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信頼(1/5)

会社から山手線に乗り、新橋で降りる。
烏森口の改札を出て、ゆりかもめに乗り、目指すのは東京ビッグサイト。
2年に一度開かれる、空調機器の展示会に行く為だ。
車内は同じ目的であろう、スーツを着たサラリーマンで一杯だった。

上京して10年以上経つにもかかわらず、未だにこの乗り物は、俺に高揚感を与えてくれる。
千葉に近いところに住み、やっぱりそっち方面の会社に勤めているからか
なかなかこちらの方へ来る機会が無い、と言うのもあるのかも知れない。
根っからの田舎者であることも、また確かだ。
何はともあれ、車両がレインボーブリッジに差し掛かる頃、顔は自然にほころんでくる。

建築設計事務所で設計をしている俺にとって、空調機器は専門外だけれど
仕事が一段落ついたのと、たまに目の肥えた施主から機器を指示されることなどもあり
この展示会には出向くことにしている。

受付で、名刺を入れたカードケースを受け取り、会場に入る。
カードケースは業種別に色が決まっていて
一つの展示会に、如何に色々な人間が集まっているのかを実感することが出来る。
参加企業も多種多様で、大手のメーカーから、東南アジアやヨーロッパのメーカーも参加していた。

時流はやはり環境と言うことで、どのメーカーも訴えることは同じだ。
専門的なことは一先ず設備屋さんにお任せすれば良いので
とりあえず、斬新な製品を展示しているところを、集中的に回る。
エコに重きを置くお客さんに、興味を引きそうな提案することも、仕事の一つ。
程なく、両手はカタログで一杯になった。
丁度、あるメーカーが大きめなエコバッグを配っていたので、それに放り込む。
それでも、肩にかかる重さは、相当なものだった。


休憩するために一旦会場を出て、トイレに入った。
中には誰もおらず、心なしかゆったりした気分で用を足す。
その時、奥のブースから、苦しそうに嘔吐する音が聞こえてきた。
荒い息遣いが混じり、あまりにも辛そうな状況に思わず声をかけようとした時
中から、その主が出てきた。

顔色は、明らかに悪かった。
よほど苦しかったのか、額に汗がにじみ、目も潤んでいる。
俺に気がつくと、目を逸らして逃げるように出て行こうとする。
「あの、大丈夫ですか?」
「ええ」
そう答えると同時に、ふらついた彼は洗面器のカウンターに手をつく。
「少し休んだ方が良いですよ」
「すみません、ありがとうございます」
彼は洗面器で顔を洗い、下を向いたまま大きくため息をついた。

ふと、彼の首から下がっているカードケースに目が行った。
同じ展示会に来ている人のようだった。
業種は、官公庁。
彼は、その視線に気がついたのか、ケースを胸ポケットにしまう。
名前までは見えなかったけれど、彼の名刺には何処かで見たようなマークが描かれていた。

「お騒がせしました」
そう言って、彼は歩き出す。
けれど、どう考えても、まともに歩けていない。
「肩貸しますから。外まで行きましょう」
「すみません」
彼は観念したかのように、俺に身体を預けて来た。
右肩にカタログ、左肩に同じような背格好の男をぶら下げ、トイレを出る。

そろそろ展示会も終わる時間。
通路にも人はまばらで、ベンチも空いている。
彼を座らせ、支えるようにカタログを置いた。
自販機で適当に飲み物を買って、彼の元へ戻る。
「わざわざ、すみません」
彼の口からは、まだ "すみません" しか聞いていないような気もするが
あまり、気にしないことにした。

しばらく休んでいると、彼の顔色も大分まともになってくる。
もう大丈夫そうだ、そう思った時、彼の携帯が鳴った。
電話に表示された名前を見て、彼の顔が一瞬こわばる。
「お疲れ様です」
少し離れていても、電話の向こうでまくし立てている声が聞こえる。
「・・・すみません、すぐ戻ります」
話している間中、彼はずっと恐縮したままだった。
折角良くなった顔色が、元に戻ってしまったように見える。

「ありがとうございました、もう大丈夫ですので」
そう言って、彼はふらふらと歩き出す。
振り返り、俺に会釈をしながら、おぼつかない足で去って行った。
大丈夫だろうかと、しばらく彼を見送る。
ベンチに視線を落とすと、ハンカチが落ちていた。
彼のものだ。
しかし、彼はもう視界から消えており、返すアテはもう無さそうだった。

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信頼(2/5)

