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想望(1/5)

夜中の1時過ぎ。
赤い電飾が消えて、道路が一瞬にして暗闇に包まれた。
この光景を見る度、何か、全てが終わったような気がする薄気味悪さを感じて
それが、俺の心を何故だか落ち着かせてくれる。

「お疲れ様でした」
久しぶりに発した言葉と共に、バイト先を後にする。
道路工事の現場で誘導のバイトをするようになってから2週間。
元から昼夜逆転の生活を送っていたから、身体には何の問題も無かったけれど
同居する家族とは、更に顔を合わす機会が少なくなった。
家族とも、外界とも接点の無い毎日。
口のきき方さえ忘れてしまいそうで、孤独感はますます募って行く。

高校を出てから5年、定職にもつかず、フリーター生活。
就職に失敗したのだと言い訳するには、もう時間が経ち過ぎてしまった。
腫れ物に触る様な態度を取る両親。
申し訳ないと思う気持ちと、やり場のない焦燥感が、絶望になって頭の中を占拠する。
あの電飾のように、俺の人生もフッと消えてくれないか、そう、思う。


歩いて帰った自宅の玄関には、一つの包み。
背負っているリュックサックを置くことなく、それを拾い上げて、再び外に出る。
包みの中には、束になったマンションのチラシ。
立ちっ放しできつい身体を引き摺る様に、近くの団地に足を向けた。

静まり返った団地のポストに、一枚一枚チラシを放り込む。
点滅している街灯で出来た自分の影が、道路に浮かんだり消えたりするのを見ながら
慣れたルートを辿って行く。
一枚幾らになるのかなんてを考えると虚しくなるだけだから、考えないようにしている。
それでも、他に考えることも無く、結局はつまらないことを考えて無駄に神経を擦り減らす。

カラスの鳴き声が夜明けを告げる頃、手元のチラシは半分くらいに減って来た。
高齢者の多いこの団地では、そろそろ人影が現れてくる時間。
今日は終わりにしよう、そう思った時、道の向こうから歩いてくる人物が目に入る。
抱える荷物を見て、それが同業者であることは明らかだった。

ポスティングのバイトを夜中にやることは、珍しいことじゃない。
家人や管理人と顔を合わさない、人が少ないから移動が容易い。
ガラの悪い輩に絡まれそうになることもあるものの、この時間帯の方が捗るのも確かだった。

歩いて来たのは、俺よりも幾らか年上の男。
俺を認めた彼は、顔を緩ませて軽く頭を下げる。
そんな態度を取られたのは初めてで、どんな対応をしたら良いのか混乱する中
すれ違いざま、お疲れ、と一言だけ発する事は出来た。
男の足跡が離れて行くのを耳で感じていると、その足音がふと止まる。
「頑張って」
自分の発した言葉で妙に緊張していた背中に、柔らかい声が戻ってくる。
振り返る事は出来なかったけれど、この瞬間が嬉しくて、歩きながら大きく首を振った。


朝方ベッドに入ったにも拘らず、眼が冴えて眠れなかった日。
時間は、まだ昼前。
共働きをしている両親は既に家におらず、ガランとした室内に少し、ホッとする。
天気は悪くない。
無言の圧力に押されるよう、久しぶりに昼間の風景を見に、外へ出た。

『誰にでも出来るお仕事です』
画面に映し出された文言の下には、経験者優遇・パソコン使える人歓迎と言った相反する文字。
こんな時間でも、ハローワークには多くの人が詰めている。
それぞれが背負っているものも、それぞれの気負いも様々なのは分かっているけれど
同じ境遇の人間がこれだけいるんだと思うだけでも、気持ちが楽になる。

「若いから、パソコンくらい使えるでしょう?」
窓口で何回、そう言われただろうか。
インターネットを見たり、メールを出したり、パソコンで俺がやることと言ったらそれくらいで
一般的なビジネスソフトの名前を出されても、それが何をするものか知っていても、使ったことは無い。
「今はねぇ、こう言うの使えて当然だって認識があるから」
苦笑いする職員に、今日も溜め息を返して席を立つ。


