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着水(1/5)

「あ、それ」
頭のすぐ後ろで、そんな声が響く。
俄かに、背中に体重がかかってくるのを感じた。
「重てぇよ、本橋」
俺の手の中には真っ白な牌。
まるで抱きつくように身体を密着させてくる後輩は、何処か満足げに笑う。
「それ、カンで」
卓を囲む同僚や先輩が、苦々しい顔で俺たちを見てくる。
後輩はそんな視線を物ともせず、積まれた牌の一つを裏返す。
出てきたのは、丸が9つ書かれた、派手な牌。
隣には、中と書かれた牌が既に表になっていた。
「よしよし」
教えを乞われているはずの師匠は、完全に弟子を置いてけぼりにして行く。

10月の初めの社員旅行。
シーズンオフの伊豆は、それほど人出も無い。
忙しい日が続いていたこともあり、同じ部署の人間の殆どはホテルに引き篭もりだ。
「何、お前、麻雀知らねぇの?」
麻雀の誘いを断った俺を、同期がそう笑う横で、後輩の本橋がある提案をして来た。
「オレが教えますから、やってみましょうよ」
やることも無いしと軽い気持ちで誘いに乗ったは良いが
結局、訳も分からないまま、手元の棒だけが増えている。

「じゃ、次にこれが来たら、リーチで」
背後から目の前の一つを指差し、後輩が言う。
「またショボい手か?」
周囲から発せられる若干不機嫌な声が、俺の立場を狭くする。
「良いじゃないですか、初心者なんだから」
「お前は何の為に麻生の後ろにいるんだ?」
「ギャンブルってのは、まず勝つ楽しみを植えつけないと」
「若造が生意気なこと言うなよ」
「オレ、麻雀は子供の頃からやってるんで、相当ベテランですよ?」
床に転がるビールの空き缶の数を見れば、この不毛な言い争いも納得できる。
これが終わったら風呂でも入るか、そう思いながら、俺は山から牌を取った。

手の中にあるのは、目玉のようなデカイ丸の書かれた牌。
持ち牌の中に既に2つある。
「麻生さん・・・引きだけは良いなぁ」
酒臭い息が、少し意識を揺らがせる。
それを振り払うよう、煙草に火をつけて教えを乞う。
「んで・・・これを切って、リーチで良いのか?」
「OKですよ~・・・アガったら、すげぇな、これ」
耳元で、興奮した声が響く。
彼の得意げな満面の笑みから、俺の手の内にある状況を悟ったのだろうか。
「やべぇぞ・・・誰でも良いから、早くアガれよ」
仲間の声は、本橋の声とは相反するような、まるで脅えるようなものだった。

その次の周からは、場の様相が少し変わってくる。
俺を除く3人が、やたら鳴き始めた。
「それ、ポン」
「ああ、チーで」
それでも、誰もアガれないまま、牌が残り少なくなってくる。
そろそろ待つのにも飽きて来た頃。
引いた牌には孔雀のような鳥が書かれていた。
「うわ、来た」
身を乗り出す後輩の重さで、俺の身体は卓に押さえつけられる。
「マジかよ」
「麻生さん、その、ドラの牌、下のも見てみて下さい」
身体を押し返すように上半身を起こし、言われた通りに2つの牌を裏返す。
出てきたのは、南と格子の様なカラフルな牌。
目の前に並ぶのは、大きな丸が一つの牌が3つ、一・二・三萬、北が3つ、鳥が2つ。
そして、ちょっと離れたところにある白い牌が4つ。
「リーチ、ツモ、白と・・・ドラ9」
「バカじゃねぇの?」
「いや~楽しいなぁ」
そんな後輩の明るい声が、場の空気を一気に冷やしていく。
「二度目はねぇからな・・・麻生」
「何で、俺が」


仲間の冷たい視線と引き換えに手元に残った万札が数枚。
「お前にやるよ」
「要りませんよ。麻生さんが勝ったんだから」
「俺、何もしてないし」
「いや、でも、鉄壁の引きですよ。マジで」
「ビギナーズラックだろ」