肩に食い込むエコバッグを提げて会社に戻ったのは、もう夜だった。
「お疲れ。展示会どうだった?」
そう声をかけてきたのは、同僚の河野だった。
「ああ、なかなか面白かったよ。これ、お土産」
CMで一躍有名になったキャラクターのストラップを渡す。
「悪趣味すぎるだろ。こんなのつけてるの、メーカーの営業だけだって」
全くだ、と思いつつ、山のようなノベルティを取り出す。
オークションに出したら、どこぞのマニアが買ってくれるだろうか。

「そう言えば、事前審査出したマンションなんだけど」
俺と河野が担当していた物件のことだ。
2週間ほど前、確認申請の事前審査に出していた。
「審査が終わったから、来いってさ」
「あれって役所に出してるんだっけ?」
「そ、区役所」
確認申請は役所に出す場合と、民間の会社に出す場合があり
民間の方が金はかかるが、融通が利きやすく、役所はその逆だ。

「俺、役所の雰囲気って好きじゃないんだよな」
「仕方ないだろ、役所の許可が無いと、何にもならないんだから」
「まぁ、そうなんだけどさ」
そう言いながら、河野はメモを差し出す。
「その日、別件が入ってるんだよ。だから、小笠原、頼むな」
メモには、役所の担当の名前と、日時が書いてあった。
俺だって、あの雰囲気は好きじゃない。

何か腑に落ちないまま、役所の場所をネットで検索する。
ホームページを見て、思わず声を上げた。
河野が怪訝そうに、視線を向ける。
「どうした?」
「いや、何でもない」
ページの一番上に描かれたマークは、ビッグサイトの彼の名刺にあったものだった。
どうりで見たことがある気がした訳だ。


久しぶりにスーツを着る。
事務所で仕事をする時は大抵ラフな格好だから、たまに着ると落ち着かないが
社会人として、役所に出向く時くらいは着ないとまずいだろう。
約束の時間ぴったりに、窓口へ赴く。
「カミヤ建築設計の小笠原と申します。森様と10時にお約束しているのですが」
受け付けてくれた女性は、とても愛想が良いとは言えない態度で、席に座るよう促す。
だから、役所は苦手だ。
別にサービスを求めている訳では無いけれど。

5分ほど待たされ、担当の森さんがやって来る。
「ご苦労様です。カミヤさんですね」
そう言って座った彼の後ろから、もう一人ついて来た。
一瞬、ハッとする。
ビッグサイトで会った、彼だった。
眼鏡をかけ、前髪を下ろしているので雰囲気は全く違うが、確かだ。
彼も、俺に気がついたようで、一瞬驚いたような表情を見せる。
顔色は、相変わらず、良いものではなかった。

「こちらは、物件の審査を担当している宮本です。彼から内容を説明させますので」
そう言って、森さんは腕を組んで押し黙ってしまった。
宮本、と呼ばれた彼は、緊張の面持ちで審査内容を説明し始める。
大した指摘事項も無く、説明はそれほど時間がかからなかった。
設備や電気に関する指摘事項を、念の為再確認しながら、場はつつがなく収まる。

「修正次第、本申請の手続きをお願いします」
宮本さんは、申請に必要な書類を説明する文書を手渡してくれる。
「その際は、事前にご連絡ください」
「宮本様宛で宜しいですか」
「ええ、結構です」
説明が終わっても、彼は何処か萎縮した感じだった。
公務員って楽なもんかと思ってたけど、案外激務なんだろうか、と少し同情してしまう。

役所を出て、一息つく。
重苦しい雰囲気が、一気に晴れた感じがする。
審査の結果が思ったほど悪くなかったことも、影響しているんだろう。
「小笠原さん」
帰ろう、そう思った時、不意に声をかけられた。

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信頼(3/5)

立っていたのは、宮本さんだった。
何か言い忘れたことでもあったのだろうかと、ヒヤッとする。
「あの、先日は、ありがとうございました」
何処と無くおどおどした感じで、彼は言った。
「いえ、あの後大丈夫でしたか」
「はい、何とか・・・」
続く言葉を無理矢理断って、目を伏せる。
この人は、いつでもこんな感じなんだろうか。

「あ、そう言えば」
彼が落として言ったハンカチのことを思い出す。
まさか再会するとは思っていなかったけれど、確か洗濯をして、何処かへしまったはずだ。
「申請図面お持ちする時に、お返ししますね」
「そんな、わざわざ良いですよ」
遠慮する彼を、これも何かの縁だからと押し切った。
自分の中でも、忘れないようにしなきゃと頭に刻む。