駅の近くにあるスーパーの前を通りかかったのは、昼も過ぎた頃だった。
買い物客が一段落したのか、人影はまばら。
その中に、赤いジャンパーを着た男がチラシを配っている姿が目に入った。
パソコン教室の名前を背に掲げながら、行き過ぎる人たちに手を伸ばす。
受け取って貰えるチャンスを窺いながら、宜しくお願いしますとひたすら繰り返す男。
スーツを着ているところを見ると、サラリーマンのようだ。
折角就職しても、あんな仕事をやらされるなんて大変だな、そう思いながら通り過ぎようとした時
不意に、彼が振り向いた。

「あ・・・」
小さな声を上げたのは、相手の方だった。
見覚えのある顔に思わず立ち止まる。
何処と無く嬉しそうな笑顔を見せた彼は、手にした紙を俺の方へ差し出しつつ言った。
「ここの上にあるパソコン教室なんです。無料体験もやってるんで、宜しければ是非」
彼があの時配っていたのは、このチラシだったのだろう。
如何にも客引きと言ったトーンで話す彼に、どんな反応をして良いか分からず
軽く会釈をして、その紙を受け取った。
「お待ちしてます」
人当たりの良さそうな表情で、彼は再び仕事に戻る。
思わぬ再会に小さな喜びを感じながら、俺はその場を後にした。

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想望(2/5)

このままで良いだなんて、思ってはいない。
それなのに、変わらなきゃと言う気概はなかなか生まれて来ない。
実家住まいで、両親も健在で、周りの目さえ気にしなきゃ野垂れ死ぬことも無い。
両親が死んだら、そんな杞憂に苛まれる前までには、せめて自ら命を絶てば良い。
砂を噛むような毎日の中で、くだらない人生計画を立てては、自分を納得させていた。

夜間工事のバイトが無かった夜。
ポスティング用のチラシを抱えたタイミングで、一枚の紙が床に落ちた。
クシャクシャになったそれを、丁寧に開く。
決して上品とは言えない色で飾られたチラシには、興味を引く言葉が並んでいた。
その隅に書かれている『無料体験実施中』の文字。
ふと、早朝すれ違った時の彼の顔が浮かぶ。
待ってると言う一言が営業トークであることは分かり切っているのに、縋ってしまいそうな自分がいる。
甘ったれた考えの中から、抜け出すきっかけが欲しかったのかも知れない。


夕方4時過ぎのスーパーは、夕食の準備を急ぐ買い物客で混雑している。
エスカレーターでフロアを上がって行く毎に、その人影はまばらになり
最上階である5階は、店内のBGMが流れるだけの空間になっていた。

小さな入口の前に差し掛かると、正面にはカウンターと、そこに暇そうに座る女の姿が見えた。
俺の姿を認めた彼女は表情を一変させて立ち上がり、入口へと歩いてくる。
「見学の方ですか?」
顔からは想像も出来ないような甲高い声に、少しだけ身体が強張った。
「え、ええ・・・チラシを、見て」
「どうぞどうぞ。今、係の者を呼んで来るんで、こちらでお待ち下さい」
そう言って、彼女は窓際の小さな接客スペースに俺を促す。
ちょうど人の途切れる時間帯なのか、7、8台ほどあるパソコンの前に人はいなかった。

カウンターの奥から出て来た男は、俺の顔を見るなり目を細め、にこやかな表情を作る。
「すみません、お待たせしました」
何やら資料を抱えたスーツ姿の彼は、向かいの椅子に腰を掛けた。
首から下げているIDには、塩澤と言う苗字と、室長と言う役職。
「来て頂けて、良かったです」
ファイルの中から紙を取り出しながら、彼はそう呟く。
「・・・え?」
「こういう所って、本当に興味がある人しか来ませんから」
「そう、でしょうね」
「立ち止まってまでチラシ受け取って貰ったんで、ちょっとは興味があるのかなって思ってたんです」
俺が歩みを止めたのは、見知った顔だったから。
それ以上の感情を、無意識に顔に出していたのだろうか。

