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光明★(1/8)

「何かスポーツ、やってた?」
関係の薄い人からは、必ずと言っていいほど聞かれる質問。
会話の糸口を掴もうとしてのことなんだろうが
ご期待に沿えず、何の運動もやってきていない俺には苦痛でしか無い。
「そうなんだ。それだけ背が高いと、何やっても様になりそうだけどね」
「運動神経が備わってれば良いんですけど、残念ながら」
「でも、羨ましいな。少しくらい分けて貰いたいくらいだよ」
隣の座席に座る本間さんがそう笑う。
確かに彼はかなり小柄で、190cm弱の俺と比べると、25cm程度は身長差がある。
「ま、何事も中の下くらいが丁度良いんじゃないかと・・・」
「阿久津君、意外に保守的だね」
思わぬ指摘が図星を見事に突く。
気が小さいからだろうか、何事においても、あと一歩が踏み込めない。

愛想笑いを浮かべる俺に、彼は途切れた会話を修復する言葉を発した。
「僕ね、中学の頃はバスケやってたんだ」
「えっ」
「皆、そんな顔で、そんな驚いた声出すけど。ホントに」
きっと、彼が繰り出す会話の糸口の一つなんだろう。
食いつかない人間はいないはずだ。
「すみません・・・でも、意外ですね」
「怪我して辞めちゃったけど、あの頃はレギュラーやれるくらい上手かったんだよ」
「今でもやったりするんですか?」
「流石にやらないけど、試合観に行ったりはするかな」
少しずつ垣間見えてくる、彼の側面。
はにかみつつコーヒーを飲む彼の横顔を見ながら、小さな幸せを噛み締める。

新潟にある美術館の新築現場への出張。
今日は、新潟営業所の社員と施工業者との打合せ。
明日は、施主打合せと竣工検査の立会い。
2泊3日の行程を、それほど付き合いの無い営業の先輩と共にする。
普段なら絶対に気乗りしないであろうスケジュール。
けれど、同行者が彼だと言うだけで、俺の気分は180度変わっていた。

残雪に飾られた行き過ぎる車窓を眺めながら、穏やかな顔で彼は呟く。
「まだこの辺は、雪が残ってるんだ」
「もう・・・4月ですよ」
「スーツだけじゃ、寒いかも知れないなぁ」


本間さんと初めて言葉を交わしたのは、会社にある図面庫の中。
天井まで作りつけられている棚の中には
過去に設計・施工を行った物件の竣工図や施工図がびっしりと収められている。
データ化されているとは言えども、紙ベースで残しておくというのが会社の方針。
新人だった俺は、参考資料にと図面を取ってくるよう先輩に仰せつかっていた。

多少カビ臭い室内に入ると、脚立に乗って上の方にある図面に手を伸ばしている人影があった。
背の低い彼には、それでもどうやら届かないらしく、不安定なつま先立ち。
あまりの危なっかしさに、思わず声を掛ける。
「あの・・・取りますよ」
驚いたように振り向いた彼は、瞬間、照れ隠しのような笑みを見せた。
「ああ、じゃ、お願いしようかな」
俺が脚立に乗って何とか届く場所に、彼が探していた図面はあった。

「悪いね、ありがとう」
A1サイズの製本された図面を抱え、軽く頭を下げる。
小さな身体に、幅広のフレームの眼鏡をかけた小さな顔。
明るめの色の髪も相まって、見た目は大分若く感じられた。
「君は、工事部の新人さん?」
「はい。一課の阿久津と言います」
「デカい新入社員が入ってきたって聞いてたけど、君の事かな」
「多分・・・そうかと」
バツの悪い雰囲気に強張った顔が、彼の笑い声で少し緩む。
「ああ、僕は営業の本間。その内、一緒に仕事をすることもあるだろうから、宜しくね」
そう言いながら、彼は部屋から出て行く。
背中を見送りながら、俺は久しぶりに沸き上がる感情を必死に抑え込もうとしていた。


初恋、と言うのだろうか。
人を好きになると言うことを初めて実感したのは、小学生の頃だった。
相手は、幼馴染の男の子。
一緒に遊んでいる内に、もっと近づきたい、そう思うようになっていったのだろう。
ふとした瞬間、彼と手を繋ぎたくなった俺は、彼に向かって手を伸ばす。
男としての自我が目覚めてくる時期。
彼は、その手を思いっきり拒絶した。
「男同士なのに、気持ち悪いよ」

自分が抱いている幼い気持ちを打ち砕くには、十分すぎる言葉だった。
男が男を好きになることは、気持ち悪いこと、いけないこと。
その経験は、自発的な恋愛感情を心の奥に押し込むことを強要させた。
こんな俺を好きになってくれた女の子と付き合ったこともある。
互いに気持ちを通じ合わせていたと思うけれど
奥底に眠る同性への想いが徐々に後ろめたさを大きくさせて、結局長くは続かなかった。

□ 40_光明★ □
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光明★(2/8)

