萌芽(3/7)
他人との距離感が、分からない。
昔からそうだったけれど、ここ最近、顕著になってきた。
親にも、友人にも、同僚にも、過分に気を遣ってしまう。
その反応を、気にし過ぎているのかも知れない。
何処まで近づいて良いのか、分からなくて、怖い。
傷付きたくないから、ますます近づくことを避けてしまう。
悪循環に陥っていた。
「戻って来ないか?」
ジョッキに残ったビールを飲み干し、義隆は言った。
「無理だよ・・・実家には、帰れない」
「じゃ、ウチに来いよ」
「は?」
「オレ、今一人暮らしなんだよ。家が無駄に広くて寂しいんだ」
そう笑う彼に、戸惑いの気持ちが隠せなかった。
「いや・・でも」
「雇用保険は?」
「自己都合だったけど・・・事情勘案して貰ったから、もう」
「彼女、いるの?」
「いないけど・・・何で・・・?」
「なら、東京に居る理由は、別に無いだろ?」
静かな口調で畳み掛けるような問に、混乱の中で上手く答えられない。
「先のことなんて考えないで、少し休もうぜ?」
向かいに座る彼の表情は変わらず穏やかで、それが逆に怖くなる。
どうして、長らく会っていなかった俺に対して、そんなことが言えるのか。
どうして、そんなに俺に関わってこようとするのか。
嫌いな訳じゃ無いが、そこまで頼って良い様な存在でも無い、と思う。
「急にこんなこと言われても、困るかも知れないけど」
ずれを直すように眼鏡に手をかけて、彼は続ける。
「選択肢は、少しでも多い方が良いから」
この微笑みを素直に受け容れられれば、俺は楽になれるはずなのに。
義隆をホテルまで送って行き、自宅へ辿り着く。
大したこともしていないのに、疲労感が酷かった。
心配してくれる人がいることは嬉しかった。
けれど、それは俺が弱い人間だから。
皆に、迷惑を掛けている。
負の感情が一気に押し寄せてきて、身体が震えた。
自分の顔と向き合うのは、久しぶりかも知れない。
何だろう。
諦観、後悔、恐怖、嫌悪・・・いろいろなものが、貧相な顔に表れている。
鏡を睨みつけるように、笑ってみる。
最悪だ。
震えが、治まった。
一息ついた後、手首に刃を押し付け、力の限り、引いた。
まだ、生きてるらしい。
そうだよな、リストカットなんかじゃ、人は早々死なない。
右手に、誰かの手の感触が、おぼろげに感じられた。
いつものベッドとは違う寝心地。
霞む視界も、自分の部屋じゃ、無い。
僅かに動かした手に反応するよう、それを覆う手の力が強くなる。
「おはよう」
脇に座っていたのは、義隆だった。
「あ・・・何、で?」
「電話したら、様子がおかしかったから」
あの後、俺は無意識の内に、彼からの電話に出たようだ。
しかし、呻く声しか聞こえない異常な雰囲気に
実家から住所を聞き、管理会社に連絡して鍵まで借りて、救急車を呼んだらしい。
呆気に取られる俺を尻目に、無傷の右手を弄りながら呟く。
「成久、右利きだよね。・・・じゃ、大丈夫だ」
遠くから、看護士の声が聞こえてくる。
朝の巡回だろうか。
「義隆・・・帰りは・・・?」
「いいよ、別に。用事無いし」
「でも・・・」
「オレのことは、心配しなくて良いから」
俺の頬を、彼の手が包む。
何かを言いかけて、それを止め、彼は優しく微笑んだ。
彼を見る俺は、まだあの吐き気のするような顔をしているんだろうか。
そう思うと、笑みを返すことができなかった。
□ 25_萌芽 □
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昔からそうだったけれど、ここ最近、顕著になってきた。
親にも、友人にも、同僚にも、過分に気を遣ってしまう。
その反応を、気にし過ぎているのかも知れない。
何処まで近づいて良いのか、分からなくて、怖い。
傷付きたくないから、ますます近づくことを避けてしまう。
悪循環に陥っていた。
「戻って来ないか?」
ジョッキに残ったビールを飲み干し、義隆は言った。
「無理だよ・・・実家には、帰れない」
「じゃ、ウチに来いよ」
「は?」
「オレ、今一人暮らしなんだよ。家が無駄に広くて寂しいんだ」
そう笑う彼に、戸惑いの気持ちが隠せなかった。
「いや・・でも」
「雇用保険は?」
「自己都合だったけど・・・事情勘案して貰ったから、もう」
「彼女、いるの?」
「いないけど・・・何で・・・?」
「なら、東京に居る理由は、別に無いだろ?」
静かな口調で畳み掛けるような問に、混乱の中で上手く答えられない。
「先のことなんて考えないで、少し休もうぜ?」
向かいに座る彼の表情は変わらず穏やかで、それが逆に怖くなる。
どうして、長らく会っていなかった俺に対して、そんなことが言えるのか。
どうして、そんなに俺に関わってこようとするのか。
嫌いな訳じゃ無いが、そこまで頼って良い様な存在でも無い、と思う。
「急にこんなこと言われても、困るかも知れないけど」
ずれを直すように眼鏡に手をかけて、彼は続ける。
「選択肢は、少しでも多い方が良いから」
この微笑みを素直に受け容れられれば、俺は楽になれるはずなのに。
義隆をホテルまで送って行き、自宅へ辿り着く。
大したこともしていないのに、疲労感が酷かった。
心配してくれる人がいることは嬉しかった。
けれど、それは俺が弱い人間だから。
皆に、迷惑を掛けている。
負の感情が一気に押し寄せてきて、身体が震えた。
自分の顔と向き合うのは、久しぶりかも知れない。
何だろう。
諦観、後悔、恐怖、嫌悪・・・いろいろなものが、貧相な顔に表れている。
鏡を睨みつけるように、笑ってみる。
最悪だ。
震えが、治まった。
一息ついた後、手首に刃を押し付け、力の限り、引いた。
まだ、生きてるらしい。
そうだよな、リストカットなんかじゃ、人は早々死なない。
右手に、誰かの手の感触が、おぼろげに感じられた。
いつものベッドとは違う寝心地。
霞む視界も、自分の部屋じゃ、無い。
僅かに動かした手に反応するよう、それを覆う手の力が強くなる。
「おはよう」
脇に座っていたのは、義隆だった。
「あ・・・何、で?」
「電話したら、様子がおかしかったから」
あの後、俺は無意識の内に、彼からの電話に出たようだ。
しかし、呻く声しか聞こえない異常な雰囲気に
実家から住所を聞き、管理会社に連絡して鍵まで借りて、救急車を呼んだらしい。
呆気に取られる俺を尻目に、無傷の右手を弄りながら呟く。
「成久、右利きだよね。・・・じゃ、大丈夫だ」
遠くから、看護士の声が聞こえてくる。
朝の巡回だろうか。
「義隆・・・帰りは・・・?」
「いいよ、別に。用事無いし」
「でも・・・」
「オレのことは、心配しなくて良いから」
俺の頬を、彼の手が包む。
何かを言いかけて、それを止め、彼は優しく微笑んだ。
彼を見る俺は、まだあの吐き気のするような顔をしているんだろうか。
そう思うと、笑みを返すことができなかった。
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