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孵化

愛してる。
それは俺が唯一求めてきた、心からの言葉。

優しい人だねと、よく言われる。
昔から両親の顔色を窺うような子供だったからか
他人の心情を読み取ることには長けているという自負はあった。
仕事の場でも、友人との場でも、相手が何を求めているのか常に考えていて
その内、自分の気持ちを表現する術を見失い、自身にさえ、建前の思考を向けるようにもなった。
周囲の評価が虚構の自分を作り出し、そこに嵌ることが心地良いと思えるまで然程の時間はかからず
湧き上がるような無垢な言葉は、殻に反射し、反射し、反射して、減衰していった。


愛してる。
その言葉を口癖のように投げていた時期があった。

衝動に駆られるよう続けた幾多の身体の関係から始まった、一つの恋。
想いが特別であることを、自分に言い聞かせていたのかも知れない。
これをきっかけに、殻を破りたいと思っていたのかも知れない。
だが、半年ほど経った秋の初め、年下の男は言った。
お前の言葉は重すぎる。
去っていく背中を引き留めることができないまま見送る。
独善的な感情の価値は人それぞれで、それを伝えることで、俺と彼の間の差異を埋められるのだと思っていた。
正解の無い問の答を探すのにも疲れ果て、やがて、自分の想いに蓋をするよう、再び殻に身を埋めた。


愛してる?
目の前の女は、訝しげな、挑むような表情で、そう俺に投げかけてきた。

冬の終わり、欺瞞を貫く日常の中で、俺に纏わりついてきた一人の女。
自慰的な時をベッドの中で過ごす内に、何かを錯覚したのだろう。
曲線的でしなやかな肢体は、本能に訴えてはこない。
それでも女との情事を選んだのは、自分を何処まで欺けるのかを試したかったから。
生まれ持ってしまった性的指向を恨んだことは、数えきれない。
本心も、本能も、全てを偽ることができたなら、どれだけ楽になるだろう。
彼女の唇に指を寄せ、薄く微笑んだ。
愛してる。
余りにも虚しい言葉。
この時の俺にはもう、愛というものの意味も、価値も、分からなくなっていた。


愛してる。
躊躇いも無く口にすることができるようになった桜の頃。

人並みの世間体を手に入れ、気が緩んでいたのかも知れない。
薄っぺらな化けの皮が、剥がれかけてきたのかも知れない。
貴方の言葉は軽すぎる。
蔑むような視線を残し、女は去っていった。
求められるまま重ねてきた行為の成果が幻の様に消えていく。
塗り重ねてきた脆い殻にヒビが入り、所々に綻びが見えてくる。
この世に愛など存在しない。
そう思うことだけが、心の拠り所になった。


愛してる?
雨が降りしきる一人きりの夜、闇が包む部屋の中で呟く。

あれから随分と長い時間が流れ、殻はすっかり元通りになった。
仕事に邁進し、順調に昇進し、余計なことを考える時間は随分減った。
そんな中で出会った一人の男。
取引先から紹介されたフリーランスの彼は、線の細い、微かに影を抱いた印象だった。
俺が駆け出しの頃、別の会社に所属していた時期に一度会ったことがあると言われたが
既に記憶には残っていない。
仕事を進める内に見えてきたのは、消極的な印象を打ち消すほどの有能さ。
客先が何を求めているのか、その真意は何なのか。
それを見通し、先回りされる度、完璧な男の姿に惹きつけられるようになっていった。
尊敬、信頼、畏怖・・・。
どの言葉でも表現できない、そう感じた時に口を吐いた一言。
存在しなかった、はずなのに。
自在に形を変える恐るべき心情が、殻の中に貼りつき、浸蝕していく。