滅多に顔を合わせる機会が無いからこそ、憧れが募る。
叶わないと分かっているから、胸焦がす想いに身悶える。
図面庫での出会い以来、同じ会社で働いていると言うのに、彼の姿を見ることは殆ど無かった。
営業部と工事部のフロアが違うこともあるのだろうが
社員食堂でも、エントランスでも、彼と鉢合わせすると言う偶然には恵まれなかった。

やっと巡ってきた機会は、残酷なものだった。
ある週末の夜、帰宅途中の最寄り駅で、本間さんの姿を見かける。
オフィス街と繁華街が駅を挟んで背中合わせになっているような、この街。
行きかう大勢の人に紛れるような彼の隣には、同じくらいの身長の女性がいた。
スーツ姿の彼女は、腕を絡め、しな垂れかかるように寄り添っている。
当然だ、彼は、男なんだから。
その光景を見ながら、何度と無く唱えてきた諦めの呪文を繰り返す。

不意に、彼が振り返る。
人の波から頭一つ抜き出てしまっていた俺は、否が応にも彼と目を合わせざるを得なかった。
僅かに目を細めた彼は、またすぐに視線を戻す。
背が高いなんて、良いこと、一つも無い。
落ちた気分は、思考回路をとことん貧弱にしていった。


去年の暮れ、先輩の船橋さんが担当していた工事を急遽代理で担当することになった。
「阿久津とは、初めてだよな?」
打合せに同席していた先輩が、営業担当にそう声を掛ける。
「仕事は初めてだけど、随分前に、図面庫であったことあるよね」
「ええ・・・よく、覚えてらっしゃいますね」
「そりゃ、忘れないよ。インパクト大きかったし」
微笑む彼の表情に、押し込めたはずの感情が、蓋を持ち上げる。
トラウマのように思い返される、あの夜の光景で自分を痛めつけながら、何とか気持ちを静めた。

「基本的に、施工は新潟営業所の方でやるんだけど」
打合せ机に広げられた施工図を見ながら、現在の進捗状況と留意点を確認する。
「設計はこっちでやってるから、オレらは新潟と設計部との橋渡しをする感じだな」
「来年の春には竣工検査があるから、それには立ち会うことになるね」
途中からとは言え、初めて一人で任される物件。
知らず知らずの内に、緊張が顔に出てしまったらしい。
それに気がついた船橋さんは、からかう様な口調で言う。
「これが、口うるさい施主でさ」
「美術館だから仕方ないけど、規模はそんなに大きくないから」
机の向かい側に立つ本間さんが、笑いながら俺を見上げた。
「いざとなったら、僕がフォローするから、大丈夫だよ」

図面を片付ける俺の横で、先輩が本間さんに問いかける。
「お前、工事に戻って来ないの?」
「僕はしばらく営業で良いかな」
「本間さん、工事部にいたことがあるんですか?」
「こいつ、オレと同期で、新人の頃から一緒に工事にいたんだよ」
「営業が人手不足だって言うから、移ったんだ」
現場の施工監理をする工事部と、現場での折衝全般を請け負う営業部は、切っても切れない関係。
施主やコンサルとの交渉には、当然設計・施工の状況を把握する必要がある。
全てに精通していなければならない、まさに会社の要とも言われるエキスパートの集団だ。
「営業の殆どは、工事部出身じゃないかな」
「オレは、気が短いから、絶対無理だな」
「そうでしょうね」
「何だよ、お前だって無理だろ」
「船橋さんほど短気じゃないですけど」
つまらないやり取りを聞きながら、本間さんは俺に視線を投げかける。
「阿久津君は営業、興味無い?」
「俺は・・・まだ工事も経験が浅いですから」
「じゃ、5年後くらいにまた聞くよ。営業はいつでも人手足りて無いからね」


確かに、スーツだけじゃ寒い。
新潟駅に降り立った俺たちは、タクシーで新潟営業所へ向かう。
「阿久津君は、新潟、初めて?」
「はい。こっちの方は、全然縁が無くて。本間さんは?」
「実は、新潟生まれでね」
「そうだったんですか。じゃあ、里帰りなんですね」
「佐渡だから、ここからは随分遠いけど」
街並みを眺める彼は、故郷を懐かしむような表情を浮かべている。
「佐渡って、島ですよね」
「うん。海も山もある、良い所だよ。もう、随分帰ってないな」
「明日、金曜日ですし・・・ついでに帰省するのは」
「残念ながら、月曜日に他の現場の検査があるから、土日に準備しないとならないんだよ」

市街地の端の方にある2階建ての社屋。
美術館の施工担当者が出迎えてくれた。
「わざわざご足労頂いて、申し訳ありませんね」
「いえ、こちらこそ、なかなかお伺いできなくて」
「そちらが、阿久津さん?お電話ではいつもお世話になってます」
差し出された名刺には、菊川、と書かれている。
課長と言う肩書きにも拘らず、物腰の柔らかい話し方が心地良かった。
「お目にかかるのは、初めてですね。宜しくお願いします」