目の前に出された用紙に、名前と連絡先を書き込んで行く。
「君塚さんは・・・パソコンのご経験は如何ですか?」
俺の字を目で追いながら、彼はそう問いかける。
「殆ど・・・ネットとか、メールくらいで」
「そうですか。今回は、どんなことがやりたいとか、イメージはあります?」
誰にでも出来る仕事にありつく為、それだけが目的なのに
この期に及んで、普段は塞ぎ込んでいる見栄が顔を出す。
真っ直ぐに向けられた彼の視線を避けるように、目線を落とした。

小さく息を吐く音の後、彼は何かを書き込みながら尋ねる。
「お仕事のスキルアップ、って感じですかね」
気を遣ってくれたのだろう。
彼の声に、思わず顔を上げる。
「そう言う方、多くいらっしゃるんですよ」
変わらない微笑を湛えたままの男に、俺は頷くことしか出来なかった。


画面に映し出される無数の格子。
正直、それが何に使われるものなのか、イマイチよく分からない。
「これは、表を作って計算したり、集計したりする為のソフトなんです」
隣に立つ彼は、薄い冊子をテーブルに置いて説明を始める。
「お店で言うと、売り上げや在庫を管理する時に使われたりしますね」
格子の中に並んで行く、適当な日付と数字。
あるボタンをクリックすると、数字の合計が一瞬で弾き出される。
「一週間で商品がこれだけ売れた、と分かる訳です」

自分の日常からかけ離れているせいなのか、あまり感慨は生まれない。
未だ不可思議な顔をしていたであろう俺に、彼は一つの提案をする。
「例えば、このチラシ、1枚配って3円の利益、とした時に」
俺が持って来たしわくちゃのチラシを手に取り、彼は続ける。
「今日は300枚配ったから、900円、になりますよね」
再び入力されていく日付と、チラシの枚数。
「でも、一週間、毎日同じペースで配れるとは限らない。明日は150枚しか配れないかも知れない」
「・・・雨が降ったら、配れないかも」
「そう。途中で喉が乾いたら何か買うかも知れないし、遠ければ電車やバスを使う」
様々な数値が並んで行く画面に、表らしき輪郭が見えて来る。
「結局、その日一日の収支はどうなっているのか、それが1か月続いたら?」
急に現実味を帯びる、数字の羅列。
「・・・便利、かも」
「そうでしょう?」
マウスを握る俺の手に自らの手を添え、彼は画面上を滑らせる。
「使う目的は、何でも良いんです。とにかく、自分の興味がある範囲で使って覚える」
「興味?」
「だって・・・」
冊子に書いてある、例題のテストの点数表を指差し、彼は笑う。
「他人のテストの点数なんて、興味無いじゃないですか」

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想望(3/5)

「塩澤さん、お電話ですよ」
俺に付きっきりになっていてくれた彼は、そう呼ぶ声に頷き、場を離れる。
「じゃあ、ちょっと弄ってて下さい。すぐ戻りますんで」
窓の外では、もう陽が傾き始めて来ている。
何時に来たのか、正確な時間は忘れてしまったけれど
決められた時間を過ぎているであろうことは確かだった。

どうして彼は、あんなに俺に親切にしてくれるのか。
新規の客を獲得する為の、彼のやり方なんだろうか。
そうだよな、あっちからすれば、俺はただの金づる。
ここで心証を良くしておけば、彼の勝ちだ。

結局、彼との授業が終わったのは、俄かに空がくすみ始めた頃だった。
もちろん、パソコンの前から離れても、すぐに返しては貰えない。
むしろ、室長にとっては、これからが本番なのだろう。

「如何でした?感触は」
「いろいろ、出来るんだなぁ、と」
「今日はホンの触りですからね。どんなことが出来るのか、その可能性をこちらで習得して頂ければ」
夕日に陰らされる顔が、俺を見る。
同時に差し出される、分厚い教材。
「原則、ウチの授業を受ける際には、これを最初にご購入して頂かないとならないんです」
中には、さっき見せられた薄い冊子とは違う、小難しい文言が並んでいた。
このテキストだけでは理解出来ないように、そんな魂胆なのかも知れない。
「これに合わせた授業は、別途チケットを購入頂くと言う形ですね」
提示された一つ一つの金額は、捻出できない額じゃない。
ただ、それが積み重なる度に、段々と気持ちが冷めて行く。