役所の方を見やると、ガラスのドアの向こうに森さんが立っていた。
彼はこちらを睨むように見ている。
宮本さんもそれに気がついたのか、慌てたように去っていく。
「では、宜しくお願いします」
「こちらこそ」
怖い上司を持つと、大変だ。
うちの所長がのほほんとした人で、本当に良かったと思う。


図面の修正作業は、1週間ほどで終了した。
機械と電気の設備修正も、それほどかからないと言うことだったので
申請提出の日取りを連絡しようと、役所に電話をかける。
「確認申請の提出の件なんですが、宮本様はいらっしゃいますか?」
「ちょっと今、外してますね」
電話に出たのは、森さんのようだった。
「でしたら、また」
掛け直します、と言いかけた時、急に口調が変わる。
「宮本と、知り合いなの?」

知り合いって程の知り合いじゃないが、そうじゃないと言うと嘘になる。
「先日の展示会でお会いしまして」
「で?」
電話を通しても、不穏な雰囲気が伝わってくる。
嫌な感じがした。
「私がコンタクトを落としてしまったところで、一緒に探していただきました」
本当のことを言ってはまずいのではないかという気分になり、とっさに話を作る。
森さんは、そう、と全く興味の無い風に返事をし、こう言った。
「あんまりあいつに構わないでくれる?」
構うって、ただ数分立ち話しただけじゃないか。
何なんだ、一体。

分かりました、こちらから再度掛けます、と言って、電話を切る。
ものすごく気分が悪い。
感謝されることはあっても、難癖つけられる筋合いなんか無いはずだ。

10分ほど経ち、あまり気分が乗らないまま、再度電話を入れる。
今度は宮本さんが電話口に出て、ホッとする。
さっきの森さんの態度が気になりつつ、話を進めた。
相変わらず宮本さんの口調は暗く、きっと顔色も優れないんだろうと思う。
何かに怯えているような、そんな空気が伝わってきた。


確認申請の提出日。
あいにくの雨だったことと、図面や書類を大量に抱えていた為、タクシーで行くことにした。
楽に着いてしまったが、時間配分を大分間違えた。
約束の時間より、30分も早い。
荷物も多いし、あまりうろつくのもどうか。
そういえば、地図を検索した時、裏手にスタバがあった気がする。
時間をつぶそうと、役所の裏に回ることにした。

軒下の歩道を歩いていると、雨の音に混じって聞き慣れた声が聞こえる。
森さんの声のようだった。
「あの建築屋、今日来るんだろ?」
「2時の約束をしています」
相手は宮本さんのようだった。
建築屋って言うのは、俺か?
「嬉しいのか?」
「・・・別に、そう言うことはありません」
「オレ以外の男に媚び売るような真似はするなよ」
この人たち、何言ってるんだ?
意味が分からなかった。

雨は強くなってきて、足元にはうっすらと水の膜が出来ている。
足音が立ってしまいそうで、歩くのにも憚られる。
進むことも、戻ることも出来ないまま、俺は雨の中で彼らが去るのを待った。
ひたすら責めるような口調で話す森さんと、終始謝りっぱなしの宮本さん。
何の関係も無いはずの俺も、流石に不憫に思えてくる。

やがて、もみ合うような音がする。
「本当に、もう、やめて下さい」
「お前が望んでるんじゃないか」
「そんなこと・・・」
宮本さんの涙声を、何かが遮り、苦しそうにえずく声が聞こえる。
物陰で起きていることが何なのか、おぼろげに想像できた。
寒くも無いのに、鳥肌が立つ。
周りを見ても、逃げ道は無かった。

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信頼(4/5)

結局、事の一部始終を耳から知らされる羽目になった。
まだ用事も済んでいないのに、精神的にはぐったりだ。
二人が去って、時計を見ると、もう約束の時間が迫っている。
傘と図面と重い気分を抱えて、階段を駆け上がった。

受付に出てきた宮本さんは、前以上に弱って見えた。
ついさっき起こった事のいきさつを知っているからだろうか。
俺と全く目をあわすことも無く、僅かに震えているようにも見える。
幸いなことに、森さんの姿は見えなかった。

指摘事項に関する修正箇所と、書類の不備が無いことを確認し、申請は滞りなく終わる。
「1ヶ月ほどで申請作業が完了すると思いますので」
この時初めて、宮本さんと目が合った。
すぐに逸らされてしまったが、そこには明確な恐怖が見えた。