□ 40_光明★ □
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光明★(3/8)

明日の竣工検査に向けた協議は、夜遅くまで続いた。
指摘されるであろう事項を並べ、それに対する策を立てる。
ただ、ベテランが多いこの現場では、対処方法を挙げることも難しいことでは無いようだった。
営業である本間さんがそれを取り纏め、文書にしていく。
朝のうちに現場に入り、最終確認をすると言う手はずを整えて、会議は終了した。

「現場がちょっと遠いんでね」
菊川さんが、そう言って苦笑する。
「確か、ここから1時間以上かかりますよね、車で」
「そうなんですよ。営業車を出しますんで、朝7時半くらいにこちらまでお越し頂ければ」
「分かりました」
「ああ、あと・・・」
幾分申し訳なさそうな目で、彼は本間さんを見た。
「ウチの者がホテルを手配したんですが、シングル2部屋のところを、ツインで取ってしまいまして・・・」
「はあ・・・」
やはり困惑したような表情で、先輩は俺を見上げる。
そんな顔をされても困る。
下品な悦びを押し殺すように、俺はその問に答えた。
「私は・・・別に、構いませんが」


駅の近くにあるホテルの部屋は、確かにツインだった。
余裕のある作りをしているせいか、ベッドが2台あってもガランとした印象を受ける。
「随分、広いなぁ」
本間さんはそう言いながら、自らの荷物を床に置き、一人用のソファに腰掛けた。
「とりあえず明日は早いし、さっさと寝た方が良いかな」
「そうですね」
「そうだ、阿久津君、煙草大丈夫?」
「本間さん、吸うんですか?」
「夜だけね」
彼はカバンの中から煙草の箱を取り出し、火を点ける。
煙が吐き出されると共に、仄かな臭いが鼻を突いた。
「工事にいた時は、相当吸ってたんだけど。ちょっと、減らしたんだよ」
この業界、他に比べれば、まだまだ喫煙率は高い。
俺の代ではそれほど多くないが、先輩方から上の代になると、半数は喫煙者だ。

咥え煙草でネクタイを緩める姿。
俺の中の彼のイメージには無かったからか、言い知れない違和感が付き纏う。
「風呂入るなら、先に入って良いよ」
「あ、はい。じゃあ、お先に・・・」
不埒な想いが、動きをぎこちなくする。
それを悟られない内に、逃げるようにユニットバスの中へ入った。


部屋と違って、ユニットは至って普通の作りだった。
トイレ・洗面・浴槽の3点セット。
天井までの余裕が殆ど無い俺には、圧迫感が酷く
シャワーからの湯を頭から被るにも、身体を屈めなければならない。

FRPの板と内壁を隔てた向こうに、彼がいる。
心の奥に封印してきたとは言え、想い続けてきた男と同じ部屋に泊まることが出来る。
どんなに意味が無いとしても、嬉しかった。
しかし、喜びの分だけ、何も出来ないことへの遣り切れなさが大きくなる。
男同士なのに、気持ち悪い。
そんな拒絶は、もう二度と、経験したくなかった。

妄想の中で彼を汚した事は、何度もある。
嫌がる彼に、無理矢理自分のモノを咥えさせ、呻く声を愉しむ。
自慰行為を強要し、恥辱に塗れた表情を眺める。
抱き締めたり、キスをしたり、そんな恋愛的な要素は全て省く。
現実味を帯びたことを想像すればするほど罪悪感が大きくなり、興奮できないからだ。


ネクタイを外したワイシャツ姿。
背後から腕を伸ばし、口を塞ぐと共に、その動きを封じ込める。
くぐもった声の正体は、驚き、恐怖。
興奮した俺の脳裏に、罪の意識が過ぎることは無い。
ボタンを2、3個外して、その間から手を差し入れ
徐々に激しくなっていく鼓動を感じながら、ゆっくりと胸板を弄る。
首を振って無駄な抵抗を試みる彼は、けれど、その身体を解されていく。

スラックスの上からでも感じられる彼の昂り。
足の付け根から撫で上げるように股間へ手を伸ばすと、腕の中の身体が小さく跳ねる。
荒い息が、肩口にかかる彼の髪を揺らす。
ファスナーを下ろして中から彼のモノを曝け出し、焦らすように手で愛撫していくと
それは俄かに頭をもたげ始め、抑制された短い喘ぎが耳に届き始めた。
うな垂れ、自分がされている行為に打ちひしがれるような彼の姿が、更に欲望を大きくする。
扱く手の動きを早めていくと、彼の手が俺の腕を掴み、制しようと力を込める。
快感に絡め取られた身体の自制は、やがて効かなくなっていったのか
完全に勃起し、先端が粘液で塗れる頃には、彼の手は添えられているだけの存在になっていた。


手に生温い白濁した液の感触が纏わりつく。
それはすぐに、降り注ぐ湯と共に排水口へ流れて行った。
ユニットバスの壁に片手をつき、呼吸を落ち着かせる。
最低な行為だと分かっているのに、止められない。
こんな想いをするくらいなら、誰も好きにならない方が、幸せなのかも知れない。