麻雀の師匠とは、同室。
夜中の2時過ぎ、その部屋へと戻る途中、おぼつかない足で彼は言った。
「風呂でも入りません?何か、気持ち悪い」
「気持ち悪いんなら、入るなよ」
「だから、一緒にって言ってるんですよ」
「お前、俺に介抱させる気か?」
「万が一の時の為です」
どうせ、俺も風呂に入る気分でいた。
でも、俺よりガタイの良い後輩を背負って歩くのは勘弁だなと思いながら、夜中の露天風呂へ赴く。

□ 33_着水 □   
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着水(2/5)

吹く風が、少し肌寒い。
熱いくらいの温泉の湯が心身を溶かしていくような感覚に纏われる。
「誰もいませんね」
「普通は寝てるんだよ。こんな時間は」
「そりゃそうですけど」
黒い空に、月は無かった。
きっと、もう何処かへ行ってしまったんだろう。

心地よい静寂。
流水の音が眠気を誘う。
男二人で、ぼんやりと闇を見つめていた。
「麻生さんって、休みの日とか、何やってるんですか?」
沈黙を破る、割とどうでも良い質問。
「別に・・・これと言って、何もしてねぇな。掃除して、洗濯して」
日常の羅列が、自分のつまらない人生を実感させた。
「趣味とか、無いんすか?」
「趣味ねぇ・・・」

ふと、後輩の身体に目が行く。
「お前・・・無駄に筋肉付いてるな。鍛えてんの?」
「無駄って、失礼だなぁ」
「設計の仕事には全く必要ないだろ?」
「そーですけど」
ガタイが良いのは服の上からでも分かったが、ここまで割れてる腹筋を見る機会はなかなか無い。
自分の痩せた身体が、少し惨めに思えてくる。
「身体がたるんでくるの、嫌なんで」
「分かっちゃいるけど・・・なぁ」
「麻生さんこそ、もうちょっと筋肉付けた方、良いんじゃないですか?」
生意気な奴、そう思いながらも、後輩の身体が魅せる説得力は大きかった。

「お前の趣味は、麻雀と筋トレか?」
「ん~・・・どうなんですかね」
「煮え切らない奴だな」
「オレね、絵とか観るの、結構好きなんですよ」
「お前、見た目とやってることと言ってることが、チグハグ過ぎ」
苦笑する俺の横で、のぼせて来たのか、岩で組まれた縁に腰をかける。
「細かいことは分かんないですけど、見てると、何か落ち着くんですよね」
「美術館、行ったりとか?」
「行きますよ。東京の美術館はもう行き尽くしたんで、最近は遠出したりして」
「マジで・・・意外過ぎるな」
絵や彫刻を観たいなんて衝動、俺の人生の中では一度も芽生えなかった。
鍛えられた身体に、俺の範疇には無い趣味。
酒が入っていたこともあるんだろう。
隣に座る後輩の顔を見上げながら、俺は何となく卑屈な気分になっていた。

「麻生さん、免震装置って実際に見たことあります?」
いい加減長湯をした後の脱衣所。
適当に浴衣を羽織った本橋は、そんなことを聞いてくる。
「図面では見るけど・・・俺らにはあんまり縁が無いしな」
「今度、見に行きません?」
「現場か?」
「国立西洋美術館の地下で、免震装置が見られる場所があるんですよ」
「そりゃ、また変わった・・・」
「建築オタクの麻生さんなら、その方が良いでしょ?」
確かに、芸術作品よりは建築物の方が、興味はある。
ただ、会社の後輩の男と二人で美術館。
休日の過ごし方として、それで良いのかという小さな葛藤もあった。
「動画サイト見ながらダラダラ過ごすよりは、よっぽど良いと思いますよ」


桜の時期でも無いのに、上野公園に来るのは初めてかも知れない。
図星を突かれて仕方なく、そんな気分を軽減させてくれたのは、まず美術館の建物だった。
「これ、基本設計がコルビュジェなんだっけ?」
「ええ。世界遺産にって、キャンペーンもやってますね」
コンクリートで固められた、直線で形作られる特徴的な姿。
奇抜さは無いけれど、整った美しい建物だ。
「美術館とか博物館って、結構個性的な建物多いですしね。外から眺める楽しみもありますよ」
そう言う後輩に促されるよう、まずは外周から美術館を楽しむ。