「そうだ」
落し物を持ってきていたことを思い出す。
「これ、お持ちしました」
「わざわざ・・・ありがとうございます」
ふっと顔が緩み、笑うことを忘れてしまったような顔に、微笑みが戻って来る。
嬉しくなると同時に、切なさがこみ上げる。
この人の気持ちを癒してあげるには、どうすればいいんだろう。
俺に出来ることは、何か無いのか。

「何かあれば」
名刺を取り出して、裏に携帯の番号を書き、そのまま彼に手渡した。
「・・・どんなことでも良いんで、連絡下さい」
俺の意図は、彼に伝わっただろうか。
表情からは分からなかったけれど、彼は名刺をじっと見つめ、胸ポケットにしまった。


それからしばらく、アドレス帳に登録されていない番号からの着信は無かった。
日々の仕事に追われる内に、月日は進み、例の物件の申請が下りたとの連絡が届く。
タイミングが悪いことに、その日は別の打ち合わせが入っていたので
代わりに河野が役所へ赴くことになった。

「これで一段落だなぁ」
河野は戻ってくるなり、安堵の声を上げる。
「監理はゼネコンだからな。あとは現場対応だけか」
戻ってきた申請書類を眺めながら、俺は宮本さんのことを考える。
彼は、相変わらず怯えて過ごしているのだろうか。

「そう言えば、あの担当さ」
「あぁ?」
突然そう声を掛けられ、間抜けな声を出してしまう。
「すげぇ顔色悪いよな。前もあんな感じだったのか?」
やっぱり、変わってないんだな、と気の毒になる。
「あれで周りは何も言わないのかね。冷たい職場だよな」
「全くだな」
「安定した職なのかも知れないけどさ。あれじゃ、早晩つぶれちまうよ」


その週の金曜日。
自宅へ着いたのは12時を回っていた。
ふと携帯を見ると、知らない番号からの着信履歴が残っている。
地下鉄に乗っている時にかかってきていたのか、時間を置いて2回。
思い当たるのは、一人しかいなかった。

「・・・はい」
電話口に出たのは、暗いトーンの声だった。
「宮本さんですか?」
「すみません、遅くに電話してしまいまして」
「こちらこそ、今帰宅したところだったので」
携帯を通して聞く声は、少しくぐもっているせいか、いつも以上に弱弱しい。
「何かお話があったんですよね」
「ええ、でも・・・」
電波状態も悪く、どうにも埒が明かない。
彼は、何かしら俺に話があって、電話を掛けてきた。
この機会を逃したら、本当に見殺しにしてしまう、そう感じた。

「宮本さん、今からお会いできますか?」
「でもこんな時間ですし・・・」
「明日、お休みですよね?俺、車で迎えに行きますから」
無理にでも事を進めたかった。
住所を聞くと、豊洲の駅の近くだと言う。
俺が住んでいる葛西から、車ならそれほど時間もかからない。
30分で行くと伝え、有無を言わさず電話を切った。

豊洲の駅前は終電も終わり、人もまばらだった。
コンビニの前に立つ宮本さんを見つける。
仕事帰りだったのか、スーツ姿のままだった。
「すみません、お待たせしました」
「いえ、大丈夫です。こちらこそ、わざわざすみません」
短い挨拶を交わし、さて、何処へ行こうかと今更考える。
ファミレスや飲み屋じゃ、周りの目もあるだろう。
車を、今来た方向へ走らせる。
「俺の部屋で良いですか?狭いですけど」
宮本さんは一瞬驚いた表情を見せたが、何も言わずに頷いた。

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信頼(5/5)

こんなことなら、普段から部屋を片付けておくんだった。
足の踏み場が無いほどではないけれど、お世辞にも綺麗とは言えない状態だ。
適当にそこら辺のものを避けて、何とか座る場所を確保する。
「こんなところで、申し訳ないんですけど」
「ほんと、お構いなく」
宮本さんは俺のPCデスクの椅子に座り、俺はベッドに腰掛ける。
「上着、掛けますよ」
そう言って、スーツの上着を受け取った。
ホッとしたような表情を見せ、彼はネクタイを緩める。

「その傷」
つい、言葉が出てしまった。
宮本さんの首筋には、何かに噛まれたような傷がはっきりとついていた。
首を押さえ、うろたえた表情を見せる。
「何か、話したいことがあるんですよね」
彼を苦しめているものは何なのか、どうしたら救えるのか。