「ご自宅に、パソコンはお持ちですか?」
無言でページをめくる俺に、彼はそう声を掛ける。
「一応・・・家族の共用のが」
「もし、このソフトが入っていれば・・・」
彼の声のトーンが、僅かに落ちる。
「君塚さんは飲み込みが早そうですから、ご自宅で学習されても良いのかも知れません」
「でも、それじゃ・・・」
「ウチの教室、お客様が途切れる時間帯に、自習時間を設けてるんです」
「自習?」
「パソコンをお持ちでない方に対して、指導無しでパソコンを使って頂く趣旨なんですが」
室内を見回すように彼の視線が泳ぎ、また俺の元へ戻ってくる。
「分からないことがあれば、僕に聞いて貰って良いんで」

平日の客層の殆どが主婦や高齢者。
夕方のこの時間は概ね客足が途絶えることもあって、指導員は彼一人なのだそうだ。
1時間500円、チラシ約170枚分。
それが高いか安いかが分かるのは、このテキストの内容を理解しきった時なんだろう。
分厚い冊子を手に教室を出る俺に、彼は深々と頭を下げて、言った。
「お待ちしてます」


バイトの休憩時間、ポスティングから戻って寝るまでの時間。
時には自宅のパソコンの画面とにらめっこをしながら、少しずつテキストを進めて行く。
500円とは言っても、毎日教室に通う事は出来ず
週2、3回、バイトの前に立ち寄っては疑問を彼にぶつける。
本来なら、その何倍もの金を払って対価を得るはずの行為。
分かっているからこそ、頻繁に通うことは躊躇われた。
それでも、何処か後ろめたい気分で入り口のドアを開ける俺に、彼はいつでも笑顔を向けてくれた。


ある日の夕方。
いつものように教室へ入ると、彼の姿は無かった。
代わりに対応してくれたのは、指導員と言うIDを下げた中年の女。
どうやら室長は出張で不在と言うことらしかった。
パソコンのトラブルがあったら声を掛けてくれ、と言い残し、彼女はカウンターの後ろに消えて行く。

初めてこの画面を見てから、1ヶ月くらい経ったのだろうか。
表計算やグラフの作り方は、何となく理解出来て来た。
数式も、一般的な物であれば使えるようになった。
引っかかっていたのは、論理式の組み立て方。
答を求める存在がいないまま、仕方なく、復習を兼ねてテキスト通りに式を弄ってみることにした。

「塩澤さんも、もっと愛想良くすればいいのにね」
「でも、さっきのお客さんには、凄く親切なんですよ」
「そうなの?室長がニコリともしないって文句言われたことあるのに」
断続的なキーの音に混ざる、くぐもった声。
漏れ聞こえていることに気が付いてないのか、別に聞かれても構わないと思っているのか。
どちらにしても、自分が好意を持つ人間に対する陰口を聞くのは、良い気分じゃない。
席に着いてから20分も経っていなかったけれど、もう出よう、そう思った時、更に追い打ちをかけられる。
「あのお客さんだって、こんな時間に来てるんだからフリーターとかでしょ?」
「まぁ、そうでしょうね」
「きっと、今は同情してるだけで、それに飽きたら不愛想になるわよ」

笑顔以外の彼の表情が思い浮かばない。
ありがとうございました、そう呟いて教室を出る俺に、彼女たちは素知らぬ笑い声を返した。
慈善事業じゃない、これはれっきとした商売。
金を払わない客に用は無い、当たり前の現実を改めて突き付けられたような気がした。


バイトのシフトが深夜から朝に変わり、パソコン教室からも自然と足が遠のいて行く。
疑問の山も乗り越えられない部分に差し掛かると、いよいよ興味も薄れて行く。
1、2週間も経つと、彼と顔を合わせることも気まずく感じるようになって
スーパー自体を避けて歩くようになった。
待ってる、その言葉がただの社交辞令じゃなかったと信じたい気持ちが、罪悪感に変わる。
俺がもっと、ちゃんとした人間だったら、良かったのに。