写真やプレゼンでしか見たことの無い巨大なゴムの塊が、建物の重さを受けて歪んでいる。
美術館の地下にある休憩スペース。
片隅に空けられた覗き窓から、その一部を見ることが出来た。
建物の基礎と構造体の間に免震装置を入れることで、上屋が受ける振動を軽減させる。
多くの建物で取り入れられているが、こうやって実際見られるのは珍しい。
「後から入れたヤツか」
「ですね。何だかんだ言って、古い建物ですから」
一応大学の建築学科を出て、仕事でも設備とは言え設計の仕事をしている。
以前は珍しい建物を見れば足を止めたものだったけれど
歳を取ったせいなのか、あまり興味も無くなって来てしまった。
自発的ではないにせよ、こういう機会を持つことも悪くないかな、と思う。

□ 33_着水 □   
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着水(3/5)

壁に掛けられた一枚の絵。
確か、美術の授業かなんかで習ったはずだ。
本橋は、その絵から少し離れたところにあるベンチに腰掛けた。
「オレね、これ、ベタだけど、すげー好きなんです」
絵の近くにある説明板を見て、その絵画の名前を思い出す。
モネの睡蓮。
間近で見ると、その筆致がリアルに感じられる。
後輩の隣に座って眺めると、水面の透明感と花の淡い色使いが絶妙で
こういう絵を描く人間は、どんな感性を持っているんだろう、そんなことを考えさせられた。
そして、この絵が好きだと言う後輩の感性。
真っ直ぐな視線で絵と向かい合う真摯な表情が、心を微妙な角度に揺らす。
会社以外であまり親しくすることも無かったけれど
あまり知ることの無かった彼の一面を知ることが出来て、何となく嬉しかった。


「意外に、疲れるもんだな」
一通り美術館を周った後、心地良い足の痛みが襲う。
「体力無さ過ぎでしょ」
一服を愉しむ俺の横で、ペットボトルのお茶を呷りながら後輩は笑った。
「いつも座り仕事だし・・・歳かな」
「寂しいこと言わないで下さいよ。まだ30前ですよね?」
「・・・もう、目前だよ」
「オレだって大して変わりませんよ。来年になったら四捨五入で30ですし」
「お前、まだそんな歳だっけ?」
若さが羨ましい。
そう思うと言うことは、やっぱり、歳を取ったってことなんだろう。

「美術館は、どうでした?」
煙草の箱からもう一本取り出すタイミングで、後輩は尋ねてくる。
「新鮮だったなぁ。正直、初めてってくらい行ったこと無かったし」
「東京はたくさん美術館やギャラリーがありますからね。バシッと嵌る所も、あるかも知れませんよ?」
確かに、嫌いな雰囲気じゃない。
目を引く絵画や彫刻もあった。
休みの日に美術館、なんて、ちょっとデキる男みたいな気もする。
「そうだなぁ・・・たまには良いかも」
「なら、誘った甲斐は、あったかな」
「でも、美術館は良いけど、筋トレは行かないぞ」
「あれは、一人でストイックにやるのが楽しいんで」
満足そうに微笑む後輩の顔に、ふと影が差した。
「・・・麻生さん、一つ、話聞いて欲しいんですけど、良いですか?」


ウチの会社では、入って3年目までの社員に、毎年一回の研修を義務付けている。
設計の部署であれば、現場研修。
現業であれば、設計に関する基本の研修。
ご多分に漏れず、本橋もその対象になっていて
美術館へ行った後の週明け、彼は研修所がある軽井沢へ旅立っていった。
研修期間は2週間。
後輩が担当していた作業を引き受けながら、主のいない机に目をやる。
彼が置いていった、仕事とは別の、一つの課題。
どうやって解決していくべきなのか、そればかりが頭を巡っていた。