俺は、宮本さんを見つめ、その時を待つ。
しばらくすると、観念したかのように、彼は話し始めた。

彼が今の部署に転属されたのは、1年半ほど前のこと。
程なくして始まったのが、上司からのパワハラ。
初めは言葉で威圧するようなものだったらしいが、やがてそれはエスカレートし
半年ほどすると、性的行為を強要されるようになった。
恐怖で精神的に押さえつけられ、強姦されることで肉体的に傷つけられる日々。
それでも、上司と部下、男同士と言う関係から、職場では訴えることが出来なかった。
「身体は反応するようになってしまったんです。でも・・・」
頭痛や吐き気、精神の病は如実に体に現れた。
それでも、逃げられないと言う。

話を聞いていると、こっちまで身体が痛くなってくる。
申請の日、物陰で聞いた一部始終が思い出された。
俺の携帯番号を受け取った時、心底嬉しかったと言う。
でも、申請が終わるまで、連絡してはマズいと思っていたのだそうだ。

「休職するとか、出来ないんですか」
「しばらく休んでも、いずれ戻らなければならないと思うと、なかなか」
「転職とか」
どうなんですか、と言いかけて、止める。
公務員だもんな、そうそう民間に転職なんて考えないだろう。
宮本さんは何かを考えるように、床を見つめる。
「可能なら・・・今すぐにでも・・・逃げたい」
そう言って、俯いてしまった。
あまりにも、切実な言葉だった。

「俺は、何か出来ませんか」
「こうして、話を聞いていただけで、十分です」
そう言って、淋しげな笑顔を俺に向けた。
「誰にも言えなかったんです。いっそのこと・・・」
唇をかみ締め、目を細める。
今にも泣き出しそうな表情を見て、いたたまれなくなる。
そんなに今の仕事が大切なのか?自分の心より?命より?

俺はベッドから立ち上がり、小さく震える背中を、後ろから抱き締めた。
鼓動が早まり、身体がこわばるのを感じながら、じっと、落ち着くのを待つ。
胸の前で組んだ手に、水滴が落ちるのを感じた。
「逃げましょう、俺と」
彼は、何も言わずに首を振る。
「必ず、守ります」
それだけは、どうしても約束したかった。
「無関係なあなたを、巻き込むことは、出来ません」
「巻き込んでくださいよ」
崩れ落ちてしまいそうな心を支えるように、腕に力を込める。
「人に迷惑掛けまいとして、自分を傷つけるのは、もう止めて下さい」
宮本さんは、下を向いて嗚咽を漏らす。
俺は黙って、抱き締め続けた。

「本当に、ありがとうございます。でも・・・」
俺の腕に手を添えて、そう呟く。
儚い感触だった。
手を離したら、二度と戻ってこない、そんな気がした。
肩を抱いて、こちらを向かせる。
宮本さんは、驚いたような目で俺を見ていた。
「俺を、信じて」
そのまま、吸い寄せられるようにキスをする。
微かに震えた唇は、とても冷たかった。


窓の外の空は、白んできていた。
宮本さんを自宅に送る為、家を出る。
車に乗り込み、エンジンを掛ける前、俺は宮本さんの手を握った。
「うちの事務所に来ませんか」
当然、所長には相談していない。
完全な思い付きだった。
真剣な顔で夢見ごこちなことを言う俺を、宮本さんはまっすぐ見つめる。
何も言わなかったけれど、目には、決意が見て取れた。

それから3ヶ月経ち、宮本さんは役所を辞めた。
「僕で、役に立てるのでしょうか」
「初めは誰でも新人ですよ」
何とか所長に掛け合い、中途採用の枠を空けて貰ったのは、ついこの間のこと。
設計業務の経験は無いが、抜群の知識を持っている彼は
きっと事務所でも役に立ってくれるはずだ、そう説得し続けた。
「徐々に、慣れて行けば良いんです。焦る必要ないですよ」
そう言って、彼の手を引く。

まだ彼の中には、恐怖が残っているだろう。
携帯を変え、引っ越しをしても、植えつけられた意識はそうそう変わらない。
けれど、あの時と違って、彼の側には俺がいる。
信頼を寄せてくれるようになった彼に応える為、力を尽くしたい、そう思っている。

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Information

まべちがわ

Author:まべちがわ
妄想力を高める為、日々精進。
閲覧して頂いた全ての皆様に、感謝を。

2011-3-12
東日本大震災の被害に遭われた方に
心よりお見舞いを申し上げます。
故郷の復興の為に、僅かばかりにでも
尽力出来ればと思っております。

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