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想望(4/5)

季節は確実に巡っていて、都内と言えども夜中の風は冷たくなって来た。
空が白む時間も徐々に遅くなり、心地良かった晩夏の夜とは様相が変わって来ている。

思いの外、作業が捗った早朝。
帰り際、通りかかった団地の小さな公園に浮かぶ人影が目に入った。
散歩には、まだ暗すぎる。
酔っ払いが寝ているだけか。
怪訝に思いながら歩いていると、不意に声を掛けられる。
「君塚さん」

スーツ姿の彼は、困ったような笑顔で俺の前に立つ。
「・・・どうしたんですか?」
「それは、こっちのセリフですよ。最近、いらっしゃらないから」
「それだけで、わざわざ・・・?」
同じチラシは一戸一枚、当然ポスティングのルートは毎日変わる。
ここを通ったのも、一週間以上ぶりだ。
「顔を合わせた方が、伝わると思ったんで。・・・でも」
暗がりの中の顔に、切なげな影が被る。
「あの教室、閉鎖することになったんです」


人気の無い朝のファミレスで、バイトまでの短い時間、彼の話に耳を傾ける。
自身も大学を中退し、何年かフリーター生活を送っていたこと。
唯一得意だったパソコンの技量を活かし、バイトから正社員、室長まで行き着いたこと。
「なまじっか、大学まで行ったのが良くなかったんでしょうね。焦燥感が半端じゃ無かった」
「でも、今は・・・」
「結果的には良かったんでしょうけど。・・・それもあって、君塚さんのことがどうしても気になって」
「同じ、状況だったから?」
「もがきたくても、もがき方が分からずに沈むだけだった自分を、見ているようで」
俯き加減で溜め息をつく彼の顔に、笑みは無かった。
「何とか、手助けしたいと、思っていたのに」
助けを求めて伸ばした手を取ってくれる存在を期待することは、随分前に諦めていた。
誰かが手を伸ばしてくれるなんて、期待するのも怖かった。
こんな形で助け船を出してくれる存在が現れるなんて、思ってもいなかった。

「他の、場所に移るんですか?」
「まだ分かりません。業績不振の責任は取らなければならないので・・・しばらくは本社で雑用ですかね」
「それは、俺の・・・」
「違います。そうじゃない。・・・僕はきっと、接客業には向いてないんです」
愛想が無い、俺が持つ彼への印象とは正反対の言葉の理由。
「僕、女性が、どうしても苦手で・・・」

本来のパソコン教室での授業は、テキストに沿って教えて行くのが原則。
あまりに忠実に教えていた姿勢が、却って事務的に取られ、クレームに繋がったんだろうと言う。
「突然世間話を振られても、思ったように返せなくて。愛想笑いも硬かったのかな」
「でも、本来は、そう言う場所じゃ・・・」
「中には、話し相手が欲しい、そんな理由で来られる方も少なくないですからね」
人当たりの良さそうな風貌、30歳前後とは思えない若々しい雰囲気。
第一印象は、決して悪くない。
そのギャップが、彼の評判を下げてしまうんだろうか。

帰り際、彼は自身の名刺に携帯電話の番号を書き、手渡してくれた。
「何かあれば、力にならせて下さい。直接教えることは・・・もう、無いと思いますけど」
遣り切れない笑みを湛え、彼は俺と逆の方向へ歩いて行く。
折角手を引いてくれた機会を無駄にしたら、本当に俺は、立ち直れないのかも知れない。
机の上に放り出したままにしているテキストを思い浮かべながら、そう考えていた。


「有斗、ちょっといい?」
珍しく母が声を掛けて来た、日曜日のバイト帰り。
幾分深刻な表情を見せる雰囲気に、気持ちが身構えた。
「・・・何?」
キッチンカウンターに寄りかかる俺に、彼女は暖かいコーヒーを出してくれる。
こんな風に、顔を突き合わせて話をするのはいつ以来だろう。
ぎこちない空気を、カップから立つ湯気が少しだけ緩ませてくれた。

