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出帆(1/5)

「悪い、ちょっと電話だ」
打合せ帰りの東京駅、動輪広場の喫煙所。
点けたばかりの煙草を灰皿に放り込み、同行していた営業の蔵田がそそくさと出て行く。
普段のあいつなら、何処でもお構い無しに電話に出るのに。
最近、そんな違和感を感じることが多くなった。
女だろうか。
でも、わざわざ社用の携帯にかけて来る必要も無いだろう。
いろいろな詮索が頭の中を巡る内、俺の煙草も段々短くなっていく。

「何、お前、俺に聞かれたく無いような電話な訳?」
地下鉄の中で携帯を弄る蔵田に、何の気無しに聞いてみた。
「あ?ああ・・・いや、そう言う訳じゃ無いんだけどな」
「デカイ仕事でも、狙ってんの?」
「そうなら、良いんだけど」
俺を一瞥し、奴の視線が床に落ちる。
妙に切なげな表情が、更に俺の不信感を大きくしていった。

会社の最寄り駅が近くなる。
席を立ち、ドアの前に立った時、あいつがふと呟いた。
「真壁さ・・・何も、聞いて無い?」
「何を?」
「ウチの会社、今・・・ちょっとヤバイみたいだ」
「え・・・?」
程なく、電車は駅のホームへ滑り込む。
大勢の乗客と共に駅へ降り立ち、改札に向かって歩き出す。
しかし、あいつはその歩みを壁際でふと止めた。
「分裂するかも知れない、会社」
俺に顔を向ける事無く、力なく言った言葉を、咄嗟に理解することが出来なかった。


帰社したのは既に定時後だった。
意匠から構造、設備まで手がける中堅の設計事務所。
設計部署だけで1フロア使っているけれど、直前に聞いた蔵田の話のせいなのか
いつもよりも閑散としているような感じがして、気が滅入る。

「上層部と部課長クラスの数人が、揉めてるらしい」
駅のベンチで、あいつはそう話した。
「原因は?」
「経営方針への反発、だそうだ」
確かにウチの事務所は、最近の不況を受けて、薄利多売の方向へ傾き始めている。
質より量を掲げながら、リストラも始め、緊縮財政を推し進めている。
結果、社員の作業量も多くなり、そこかしこから不満が上がっていたのは事実だった。
「それで、営業・設計の部課長が、社員の引き抜きを画策してる」
「引き抜き?」
「新しく、事務所を立ち上げるつもりみたいだ」
「お前の電話は・・・それか」
「曽根さんから、来ないかって誘われてる」
営業部の曽根部長と言えば、大手のゼネコンとのコネクションを多数持つ営業の要。
しかし、蔵田の直属の上司では無い。

「どうすんの・・・お前」
「分かんねぇ。どうしたら良いか」
30歳も超えた俺たちは、会社では中堅どころ。
係長として、何人かの部下も持つようになった。
しかも、新たな会社が軌道に乗るまで、どのくらいかかるかも分からない。
まだ家族はいないにせよ、生活への不安も圧し掛かる。
「多分、お前にも声がかかると思うぞ」
膝の上で手を組んだまま、うな垂れる蔵田が呟く。
会社を二分する、水面下で蠢く事態。
出来ることなら回避できないのか、そう思う気持ちが目の前を暗くした。


「打合せ、どうでした?」
声をかけてきたのは、後輩の石垣だ。
「ああ・・・大きい問題は無かったよ。来週くらいに、一回まとまった図面が欲しいって」
「じゃ、各担当に伝えておきますね」
そう言って席へ戻ろうとする彼は、何かを思い出したように俺に顔を向けた。
「そうだ・・・土屋課長が何か話があるって言ってましたよ?」
「今日は、直帰の予定じゃ無かったか?」
「ええ、でも、戻るって電話が、さっき」
不安が脳裏を過ぎる。
引き抜きか、引き留めか。
社員である以上無関係ではいられないけれど、こんな気分じゃ仕事にも支障が出る。
全てを振り切るよう、俺は打合せ議事録の作成を始めた。