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光明★(4/8)

「結構、長湯だね」
ワイシャツを脱ぎ、Tシャツとスラックスだけの姿で、本間さんは笑いかける。
灰皿に放り込まれている吸殻の量はかなりのもので、彼の言葉を裏付けた。
「すみません、つい」
「別に、構わないけど」
新しい煙草に火をつけながら、彼は弄っていた携帯を閉じる。
「・・・彼女、ですか?」
一瞬驚いた視線を向けた彼は、すぐに笑みを戻す。
「そうだと良いんだけど、部の先輩だよ。新潟はどうだ、ってさ」
「そうですか」
「阿久津君は?付き合ってる娘、いないの?」
予期された質問にうろたえる表情を見られたくなくて、思わず目を逸らした。
「いないですね。もう、随分・・・」
「女っ気の少ない業界だから、キツイよね。船橋みたく同級生掴まえるか、派遣のお姉ちゃんか」
「俺は、まだ、良いかなって感じです」
その言葉に、彼は意味ありげな表情をしながら、吸いかけの煙草を消す。
「30近くなれば、急に来るから。覚悟しておいた方が良いよ?」

壁の向こうから、シャワーの水音が聞こえて来る。
小さなテーブルの上には、吸殻の溜まった灰皿と、煙草の箱と、ライター。
本間さんが座っていた向かい側のソファに座り、長めの吸殻を手に取って口に咥える。
僅かに湿った感じの紙の感触と、ニコチンの独特な臭い。
火を点けて少し吸い込むと、口の中が煙に満たされた。
吐き出した煙が目の前を漂っていく。
空中をうねる白い気体を眺めながら、自分の気持ちにブレーキを掛ける。
そう、俺は、こんなことだけでも満たされるんだ、と。

思った以上に疲れていたのか。
彼がシャワーを終える頃には、俺は微睡みの中にいた。
音でその動きを追いかけながら、やがて聴覚は徐々に鈍っていく。
「お疲れさん。おやすみ」
遥か遠くの方で聞こえたような気がした言葉に、何も返すこと無く眠りに落ちた。


森の中に佇む、小さな美術館。
外壁の殆どを占めるガラス窓が周りの緑の木々を映し出し、まるで自然と一体化しているようだった。
しかし、陽が差し込まない場所だけあって、特段寒い。
流石と言うべきか、新潟生まれの本間さんは寒さを顔に出す事無く、白い息を吐いた。
「大丈夫?阿久津君」
「はい・・・しかし、冷えますね」
工事関係者の団体が、建物に向かって動き出す。
手の震えを気にしつつ外観をデジカメに収めながら、その群れについて行った。

躯体・構造、各設備に関しても、工事の漏れは無い。
施主との軽い打合せの後、検査担当の役所の職員がやってきたのは昼過ぎだった。
細かな指摘に菊川さんと二人で応対していく。
美術品を収納する倉庫の特殊空調についての質疑を出され、一瞬うろたえると
それを察した本間さんが、すかさずフォローを入れてくれた。

検査自体は滞りなく終わったものの
帰りの車中では、自分の経験値の低さに、幾分凹んだ気分になっていた。
「疲れた?浮かない顔してるね」
「いや・・・やっぱり、まだまだだな、と」
「そうかな?初めてにしては、上出来だと思うけど」
「でも、本間さんのフォローが無かったら」
「良いんだよ。その為に二人で来てる様なもんなんだから。僕にも少し、仕事させてよ」
明るく言ってくれる彼の言葉に、気持ちが少し和む。

「そう言えば、本間さんは佐渡の生まれなんですよね?」
助手席に座る菊川さんが、振り向きながら言った。
「そうです」
「地酒飲ませてくれる良い店があるんですけど、どうですか?今晩」
「え、ええ・・・良いですね」
「折角ですから、故郷の味を楽しんで帰って下さいよ」
新潟と言えば、美味い酒で有名だ。
それだけで、この辺りの人は皆酒豪だと言うイメージが勝手に湧いてくる。
本間さんと飲みに行ったことは無いけれど、きっと彼も酒好きなんだろう。
笑顔の菊川さんとは対照的に、困ったような表情を浮かべる先輩を不思議に思いながら
そんなことを思っていた。


多分、酒は強い方だ。
そんな概念が一気に壊されるような飲み方を、彼らはする。
これは熱燗、これは冷、これはぬる燗で。
個人個人でこだわりがあるだろう方法で、次々と酒を回してくる。
10杯近く飲まされると、正直、味はどれも同じに感じられるようになってきた。
「阿久津君、酒、結構いけるクチだねぇ」
ご機嫌な菊川さんが、更に酒を注いでくる。
「いや、もう、いっぱいいっぱいです・・・」