「バイト、いつまで続けるの?」
「いつまで、って」
「実はね、さっき伊勢崎の方から電話があって・・・」
伊勢崎、と言うのは母の実家がある街。
古い地主である祖父母は、何軒かの不動産を持ちながら悠々自適な暮らしを送っている。
頻繁に赴くことは無かったけれど、惨めな自分の姿を見られたくなくて、ここ数年は顔を合わせていない。
その祖父が、10年程前に趣味で酒屋を開業した。
全国の珍しい酒を取り寄せて並べる一方で、行きつけの飲み屋に酒を卸したりしていたらしい。

「お爺ちゃんが、バイクで転んで怪我したって言うのよ」
「で?」
「で、手伝いに来てくれないかって」
母を長女とする三姉妹は、既に実家を離れて嫁いでしまった。
男手が無い中で、祖母だけでは店を回せないと言う。
「アルバイトとか、雇ったら良いんじゃないの?」
「今更知らない人間を使うのは、嫌なんだって」
「俺だって、そんなに・・・」
「孫じゃない」
「そうだけど」

働き手が欲しい祖父母、厄介払いをしたい両親、時間を持て余している俺。
二者の思惑に引き摺られる方が丸く収まる、俺にでも、それくらいのことは分かっていた。

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想望(5/5)

変わりたい、そんな悠長なことは言ってられないと気が付いたのは、手伝いを始めた初日だった。
"誰か" を相手に働く、と言う経験が無かった俺には、接客や御用聞きもままならない。
久しぶりに乗る原付バイクも、アクセルの入れ方を思い出すのに精いっぱい。
酒の扱いや冷蔵庫の管理と言った、祖父の頭の中で組み立てられてきた経験則も
一から覚えて行かなければならない。
車椅子に乗る祖父の厳しい指導を浴びながら、単なる手伝いの範疇を超えている、そう感じていた。

慌ただしい一日が過ぎた夜。
店内の事務机の上に、一台のノートパソコンが乗っているのに気が付いた。
「ばあちゃん、これ、使ってるの?」
店仕舞いをする祖母に聞くと、笑いながら首を横に振る。
「おじいちゃんが、常連さんのよしみでって買ったのよ。使いもしないのに、もったいないわよね」
電源を入れると、見慣れた画面が浮かび上がる。
「借りても、良い?」
「良いわよ、好きに使ってちょうだい」
パソコンの脇には、帳簿と俺が取って来た注文のメモ。
慣れた様子でそれを書き留めて行く祖母の横で、同じ内容をパソコン上の表に写していく。
一日分の数値はホンの少し、けれど、これが一週間、一ヶ月になれば、記録として形になるはず。
興味がある範囲で使う、そんな彼の言葉がやっと心から理解できた気がした。

読み込んで膨れ上がったテキストを繰りながら、どんなことに応用できるのか考える。
それが、夜寝る前の習慣になって来た。
時折、栞代わりに挟んでいる一枚の名刺を眺める。
書き記してくれた番号に電話をかけることは、結局、無かったけれど
空っぽだった俺の中に、何か出来ること、の土台を作ってくれたことを、本当に感謝している。
もう、会うことも無いんだろう。
頭の中に浮かぶ彼の笑顔と共に、名刺を挟み直した。


店の定休日は日曜日だけ。
遮二無二働いた疲れは、その日の朝からどっとやって来る。
「若いんだから、もっとしっかりしろ」
祖母が作ってくれる朝食を寝ぼけ眼で口に運ぶ俺に、祖父がぼやく。
「じいちゃんこそ、早く足、治してよ」
「有斗がいれば、オレはこのままでも良さそうだからな」
「勘弁してよ。俺だって・・・」
いつまでもここにいられる訳じゃない、ことなんか、無い。
東京に戻ったって、前と同じ、地を這うような生活が待っているだけ。
なら、いっそのこと、ここで手伝いを続けても良いのかも知れない。
「ごちそうさま」
言葉を濁すように、そう言いながら席を立った。