「お疲れ様です」
誰かが言った挨拶が、上司の帰社を告げる。
振り返ると、彼は俺を視線で招いた。
完成しかけたファイルを保存して、俺は彼の後へ続く。

疲れているのだろうか。
いつも温和な顔の眉間には、僅かな皺が寄っている。
「お話が、あると言うことですが・・・」
そう口火を切ると、彼は溜め息混じりの声で言った。
「今、うちの会社がどう言う状況にあるか、知ってるか?」
「・・・いえ」
「何人か社員を引き連れて、新しく会社を立ち上げようとしてる連中がいる」
その言葉で、上司がどちらの立場にいるのかを悟った。
「意匠課からは、そんな裏切り者を出す訳にいかない」
彼の目が鋭く俺を捕らえる。
「そう言う動きを見せる奴がいたら、報告してくれ」

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出帆(2/5)

設計者として育てて貰った恩は十分感じている。
直属の上司である土屋課長には、新人の時から散々世話になってきた。
ただ、今の会社のやり方に不満があるのは俺も同じだった。
誰がどんな思惑を抱えているのか。
何も見えないまま、ぎこちない日常が否が応にも続いていく。

社内で飛び交う噂は日に日に大きさを増していった。
新会社設立を画策している上司連中、声をかけられているらしい社員。
その名前もこぼれ聞くようになった。
付き合いの長い同期の名前を聞く度に胃が痛くなる。
疑心暗鬼の中、俺はあくまでも無関係を装いながら、業務に没頭しようと努力した。

それからしばらく経った金曜日の夕方。
個人用の携帯に着信があった。
「どうした?」
相手は、蔵田だった。
「この間の品川の物件なんだけど」
外からかけて来ているのか、周りの雑踏の音が多少邪魔に感じる。
「これからちょっと打ち合せたいって言うんだよ。出て来れないか?」
「今から?急過ぎ無いか?」
「オレもそう言ったんだけどさ」
今回の物件の担当は、そのゼネコンの中でも几帳面な人で知られていて
打合せのスケジュールも大抵1週間前には整えているような人。
こんなことは初めてだった。
しかも、業務の用件にも拘らず、内線でも社用の携帯でも無く、個人の携帯に電話をかけてきたあいつ。
何かあるとしか思えなかった。
「・・・分かった。飯田橋でいいのか?」


帰宅ラッシュと重なったのか、地下鉄の中は幾分混雑していた。
同期と上司の間に挟まれた格好になり、気分は落ちる一方だった。
暗い車窓を引き摺りながら、電車は目的地へ近づいていく。

待ち合わせに指定された駅近くの喫煙所には、蔵田ともう一人、男が待っていた。
「久しぶりだね。真壁君」
「・・・お久しぶりです」
そこにいたのは構造設計課の平林課長。
俺と蔵田が新人研修の時に指導を受けた人だ。
彼は、バツの悪そうな蔵田の顔を見た後、俺に視線を向ける。
「用件は、分かるよね?」

気持ちは固まったんだろうか。
飯田橋からタクシーで大崎へ移動する車中、同期の顔を見やりながら考える。
部下や他の部署の同期からも、裏切り者の烙印を押された者の名前は聞いていた。
しかし、平林課長の名前は耳に入ってきていない。
彼は、どちらの陣地にいるのか。
誰も言葉を発しない。
その沈黙が、俺の鼓動を早くする。