短絡的なイメージの犠牲、と言ったところだろう。
時折姿を消しては戻ってくる本間さんの顔色は、明らかに優れなかった。
それでも、同郷の絆なのか、彼を慕うように皆が酒を勧めていく。
無理をしているようにしか見えない彼は、力ない笑みを浮かべ続けていて
盛り上がる会とは裏腹に、居た堪れなさだけが膨らんでいった。
場の雰囲気を考えてのことなのか。
彼が本音を語ったのは、長すぎる離席を心配して見に行った、トイレの中だった。
「僕、酒は、殆ど・・・飲めなくてね」
潰れる寸前の彼の目は、レンズの向こうで赤く充血し、潤んでいた。

少し体調が良くないみたいで。
やんわりと断りを入れ、彼に勧められた酒を自分の口に運ぶ。
横に座る本間さんの体重が、俄かに腕にかかる。
意識が宙に浮いたような感覚を深呼吸で紛らわせながら、会の収束をひたすら待った。

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光明★(5/8)

店からホテルまでは、歩いて5分程度。
肩を貸すには身長差があり過ぎた。
彼の腰に手を回すように抱きかかえながら、引き摺るようにゆっくり歩みを進める。
「もうちょっとなんで、頑張って下さい」
細かな息を吐きながら、うな垂れる彼は小さく頷いた。

ホテルの部屋のドアを開けようとした時、不意に彼の膝が折れる。
床に座り込むような格好になり、支えていないと倒れてしまいそうだった。
彼の腕を自分の首に回す。
「少しだけ、力入れてて下さいね」
その呟きが彼に届いたかどうかは分からなかったけれど
足でドアを押さえながら、その身体を両手で抱き上げた。

思ったよりも重い。
身体に殆ど力が入っていないからだろう。
ベッドまでが随分遠く感じられた。
そっと身体を横たえ、靴やスーツを脱がしていく。
眼鏡を外してネクタイを緩めたところで、タオルを取りにユニットバスへ向かう。
濡らしたタオルを目の辺りに被せると、彼の呼吸が幾分落ち着いてくる。

「ホント、ごめん」
本間さんが口を開いたのは、部屋に戻ってから30分ほど経ってからだった。
「落ち着きました?」
「うん、なんとなく」
ソファから立ち上がり、ベッドの側にしゃがみこむ。
タオルの下から覗く目は、相変わらず弱弱しく、辛そうだった。
「あんまり、無理しちゃダメですよ」
「分かってるんだけど。ま、これも、仕事だからね」
「水か何か、要ります?」
「ちょっと、欲しいかな」
冷蔵庫の中に入っているミネラルウォーターを取り出し、彼に渡す。
上半身を起こした彼を、背後に座って支えた。
一口水を呷る彼の体温と鼓動を、腕を通して感じる。
溜め息をつくと同時に力の抜けた身体が、俺に寄りかかって来た。
「阿久津君がいてくれて、助かったよ。ありがとう」

彼は、俺に身体を預けたまま、自ら服を脱ぎ出す。
「・・・手伝います?」
「いや、大丈夫」
震える手が、ネクタイを外し、ワイシャツのボタンを外す。
おぼつかない動きを助けるよう、捩れる身体に纏わりつく衣服に手を伸ばし、背後から抜いた。
「情け無いな。この歳になって、他人に服脱がして貰うなんて」
「仕方ないですよ」
ベルトに手をかけながら、彼は身体の向きを変え、ベッドの外に足を投げ出す体勢を取る。
その前に回りこむようにベッドを降り、スラックスを足から引き抜いていく。
彼の小さな身体は、そのままベッドに沈み込むよう横になった。

衣服をクローゼットに納め、彼の元へ戻る。
虚ろな目が、俺を見上げていた。
「明日、何時だっけ?」
「新幹線、昼前ですから。ゆっくり出来ますよ」
「安心したよ。まともに起きられる自信、無いや」
酒に深酔いし、意識薄弱な状態。
目を閉じる彼の姿を見て、卑劣な衝動が沸き上がる。
あれだけ自制してきたのに。
俺は、保守的な人間なんかじゃない。
人の弱みを突き、勝てる試合しかしない、卑怯者。
「本間さん」
「ん?」
ベッドの側に立つ俺の眼下には、彼の顔があった。
「・・・許して下さい」


彼の身体に馬乗りになり、右肩を押さえながら、顎に手をかける。
驚いたような表情を浮かべる彼の唇が言葉を発する前に、自分の唇を無理矢理重ねた。
左右に振れる頭を、手で制する。
自由なままの左手が俺の身体を引き離そうとしていたが、力は不十分だった。
顔が少し離れると同時に、彼の震える声が耳に響いた。
「何・・・するんだ」
慄くような表情は、言葉以上に心にダメージを与えてくる。
受け入れられるはずも無いことは、分かりきっていた。

片腕で右肩と左腕を押さえ込む。
Tシャツの中に手を入れ、痩せた上半身を撫でていく。
「こんな、正気じゃ、無い」
「そうですね」
彼の手が、俺のワイシャツの袖を掴む。
抵抗されればされるほど、興奮が奥底から噴出した。
「阿久津、君・・・やめるんだ」
思うように動かない身体、圧倒的な体格差。
彼はそれを、言葉で補おうとしている。