パソコンに向かっていると、時折やって来るFAX。
口コミで広がった評判を聞きつけ、たまに物好きな客が酒を注文してくる。
数枚貯まった紙を取り上げ、注文台帳に挟み込む。
こう言うのを、メールで出来れば便利なのかも知れない。
試しにブラウザを立ち上げてみると、インターネットにも繋がっているようだった。
ホームページなんか作ってみるのは、どうだろう。
きっかけがあれば、方策を手繰り寄せる意欲も湧いてくる。
今までになかった、行く先への期待。
俺はまだ、こんな気持ちになれるんだ。


御用聞きのついでに買い物を頼まれた夕方。
小さな商店街の入り口で、見覚えのある赤いジャンパー姿が目に入った。
通り過ぎた先で原付を停め、振り返る。
まばらな通行人に何かを配っているのは中肉中背の男。
その背に掲げてあるのは、あのパソコン教室のロゴ。
知らず知らずの内に、緊張感が身体を包んでいく。
こんな偶然、ある訳無い。
そう思いながら、彼に近づいた。

俺はその時、どんな顔をしたんだろう。
チラシを手渡してくれたのは、俺と同年代の若い男だった。
「今度、新しく出来るパソコン教室なんです。無料体験もやってるんで」
ぎこちなく笑う彼は、そう言って俺に紙を手渡して来る。
手に取った紙には、あの時貰ったものと同じ内容の文言が並ぶ。
眺めていたのは短い時間だったと思うけれど、色々なことが頭を巡った。

「お待ちしてます」
不意に背後から掛けられた、聞き覚えのある声。
振り向くと、記憶の中と変わらない笑顔の彼が立っていた。
「あ・・・」
瞬間目を細めた彼は、後輩らしき青年に声を掛ける。
「後は僕がやるから、戻ってて良いよ」


初めて群馬に進出する足掛かりとなる店舗を任されることになったのは
奇しくも、俺がこっちに来た時期と同じ頃だったそうだ。
伊勢崎の駅近くに出来る店舗だけあって、以前の教室より遥かに規模が大きいとのこと。
「いつも思うんです」
ウチの店のお客さんでもある小さな居酒屋で、彼はネクタイを緩めながら話を続ける。
「内容を理解したお客様にとっては、僕は、もう用無しなんだなって」
寂しげな視線が、半分ほど残っている日本酒のグラスを滑る。
俺の方へ向き直った彼は、言葉を選んでいるのか、口を開きかけて、また閉じる。
しばらく続いたギクシャクした雰囲気を、彼の溜め息が壊した。
「もう一人で立てるのに、助けを求めて欲しいと思ってた僕が、身勝手過ぎましたね」

何度電話をかけようとしたか、分からない。
目まぐるしく変わって行く日常に流され、きっかけを失ってしまっただけだった。
「・・・待たせてばっかりで、すみませんでした」
「良いんです。僕が待ちたいから、待ってた。・・・いつまでも、待つつもりだった」
切なげに笑う彼に、もう一度、手を引いて欲しい。
それは、明日に、希望があるから。


相変わらずテキストとにらめっこの自習の日々。
たまの休みには、小さなノートパソコンを二人で眺めながら広大な世界への入り口を組み立てる。
「バイト代、払わないとね」
「じゃ、日本酒でも貰おうかな」
「良いよ、好きなの持ってって。俺が立て替えるから」
「ホント?教え甲斐があるなぁ」
「案外、ゲンキンだね・・・」

少し歳の離れた友達。
関係が変わっても、彼は歩みの遅い俺のことを、振り向いて待っていてくれる。
いつまでも必要な存在として、一緒に歩いて行ければ、そう思う。

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Information

まべちがわ

Author:まべちがわ
妄想力を高める為、日々精進。
閲覧して頂いた全ての皆様に、感謝を。

2011-3-12
東日本大震災の被害に遭われた方に
心よりお見舞いを申し上げます。
故郷の復興の為に、僅かばかりにでも
尽力出来ればと思っております。

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