こじんまりとした飲み屋に入ったのは、まだ夜の7時前。
にも関わらず、店内は程々の人の入りだった。
「申し訳ないね。こんなコソコソするような真似させて」
目の前に置かれた中ジョッキを軽く上げて、課長はそう呟いた。
「いえ・・・それで、お話は・・・」
「新しい会社に、君も来て欲しい」
実にストレートな要求。
言葉同様の真っ直ぐな眼差しに、思わず目を逸らした。
「正直、給与は今ほど保障できないだろうけど」
自嘲気味に笑った後、彼は続ける。
「今以上に、納得できる仕事を与えられる自信は、ある」
その言葉に答えられないまま、縋るように同期の顔を窺った。
「・・・お前は、もう、決めたのか?」

飲みかけのジョッキを両手で抱えるように持つ蔵田が、伏せた目を上向けた。
「近く、退職願を出す」
「・・・今抱えてる物件は、どうするんだよ?」
「大きい物件は粗方終わったし・・・他のは、少しずつ引き継いでってる」
未だ戸惑いを見せるあいつに、課長は同士としての視線を送る。
人生を変える決断が、目の前に突きつけられていた。

「いつ・・・会社を立ち上げる予定なんですか」
質問する声が、少し震えた。
土屋課長の、部署のメンバーの顔が浮かぶ。
「今月中には設立するよ」
「そんなに早く?」
「この話自体は、もう半年前くらいから出ていてね」
数ヶ月前、会社が早期退職を募っていた時期があった。
その時、創立時から一線に立ってきた営業や技術者が数人名乗りを上げ、会社を去っていった。
大きな人材の喪失も、今の会社の混乱をもたらした一因になっていたのかも知れない。
そして、その彼らが、新たな会社を立ち上げると言うのだ。

「今後の不安もあるだろうけど・・・君をあの会社で殺してしまうのは、もったいない」
心もとなくなった前髪を整えながら、彼はそう言って俺に笑みを見せる。
「・・・ウチの部署からは、他にも、誰か?」
一瞬目を細め、その笑みが意味ありげなものに変わった。
「土屋から、何か言われてる?」
「・・・特には」
「何人か、声をかけてるよ。良い答えをくれてる社員もいる」
自分が把握している状況とは違う答えが、更なる葛藤を呼ぶ。
各々の腹の底にある意図が、会社を闇に包んでいるようだった。

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出帆(3/5)

一緒にいるところを見られると、面倒だ。
そう言う同期は、同じ路線に住んでいるにも拘らず、別ルートで帰って行った。
あいつの不義が噂され始めたのは、割合早い段階で
土屋課長からも、その行動について何度か探られたことがあった。
社内で仕事をするのにも針のむしろだろう。
彼自身の決断とは言え、それを思うと居た堪れなくなった。

社用の携帯に着信が来ていたのに気が付いたのは、帰宅後だった。
会社から2回、そして携帯から2回。
発信ボタンを押す手が、震えた。

「お疲れ様です。真壁です」
「ああ、お疲れさん。打合せ、どうだった」
「え、ええ・・・ちょっとした変更が出たくらいで」
電話の向こうの上司は、何かに気が付いている。
いつも以上に慎重な口調が、唇を強張らせた。
「営業の蔵田も一緒だったのか?」
「そうです」
「引き抜きの話でも、されたか?」
「そう言うことは・・・特に」
どうしたらいい、何て答えるべきなのか。
思考を巡らせながら、言葉を選ぶ。

「奴が、方々に声をかけているみたいでな」
もしかしたら、俺の知らないところで、疑惑の視線を向けられているのかも知れない。
探られるような口調で、気分が悪くなった。
「よくは・・・分かりませんが」
「社としては、その真意が分かり次第、関係者を解雇していく方針にしている」
「そんな、理由も無く、ですか?」
「理由はあるだろう?立派な忠実義務違反だ」
このことを、蔵田や平林課長は知っているんだろうか。
いつまで、こんなことが続くんだろう。
「会社に残る気があるなら、君も同期への情は捨ててくれ。・・・信用してるぞ」
気が遠くなるような冷たい口調を耳に残し、電話は切れた。