胸の突起を指でくすぐる様に弄る。
一瞬、防御が緩んだ。
上半身を寝かせ、彼の耳元に舌を這わせる。
徐々に肩が強張っていくのを感じながら、指の動きを早くしていく。
酒で紅潮した彼の頬が、震えているのが見えた。
「抵抗しても・・・無駄ですよ」
その囁きに彼は言葉を返す事無く、目を瞑り、眉間に皺を寄せる。

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光明★(6/8)

妄想の中でしか聞こえなかった呻き声。
耳から入った音は、脳に染み渡るようだった。
乳首を摘みながら、首筋をゆっくりと舐っていく。
揺らぐ息を吐きながら、彼はその仕打ちに耐えていた。

シャツを首までたくし上げ、上半身をくまなく嘗め回す。
未だ、抜け出そうと左右に振れる腰周りに手を伸ばし、静かに弄ると、弱弱しい声が聞こえて来る。
「どうして・・・こんな、こと、するんだ」
その問には、答えなかった。
トランクスの中に手を差し込み、尻を撫でる。
柔らかな肌の感触が、足の付け根に向かうにつれ、チクチクとした毛の感触に取って代わる。
手の行方を察知した彼の言葉は、抵抗から懇願に変わっていく。
「頼む、から、やめてくれ」

直に感じる、他人のモノの感触。
こうやって触るのは、初めてだった。
衝動と興奮でいきり立っていた気持ちが、少しだけ現実に向かってぶれる。
ふと、彼の顔を見上げる。
震えるような彼の視線が、真っ直ぐ俺に向けられていた。
目があった瞬間、俄かに、手の中のモノが反応を見せる。
その感覚が、背中を押した。

彼の目を見ながら、緩やかに手を動かす。
俺の肩や腕を掴む手の力が、少し大きくなったようだった。
「・・・こんな」
切なさがその表情を覆い、俺の冷静さを削っていく。
波打つ胸元に舌を伸ばし、唾液の筋をつける。
乳首を舐め上げ、軽く甘噛みすると、モノは明らかに昂りを見せる。
「こんな、の・・・有り得、ない」
「そうですか?」
モノから手を放し、玉を柔らかく握る。
親指を付け根に沿わせて擦るように動かすと、堰を切ったように、声が室内に響いた。

先端から汁が滲む段になって、彼の抵抗はやっと無くなって来る。
抗うことを、諦めたんだろう。
目を閉じ、唇を噛み締めながら、時が終わるのを待っているようだった。
粘液を撫で付けるようにモノを扱きながら、彼の耳元で囁く。
「口、開けて下さい」
大きく震えている下唇に舌を滑らせ、そのまま口の中に捻じ込んだ。
くぐもった声が、頭の中を刺激する。
扱く手を速めると、やがて彼は堪りかねた声を上げながら、絶頂を迎えた。

気の抜けた彼の身体を、タオルで拭いていく。
呆然としたその表情は、怒りや悔しさ、そんな感情を何一つ表していなかった。
取り返しのつかない行為。
彼の姿を見ながら、自分が犯した罪の深さに、震えた。


殆ど眠れなかった。
多分、寝入ったのは夜が明け始めてからだと思う。
浅い眠りを覚ましたのは、煙草の匂い。
軽く頭痛の残る、歪んだ視界の向こうには、本間さんがいた。
「おはよう。ごめん、起こした?」
「・・・いえ、大丈夫、です」
目は合わせられなかった。
彼の口調に特別変わったところは見られず、それが却って居た堪れなさを生む。

「昨日、僕、何か迷惑掛けなかった?」
新しい煙草に火を点ける彼は、俯く俺にそう問いかける。
「え・・・?」
「飲み過ぎたせいか、あんまり記憶が無くて」
そんな馬鹿な。
本当に覚えていないのか、俺を試しているのか。
苦笑する彼の表情からは、真意は全く読み取れなかった。
「店から引き摺って貰ったくらいまでは、覚えてるんだけどね」
「・・・そう、ですか。別に、何も・・・無かったですよ」
「それなら、良かった。酒どころでの接待は、気をつけないといけないなぁ」
安堵の気持ちは、全く無かった。
むしろ、言い知れない不安だけが増大していく。

本間さんが身支度を整えている間、俺は何をするでもなく、ただソファに身を任せていた。
視界に入った灰皿には、大量の吸殻が貯まっている。
昨日の昼間にはベッドメイクが入ったはずだ。
夜は、当然、吸うタイミングなんか無かった。
ざっと1箱分はあろうかと思われる量を、彼はいつ吸ったんだろう。
「新幹線、昼前だっけ?もうちょっと、ゆっくり出来るかな」
そう言いながらユニットバスから出てくる彼の言葉に、一瞬返答が遅れる。
「え、ええ・・・そうですね。10時半くらいに出れば」
スラックスにTシャツ姿で俺の向かいに座る彼は、再び煙草を口に咥える。
「随分、吸ってるんじゃないですか?」
「ああ・・・ちょっと気分が悪いから。煙草で紛らわせてるんだ」