愛せない。
年上の男は、目を伏せ、切なげな笑みを浮かべてそう言った。

彼の自宅兼仕事場に足を踏み入れたのは、納期が迫った熱帯夜。
生活感があまり無い、雑多な部屋の中は空調が良く効いている。
発注時、スケジュールの調整が難しいと言われていたにも関わらず無理強いをしたお詫びにと
週末の夜、手伝いを買って出た。
俺にできることはたかが知れているが、男は快く返事を寄越してくれた。
夜も深くなり、休憩がてら夜食を取っている時、それとなく、プライベートに踏み込んでみる。
俺よりも一回りは年上、にも拘らず、女の影は全く見えない。
仕事ばかりしてきたからね、と笑った男は、ふと表情を硬くした。
こちらに視線を送り、しばらく俺の顔を見た後、再び眼差しが離れる。
深く溜め息を吐き、本心を吐露した彼は、一つの言葉を付け加えた。
君と、同じだよ。


愛してた。
求めて続けてきた言葉が、過去の俺に、向けられる。

彼は、嘘をついていた。
過去、確かに俺たちは顔を合わせていた。
しかし、それは仕事上の付き合いでは無く、客と店員という関係。
若い性的欲求を満たす為、節操も無く戯れを繰り返していた俺を、彼は店のカウンターから、いつも見ていた。
自分も通ってきた若気の至りを、憂慮していたのだという。
情動から生まれる感情は余りにも儚く、本物の愛にはなり得ない。
身を持って心に刻まれた真実を伝えられないまま、やがて、俺の姿は店から消える。
あの世界を後にしても尚、男の中には情念となって見も知らぬ若者の面影が残っていた。
得体の知れない感情の正体を悟ったのは、梅雨の走り。
歳を重ねた若者に、再び相対した時だった。


愛されたい。
戸惑いの中にいる男に対して、縋る思いで言葉を絞り出す。

今は、そう尋ねた俺に、男は幾許かの安堵の顔を見せながら首を振った。
何の危うさも無い今の君なら、きっと本当の愛を見つけられる。
優しい言葉が残酷な棘となって心に刺さった。
殻に開いた小さな小さな穴から自分勝手な感情が噴き出して、頭の中を巡る。
愛に見返りを求めることは、罪なのか。
殻の中で育ってきたこの気持ちを、誰かに受け止めて欲しい。
身を乗り出して、テーブルの向こうの彼の手を取る。
強張る手を、きつく握り締めた。


愛したい。
投げられた言葉の重さに、初めて、気が付いた。

完全に殻を脱ぎ切ることはできなかった。
小さな隙間から、仄かな光を窺うことしかできなかった。
突然鳴り出した電話の着信音で張りつめた糸が緩み、彼は小さく手を上下させて、俺に手を解かせる。
躊躇いながら手を放し、先走ったことをした後悔を噛み締めながら姿を見送った。
席を立った男が戻ってきたのは、5分ほど経った頃。
彼は自分の椅子には戻らず、俺の傍に来て、そのまましゃがみ込んだ。
僕も、誰かに愛されたい・・・だから。
そう言って俺の手を取り、強く握り締めてくれた。


愛してる。
それは俺が唯一求めてきた、心からの言葉。

紆余曲折あった末、やっと辿り着いた運命の人。
殻は砕け、愛し、愛されることに、障害は無くなった。
視線を交わし、唇を重ね、肌の温もりを感じることで、互いの想いが心に滲みていく。
もう、自分を偽らなくていい。
もう、言葉で誤魔化さなくていい。
色づいたイチョウ並木の下、人目を忍びながら、そっと手を繋ぐ。
絡み合う指が、無防備になった感情を包む。
心の片隅の光が、また少し、明るさを増したような気がした。

□ 97_孵化 □
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まべちがわ

Author:まべちがわ
妄想力を高める為、日々精進。
閲覧して頂いた全ての皆様に、感謝を。

2011-3-12
東日本大震災の被害に遭われた方に
心よりお見舞いを申し上げます。
故郷の復興の為に、僅かばかりにでも
尽力出来ればと思っております。

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