もう一つの携帯に着信があったのは、それからすぐだった。
発信元の名前に、緊張しつつ、何処か安堵する気持ちもあった。
「今日は、悪かった」
弱弱しい声が、心に刺さるようだった。
「いや、良いんだ」
「・・・もう、どうにかなりそうだ」
自分の行く先を見つめながら、同期はそう呟いた。
上司や同僚からの冷たい視線。
同士となるはずの年配者達からの、期待という名のプレッシャー。
押し潰されそうな状況の中、あいつは必死に耐えている。

「解雇するなら、さっさとして欲しい。一秒でも早く、この状況から、逃げたい」
土屋課長から電話があった旨を伝えると、彼はそう言い捨てた。
「誰を信じて良いか、分からなくなるんだ。怖くて、しょうがない」
大丈夫か、無理するな。
そんな言葉は、もはや慰めにはならないほど同期は弱っている。
途方に暮れる俺に、彼は懇願するように問いかけた。
「オレは、お前を・・・信じて良いのか?」
情を捨てられるはずが、無かった。
「当たり前だろ?寂しいこと、言うなよ」
「ありがとう・・・」
揺らぐ声でそう答え、あいつは大きな溜め息をついた。

ふと時計を見る。
まだ、日は跨いでいなかった。
「蔵田」
「ん?」
「今から、来れるか?」
「え・・・何で?」
「さっきの話、詳しく聞かせて欲しい」
そんなことは、ただの口実だった。
弱っているあいつの声を聞くだけで、不安が募る。
顔を見て、安心したかった。


終電ギリギリだったとぼやきながら蔵田が家を訪れたのは、もう1時近かった。
玄関先に立つあいつの顔は、飲み屋で見た時よりも憔悴していた。
「わざわざ、悪いな」
「構わないさ。・・・一人でいても、滅入るだけだから」

ベッドに腰を下ろした同期は、テーブルの上に携帯を2つ放り出した。
間を置かず、その一つが振動し、すぐ収まる。
「こんな時間に、電話か?」
震えた電話は社用のものだった。
蔵田は苦々しい顔をしながら、その電話を取り上げ、電源を切る。
「・・・非通知ワン切りが、ひでぇんだ。使い物に、なんねぇ」
くだらない嫌がらせ。
誰が、何の為にしているのか、想像したくもなかった。
壁に寄りかかるように天井を仰ぎながら、あいつは呟く。
「真壁、お前は・・・会社に、残れ」

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出帆(4/5)

自分と同じ思いをさせたくない。
追い詰められている同期は、俺の目を見てそう言った。
新天地への期待も、悪夢のような毎日の中で、徐々に削られて行っている。
会社に残るという選択肢も、断たれている。
今にも、崩れ落ちそうだった。

「もう、来週早々には退職願を出そうと思ってる」
煙草の煙を吐き出しながら、蔵田は言った。
「ま・・・素直に受理されることは、無いだろうけど」
「・・・だろうな」
「どうなるんだろう、オレ」
諦めの混ざる笑みを俺に向け、目を閉じる。
短くなった煙草を挟む指が、大きく震えていた。

「・・・一緒に、行くよ」
薄く目を開けた同期は、消え入るような声で助言する。
「やめとけ。お前がいなくなったら、意匠設計はどうなる?」
「お前だって、同じだろ?営業に大きな穴が開くことが分かってても、決めたんだろ?」
「・・・オレは、自分の決めたことは正しいと思ってた」
「なら・・・」
「でも、本当に正しいのか、自分の気持ちすら信じられなくなって来てる」
燃え尽きた煙草を指から抜き取る。
力なく俺を見上げる顔に、手を添え、こちらを向かせた。
「頼むから・・・俺だけは信じてくれよ」
表情が、徐々に歪む。
唇を噛みながら、あいつは涙をこぼした。