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光明★(7/8)

君は、まともじゃない。
こんなことするなんて、最悪だ。
そんな非難の言葉が頭を巡る。
何事も無かったように過ぎる日常に違和感を抱きながら、俺は、その時を待っていたのかも知れない。

新潟の物件は無事竣工が済み、一旦俺の手から離れていった。
問題が発生したときの窓口は営業の本間さん。
本社で対応が必要な場合は、そこから工事担当へ連絡が入るようになっている。
「製本出来たから、ちょっと仕舞って来てくれるか?」
A3サイズでまとめられた竣工図面を船橋さんから受け取り、図面庫へ運ぶ。

何の気無しに開けたドアの向こうには、先客がいた。
脚立に乗って何かの図面を探している風の彼は、俺の姿を見て声を掛けてくる。
「それ、美術館の図面?」
「はい。竣工図が出来たんで」
「じゃ、ここに入れておくよ」
差し出された手に、製本図面を渡す。
彼は片手で隙間を作り、押し込むように図面を収めていく。
「探し物ですか?」
「うん。・・・ああ、あった」
丸められた図面の束を引き出し、脚立を2、3段降りたところで、彼は俺に視線を向けた。
「・・・君は、いつも僕を、こんな感じで見てるんだね」

彼の目の位置とは、20cm以上の差があったと思う。
軽く見上げなければ、その表情を窺うことも出来なかった。
「え?」
「確かに、凄くちっちゃく見えるなぁ」
眼鏡の奥の眼が、僅かに鋭さを帯びる。
いつもとは違う雰囲気に、緊張感が高まった。
「ずっと考えてるんだ。君が、どうして、あんなことしたのか」
物静かなトーンで発せられた言葉に、気が遠くなりそうだった。
脚立を降り、彼は言葉を失った俺の側に立つ。
「僕が理解できるように、説明してくれる?いつでも良いから、電話して」
そう言って、彼は図面庫から出て行った。
静寂の中で、鼓動だけが激しい音を立てている。
壁に寄りかかり、何とか落ち着かせようとしても、手の震えは止まらなかった。


理解なんて、して貰える訳も無い。
言い訳すらも、思いつかなかった。
どうして、罵倒しないのか。
どうして、拒絶しないのか。
時間は過ぎても、携帯電話の発信ボタンを押す勇気は、一向に出なかった。

ある日の夕方、社内の内線電話がなる。
「お疲れ様。本間です」
うろたえることを分かっていたように、彼は俺の言葉を待たずに用件を話し出した。
「新潟の菊川さんが、新しい物件の話を持ってきたんだけど」
「はい」
「阿久津君をいたく気に入ったみたいで、工事の担当を任せたいって言ってるんだ」
「構いません、けど・・・」
「一先ず、こっちで話を進めてから回すことになるから、すぐって訳じゃ無いんだけどね」
「分かりました」
メモを取る手が落ち着かない。
歪んだ文字を並べながら、気持ちを必死になだめる。
「ああ、あと」
「・・・何でしょう」
「例の件、今日はどう?」
急激に目の前が暗くなる。
何の心の準備も無い。
それでも、いずれ向かい合わなきゃならない時が来る。
「大丈夫、です」
「そう。じゃ、エントランスに8時半で良いかな」

負けることは、試合の前から分かっている。
ガラス張りのエントランスホールに佇む彼に、背後から声を掛けた。
「すみません、お待たせしました」
振り向いた微笑みは、何処と無く強張っているようにも見えた。
「僕も、さっき来たところだから。・・・行こうか」

会社から駅へ向かう途中、少し大きめな公園がある。
彼はそこに入り、通りからは見えない位置にある灰皿の前のベンチに腰を掛けた。
「店とかよりは、こう言う所の方が、話しやすいかと思って」
少し離れた位置に立つ俺を見上げながら、煙草に火を点ける。
暗がりに漂った煙は、すぐに闇に溶けていった。
「・・・どういうことなのか、説明してくれる?」

□ 40_光明★ □
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光明★(8/8)

車のクラクションの音が、風に乗って歪んだ響きに変わる。
貼り付く様な湿った空気が、気分を更に重くしていく。
「何も言えないなら、僕の質問に答えてくれるだけでも良いよ」
地面だけだった視界を、彼の方へ移す。
その眼差しは、相変わらず俺を真っ直ぐ捕らえていた。
「男の身体、無理矢理いじくり回して、楽しい?」
「そう言う訳じゃ・・・」
「興奮する?」
「それは・・・」
煙草の火が、彼の顔をほんの少しだけ赤く照らす。
「そう言う類の人間がいることは、よく知ってるよ」
大きく溜め息をついた彼は、目を伏せ、話し始める。