海とは無縁と思われる池に、カモメが群がっている。
どうして彼らは、慣れた住まいを離れ、ここで羽を休めているんだろう。

話を聞いてくれと言った本人は、何も言わずに不忍池まで俺を連れて来た。
蓮の葉が水面を覆い、その間をカモが泳いで行く。
柵に寄りかかり、その動きを目で追いながら、彼の言葉を待つ。

背後を自転車の二人組が通り過ぎていくタイミングで、後輩は口を開いた。
「オレと、付き合って貰えません?」
「何処に?」
俺に目を向ける事無く、彼は苦笑して、一つ溜め息をつく。
「そういうんじゃなくて。・・・やっぱ、ストレートに言った方が良いか」
「何なんだよ?」
訝しげな視線を向ける俺に、彼は顔を向ける。
いつもの軽い感じの面持ちに、寂しげな、切なげな影が差していた。
「好きなんです。オレ。麻生さんのこと」

心の奥底で湧き上がった感情は、何だったろう。
いろんなものが混ざり合った俺の頭の中には、発するべき言葉が存在しなかった。
「・・・何?」
多分、その瞬間から、視界の中の後輩は変わってしまった。
それは彼が変わったんじゃなく、俺が変えてしまったんだと思う。


「どうしようも無いくらい、好きなんです」
本物の蓮の葉に目を落としながら、彼はそう呟いた。
「それは・・・何、先輩として、とかじゃ無くってことか?」
「・・・そうです」
「いや、意味が、わかんねぇ」
「一緒にいたいとか、そういう、普通の恋愛感情、です」
傾いた陽の光が、彼の心を映すように、その顔に影を作る。
俺の声は、動揺で震えていた。
「普通、じゃねぇだろ?」
目の前に告白を突きつけられても尚、俺は彼とのそんな関係を想像することは出来なかった。
嫌悪感を抑えるために、無意識の内に脳が機能を停止しているのかも知れない。

「お前・・・そういう、趣味なの?」
「意識したことも、無かったんですけど。そうなのかも・・・知れません」
そんな指向、突然芽生えるもんなのか?
確か前に、元カノの話をしていた記憶もあった。
同性愛に対する俺の中の曖昧なイメージと、目の前の後輩を結びつけるものも、何も無い。
「・・・そんなの、無理に決まってる」
それが、混乱の中で見つけた、自分の気持ちを表現できる唯一の言葉だった。

□ 33_着水 □   
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着水(4/5)

「すみません、ホント。・・・忘れて下さい、全部」
眉間に皺を寄せ、目を細めて遠くへ視線を投げる後輩が、独り言のように呟く。
降って湧いた様な後輩の独白を、忘れられる訳が無い。
感情を乱されたことへの憤りが口調を激しくさせた。
「勝手なこと言ってんじゃねぇよ。なら、初めからそんなこと言うなよ」
「・・・そうですよね。こうなることは、分かってたのに」
全てを拒絶されることに対して、心の準備をしていた後輩。
何の準備も無く、ただその言葉に翻弄されている俺。
イライラは募る一方だった。
「これから、どうやってお前に接して行けば良いんだ?これまで通りなんて、無理だぞ?」
「仕事以外では、無視して下さい。あからさまでも、良いんで」
「は?」
「オレも、極力、麻生さんには近づかないようにしますから」


これまでの関係を全て断たなければならないことなんだろうか。
形容しがたい無常感が、身も心も重くさせる。
もし今日が何事も無く過ぎて行っていたとしても、恐らく同じ場面に遭遇する時が来たんだろう。
感謝の言葉を言い残して去っていった後輩の背中は
自らが招いた最悪の結果に打ち震えているように見えて、辛かった。
いよいよ暗くなってきた池の周りでは、僅かばかりの街灯が点灯を始めている。
ベンチに腰掛けたまま、俺はそこから動く気力も無かった。

