「母さん、いないの?」
「いない」
「そう・・・」
大きな溜め息が、湯気と共に風呂場に溶ける。
「でも、弟がいる」
「一緒じゃ、ないの?」
「連れて来れなかった。親父が、隠したんだ」
唇を噛み、揺らぐ水面を見つめる彼の目が、ふと潤む。
「きっと、泣いてる。オレのこと、呼んでる」
彼は、ミツヒロと名乗った。
学校に行きたがらないのは相変わらずだったので、俺がたまに勉強を見てやることもあった。
夏休みが終わる頃には、彼の気持ちもだいぶ落ち着いてきたのだろうか。
休み明けからは学校へ通うようになった。
「ついて行けそう?勉強」
学校からの帰りしな、施設に近い河川敷で、ミツヒロと一緒になった。
「どうかな。クラスじゃ、ぼっちだし。何か、面倒」
「高校くらい、行っておいた方が良いんじゃない?」
「オレ、あんたと違って賢い訳でも無いし、適当に働くよ」
「弟、迎えに行くんでしょ?なら、高校くらい出た方が良いって」
俺の言葉を聞いて、彼の表情が曇る。
その顔を見て、俺はこの暗い人生の中でも、唯一の肉親が近くにいることを幸せに思えた。
目的地にまもなく着く、その時。
気味の悪い男が、行く手に立っていた。
「坊やたちさぁ、あそこの施設の子?」
顔に浮かんだ笑みが普通ではないことは、明白だった。
得体の知れない雰囲気に、顔が引きつる。
「・・・だから?」
感情を露わに睨みつけ、脇を通り過ぎようとした時、腕を掴まれた。
「施設出て、まともな人生歩める訳、無いんだからさ」
吐き気のするような視線に、身体中を舐められる。
「世の中を上手く渡れるコツ、教えてあげるよ」
俺を掴む腕を叩き掃ったのは、ミツヒロの手だった。
「行こうぜ」
彼はそう言いながら、俺の腰の辺りを掴んで早足で歩き出す。
しばらく歩き、不意に振り返った彼は、男に言い放つ。
「そんなこと、とっくに知ってるんだよ。失せろ、変態」
こんな境遇で大学に合格できたのは、まぐれだったのかも知れない。
それでも、施設を出た後の生活が壮絶なものになるんだろうと言う不安は
新たな春を清々しい気持ちで迎えることを、許してはくれなかった。
「兄ちゃん、園長先生が、写真撮るよって」
この春、中学生になる弟を残していかなければならないことも、辛かった。
唯一の家族。
いつでもそばにいると思っていた存在。
施設の庭に植えられている桜は、8分咲き程。
中でも日当たりの良い1本の木は、ほぼ満開になっていた。
高校卒業と同時に、施設も卒業となる。
施設長の計らいで、卒業する子供の写真を撮る、と言うのは春の恒例行事だった。
「ほら、もっと笑って」
写真を撮ることに慣れていない俺は、どうしても上手く笑顔を作れなかった。
風が吹き、桜の花びらが目の前を舞う。
心の奥の不安が一瞬溶かされたような気がして、顔が緩んだ。
人生に色を付けて行く様に、少しずつ確実な一歩を進めて欲しい。
そんな願いが込められた白黒写真。
「必ず迎えに来るから、待ってろよ」
弟の記憶は、そう言って抱き締めた時のまま、止まっている。
自分が生きていくので必死だった。
ありきたりな言い訳は、未だ、罪悪感を消し去ってはくれていない。
□ 34_黒白-陰-★ □
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