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浸染(8/8)

目標とするべき営業マンであり、尊敬できる上司がいる。
サラリーマンとして、これ以上幸せなことは無かったはずだった。
その彼が同性愛者であるという事実は、少なからず僕の心に影を落とす。
嫌悪感が無いといったら、嘘になる。
それなのに、過去の男に向けられていた視線が、目の裏に焼きついて、離れない。
彼に対する気持ちが少しずつ歪んでいくような気がして、怖かった。

上司は、事務の女の子が作って行った分厚い資料に目を通している。
明日の打合せの資料だろう。
営業日誌が概ね完成したところで、僕はその姿をぼんやり視界に収める。
疲れてくると、彼の目は少し細くなり、目尻に皺が寄る。
今もまさに、その表情が見て取れた。

あの男と上司は、どんな時間を過ごしたんだろう。
僕の知らない彼の姿を、そいつは知っている。
僕には見せないあの視線を、感じている。
それだけのことが羨望の念を募らせた。
独占欲、なんだろうか。
ふと顔を上げた上司と目が合った。
「・・・どうか、した?」
不思議そうな顔をしながら発した問いに、僕は答えた。
「・・・僕じゃ、ダメですか?」

眉間に皺を寄せ、上司は言葉を失う。
「僕は、もっと・・・嶋津さんに、見て欲しい」
「どうした、急に。何、言ってるんだ?」
この気持ちを、どう表現して良いのかが分からなかった。
「僕が部下だから、彼の様にはなれないんですか?」
彼の顔に動揺が浮かぶ。
何を言わんとしているのか、確信したのかも知れない。
「日比野君、君は・・・」
僕から外された視線が、あらぬ方向へ向かう。
静かに溜め息をつき、彼は再び僕を見て言った。
「君は同性愛者じゃないから・・・却って踏み込むのに躊躇がないのかも知れないね」
彼の目つきは寂しげで、真剣だった。
「いざと言う時の、逃げ道が、あるから」
その言葉に、全身が震えた。


「今日は、もう帰ろう」
しばらくの沈黙の後、彼はノートPCを閉じ、立ち上がる。
僕は何も言えず、それに続いた。
入口近くにある照明のスイッチを切ると、擦りガラスのドアから廊下の明かりが入ってくる。
彼がドアに手をかけ、開けるまで、少しの間が空いたような気がした。
自分が抱える曖昧な気持ちが、その時間に耐えられなかった。

「・・・やめるんだ」
カバンを持つ彼の手を掴んだ僕に、彼は背を向けたままで言った。
僕は無言で、その手に力を込める。
薄い光に照らされた顔が静かに揺れた。
「分かって、くれないか?」
俯いたまま彼は言葉を搾り出す。
「失うには・・・大き過ぎるんだ、君は」
僅かな震えが腕を通して感じられた。
それは僕の鼓動と共鳴するように、徐々に大きくなる。

「僕を、見て、下さい」
緊張で声が上ずる。
彼は観念したかのように、ゆっくりと振り向いた。
その視線は、やっぱり、僕の待つ視線では無かった。
けれど、いつもの上司としての顔とは明らかに違う、薄弱な男の顔。
「・・・君は、彼とは違う」
「分かって、ます」
僕は、逃げ道の無い彼を追い詰めているのだろうか。
いずれ来るであろう結末に想いを馳せ、彼は脅えるような口調で呟いた。
「きっと、もう、耐えられない・・・」

彼の腕を軽く引き寄せると、その身体が力なく僕の肩にぶつかる。
震える唇が、すぐ耳元に迫っていた。
鼓動と体温を直に感じる。
閉ざされた心の扉を見つめながら、僕はそれに、手をかけた。

乾いた唇の感触が、意識を一瞬薄くする。
取り乱した目が、細い視界に映った。
僕は、最低な部下だ。
自分勝手な羨望を、寂しさを、紛らわせる為に、上司の心を侵している。

唇が離れても、僕たちの顔は互いの息遣いを感じる距離にあった。
何かを諦めたような彼の視線は、真っ直ぐに僕に向かっている。
「・・・ダメ、ですか、僕じゃ」
小さく吐いた息が、前髪を揺らした。
彼の手が、僕の頬に触れる。
熱が伝わるように、耳が火照る。
再び、唇が触れ合った。
束の間の緊張の後、彼の視線が、僕の心に染みていく。
瞬きをするのも忘れて、それを受け止め続けた。


前を行く上司の背中が、遠くに見える繁華街の灯りに滲むようだった。
振り返った彼は、穏やかな笑みを浮かべていた。
「飯でも、食ってこうか?」
「・・・ええ、良いですね」
少し早歩きをして、彼の横に付く。
行く先にある暗がりの中のケヤキ並木が、春の風に揺れていた。
ここが僕と彼の街になるのは、そう遠い日じゃ、ない。

□ 27_浸染 □   
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テーマ : 自作BL小説
ジャンル : 小説・文学

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まべちがわ

Author:まべちがわ
妄想力を高める為、日々精進。
閲覧して頂いた全ての皆様に、感謝を。

2011-3-12
東日本大震災の被害に遭われた方に
心よりお見舞いを申し上げます。
故郷の復興の為に、僅かばかりにでも
尽力出来ればと思っております。

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