住処に帰り損ねたのか、一羽のカモメが暗がりの水面に浮かんでいた。
やがて、カモの大群に追い立てられるように岸へ上がり、何かを探している風に首を振る。
寂しいんだろうか。
あるかどうかも分からない空想上の感情に、自分の感情が俄かに重なる。
先輩と後輩としての関係は、良いものだったと思う。
当たり前だと思っていた繋がりが捻れるもどかしさ。
社員旅行以来、重なってきた好意的な感情が崩れていく悔しさ。
俺は、今の状況を失うのが、寂しいんだろうか。
そうなることが分かっていて、それでも彼は気持ちを打ち明けた。
心地良かった場所を失ってまでも、慣れない水に飛び込む決意をしたのは、何故なのか。

視界の中にいた白い鳥が夕闇に飛び立つ。
仲間のところに、自分の場所に、帰るんだろう。
元には戻れない壊れた関係を憂う。
帰路に付くカモメを見ながら、羨ましさが込み上げた。


2週間は短すぎた。
どう接して良いのかの答も出ないまま、俺は研修明けの後輩を迎える。
「これ、引き継いだ資料。大きくは変わって無いと思うから」
「ありがとうございます」
傍から見れば、ごく普通の会話。
けれど俺は、その居心地の悪さに酷い嫌悪感を覚える。
「研修、どうだった?」
「現場は大変ですね。改めて実感しました」
些細な受け答えも、ぎこちなく、続かない。
後輩の意思がそうしているのか、無意識の内に俺がそうしているのかは、分からなかった。
ただ、そんな付き合いを繰り返していれば、当然距離は開いてくる。
そう実感するまで、大した時間はかからなかった。


「麻生さんは、こういうの興味ありますか?」
ある日の打合せ後、計装機器メーカーの営業が一通の封筒を差し出して来た。
「何ですか、これ?」
「ウチの親会社が協賛してるんで、お付き合いのある会社さんにお配りしてるんですよ」
封筒の中には、印象派絵画展、と題されたチケットが一枚。
デザインのモチーフになっていたのは、あの時に見た絵によく似た油絵だった。
「私は詳しくないんで、よく分からないんですけどね・・・。有名な画家の絵の展覧会だそうで」
「頂けるんですか?」
「どうぞどうぞ。他に何枚かご入用であれば」
食い入るようにキャンバスに向かう真摯な眼差しが、思い返された。
「じゃ、もう一枚、頂けます?」

本橋との関係は、あれからどんどん薄くなり、殆ど見えなくなっていた。
これが彼の望んだ結末だったのか。
そう思う度に、心が沈んでいくようだった。
ただ、彼の想いを受け入れると言う道に進むには、当然のように躊躇いがある。
時が経つにつれ、その先にあるであろうことを想像できるようになってきたけれど
現実として飲み込むには、あまりに大き過ぎた。
何処かに、解決の糸口を見つけ出そうと必死になっている、自分がいた。


昼食時間、後輩の居場所を探すのは容易かった。
「ここ、空いてるか?」
会社の裏手にある蕎麦屋。
彼の行きつけで、何度も誘いを受けた店だ。
正直、蕎麦よりはうどんの方が好きな俺は、誘いを受けない限り足を踏み入れたことは無い。
「え、ええ」
俺の顔を見て、明らかに動揺した後輩の向かいに座る。
バツが悪そうに、しばらく携帯を弄った後、彼は俺の顔を窺いながら言った。
「・・・どうしたんですか?珍しいですよね、この店に来るの」
「ああ、お前がいるだろうと思って」
「何か、お話でも?」
「今日、計装屋に貰ったんだけどさ」
そう言って、俺は封筒を彼に手渡す。
あたかも、賭けに出たような気分だった。

□ 33_着水 □   
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着水(5/5)

中に入っているものを認めた彼の顔は、一瞬明るくなった後、すぐに光を失う。
「オレ、今、必死なんです」
「何が?」
言葉を選んでいるのか、長い間が開いた。
「気持ちを、落ち着かせるのに、必死なんです。だから」
「こんなもん、持って来るなって?」
「・・・中途半端に期待させられても、辛いだけなんで」
目を伏せる後輩を見て、確信する。
まだ、道半ば。
まだ、引き返せる。
これは、互いが目指すべき方向じゃない、と。