人間の表裏を嫌と言うほど見せ付けられたのだろう。
俺が、最後の砦になりたかった。
隣に座り、肩を抱く。
震える身体を擦りながら、頬に流れる筋を見ていた。
不意に、蔵田の手が俺の脚に触れる。
彷徨う指が、何かを求めているようだった。
その手を取り、指を絡めて、固く握り締めた。
「一緒にいるから。今日も、明日も、ずっと。・・・いいだろ?」
深い息を吐きながら、あいつは微かに頷く。
「あと少しだから、俺と、乗り越えよう」


会社側の対応は、思った以上に迅速だった。
同期が退職の意思を告げる書類を持って出社した月曜日、不気味な噂を耳にする。
独立をほのめかす部課長やそれに従う社員に対する、懲戒解雇を検討しているとのこと。
今回の件が、そこまでに値するかどうかは労働基準局による判断次第だが
認定が通れば、彼らは退職金無しの即時解雇となる。
裏切り者に対する制裁、背を向けようとしている者に対する脅し。
様々な憶測が飛んだ。

「とりあえず、出すだけ出したよ」
昼休み、会社の喫煙所で、電話越しにそんな話を聞く。
「解雇されるにせよ、何にせよ、肩の荷が下りた気がする」
「そうか、少し安心した」
「お前は・・・」
考え直せ、そう続くであろう言葉を遮って、俺は彼に告げる。
「俺もすぐ、行くから」
大きな溜め息の後に、小さな溜め息が続く。
「・・・わかった。待ってる」


幸いなことに、俺が今抱えている物件は、殆どが2人で担当しているものばかりだった。
重要事項を共有させることで、それとなく引継ぎを済ませていく。
「真壁さんは、営業の蔵田さんと、仲、良いんですよね?」
打合せが終わった後、そう聞いてきたのは石垣だった。
「え?ああ・・・同期だけど。何で?」
あいつの名前は、もはや独立組の急先鋒としての代名詞になっていた。
訳知り顔の後輩は、少し声のトーンを落として、言葉を続ける。
「僕には、声、かけてくれないのかなって」
「・・・土屋課長に睨まれるぞ」
「でも、真壁さんは、一緒に行くんでしょう?」
思いも寄らない指摘に、顔が強張った。

そんな話が、何処から出たのか。
傍観者としての態度が、逆に不信感を呼んだのか。
あくまで冷静を装い、俺は後輩に尋ねる。
「何のことだ?」
「課長が言ってましたよ。真壁さん、蔵田さんに引っ張られるんじゃないかって」
信用してる、そんな言葉、上辺だけか。
会社への忠誠心が、一気に削られる思いだった。
「だから・・・」
「俺のこと、見張ってろって?」
思わず投げた鋭い視線で身をすくめる石垣が、口ごもりながら答える。
「いや・・・それは・・・」
「そうか・・・じゃあ、話は早いな」

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出帆(5/5)

錚々たる面子だった。
懲戒解雇の対象となる社員の名前が会社のメーリングリストで回ってきた週末。
新しい会社の設立を祝う会には、新たな船出に期待を抱く男たちが顔を揃えていた。
営業部の曽根部長、構造設計の平林課長の他、意匠設計のメンバーも数名集まっている。
一足先に早期退職した重鎮たちが挨拶を行う中、俺と蔵田は壁際に立って、その話を聞いていた。

「思った以上に、集まったんだな」
「恐らく、部課長クラスは半分近く来たんじゃないか?」
「若手は、やっぱり少ないか」
「あんな状態じゃ、声も上げられないだろ」
プラスチックのコップに入ったウーロン茶を飲み干し、何処かスッキリしたような顔で蔵田は言った。
「解雇ちらつかされたら、貯蓄が無い、家族がいるって人間は、そうそう飛び出せないさ」
「お前は・・・良い訳?」
「ああ。結婚してなくて良かったって思ったのは、これが初めてかもな」
そう言う同期の笑顔を、俺は久しぶりに見た気がした。