「昔、バスケやってたって話、したよね」
「・・・はい」
「辞めたのは、怪我のせいじゃない。コーチが、最悪の人間だったから、耐えられなくて辞めたんだ」
穏やかな声に、憎悪の影が混ざりこむ。
「服脱がされて触られたり、咥えさせられたり。・・・誰にも言えなかった」
指に挟まれた煙草から灰が落ち、風に舞って消えていく。
「君も、同じなんだろ?奴と」
「違います。俺は、そんな奴とは、違う」
つい荒くなった声に呼応するように、顔を上に向けた彼の声のトーンも、激しさを帯びていた。
「同じだよ。やめろって、何度言っても聞かなかったじゃないか」
「そうじゃないんです」
「背が低い男は扱い易いって、奴もよく言ってたよ」

男の身体に興奮する。
根幹は、一緒だ。
やった行為も、変わらない。
抱いている気持ちも、もしかしたら同じなのかも知れない。
結局、俺には、彼にとって最悪の人間である要素しか無い。

地面に膝をつき、彼の前に正座する格好になる。
うな垂れながら、呟くように、自分の気持ちを吐いた。
「ずっと、本間さんが好きでした」
緊張で、気道に何かが貼りついたように息苦しい。
息を吐きながら、声を絞り出す。
「理解されないことも、受け入れられないことも、分かってました」
低くなった視界に、屈む彼の上半身と、膝の上で組んだ手が入ってくる。
「自制してきたのに・・・どうしても、貴方と関係を持ちたかった。抑えられなかった」
一呼吸置いて、地面に擦り付けるよう、頭を下げた。
「本当に・・・すみません」

ベンチから立ち上がる気配がする。
やがて、彼は俺のすぐ側にしゃがみ込んだ。
「顔、上げて」
少し持ち上げた頭を、顎に添えられた彼の手が更に上向かせる。
「僕がどうして理由を聞きたかったか、分かる?」
「・・・いえ」
「君は、奴とは違うって、自分自身で納得したかったんだ」
「え?」
「人として、君が、好きだから。嫌いになりたく無いんだよ」
目の前のネクタイが、静かな溜め息と共に、軽く上下に揺れた。
彼の唇が、一瞬だけ額に触れる。
ささやかな、柔らかな感触に、全てが、溶けていくようだった。


「ごめん、今の僕には、これが限界だ」
俺の手を引いて立ち上がらせ、スーツについた砂を払ってくれる彼は、そう言った。
「良いんです。十分、過ぎます」
再びベンチに腰掛ける彼の隣に、少し距離を置いて座る。
咥えた煙草に火を点けないまま、彼は呟いた。
「僕と阿久津君の、好きって感情は、何が違うんだろうね」
「違い?」
「僕は、君の事を気にかけたり、ふとした瞬間に思い出したりするけど、身体の関係は求めて無い」
「俺は・・・」
「僕とセックスしたい?」
ストレートな表現に、言葉が返せない。
動揺する俺の様子を窺うよう、彼は続ける。
「多分ね、したら、僕の気持ちは変わると思う。それが良い方向に行くかどうかも、分からない」

キスをしたい、身体に触れたい、快楽に溺れる彼の顔を見たい。
それは、紛れも無い事実だった。
「性的な関係を望んでいるのは、確かです。でも・・・」
言葉の間隔が空いた隙に、彼は煙草に火を点ける。
「でも、好きなんです。それ以外、言葉が、見つからない」
煙の向こうの彼の眼は、酷く優しかった。
彼の手が、俺の頭をゆっくり撫でる。
「違いなんて、無いのかもね」
添えられた手に力が入り、彼の肩の辺りに抱えられた。
幸せを噛み締めながら、その身体に身を預ける。
「好転することを、祈ってみようか」


冬の初め、俺たちは再び新潟の地に立った。
「今回は、極力飲まされないようにして下さいね」
「分かってる。その代わり、阿久津君、頑張ってよ?」
「・・・善処します」
目を細める彼の両腕が、俺の首に回る。
身を屈め、軽く唇を重ね合わせた。
間近にいる彼の視線が、ふとベッドの方へ向く。
「やっぱ、これ、マズイかな」
そう笑いながら、彼は整えられたままの片方のベッドの布団を引き剥がした。
「じゃ、今日は別に寝ましょうか?」
「君が、我慢できるならね」

叶えられないと思っていた祈りは通じた。
あと一歩を踏み出せなかった性格も、彼に変えられていっている気がする。
「じゃ、行こうか」
スーツの上にコートを羽織る彼が、俺の方に振り返る。
その柔和な笑顔が、心の中を満たす。
彼も同じ幸せを感じていて欲しい、そう思いながら、彼の後に続いた。

□ 40_光明★ □
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まべちがわ

Author:まべちがわ
妄想力を高める為、日々精進。
閲覧して頂いた全ての皆様に、感謝を。

2011-3-12
東日本大震災の被害に遭われた方に
心よりお見舞いを申し上げます。
故郷の復興の為に、僅かばかりにでも
尽力出来ればと思っております。

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