彼の手にある封筒を取り上げる。
「お前、これ、もう観たの?」
「いえ・・・観に行こうとは、思ってましたけど」
「じゃ、ちょうど良いじゃん」
「まぁ、そう、ですけど」
「けど、けど、ってうるさいんだよ」
「すみません・・・」
俺は、頼みの綱を再度後輩の手元に置いた。
「今度の週末、行こうぜ。いろいろ解説してくれよ」


六本木から歩くと、すぐに奇妙な建物が目に飛び込んでくる。
カーテンウォールで構成された、うねる様な外壁。
晴れ渡った秋空を全体に映し、圧倒的な迫力を見せ付ける。
「美術館のくせに・・・ガラス張りか」
「展示室は内側ですからね。外側にはカフェとかレストランとか入ってるんですよ」
美術館の建築で重要視されるのは、温湿度条件と日光の遮断。
作品の保護の為、神経質なくらいの監理と制御が求められるはずだ。
「黒川紀章だっけ?設計は」
「そうです。だから、相当大胆でしょ?」

印象派と言うのは、モネとかルノワールとか、ああ言ったぼんやりした絵を描く画家のことらしい。
本橋が幾らか細かい説明をしてくれたけれど、イマイチよく分からなかった。
そして、あの睡蓮が連作であることも、ここに来て初めて知る。
展示会に来ているのは、その中の5作品。
こうやって揃うことは、まず無いことなのだそうだ。
後輩は、やはり少し遠いところから、熱い視線を向けていた。
「お気に入りは、あるのか?」
「ん~・・・やっぱり、上野の絵が一番落ち着きますかね」
「落ち着く?」
「いつでも観られる安心感があるのかな。どれも、好きですけど」


日差しを浴びた緑の木々が、所々で光の粒を纏っている。
コートを着ていると暑い位の気温を、柔らかな風が幾分冷ましてくれた。
「ああいうのに惚れ込んじゃうと、海外にも行きたくなるんだろうな」
「でしょうね。そのうち、どっかに行ってみるのも、良いかな」
このところ、沈んだ表情しか見ていなかったからだろうか。
穏やかな顔で遠くを見る後輩の姿が、嬉しかった。

「お前さ、何で、あんなこと言ったの?」
ふと会話が途切れた折を見て、聞いてみた。
木の間を駆ける風音が、心地よく耳に響いてくる。
彼の口から答が出てくるまで、どれくらいの時間があっただろう。
「・・・絶望したかったんです」
俺に見せる笑みは、穏やかな中に、切なさを湛えていた。
「どっかに期待してる自分が、嫌で嫌で仕方なかったんです」
「期待・・・?」
「そんな訳無いって分かってるのに、もしかしたらって思う自分が情けなかった」

叶わないかも知れない希望を持つよりも、叶えられないことに絶望する方が良いのか?
恋愛って、そんな壮絶なものだったか?
「良かったんです、これで」
「良いのはお前だけだろ?俺はどうなるんだよ」
「オレのことは、もう・・・」
「だから、勝手なこと、言うんじゃねぇって」
目を伏せる後輩に、コートのポケットに入れておいた封筒を手渡す。
「次は、俺の趣味に付き合えよ?」
「何ですか・・・これ」
渡したのは、来月から始まるアール・ヌーヴォー展のチケット。
美術品も多いが、傑作と呼ばれている建築物の写真展示も行われる。
戸惑う彼に、叶えられる希望を見せてやりたかった。
「俺の気持ちが、お前に追いついてないだけだ。だから、それ持って、少し待ってろ」

もう、元には戻れないんだろうと思う。
それでも、飛び立つ先には、希望があるべきだ。
絶望から離水した後輩の姿を追いかけながら、安住できる地を探す。
いつ辿り着けるかも分からないけれど、そこに互いが望む結末があることを、祈っていた。

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Information

まべちがわ

Author:まべちがわ
妄想力を高める為、日々精進。
閲覧して頂いた全ての皆様に、感謝を。

2011-3-12
東日本大震災の被害に遭われた方に
心よりお見舞いを申し上げます。
故郷の復興の為に、僅かばかりにでも
尽力出来ればと思っております。

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