後輩を諍いに巻き込むのは、避けたかった。
石垣との打合せを終えてすぐ、俺は土屋課長の下へ赴いた。
彼は、俺の意図を分かっていたのだろう。
軽く一瞥し、考えられ得る選択肢を提示してきた。
「今すぐ退職願を出すか、懲戒解雇されるのを待つか、どっちが良い?」
「退職願なんて・・・受け取って頂けるんですか?」
「君は、オレの下に何年いる?」
「8年くらいに、なります」
そう言うと、彼は小さく溜め息をつき、俺に視線を向けた。
「情が移らないとでも、思ってるのか?」
言葉が出なかった。
憎しみだけを残して去ろうとしていた俺に、彼は最後の情けをかける。
「諭旨解雇にしてやる。明日、退職願を持って来い」
「・・・ありがとう、ございます」


メーリングリストの名簿には、主犯と見なされた部課長クラスの人間の名前が並んでいた。
直前に退職願を出していた蔵田については、俺と同じ諭旨解雇で済んだ。
とは言え、退職金は大幅に削られる上
仮に他の会社へ転職を考えた時には、大きなペナルティとして付きまとうことになる。
それでも、この場にいる誰もが、そのことを後悔しているようには感じられなかった。

「これから・・・どうなんのかな」
ふと呟いた不安に、同期は明るく答える。
「まずは、自分が食えるようになること、かな」
「そりゃ・・・そうだけど」
「早速、案件も来てるらしいし。新しい会社に移ったら、きっと激務だぞ?」
「覚悟しておくわ」
苦笑する俺の顔を、あいつはまっすぐ見つめて、言った。
「ありがとう。お前がいなかったら、オレ、ダメになってた」
苦悩を続けた彼の表情には、もう、それを示すものは映っていなかった。
その顔に、不安が溶かされた。
背後から、そっと腰に手を回し、引き寄せる。
驚いた表情には、気が付かない振りをした。
「まだまだ・・・これからさ」


退職願を出してから2週間あまり。
簡単な挨拶を済ませ、俺はフロアを後にする。
会社の外では、一足先に退職した同期が待っていた。
「お疲れ」
「おう。・・・まだ、全然終わってねぇんだけど」
「マジかよ・・・引っ越し、明後日だぞ?」
「ま、何とかなるだろ」
互いに会社の借り上げマンションに住んでいた俺たちは、新しい会社の近くに引っ越すこととなった。
しばらくは給料も安定しないだろう、そう告げられていたこともあり
大きめな部屋を二人でシェアして暮らすことに決めている。

「女連れ込むのは、禁止な」
「降って来る訳でも無し、そうそう出来ねぇよ」
「まぁ・・・この歳になったら、それなりの気概が無いと」
「そんな気概が、ある訳?」
含みを持たせたあいつの言い方に、少し腹を立てつつ答える。
「・・・無い」
「ダメじゃん」
片付けの進まない雑然とした部屋の中に、笑い声が響く。
「・・・別に、オレはこのままでも、良いけどな」
「は?」
俄かに戸惑いの表情を見せながら、彼は俺の手を取り、指を絡める。
「おい・・・」
「一緒にいてくれるんだろ?・・・ずっと」
指を締め付けられる感覚が、感情を押し出した。
互いの震えを抑える様に、手を握り合う。
「ああ・・・そうだな」

新たな生活が始まるまで、後一週間。
元同期として、未知の航海に乗り出す仲間として、かけがえの無いパートナーとして。
きっとあいつとなら、荒波を乗り越えられる。
そう信じて、新しい人生を歩き出す。

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Information

まべちがわ

Author:まべちがわ
妄想力を高める為、日々精進。
閲覧して頂いた全ての皆様に、感謝を。

2011-3-12
東日本大震災の被害に遭われた方に
心よりお見舞いを申し上げます。
故郷の復興の為に、僅かばかりにでも
尽力出来ればと思っております。

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